四章 まよいが 二


 翌日も青紀は眠り続け、佐名も彼の傍らを離れなかった。

 三日目の夜になると、青紀の顔色も回復してきた。彼が目覚めないまでも多少はあんしたし、同時に気がゆるんで体の限界が来たらしい。座っていても、ふっと意識が遠のくことがいくもあり、とうとう座ったままてしまった。

「佐名」

 呼ばれて目を開けると、とんでもなくれいな顔が目の前にあった。

 夜が明けたらしく、彼の長い睫に、えんりよがちな柔らかな光がまといついている。

(ああ、綺麗)

 ぼんやりと見つめていると、相手は冷めた声で問う。

「なぜ、わたしといつしよに寝ている?」

「一緒に……? ……わぁ!」

 飛び起きた。

 いつの間にか寝ていたのはいたし方ないとしても、座ってうたた寝していたはずが、無意識に心地よさを求めたのか、青紀の布団のはしい寝するように丸くなっていたのだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい! 悪気はなくて、つい!」

 かべぎわまでしりで後ずさって青くなる。青紀はおつくうそうに体を起こす。

「起きてだいじようなの?」

「傷口はふさがった」

 前合わせをくつろげて、わきばらに巻かれた包帯の上から手を触れる。そろそろと佐名は、布団の傍らにい寄った。

「本当?」

「塞がっている。深かったので少々痛むが、二、三日で痛みは引くはずだ」

「良かった。目覚めなかったら、どうしようかと思ってた」

 気がけてたたみにへたり込んだ。安堵が全身をかんさせ、なみだぐむ。涙ぐんだのを見て、青紀は意外そうな、めずらしいものを見たような顔になった。

「この程度の傷で死にはしない」

「ずいぶん血が出ていて、心配したの。水を飲む?」

 まくらもとに置かれていた水差しから湯飲みに水を注ぎわたすと、彼はなおに受け取って何口か飲んで息をく。

「おなかすいてない? 何か食べられそう?」

「さして食欲はない」

「でも、好物だったら食べられるかも。好きなもの、言ってみて。作れそうなものなら茶釜にたのんでみる」

 しばし考えた後、青紀は答えた。

「きつねうどん」

「うどんなら消化もいし、茶釜に相談してくるわ。待ってて」

 はずむようにして、佐名は部屋を飛び出した。

「茶釜、茶釜! あの人の目が覚めた!」

 うれしくて、安心して、涙がこぼれた。

 青紀が目覚めたのを知って、茶釜も大はしゃぎだった。きつねうどんなら青紀は食べられそうだと告げると、「任せてください」と、お勝手へ走って行った。

 そして。

 茶釜が作って部屋まで運んできたのは、たぬき蕎麦そばだった。



「あのたぬきめ。報復してやる」

 青紀はぶつくさ言いながらも、結局、自室でたぬき蕎麦を完食した。佐名は食後の茶をれて卓袱ちやぶだいに置く。身なりを整え、きっちりと和服を着た青紀は、いんを感じさせない。さすがにあやかし、と言うべきか。

 湯飲みに手をばす青紀に、佐名は頭を下げる。

「ごめんなさい」

 熱い茶をき冷ましながら、彼はへいたんな声で答えた。

「たぬき蕎麦は茶釜の責任だ」

「たぬき蕎麦のことじゃなくて、怪我させたこと。ごめんなさい。怪我をしたのは、わたしのせいだ」

「おまえのせいじゃない。おまえがねらわれるのは、わたしがこの家に連れてきたからだ」

 茶を一口飲むのを待ってから、佐名は姿勢を正して問う。

「どうして連れてきたの、わたしを」

「おまえをこの家の主にするため」

 青紀は最初からこう言っている。それを聞いても佐名はきよぜつばかりしていたが、今はちがった。

「お母さんの代わりに、でしょう? そう言ってたわよね」

 ひざの上に置いた手に目をやる。

「お母さん」と口にすると胸が苦しい。だからといって耳を塞いで良いとは、思えない。青紀がなぜ佐名をまもり、この家の主にしたいのか。そこまで彼が家にこだわる理由は、かなければならない。

「そもそもこの家は何? どうしてわたしが、家のあるじになる必要があるの? なぜお母さんは、わたしを代わりにしろと、あなたに言ったの? 話して、全部。全部聞きたい」

 湯飲みを卓袱台に置き、青紀は立ち上がった。窓辺に寄り障子を開ける。

 外は昼間の明るさだったが、家の周囲だけは光の質がやわらかくなっている。常にうすあおもやがかかっているからだろう。靄の向こうに浅草のにじんだかげ

 風が吹き、青紀のまえがみらす。

「おまえがこわがっているのも、いやがっているのもわかっていた。くわしく事情を話すべきだった。だがそうすると、わたしはいくつかした約束の一つを破ることになる。だから言えなかった」

「約束?」

「おまえの母──ゆきとした約束だ。ただ」

 ふり返り、青紀は静かに告げた。

「その約束の一つを破らなければ、大きな約束も破ることになる。だからわたしは、雪野との約束を破ろう」

「大きな約束?」

「菖蒲という女とした約束だ。永久にこの家を護り続ける約束。わたしは二百年間この家に住み、この家を護っている」

「二百年? じゃあ、あなた、二百歳?」

「おおよそ三百歳だ。前にも言ったが。ともかく、わたしは二百年前にした菖蒲との約束を守るために、雪野との約束は破らなければならない。そうせず、おまえをなつとくさせられないなら、この家は消える。主をなくして十五年、よく持ちこたえたがそろそろ限界だ」

 吹き込む風は冷たく、佐名の傍らにあるばちの熱すら感じられない。冬の風のかおりは、鼻の奥にれ木のにおいに似たものを運ぶ。

「お母さんとした約束って、何」

 ちんもくの後に、彼は静かに口を開く。

「自分が死んだことを、佐名には教えないでくれ、という約束だ」

 佐名は目を見開く。

「死のぎわ、そう約束してくれと彼女は言った」

「死んだ?」

「死んだ。殺された。十五年前だ」

 言葉が出なくなった。

(殺された?)

 青ざめて言葉もない佐名に、青紀は淡々と続けて言う。

「十五年前。おまえを浅草公園に置いて、自らはおとりとなって殺された。死の間際、意識がれる寸前に、彼女はわたしに、自分の死を佐名に知らせるなと願った」

「……どうして」

 かすれた声が、それだけ出た。

「『わたしが死んだと知ったら、佐名は泣くから』。そう言った」

 強い風が吹き抜け、窓の障子が、がたがた音を立てる。

「わたしが、……泣く?」

「『あの子は泣き虫だから』と。それが最後の言葉だ」

 肺に空気が入らないような苦しさを覚え、呼吸が浅くなる。

「あの日、わたしは東京にいなかった。雪野はおまえを連れて外へ出たらしい。狙われていると知っていたはずなのに、何かよほどの事情があったのだろう。わたしは家にもどり、おまえたちが家を出たのを知り、急いでおまえたちの姿をさがしたが……助けられなかった。わたしも怪我を負った」

 そこで青紀は無意識にだろう、自分の胸の下辺りを押さえた。無残なきずあとがそこにあるのを、佐名は知っている。

「おまえを浅草公園に置いて術でかくしたと雪野は言っていたから、その後にむかえに行った」

 雪のちらつく真夜中まで、四歳の子どもが一人ぽつねんと座っていて無事でいられたのは、おそらく母親がほどこした術とやらのおかげだったのだ。

 そして、真夜中。現れた彼が血まみれだったのは、自らが血を流していたから。

 おぼろげだった遠いおくが呼び覚まされ、色や音がせんめいになってくる。

「お母さんが殺されたって。どうしてそんなことに」

 細い声で問う。

「それを説明するためには、おまえの一族の話をする必要がある。おまえは焔と名乗る一族の血を引く」

「あのおぼうさん、純有っていう人も、わたしに訊いた。焔一族かって」

「少なくとも戦国の世から、その一族はいるのだと聞いている。あやかしの姿を見て、声を聞く血筋で、あやかしの仲間だとおそれられたらしい」

 戦国の世。佐名は絵物語の中でしか知らない時代だが、今よりもずっとこくで、恐ろしい時代だったと想像はつく。死が身近で、じんも多く、ざんぎやくな時代。人々は強いおびえとともに生きていただろう。わずかな油断が死を招くような時代に、あやかしの姿を見て声を聞く者たちは、どんなふうに見えただろうか。

「焔一族は人でありながら人に追われた。結果彼らは、一族に害をなす人間たちから身を護るために、あやかしに協力し、その見返りにあやかしの力を借りた」

「協力って……?」

「あやかしを休ませる家を準備した。えいごうの未来をだいしようにして血にまじないを施し、あやかしがいこえる家を作る能力を一族にあたえた。それによって焔一族の者は、あやかしが憩う家を作る。各地に家を作り、自身もそこに住み、人間どもから身を隠す。人に恐れられ術者に追われ、仲間同士のとうそうつかれたあやかしは、その家で傷をやし、疲れを癒やす。あやかしは対価として家にようりよくさずける。家には妖力がこごり、焔一族の者もその家も、妖力によって護られる」

 共生。そんな言葉が、佐名の頭をよぎる。

 焔一族と呼ばれる者たちは、人ながらに人に追われ、同じく人に追われるあやかしとともに生きるのを選んだというのだろうか。

「焔一族の者が主となり家にあれば、そこはあやかしが憩える家になる。逆に、その家から焔一族の主がいなくなれば、いずれその家はしようめつする。焔一族の者が主を務めるその家を、人間どもは『まよいが』と呼ぶ」

 まよいが──迷い家。

 それは古い伝承の一つ。全国に散見する伝承ながら、ことに関東から東北にかけて多く語られ、地域によって多少の違いはあるものの大筋は似ていた。

 道に迷った者がひとざとはなれた山奥に、立派なしきを見つける。屋敷は無人だが、手入れされた馬がいたり、うるしりのうつわがあったりとゆうふくそうな様子で、しかも今し方までだれかがいたかのごとく、に火があり、湯がかされたりしているという。

 屋敷の中にあるものを持ち帰る、あるいは後日、屋敷があった川の上流から流れてきたおわんなどを手に入れると、その者は富む。ただしその者も、その者から話を聞いた者も、どこをどう探し歩いても二度とその屋敷へは行けない。

「焔一族はその家をあやかしのために作るのだから、人間は入れない。しかし何かのひように、迷い込む者もある。主の招きなく迷い込んだ者は、主の姿を見ることはかなわないし、無論あやかしの姿も見えない。迷い込んだ人間たちの話が広まり、まよいがの伝承になった」

「まよいがのものを持ち帰れば、富を得られると聞いたことがあるわ」

「ああ」

 ちようしようするように青紀の口元がつり上がる。

「あやかしの力が宿る家の品物だ。持ち帰れば、多少の幸運がいこんだりするだろうが、その反対もまた多いはず」

「じゃあ、この家は昔話なんかに出てくる、まよいが? でも昔話のまよいがとは、少しちがう……。ううん、そうか。逆だ。昔話が、まよいがの存在を正確に伝えていない、と言う方が正しいのかも」

 本来人が来るべきでない家をのぞいた人間が、だんぺん的に語ったものが昔話になったのならば、まよいがの実態は、まさに青紀が語った通りなのだろう。佐名がこの家で目覚めた直後、一人の少年が迷い込んできた。彼には佐名の姿が見えず、おどろき怯え、げていった。きっとあんなふうにして迷い込んだ人間が、人に語ったことが昔話になっているのだ。

 まよいがは、焔一族と呼ばれる人たちが身をまもるためにあやかしと結び、あやかしが憩うために作った家。そういうことなのだ。

 佐名は焔一族。

 あやかしと結び、まよいがのあるじとなるべき者。

 そして、佐名の母親も。

「十五年前はお母さんがこの家の主で、あやかしたちを迎えていた? 焔一族の者だから。そういうことよね」

 彼はうなずく。

「あなたも、もしかして、わたしやお母さんといつしよにこの家に住んでたの?」

「一緒にいた。わたしは代々、まよいがの主に仕える身だ」

 様々な事実を聞くのがこわい。しかし事実から、あやかしやしやべだぬきが飛び出して、佐名を驚かせ怯えさせたとしても、それは佐名が受け止めなければならない運命。

 なおにそう思えたのは、目の前のれいなあやかしが、身をていして佐名を護ってくれたからなのだろう。彼にむくいるべき義務があるように思う。

「二百年前、この地に来てまよいがを開いた焔一族の女が菖蒲。その女に恩があって、わたしはこの家を永久に護り続ける約束をした。見返りにわたしは、この家に凝っていくようい育つのを許された。だからこそわたしの傷も、この家で休めば早く治る。おまえの母、雪野は、菖蒲の何代か後の主人だ。だが妖狩寮の者に見つかり、殺された」

「妖狩寮って、純有って人が言ってた」

やつは妖狩寮の者だ。彼らはあやかしをほろぼすことを目的としてあんやくする、ていせいれいてき守護者の集団と言ってい」

「帝政って……お上。みかどってこと?」

 重々しく青紀は頷く。

「まよいがの主、焔一族は多くのあやかしを招き入れ、妖気を凝らせ利用する。さらにあやかしは、まよいがの主に恩義を感じる。あやかしは恩義によって焔一族に力を貸す。かつて焔一族はその力で、とくがわいえやすに力を貸し、天下統一の一助となったと伝えられている」

 江戸、徳川家。その権力集約に手を貸した一族が、しん後の今、置かれる立場は──こくぞく

 佐名の母親は焔一族であるがゆえに、お上に殺された。佐名が命をねらわれたのも同じ理由。

「ということは。焔一族のわたしも、国賊ってこと?」

 そんな莫迦ばかなと思った。

 この身に流れる血で国賊とされるならば、佐名にはこの国に生きる場所がない。

「そのはずだが」

 言いよどみ、青紀は難しい顔になる。

「妖狩寮が焔一族をり、まよいがを消しているのは間違いない。実際二百年前は百近くあったまよいがが、今はすうけんしか残っていない。ただまよいがは人にとって……利用価値がある」

「利用価値?」

「焔一族はまよいがの力で天下統一を助けたほどだ。今の人間たちが、その力を利用しようと考えないとは、思えない」

 彼の目がするどさを増す。

「焔一族は国賊であり、同時におそらく、帝政がほつする者でもありえる」

 国賊であり、同時に帝政にとって利用価値のある者。そう言われても、佐名には自分が焔一族である実感がない。自分が国賊という大それた存在だとも、帝政に欲せられるほどの者だとも、感じない。

「そんなの、自分のことだと思えない」

 小声で言って、うつむく。

「そう思えなくとも、事実おまえは、まよいがを作り営む焔一族のむすめということだ。この家はおまえを主として受け入れているから、座敷童も招き入れられた。主以外の者はこの家に客を招けない。だからおまえは雪野の代わりにこの家の主になる必要がある」

「でも」

「でも、なんだ。いやか。なぜだ。やりたいことでもあるのか」

 首を横にる。

「ない、そんなもの。でも……」

 まどいばかりが大きくなった。青紀は小さくためいきく。

「なぜ躊躇ためらう。わたしには、おまえが義務をきよぜつする理由がわからない。おまえの考えていることが、わたしには、よくわからない」



続きは本編でお楽しみください。

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あやかしの家の仮主さま 衣がさね 狐と狸と焔の娘 三川みり/角川ビーンズ文庫 @beans

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