短編

ミカ

走る男

毎朝9時ちょうど、


「嫌だいやだイヤだ。」


と言いつつ走り始める男がいた。特に特徴のない顔に長めの手足、別に太っても痩せてもいない。そんな男だった。「嫌だ」を連呼しているもんだから、もちろん走っているのは趣味ではなく、また、誰かに追われているわけでもなかった。


しかし、義務であり、仕事であった。いや仕事というには重労働すぎるか。



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昨夜、その男はいつもより早く家に帰った。仕事が早めに終わったのだ。実家を離れて一人暮らしをしているから、「ただいま」を言う相手も、「おかえり」といたわってくれる相手もいない。


しかし、昨夜は違った。玄関のポストが口に紙をくわえてサプライズをしてくれた。毎朝、会社に行く前に朝の郵便物は取るから、その男が会社に行っている間に届いたものだ。


さらに驚いたことに、昔、年賀状などを書くときに使っていたと云われている葉書はがきで字が書かれていた。


読みにくい字で書かれていたのは、こんな内容だった。


「国家勅令

翌日からは、いつもの職場ではなく朝8時に地下鉄山下駅改札付近に来なさい

貴方の職場にはもう伝えてある

反論異論は一切認めない」




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その翌日、その男が地下鉄山下駅に着いたのは、指定された時刻の一分前だった。


山下駅はその男が会社に行くのに使っている駅だから、道に迷うはずがない。


では、なぜ着くのがギリギリだったのか。外見にがないか、その男が時間が過ぎるのを忘れるぐらい鏡とをしていたからだ。幸運だったのは、その男が右手首にまいていた腕時計の文字盤が、鏡に反射して、たまたまその男の目に映りこんだことだ。


せっかく時間をかけてを直したのだから、ギリギリの時間に着くことがわかっていたが、その男は意地でも走らなかった。


「私はこういう者です。」

急に目の前に差し出された名刺を見ると、国の役人であることが記されている。その男の視線が、名刺を差し出した腕をたどっていくと、スーツ姿の人がいた。


「昨日、国からの葉書が御宅に届きましたよね。」


「は、はい」


その男はうなずくと、時間がないので、と役人に連れられて、闇のように真っ黒な車に乗せられた。


乗車すると、役人はスーツの上着を脱ぎ、半袖Tシャツで運転し始めた。右手で缶ジュースを握りながら。


「今日から貴方には走ってもらう。200km走り終えるまでずっとそこで。これh……」


「はっ!? 200k? 走んの? っていうか帰れないの? 」


役人が勝手にくつろぎ始めたうえ、口調が砕けてその男は余程びっくりしたのだろう。その男は口調を役人のそれに合わせてしまった。


「一回黙れ。それを今から言うんだろうが。俺の話を遮んな。

これは国の命令であり、義務であり、これに選ばれるのは国民にとって、とても名誉な……」


「わけあるかっ!」


「俺の話を遮るなとさっき言ったはずだ」


「嫌だ」


「わかった。じゃあ走る距離を250kmに増やしてやる」


「……。」


「給水は走りながらでもできるだろ? 一日の走る時間は8時間ぴったりだ。早く家に帰りたいからといってそれ以上走って、その翌日に足が痛くて走れない、なんて事が起こると困るからな。毎朝、スタートは9時だ。睡眠は10時間以上はとれ。飯は食べたいときにいつでも食え。

給料はまぁ重労働だから高めだな。ただし飯代は給料から勝手に引いておくから走るのを早く済ませれば、それだけたくさんもらえることになるな。

なにか質問は? 」


「……。」


それからしばらくの間、車のエンジン音しか聞こえてこなかった。


「ーーーお、着いたな。」


下車すると、そこは薄暗く、静寂に包まれていた。車内で無言状態が続いたとき、その男は車がだんだん地下に潜っていったのはわかっていたが、走る距離が伸びるのが怖くて喋れなかったようだ。


「まぁ気づいてるだろうけどここは地下だ。逃げたらすぐわかるようになっているからそんなことを試すんじゃないぞ。したらどうなるか、わかってるよな? 」


だんだん、役人が脅している口調に変わっていってその男は、本当に国の役人なのか、と首をかしげた。


「んじゃこっちに来い」


そこには大きな回し車があった。

それを見たとき、その男の頭に浮かんだのが、観覧車ではなく、だったのはなぜだろうか。


「ここが今日から、貴方の走る場所だ。走ったら回し車が回って……発電ができる。」


「ぇっ」


車内で脅されたときから、開きそうになっても、むりやりくっつけていたその男の唇から、かすかな音がもれた。


この国の発電は、すべて再生可能エネルギーで賄われている、というのは中学生でも誰でも知っている、常識中の常識だ。


「再生可能エネルギーだけで発電量が足りると思っているのか?

火力発電所も原子力発電所も全部壊してしまったのだから仕方ないだろ。他に方法がないんだ。

この国の秘密を知ってしまった以上、地上には帰らせるわけにはいかない。一生ここで走れ。」


200km走るどころではなくなって、気持ちをわりきったその男は、抑えるのに苦労した唇を開放した。


「理不尽だろ。勝手に秘密バラしてそれで一生ここで走r……」


「なんか言ったか?」


「……。」


「もう9時だ。早く始めないと飯抜きにするぞ。」




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その男は


「嫌だいやだイヤだ。」


と言いながら今日も明日も走り続ける。



いつかそこから出られることを夢見て......





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短編 ミカ @Mika1102

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