四章 まよいが 二
翌日も青紀は眠り続け、佐名も彼の傍らを離れなかった。
三日目の夜になると、青紀の顔色も回復してきた。彼が目覚めないまでも多少は
「佐名」
呼ばれて目を開けると、とんでもなく
夜が明けたらしく、彼の長い睫に、
(ああ、綺麗)
ぼんやりと見つめていると、相手は冷めた声で問う。
「なぜ、わたしと
「一緒に……? ……わぁ!」
飛び起きた。
いつの間にか寝ていたのは
「ごめんなさい、ごめんなさい! 悪気はなくて、つい!」
「起きて
「傷口は
前合わせをくつろげて、
「本当?」
「塞がっている。深かったので少々痛むが、二、三日で痛みは引くはずだ」
「良かった。目覚めなかったら、どうしようかと思ってた」
気が
「この程度の傷で死にはしない」
「ずいぶん血が出ていて、心配したの。水を飲む?」
「お
「さして食欲はない」
「でも、好物だったら食べられるかも。好きなもの、言ってみて。作れそうなものなら茶釜に
しばし考えた後、青紀は答えた。
「きつねうどん」
「うどんなら消化も
「茶釜、茶釜! あの人の目が覚めた!」
青紀が目覚めたのを知って、茶釜も大はしゃぎだった。きつねうどんなら青紀は食べられそうだと告げると、「任せてください」と、お勝手へ走って行った。
そして。
茶釜が作って部屋まで運んできたのは、たぬき
「あの
青紀はぶつくさ言いながらも、結局、自室でたぬき蕎麦を完食した。佐名は食後の茶を
湯飲みに手を
「ごめんなさい」
熱い茶を
「たぬき蕎麦は茶釜の責任だ」
「たぬき蕎麦のことじゃなくて、怪我させたこと。ごめんなさい。怪我をしたのは、わたしのせいだ」
「おまえのせいじゃない。おまえが
茶を一口飲むのを待ってから、佐名は姿勢を正して問う。
「どうして連れてきたの、わたしを」
「おまえをこの家の主にするため」
青紀は最初からこう言っている。それを聞いても佐名は
「お母さんの代わりに、でしょう? そう言ってたわよね」
「お母さん」と口にすると胸が苦しい。だからといって耳を塞いで良いとは、思えない。青紀がなぜ佐名を
「そもそもこの家は何? どうしてわたしが、家の
湯飲みを卓袱台に置き、青紀は立ち上がった。窓辺に寄り障子を開ける。
外は昼間の明るさだったが、家の周囲だけは光の質が
風が吹き、青紀の
「おまえが
「約束?」
「おまえの母──
ふり返り、青紀は静かに告げた。
「その約束の一つを破らなければ、大きな約束も破ることになる。だからわたしは、雪野との約束を破ろう」
「大きな約束?」
「菖蒲という女とした約束だ。永久にこの家を護り続ける約束。わたしは二百年間この家に住み、この家を護っている」
「二百年? じゃあ、あなた、二百歳?」
「おおよそ三百歳だ。前にも言ったが。ともかく、わたしは二百年前にした菖蒲との約束を守るために、雪野との約束は破らなければならない。そうせず、おまえを
吹き込む風は冷たく、佐名の傍らにある
「お母さんとした約束って、何」
「自分が死んだことを、佐名には教えないでくれ、という約束だ」
佐名は目を見開く。
「死の
「死んだ?」
「死んだ。殺された。十五年前だ」
言葉が出なくなった。
(殺された?)
青ざめて言葉もない佐名に、青紀は淡々と続けて言う。
「十五年前。おまえを浅草公園に置いて、自らは
「……どうして」
「『わたしが死んだと知ったら、佐名は泣くから』。そう言った」
強い風が吹き抜け、窓の障子が、がたがた音を立てる。
「わたしが、……泣く?」
「『あの子は泣き虫だから』と。それが最後の言葉だ」
肺に空気が入らないような苦しさを覚え、呼吸が浅くなる。
「あの日、わたしは東京にいなかった。雪野はおまえを連れて外へ出たらしい。狙われていると知っていたはずなのに、何かよほどの事情があったのだろう。わたしは家に
そこで青紀は無意識にだろう、自分の胸の下辺りを押さえた。無残な
「おまえを浅草公園に置いて術で
雪のちらつく真夜中まで、四歳の子どもが一人ぽつねんと座っていて無事でいられたのは、おそらく母親が
そして、真夜中。現れた彼が血まみれだったのは、自らが血を流していたから。
おぼろげだった遠い
「お母さんが殺されたって。どうしてそんなことに」
細い声で問う。
「それを説明するためには、おまえの一族の話をする必要がある。おまえは焔と名乗る一族の血を引く」
「あのお
「少なくとも戦国の世から、その一族はいるのだと聞いている。あやかしの姿を見て、声を聞く血筋で、あやかしの仲間だと
戦国の世。佐名は絵物語の中でしか知らない時代だが、今よりもずっと
「焔一族は人でありながら人に追われた。結果彼らは、一族に害をなす人間たちから身を護るために、あやかしに協力し、その見返りにあやかしの力を借りた」
「協力って……?」
「あやかしを休ませる家を準備した。
共生。そんな言葉が、佐名の頭をよぎる。
焔一族と呼ばれる者たちは、人ながらに人に追われ、同じく人に追われるあやかしとともに生きるのを選んだというのだろうか。
「焔一族の者が主となり家にあれば、そこはあやかしが憩える家になる。逆に、その家から焔一族の主がいなくなれば、いずれその家は
まよいが──迷い家。
それは古い伝承の一つ。全国に散見する伝承ながら、ことに関東から東北にかけて多く語られ、地域によって多少の違いはあるものの大筋は似ていた。
道に迷った者が
屋敷の中にあるものを持ち帰る、あるいは後日、屋敷があった川の上流から流れてきたお
「焔一族はその家をあやかしのために作るのだから、人間は入れない。しかし何かの
「まよいがのものを持ち帰れば、富を得られると聞いたことがあるわ」
「ああ」
「あやかしの力が宿る家の品物だ。持ち帰れば、多少の幸運が
「じゃあ、この家は昔話なんかに出てくる、まよいが? でも昔話のまよいがとは、少し
本来人が来るべきでない家を
まよいがは、焔一族と呼ばれる人たちが身を
佐名は焔一族。
あやかしと結び、まよいがの
そして、佐名の母親も。
「十五年前はお母さんがこの家の主で、あやかしたちを迎えていた? 焔一族の者だから。そういうことよね」
彼は
「あなたも、もしかして、わたしやお母さんと
「一緒にいた。わたしは代々、まよいがの主に仕える身だ」
様々な事実を聞くのが
「二百年前、この地に来てまよいがを開いた焔一族の女が菖蒲。その女に恩があって、わたしはこの家を永久に護り続ける約束をした。見返りにわたしは、この家に凝っていく
「妖狩寮って、純有って人が言ってた」
「
「帝政って……お上。
重々しく青紀は頷く。
「まよいがの主、焔一族は多くのあやかしを招き入れ、妖気を凝らせ利用する。さらにあやかしは、まよいがの主に恩義を感じる。あやかしは恩義によって焔一族に力を貸す。かつて焔一族はその力で、
江戸、徳川家。その権力集約に手を貸した一族が、
佐名の母親は焔一族であるがゆえに、お上に殺された。佐名が命を
「ということは。焔一族のわたしも、国賊ってこと?」
そんな
この身に流れる血で国賊とされるならば、佐名にはこの国に生きる場所がない。
「そのはずだが」
言い
「妖狩寮が焔一族を
「利用価値?」
「焔一族はまよいがの力で天下統一を助けたほどだ。今の人間たちが、その力を利用しようと考えないとは、思えない」
彼の目が
「焔一族は国賊であり、同時におそらく、帝政が
国賊であり、同時に帝政にとって利用価値のある者。そう言われても、佐名には自分が焔一族である実感がない。自分が国賊という大それた存在だとも、帝政に欲せられるほどの者だとも、感じない。
「そんなの、自分のことだと思えない」
小声で言って、
「そう思えなくとも、事実おまえは、まよいがを作り営む焔一族の
「でも」
「でも、なんだ。
首を横に
「ない、そんなもの。でも……」
「なぜ
続きは本編でお楽しみください。
あやかしの家の仮主さま 衣がさね 狐と狸と焔の娘 三川みり/角川ビーンズ文庫 @beans
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。あやかしの家の仮主さま 衣がさね 狐と狸と焔の娘/三川みりの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます