最高の恋と最初の恋の終わり

アツミ

最高の恋と最初の恋の終わり

 初めての恋が最後の恋になることは滅多にない。

 それは自分の経験からも分かることだった。十四歳の夏に初めて出来た恋人は、どんな顔をしていたかも曖昧だ。そのあとも私は何人かのことを忘れて、そして、初恋から六年目の春に彼女と出会った。

 彼女は大学の後輩で、ボランティア活動をきっかけに知り合った。パズルのピースがぴったりとはまるように、何もかもが完璧に思えた。これまで付き合った誰よりも愛していた。その感覚は二人で共有しているものだと、私はすっかり思い込んでいた。

 だから私がいつか誰かを忘れたように、彼女が私を誰かにするのも仕方のないことだ。



「わたしはもっと、経験をすべきだと思うの」

 長い沈黙の後で彼女はそう別れ話を切り出した。予感はあった。最近はセックスが全くなくなっていたし、話があると言われて彼女のアパートへ来たのも久し振りのことだった。折り畳み式の小さなテーブルの上には、今さっき彼女の淹れてくれた紅茶が二杯。窓の向こうでは冬の冷たい雨が降り始めていた。

「あなたに抱かれているときに思うの。本当にこれで良いのかなって。心の奥底の方で何か嘘をついているような気持ちが拭えなくて」

「それは、男の人が好きかもしれないということ?」

「……わからない、それも」

 彼女は俯きながら、言葉を続ける。

「あなたを好きになったのは本当のことよ。でも誰かを好きになるのは初めてのことだったから」

「じゃあ私のことはもう、嫌いになったの?」

「そうじゃないの! そうじゃないんだけど、恋人同士でいるのは、もうお終いにしたい」

 自分でその言葉を放っておきながら、同時に彼女の瞳から涙が零れ落ちる。

 私だって昔恋人だった人を振ってきた。もしかしたら今の私と同じ気持ちだった人もいたかもしれない。だから彼女を縛りつけることはできない。別れたくない。ずっと一緒にいて欲しい。その言葉を、飲み込まなくてはいけない。

「それじゃあ、友達に戻るってことでいいの?」

「うん、学校で会ったら先輩後輩として仲良くしてほしいな」

 その言葉が関係を終わらせるための嘘であることは容易に分かった。柔らかく優しかった日々にこれ以上傷を付けないための嘘だ。だって、何度も恋人らしいことをしておいて、いまさら他の友人達と同じような関係に戻れるはずがあるだろうか。

「ねぇ、最後にお願い。抱きしめてもいいかしら」

「うん」

 彼女の側へ擦り寄り、両腕を彼女の胴に回す。駄々を捏ねないかわりの、せめてもの我儘。

「ありがとう。あなたと過ごせて幸せだったわ」

「ありがとう、わたしも」

 嗅ぎ慣れた甘い匂いが胸に入り込む。保っている糸が切れそうになるギリギリのところで、彼女から離れた。

「じゃあ、さようなら」

「……さよなら」

 目を合わせることすらせず、別れの言葉を交わして部屋を出た。

 


 玄関のドアを閉じると同時に、張り詰めていたものが一気に決壊した。彼女に嗚咽を聞かれてしまうような気がして、そそくさとアパートを離れる。雨は相変わらず降り続いていた。ハンドバッグに折り畳み傘を入れていたが、取り出して差す気力もない。

 涙と雨に濡れて、視界さえ定まらないまま駅までの道を歩く。凍えそうなほど寒い。さっきまで温かい紅茶を飲んでいたのが嘘のようだ。風邪を引いてしまうかもしれない。いっそのこと、そうして死んでしまいたい。

 あの部屋へ行く時点で覚悟はしていたから、関係に終止符を打つことは思いの外簡単だった。でも、どうすれば。どうすれば、この恋を本当に終わらせることができるだろう。

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