第6話 

「礼次郎が今朝、黒河へ発ったそうです」

 修之輔の部屋に上がり込んだ弘紀が云った。弘紀の目は框に置いた草花模様の手持ち燈籠の火を行灯に移す修之輔の動きを見るともなしに追っている。

「礼次郎は、あの神主からの手紙を弘紀に渡すためだけに江戸に来たのか」

 弘紀は目線を落として頷いた。言葉を継がないその様子から、今は神主の手紙の内容を語るつもりはなさそうだ。


「貴方に聞いておきたいと思ったのです」

 弘紀が傍に座った修之輔の顔を覗き込んできた。

「以前、貴方を本当に羽代に連れて来てよかったのかと聞きました」

 それは羽代の海の砂浜で、かつて弘紀と交わした問答だった。

「貴方は自分が羽代にいるのは自分自身の意思によるもの、そう云っていましたが。……貴方は生まれ育った黒河に、未練はないのですか」

 生まれ育った土地だからこそ、懐かしさも忌まわしさも増幅される。弘紀との思い出だけを拾い集める必要は、本人を目の前にしている今、無いと思った。

 問うてくる弘紀の視線に目を合わせて、けれど口を開かず黙る修之輔に、弘紀は返事を強いなかった。弘紀は穏やかな目でこちらを見て、唇の端に微かに微笑を浮かべる。

「貴方を気に掛けている人には、私から連絡を取りましょう。もし貴方が自ら便りを出したいと思えば、私が預かっても、ご自分で出されても、どちらでも」

 修之輔は目を伏せて、応諾の意を弘紀に示した。


「わかりました。……それはそうとして」

 穏やかな笑みを引っ込めて、弘紀が今度は生真面目な顔でこちらを覗き込んできた。何だろう、とその目を見返してしばらく見つめ合っていると、

「……今夜は止めておきましょうか」

 弘紀がそう云って立ち上がろうとする。思わずその浴衣の袖を掴んだ。

「……あと少しの間でいいから、側にいて欲しい」

 きょとん、と修之輔を見る弘紀の顔に、次いで無邪気な笑みが広がった。

「じゃあ、貴方の膝を借りますね」

 その言葉も終わらない内、弘紀は修之輔の膝に頭を載せて寝転がった。


 昼間の登城の疲れもあるだろうに、修之輔の膝の上、弘紀は上機嫌で話しかけてくる。

「礼次郎の嫁取りの話には驚きました」

「弘紀も知っている相手だと礼次郎は言っていたが」

「はい。黒河の城下に遊びに行くと、時々その姿を見かけていました」

「話したことはあったのか」

 思い出そうとする弘紀が軽く眉を寄せる。

「話した憶えは、ないんですよね。むしろ礼次郎とこそこそ話をしているところは見たことがあります」

「礼次郎と何を話していたのか、聞かなかったのか」

「興味が無かったし、平吉や権蔵達と川で泳いだり、走り比べをする方が楽しかったのです」

 弘紀が出した町人の子達の名は、修之輔にも聞き覚えがあった。ニワトリを飼っているというのは平吉だったか、弘紀がそんなことを当時話していたと思う。


「礼次郎の嫁に来るというその娘の性格は知らないのですが器量は良い子でした。礼次郎も隅に置けませんね」

 その器量の良い大店の娘が自分に好意を持っていたとは、弘紀は思いもよらないようだ。教えても良いような、教えなくても良いような。

 そんなしなくてもいい躊躇のせいで、修之輔が弘紀に尋ねる言葉は唐突になった

「弘紀は奥を取らないのか」

 弘紀は首をかしげてこちらを見るが、そんな小さな仕草でも膝の上がくすぐったい。

「嫡子を得るための奥を迎えることは、私は禁じられているのです」

 弘紀の兄の実質的な改易で、朝永家以外の大名が赴任するはずだった羽代だが、今は弘紀が代わりの当主として仮の立場を認められている。だがいつ他家にその地位を譲っても良いように、後継ぎを立てることを弘紀は幕府から禁じられていた。そしてそれは羽代家中に広く知らされている事でもあった。

 改めて修之輔が聞くまでもないことだったが、何かを察したのか、弘紀が膝の上から修之輔を見上げてきた。

「そうでなくても要らないかな、と思うのです。……貴方がいるし」

 弘紀が腕を伸ばして修之輔の頬に指先を触れた。

「私の側にいて下さい、ずっと」

 その手を握って強く頬に押し当てる。

「そう約束した。離れない、……ずっと」

 弘紀が膝の上から身を起こして、修之輔に口づけを求めてきた。軽く唇を重ね、直ぐに離して今度は向きを変えて。

 浴衣の木綿生地から弘紀の体の温かさが伝わってくる。肌に沿って一つとなる絹の感触とは違い、綿はその生地の向こうにある人の肌の感触をあらわに伝えてくる。

 手の平に感じる弘紀の背。修之輔の脇腹へ延ばされている弘紀の指は、感覚に敏感な傷跡を探り当てる。

「……弘紀、やっぱり」

 その首筋に唇を添わせて懇願の言葉を口にしながら、文机の下にある油の入った小さな小瓶を目に留める。

「いいですよ」

 弘紀の形良いその唇に期待の笑みがあからさまに浮かんで、弘紀は自分で浴衣の帯を緩めた。


 修之輔は背から弘紀の体を抱え込み、襟の袷を広く開けて胸の地肌を手の平で撫で擦った。指先に触れた突起を軽く掻く、それだけで弘紀の息は早くなる。

「どうすれば、いい」

「もっと、奥まで触って欲しい」

「どうしたら、いい」

「……ぜんぶ言わないと駄目ですか」

「弘紀に言ってもらわないと、何をするのか自分でも分からない」

「……貴方はときどき」

 弘紀が肩越しに詰る目線を投げてくる。

「弘紀」

「……貴方になら何をされても大丈夫だから、好きなように」

 そう云って目を閉じる弘紀の浴衣の裾を大きく割って、今夜は着けて来ていた下帯を解いて外させた。


 引き締まった弾力の双丘を両手で掴み、左右に広げると後孔が露わになる。弘紀のそこは、ふっくらとやや赤味を帯びて膨らんでいた。痛みがあるのなら控えた方が良いかと思い、指先で軽く触れてみる。

「あ……んっ!」

 弘紀が途端に体を大きく震わせる。そこの熱は過敏さを増強しているのだろうか。

「痛い、とかは、全然なくて……」

 むしろ、ふとした時の刺激で過剰に反応してしまうのだと、弘紀が少し赤い顔で言う。

「日頃の着替えとか、いっそ貴方に手伝ってもらった方がいいのかも」

「品川の宿で、湯浴みの手を貸した時のように、か」

 その時のことを弘紀は頭よりも体の方が思い出したらしく、修之輔が再び軽く指先でそこに触れただけで体を震わせた。皮膚が薄いその縁を数回なぞると、弘紀の前に熱が集まり始める。


 弘紀の体をこうしたのは自分だと、そう思うだけで溢れてくる気持ちに歯止めがなくなる。


 弘紀の前を握りながら、縁を舌でゆっくりと舐める。時折舌先をとがらせて穴の中心を突く様にすると、まわりの肉が蠢いて、く、と、そこが引き締められる様子が目の前に見える。


 丁寧に、じっくりと解していくと、やがて手の中の弘紀の先端から透明な液が沁みてきた。それも絡め取って穴の周りに塗り込めて、濡れた音を立てさせながら掻き回した。

 四つん這いの姿勢だった弘紀は、耐えられずに腕から崩れて、より腰が修之輔の方へに突きだされる体勢になった。けれど、

「もっと、もっとして欲しい。もっと気持ち良くして」

 弘紀の口から繰り返される言葉は譫言のようでいてはっきりと、弘紀自身の欲望を伝えてくる。

「これが気持ちいいのか」

 濡れた音を立てさせながら指で入口を解していく。

「う……ん、もっと弄って。中も、いつもみたいに」

 素直に欲求を口にする弘紀は可愛らしく、その様子に先ほどまでの自分の煩悶が些細な事のように思えて、可笑しくなってきた。


 自分はきっと過去の記憶に捉われ過ぎているのだろう。弘紀が望むように、弘紀が望むことを、弘紀に求められて、すればいいだけ。


 そして自分も、快楽に捉われる。


 無言で手を進める修之輔をどう取ったのか、弘紀が熱い息と一緒に修之輔の耳に囁く。

「……貴方のそれで、入り口を擦られるときも、穿たれるときも、中を突かれるのも、すべてが気持ちいい。貴方の体ごと、全部欲しくなる。だから」


 それが今の弘紀の望みなら。

 弘紀の腰を両手で掴んで強く引き寄せ、自分の高まりを沈みこませた。


 濡れた肉は弘紀の体温を直接伝えてくる。

 蠕動する柔らかな熱い肉壁に己を突き入れて包まれる感触には、快楽だけでなく深い安堵を覚えた。その感覚を確かめるように奥へ、奥へと体を繋ぐ。握り込んだ弘紀のそれからは、やがて絶え間なく白濁した体液が滴りはじめて、それは修之輔の手で弘紀自身の腹に塗られた。

 弘紀の中に一度出した後は、背から抱えていた体の向きを変えさせて仰向けにさせた。濡れた目でこちらを見つめる弘紀の視線と目を合わせながら大きく足を広げさせ、膝を肩に乗せる。

「ん……、んっ、んっ、んっ」

 浮いた腰に上から打ち込むように律動を始めると、揺すられる振動そのままに弘紀が言葉とならない声を喉の奥から漏らす。声も息も下半身の濡れた音と混ざり合って互いの体が溶け合い一つになる感覚。出しても尽きることのない衝動に、ただ、身を任せた。


 もともと今夜は弘紀が来た時間が遅かった。二人が体を離したのは丑の刻に掛かろうとする頃合いで、夜はしんと静まり返っていた。

 修之輔が濡らした手拭で弘紀の体を拭いてやっていると、どこかから細い笛の音が聞こえた気がした。フィー、フィー、と同じ音ばかりが掠れながら続く不思議さに耳を澄ませていると、弘紀もそれに気づいたらしい。

ぬえの声です」

 起き上がって、落ちていた袖に腕を通しながら弘紀が云う。

「鵺とは、あの化け物の鵺か」

「はい。実際は斑模様の鳥の声で、虎鶫とらつぐみというのです」

「夜に鳴くのか」

「はい。あの鵺の他にも夜に鳴く鳥はいます。御殿の中庭には時折五位鷺ごいさぎも来て、夜中であろうとグワグワと鳴きますよ」

「蛙のようだな」

「蛙の声も最近、聞こえ始めました」

 弘紀の話を聞いていると、黒板塀を隔てた御殿の中は長屋塀とは別の季節が流れているようだ。今度は塀の向こうのそんな生き物の気配にも気を付けてみようと思いながら、昼間、虎ノ門の市中見回り組の屯所で見た光景を弘紀に語ってみた。


「長州の者たちですか」

 弘紀の声音から甘やかな響きが無くなったことを頭の片隅で惜しみながら、それでも重ねて弘紀に聞いてみた。

「今、長州を含めた世間はどうなっている。攘夷を語る者たちが世を騒がせているとも聞いているが」

 弘紀がちょっと首を傾げた。

「長州が京都に集結する気配を見せているという、貴方が岩見という者から聞いたことに間違いはありません。けれど江戸城内では監視の目が強く、他藩との情報交換もできないので、私が詳しいところを知っているかと云えば、そうも言えないのです」


 攘夷を唱える者達も背景が様々で、十把一絡で説明できるほど単純な状況ではないのです、と弘紀が云う。

「先年、薩摩がイギリスを相手に戦争を起こした時、彼らは攘夷を建前にしていましたが、そもそも薩摩は他のどの藩より先んじて異国と貿易を続けてきたのです」

「異国と貿易して富を得ていたのに、攘夷とは」

「薩摩の云う攘夷と、長州が云う攘夷は意味が違っています。薩摩の攘夷は、自分達に不利益な条件で貿易を強いてくる異国のその考え方を打ち払うという意味合いがありますが、長州の云う攘夷は貿易も何も関係なく、ただ異国の民を一歩でもこの日本という土地の中に踏み入れさせまいという攘夷です」

 同じ言葉を使っていながら、その言葉の意味が本質が根本から異なっている、ということらしい。それでは互いに話し合うことも難しいだろう。


「今、薩摩の島津公は表向き幕府に従っていますが、イギリスとの武力衝突のあとは開国へと急激にその方針を変えました。また、幕府の内部も攘夷と開国で論争がまとまっていません」

 江城に参上してもその内部の混乱が窺い知れるだけで、なるべく巻き込まれないようにするだけで精一杯です、と弘紀はため息を吐いた。

「その海の向こうの異国の国々もまた、一筋縄ではいかないのです」

「フランスやオランダは幕府の後ろ盾になっていると聞いた」

 最近、中屋敷で羽代家老の加納が藩士たちに近頃の社会情勢の講義をした。修之輔は何日かに渡ったその講義の内容を思い出しながら、弘紀に訊いてみた。

「そんなに単純に分けることはできません。彼等は商人ですから儲かる方へ商品を売る。現にフランスの商人は、薩摩にも武器を売っているようです。買う相手が誰だろうと儲けになるのなら、彼等にとって幕府も大名も関係ありません」

 武器の商いに関して羽代は買い手側にしか回らない。武器商人への対応も弘紀は江戸に来てから行っている筈だった。

「物を売り買いするための金銭というものは、国を越えて取引されています。海を渡る商人たちは、いずれ国と云う概念を捨て去るでしょう」

 自分の出自、生まれた土地に関わらず自由に世界を駆け巡る、商人がそんな存在であることを修之輔は始めて知った。

「私が相手にしなければならないのはそのような商人なのですが」

 弘紀がふと、目線を落とした。

「自分のしていることが、正しい事だという確信が持てないのです」

「今まで羽代の誰もやったことのない仕事なのだろう。それは仕方ないことではないのか。羽代のために成したことが例え正しい事でなくても、羽代の領地領民を守る大名であるなら為さねばならぬこともあるだろう」


 ややこしいことが多いのです、そう云いながら弘紀は修之輔の膝の上に上体を載せてきた。弘紀はいつも寝る時は邪魔だからと、髷の折り返しを解いて根元を一つにまとめている。黒河にいた時の姿を思わせるその髪に指を絡ませながら、頭を撫でてみた。弘紀は気持ちよさそうに首を伸ばした。

「ここ、江都にいても関係のないことに巻き込まれるだけで、長くいればいるほどあの藩札の騒ぎの様な事が起きそうです。茶葉の販路と武器の調達の目途は立ったから、参勤の延長を申し出ることなく、予定の期日通りに羽代に戻ることができそうです」

 早く羽代に帰りたいです、そう云って弘紀は目を閉じた。流石に眠そうだ。寝入ってしまう前に修之輔は弘紀の肩を抱き起して、御殿に戻る様に促した。


 黒板塀の隠し戸をくぐる前、一瞬、弘紀の目から眠気が消えた。

「藩札の件ですが、貴方の前にくろさぎは何度か姿を現しているのですよね。ならば、近い内、貴方にくろさぎを誘い出すおとりになってもらいます」

 こちらを見て言い切った弘紀の目は、どこか面白そうに修之輔の顔を見上げていた。

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