第2話 ■タリ
1
あぁ、あつい。
たまらなくあつい……。
あまりのカンカン照りに耐えられず、ぼくは木陰の下に逃げ込んだ。
汗でシャツがベトベトだ。
ぽた ぽた
ぬぐってもぬぐっても、ほっぺたを汗がしたたり落ちてくる。
まったく、おかあさんも人が悪いよ。
こんな真っ昼間にハガキを出しに行かせるなんて。
朝のニュースで、今日は今年一番の猛暑だって言ってたじゃないか。
もしも大事な一人息子が倒れちゃったら、おかあさんの責任になるんだよ?
……まぁ、とはいえ、おこづかいをくれたのはポイント高いけどね。
ちゃんと労働の対価はもらう。ぼくはしっかりものなんだ。
そしてハガキもポストに入れたし、もうあとは帰るだけ。
だけなんだけど――ぼくは木陰から、道路のずっと先に見える逃げ水をにらみつけた。
ゆらゆらゆらゆらと。ものの見事に、道路は水没して池みたいになっていた。
あんなところを歩いていたら、あつくてあつくて溶けちゃいそうだ。
ぼくがアイスだったら、きっと五秒で溶けちゃうね。
そう考えると、アイスってやつはそれなりに根性があるのかもしれない。
ま、それでもぼくに食べられちゃったわけだけど。
仕方ないね、弱肉強食ってやつ。
ぼくは手元のアイスの棒を見つめた。もらったおこづかいで買ったものだ。
……あれ?
ふと棒の裏面を見てみると、そこに焦げ茶色の文字が書かれていることに気がついた。
ノ タ リ
ノタリってなんだ……? あ、これって!
かすれちゃってるけどまちがいない、アタリだ!
ふふふっ、やっぱり神さまは働き者のことをちゃんと見てくれているなぁ。
今日は最高の一日だぞ。
アイスを二個食べると考えたら、これぐらいあついのがちょうどいいよね。
ぼくは駄菓子屋に向かうため、来た道を走って引き返した。
2
「これはアタリじゃあないね」
ぼくが意気揚々と手渡した棒を見て、駄菓子屋のおばあさんはそう言った。
……は?
「どう考えたってアタリだよね、この文字」
おばあさんはゆっくりと首を振った。
いやいやいやいや。閉じてるんじゃないかってぐらい細い目しちゃってさ、ちゃんと見えてないんじゃないの?
「たしかにかすれちゃってるけどさ、それはぼくのせいじゃないでしょ。最初からこうだったんだよ」
けど、やっぱりおばあさんはゆっくりと首を振った。
「ちがうよ。それにお前さん……もうこれは、交換済みじゃあないか」
交換済み? どういうこと?
ぼくが呆然としていると、おばあさんは突然スッと棒を持った手を横に向けた。
そして……棒をゴミ箱に捨ててしまった!
「あ~!」
なんだこのババア!
3
なんだよなんだよ最悪だよ。まったく最悪の一日だよ。
もうあの駄菓子屋は使わないぞ、あんなサービスが行き届いてないところ。
おかあさんが子供のときからおばあさんだったっていうし、きっともうボケてきちゃってるんだ。
今度からはお菓子もコンビニで買ってやる。
ぼくは、ゆらゆらとゆれる逃げ水を見つめながら、家へと向かっていた。
シャツからパンツまで、もう汗でベトベトだ。
本当ならもうとっくに家に着いていて、シャワーの一つも浴びていたはずなのに。
もしあの逃げ水が本物の池だったら、いますぐ飛び込みたいくらいだ。
早く家に帰ろう。ほっぺたをしたたる汗を拭いながら、ぼくは足を速めた。が、
「あれ!?」
後ろから声がした。
振り返ると、そこには自転車に乗ったマサカズくんがいた。
元々大きくて丸い目を、さらにまん丸に見開いてこっちを見ている。
なんだなんだ、いまぼくはトラブルはおことわりなのに。
「どうしたの、マサカズくん」
「あれ、あれあれ? ついさっき……あれぇ?」
けど、ひとしきり首をひねったかと思うと、マサカズくんは再びハンドルをにぎった。
「まぁいいや、待ってるから、またあとでな」
へ? またあとで?
「ちょっとまって、何かぼく約束したっけ?」
ざんねんながら、ぼくの声はマサカズくんに届かなかったらしい。
マサカズくんのこぐ自転車は、すぐに見えなくなってしまった。
う~ん? いったいぜんたいどういうことだ?
アイスの棒の文字といい、おばあさんといい、マサカズくんといい、今日は変なことばっかりだ。
……ま、これだけあついんだもん。おかしくもなっちゃうか。
やっぱりこういう日は家の中でゲームでもしているに限るよ。
あぁ、あとはこの角を曲がれば、いとしのわが家だ。
もう今日はおかあさんに何を言われたって、家を出ないぞ。
曲がり角まであと数歩、というときだった。
「行ってきま~す!」
元気な声が聞こえた。そして、
チリン チリン
ベルの音と共に、目の前を一台の赤い色をした自転車が通り過ぎていった。
あれ……? いまのって……あれ?
そのとき、ぼくはなぜかふとアイスの棒に書かれていた文字を思い出した。
そういえば、あのノの文字……変に、右に寄っていたような気がする。
アがかすれたんだったら、もっと左側にあるはずなんだ。
でも、アじゃなかったらなんだったんだ?
たしかめたいけど、もう棒は手元にない。
いや、そんなことはどうでもいいんだよ。
いま出ていったのは、どう見ても……ぼくの自転車だった。
そして、乗っていたのは――。
クラッ……
カンカンと照りつける日差しに、ぼくは急にめまいがした。
だめだ、日陰に入らなきゃ。
さっきから汗が止まらない。
ぽた ぽた ぽた ぽた
足に力が入らない。
どろ どろ どろ どろ
あぁ、あつい。
たまらなくあつい……。
あつくてあつくて溶けちゃい――――
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