第10話
闇の中に奇妙な匂いが紛れ込む。
蟲の体液を吸い上げながら月の無い夜に人知れず咲く蘭の花。思考を惑わす甘い香りの奥底に、鼻腔を刺激する鋭い酸の匂いが密やかに隠されている。
奇妙な匂いをまとった白い装束の少女が一人、闇の影の一つに
――綾織純白の装束は袴も白。中の小袖は鮮やかな緋色で、袖詰めの緒と袴の裾飾りも同じ緋の色。
町中で身に着けていた袴は取られて、割れた裾からは赤い襦袢が捲れ上がり、細く白い足が膝の上まで露わになっている
十二、三の少女の姿なのに、仕草が異様に艶めかしい。
寄り添う相手の肩に頬を寄せ、小さな白い手でゆっくりとその腕を撫で擦る。横座りの足は投げ出されているが隠微に蠢き、まるで自らの悦楽を得るかように左右の内腿が擦り合わされている。耳を澄ませば熱い吐息の中に淫らに喘ぐ声も聞こえてくるかのようなその姿態。
「古浪殿、どうにも先ほどから目の毒だ。小菊と云ったか、その者少々下がらせぬか」
「二色殿、よろしければそなたにも一人遣わすが、いかがかな」
「子狐だからといって油断はできぬ。こちらの喉笛を噛み切られてからの後悔では遅すぎる。遠慮をしておこう」
「噛むのは狼、狐ではない」
古浪と呼ばれたその影は、手を小菊と呼ばれた少女の体に伸ばして無造作に内腿をこじ開けた。闇の中に響き始める濡れた音は、その少女の足の付け根から。闇の中にか細い手足がのたうって、悩ましい吐息が床を流れる。
やがて、阿、と小さく鋭い声が小菊の口から洩れた。
「夜を待て」
体を震わせながら床に伏す少女は古浪の言葉を聞いて身を起こし、やがて覚束ぬ足取りで闇の中へと去って行く。
「
「はて、まだ血の道も顕れぬ年ではないのか」
「あれは他の者より早く血の道を見た
「巫女にも御師にも成れぬ者なら、確かに選ぶことができる道は限られておる」
「まず四、五人は産んでもらわないとならぬ。父親は違う方がいい」
「武に長けた者、書に秀でた者、算術を能くする者。才に秀でた者はいくらでも」
「赤子の乳離れがすんだら次の子を孕ませて、三年に一度は子を産ませるそのために、身ごもっていない時期は身ごもるまで毎日毎晩男の精を受ける」
「それが彼の者達の役割か」
「我ら子を成さなければ代を繋ぐことはできぬ」
「子が無ければ我らは滅ぶのみ」
「あの黒河の巫女が望んだのは、繋ぐことか滅ぶことか、果たしてどちらだったのか」
小菊が纏っていた淫靡な気配は周囲に微塵もなく、深い思考が闇にしばらくの沈黙をもたらした。
「さて、その黒河の巫女の
先に闇に流れたのは、二色と呼ばれた影の声。
「いつまで時の流れに逆らうか。三峰も、武蔵御岳も、とうの昔に皇祖に下っているというのに」
朗々と響くのは少女の躰を弄んだ古浪と呼ばれる影の声。
そういえば、と闇の中、二色と呼ばれた者の口調が変わる。
「秋葉もなかなかしぶとく世に残る」
「
「山の神は仏と一体になり、分かちがたく融け合っている」
「
「民に寄り添う仏は人の子に利益を与える神となり、一つ
「戻すのか」
「戻さねば」
「異国からもたらされた教えと、この地この国に生まれた神とを分かたなければ」
「根は捩れて絡まり、どこからどこまでが元からこの国に根差していたものか」
「それを明らかにしなければ」
「一つ、一つを、明らかに」
「そしてその全てを始まりに」
闇の声はどこか震えて辺りを這う。震えをもたらしたものは隠せぬ怯えか、高まる昂揚か。それとも淫靡な官能か。
そして。
闇の中には何の気配も音も、無くなった。
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