第3話 アブクゼミ
1
ぼくは自分の部屋のイスに座ると、まっしろなお団子をヒョイっとほおばった。
お団子は、十五夜用におかあさんが作ったものの余りだ。
うん、おいしいっちゃおいしい。でもぼくは断然みたらし派なんだよね。
みたらし団子の方が黄色いし、焦げ目もあって本物の月っぽいよ。
我ながらほれぼれする天才的な理由だ。だっていうのに、そんなぼくのおねがいはムシされ、今年もおかあさんはいつも通りのお団子を作った。
あぁ、しょせん子どもの言うことなんて、大人はまともに聞いちゃくれないんだ。
……ま、しょうがない、これでがまんしよう。ぼくは過去のことは振り返らない主義なんでね。さてと、気を取り直してマンガでも読むとしようかな。
タクヤくんに借りたマンガを取り出し、ぼくは一ページ目を開いた。
途端だった――
ぶぅぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐ
窓の方から、変な音が聞こえたのは。
なんだなんだ、せっかくの読書タイムだっていうのに。
窓を開けると、ぬるりとまだ暖かい風が入ってきた。
そしてぼくは音の正体……だと思われるものを見つけた。
家のすぐそばの電信柱。そこに、明かりに照らされた一匹のセミが止まっていたんだ。
音はそっちの方から聞こえてきていた。
でもさ、ぶぐぶぐ? そんな鳴き声のセミっている?
それにもう九月も後半だよ?
けど、たしかにそれはセミに見えた。もっとちゃんと見ようと、目をこらしたけど……。
ぶぐぶぐぶ……
セミは鳴き止んだかと思うと。
急に羽ばたき、どこかへと飛び去っていってしまった――。
2
「それはアブクゼミだね」
朝の登校中。きのう見たことを話すと、ユウイチくんはそう言った。
「アブクゼニ?」「アブクゼミ」
「アブラゼミ?」「アブクゼミ」
……聞いたことのないセミだ。真橋小学校で、虫の知識にかけてはナンバーツーを誇るこのぼくが知らないセミだなんて。
「アブクゼミは、いまがシーズンだからね」
ユウイチくんは、トレードマークの真っ赤なメガネを中指でそっと持ち上げた。
「シーズン? もう九月だけど」
「だからだよ。本来のセミのシーズンが終わる時期だから、アブクゼミは出てくるんだ」
本来のセミのシーズンが終わる時期だから?
九月の頭なら、まだツクツクホウシがいるかもしれないけど。
本当にそんなセミいるのかな?
でもユウイチくんが言うんだから、まちがいないんだろう。
なんたって、ぼくが唯一、上だと認め、虫の知識ナンバーワンの座を持つ男だ。
「とはいえ、市街地で見るのはめずらしいね。このあたりだと子浦神社の裏の林ぐらいにしか、出てこないはずなのに」
子浦神社といえば、ぼくの家からだと自転車で十分ぐらいの距離だ。
「それじゃあ、今日の放課後に行ってみようよ」
アブラゼミだってミンミンゼミだってツクツクホウシだって、つかまえたことがある。
そのアブクゼミってやつだって、ぼくやユウイチくんなら楽勝だ。
でもぼくがそう言うと、ユウイチくんは、う~ん、とうなった。
「ボクはやめておくよ。きみもやめておいた方がいいと思う」
え、こいつは予想外な返事だぞ。
「でもセミでしょ?」
「うん、セミっちゃセミなんだけど……」
ユウイチくんは、肩をすくめた。
「多分、あれはつかまえちゃいけないものなんだよ」
3
信じられない、まさかあのナンバーワンのユウイチくんが怖じ気づくなんて!
やったぞ、これはチャンスだ。つかまえて、ユウイチくんに見せてやる。
あしたからぼくがナンバーワンだ!
授業が終わると、ぼくは飛ぶように家に帰った。そしてすぐに愛車である赤い自転車にまたがり、子浦(こうら)神社へと向かった。すっかり枯れ果てたヒマワリ畑の横を抜け、さらに数分も走らせると、子浦神社が見えてきた。
神社のすぐそばに自転車を止めると、ぼくは虫取りアミとカゴを手に取った。
リィィン リィィィィン
日陰から、スズムシの鳴き声が聞こえた。
そういえばこの神社って、人がいるところを一度も見たことがない気がする。
ま、ちいさな神社だもんね。お参りするならもっと大きなところに行くよ。
ぼくだって、子浦神社自体には用事なんかこれっぽっちもない。用があるのはその裏だ。
子浦神社の横を通り抜け、林の中へとぼくは足を踏み入れた。
林の中は、とってもしずかだった。
う~ん、鳴いてくれれば一発でわかるんだけどな。
そして右見て左見て。
何かいないかとさがしながら歩いていたら……すぐに林から出てしまった。
ふぅむ、これは困ったぞ。子浦神社の裏の林にいるって言ってたのに。
ユウイチくんめ、まさかウソをついたんじゃないだろうな。
いやいや、大親友のぼくにユウイチくんがウソをつくはずがないか。
こうなったら、なにがなんでも見つけてやるぞ!
4
一本一本の木をなめまわすようにさがし。
もしかしたらと地面だってさがしてさがして。
どれぐらいさがしただろう。ぼくは、ふとおかしなことに気がついた。
何もいないんだ。
アブクゼミが、じゃない。他の虫だって何もいないんだ。
おかしくない?
まだまだ冬眠の季節じゃないっていうのに。いや冬だってもっといるさ。
子浦神社で聞いた、スズムシの鳴き声を思い出す。
すぐ近くのはずなのに。顔を向ければ子浦神社の裏手が見えるのに。
とってもしずか。おかしいぐらいにしずかなんだ。
ぼくは、なんだか急におそろしくなってきた。
う、うん、そうだ。何もいないならこんな林に用はないよ。もう今日は帰ろう、時間のムダだよムダ。ぼくは神社の方へと歩き出した。途端だった――
ぶぅぐぶぐ
急に音が聞こえた。まるでそれまでただテレビの音量がゼロだったみたいに。
しかもこの声って……
ぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐ
アブクゼミの鳴き声だ! なんだ、いるじゃないか!
急にぼくはホッとして、鳴き声がする方を見た。
いた!
背伸びして手を伸ばして、届くかどうかギリギリといった高さ。そこに、一匹のセミがいるのが見えた。全体になんだか青黒い色をしている。こいつがアブクゼミか!
思わず笑いが込み上げてきちゃう。ユウイチくんがあきらめたセミがすぐそこにいる!
ぶぐぶぐぶ……
アブクゼミが急に鳴き止んだ。
おっとっと、気を付けなくっちゃね。
ここで逃がしちゃったら意味がないもの。ぼくは最後の最後まで気を抜かないのさ。
そ~っと、そ~っと、ぼくは慎重にアブクゼミが止まっている木へと近づいた。
そして虫取りアミを近づけ……そらッ!
やるときは一瞬だ。ぼくのアミは、見事にアブクゼミをとらえた。
やった、やった、やったぞ、ぼくがナンバーワンだ!
あぁ、あしたが待ちきれないや。どれどれ、もっとしっかり見てやらなくっちゃ。
ぼくはアブクゼミに顔を近づけた。すると急に、
ぶぅぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐ
なんだなんだ、また鳴き始めちゃって。もうお前はぼくのものだよ。
ぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐ
あれ? 音は、アミの中以外からも聞こえた。
とつぜん。
一斉にまわりから、アブクゼミの鳴き声が聞こえだした。
ぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐ
ぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐ
なんて音だ! うるさくってたまらない。
でもまだアブクゼミをカゴに入れていないから、耳をふさぐこともできない。
はやくしまわなくっちゃ。ぼくはつかまえたアブクゼミをアミ越しにつかんだ。
ぶぐぶぐぶぐぶぐごぷり……
え?
急に、アミの中のアブクゼミの鳴き方が変わった。
そして……ひっ!?
どろり、とアブクゼミが溶けた。アミ越しに伝わってきた、ねぢょりとしたさわり心地に、ぼくはあわててアミを投げ捨てた。
ぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐぶぐ
鳴き声とともに、どれだけいたんだというぐらいのアブクゼミが、アミのまわりに殺到した!
うじゅぐ うじゅぐ
目の前で、どんどんアブクゼミたちがどろどろに溶けていき……一つになっていく。
真っ黒な泥みたいなカタマリは、もうぼくよりもずっとずっと大きい。
そこだけまるで夜のように、いや夜よりもずっとずっと暗い色をして……
ごぼぽぽぽ……ぶじゅぅ!
羽から足まで真っ黒な、その巨大なセミは、口から黒い粘液を吹きこぼして。
空高く空高く、飛んでいってしまった。
少年潭底談 おかざき @okazaki_takeru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。少年潭底談の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます