第35話 最後の事件4

 インターホンを鳴らすと、落ち着いたエリーの声が聞こえた。

『あなたひとりで入ってきて』

「先にケガ人を出してほしい」

『気が変わったの。あなたが先に入ってきて』

「……分かった。鍵は開いているか?」

『ええ』

 肩を掴むオーズリーの手に重ね、

「お前はここで待機。合図を出す」

「死んだら許しませんよ」

「珍しいな。いつもなら分かりましたで締めるのに」

「嫌な予感がします」

「心配するな。それと合図は……『ありがとう』だ」

 二度ほど肩を叩き返し、ドアノブに触れた。

 玄関には誰も出迎えはない。てっきり銃を突きつけられるかと思ったのに、拍子抜けだ。

 リビングのドアを開けると、鬼の形相で見つめるエリーと、ひっそりと脅える恋敵、そして。

「リック」

 呼びかけに反応を見せるが、目が虚ろだ。

「エリー、先に手当をさせてくれ」

 エリーは距離を取り、無言で銃を下ろした。

「ちょっと、何するのよ!」

「弁償なら後でする」

 カーテンを引っぱると、ぶちぶちと音を立てる。ただの布となったカーテンを細く引きちぎった。

 べっどりと血痕のついた包丁が転がり、血の海が広がっている。

 リックは右手で左腕を抑えるが、あまり意味をなしていない。顔色も悪い。

「リック」

 もう一度呼んだ。

 肩で息をし、苦しそうに喘いでいる。

 ちぎったカーテンを腕に巻き、締めつけた。

 カーテンが無くなったた窓からは、強い日差しが入ってくる。ああ、今日は天気がいい。

「なぜこうなった?」

 質問は脅えている男に投げた。

 男は首を振り、どこの体液かも分からないもので顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。

「先に彼が包丁で脅したのよ。そしたら、モリスさんが前に出てきて揉み合いになって……ねえ、信じてくれるわよね?」

「エリー、まずお前も銃を下ろすんだ。いくらでも話を聞いてやるから」

「私はドーラがあなたの子だと認めて一緒に住んでほしいだけよ」

「それはできない。DNA鑑定の結果は見ただろう?」

「鑑定が間違ってるんだわ! きっとそうよ!」

「ここでお前が誰かを傷つけたら、ドーラにも会えなくなるんだぞ。可愛い子じゃないか。お前にもよく懐いてる。クッキーをまた食べさせたいだろう? あれだけ喜んで食べたんだから」

 エリーは歯ぎしりをし、銃口を俺に向ける。

 俺はリックを抱きしめた。うなり声が痛いと訴える。

「エリー、お前に銃は似合わない。止めておけ」

 彼女より先に、動いたのは俺の恋敵だった。

 男は体勢を崩そうと、エリーの足にしがみついた。

 俺はリックに覆い被さる。ほぼ同時に、銃声が鳴り響いた。

「ウィル」

 掠れた声で、リックは叫んだ。

 肩がひやりとし、じわじわと痛みが広がっていく。

 血痕が飛び、リックの顔に吹きかかる。

「……平気だ」

「バカ言うなよ……なんだ……これ」

 肩に力が入らない。感覚がない。力を入れられない。

 左肩をやられた。できればこいつの前でこんな姿をまた見せたくなかった。

「なんてこと、」

 床に銃が零れ、エリーは口を覆う。

「エリー……そのままこっちに来てくれ」

「ああ……ウィル……、私……」

「大丈夫だ。事故だ。……お前は外に出て、助けを呼んできてくれ」

 何度も頷き、男は這いつくばって廊下へ逃げ出す。

「エリー、窓辺に立つと、光が当たって女神のようだな」

「ウィル……」

「お前には日の当たる世界が似合う。お前と過ごした時間は尊いものだった。嘘じゃないさ。ただほんの少し、歯車がずれただけだ。どうか分かってくれ。それと……一緒に過ごしてくれて、」

 時限爆弾を落とす。それしかない。

「……ありがとう」

 動かせる手で、リックの目を塞いだ。

 ガラスの割れる音が鳴り、女神の身体が弓なりに曲がる。何が起こったのか分からない顔のまま、身体がテーブルに叩きつけられる。

 玄関から数人の警察官、その中にはオーズリーも入ってきて、女神を囲んだ。

「リックを頼む。マジで頼む」

「あなたも怪我しているじゃないですか。また仲良く入院ですか」

「そうかもな。弾が抜けきってない。前回より長引くかもしれん。おい、リック、目を開けていろ」

「出血の量が多いです。すぐに病院に運びましょう」

「ああ……そうしてくれ」

 それからは、あまり記憶がない。マスコミの報道の音、騒がしい人の声、いろんなものが耳に入ってきた。

 はっきり覚えているのは、リックが服を掴んできたということ。

 生存を確認できた俺は、後処理は安心して後輩に任せ、目を閉じた。




 ここ最近は、怒濤の日々が続いていた。

 生ぬるい世界で生き続けるのは不可能で、きっと安息の日々はやってこない。警察という道を選んだからには、受け入れるしかない。

 現実なのか白昼夢なのか分からない朦朧とした中、便利屋とエリーは生きているかと聞いたが、曖昧は顔をしたまま答えが返ってくることはなかった。

 どちらかが無事、または片方だけ。いろんな考えが心を蝕み、結局寝た。

 次の日はようやく答えてくれそうな奴が現れ、病室へ招き入れた。

「どうなってる?」

 俺の質問には答えず、オーズリーは椅子に腰掛けた。

「いろいろと、大変な状況です。傷に障りますので、ドーソンからはまだ何も言うなと言われています」

「……何も言わないと今すぐ病院を抜け出しそうだ」

「あなたも出血が酷くて危ない状況だったんですよ」

 あなたも。それで充分だ。少なくとも奴の命は繋がっている。

「安静という言葉を知っていますか?」

「最近知った」

「あなたって人は……」

「エリーを撃ってくれて、感謝してる」

 カーテンを無理やり引きちぎり、現場を窓から見えるようにした。あとはカメラで内部の情報を流せば、伝わると信じていた。実際、彼らはやってくれた。なんとかしてエリーを誘導し、外から撃ってもらうしかほかなかった。あのときエリーは銃を手放していたが、包丁で暴れられたりでもしたら命の保証はない。

「エリーとも話がしたい」

「ええ、そう願います」




「おい」

「……………………」

「目開けろ」

「…………、………………」

 無理やりこじ開けてやろうか、と思ったら、勝手に開いた。

 顔色が悪かろうが手の感覚がなかろうが、生きていればそれでいい。

「お互い生きてたな」

「……ウィル…………」

 何の夢を見ているのか、リックは笑って目を閉じた。




 訃報は突然届いた。不味い病院食も手につかなかった。

 パサパサのチキンを口に詰め込むも、なかなか飲み込めず水で胃に押しやった。

「大丈夫ですか」

 オーズリーはあまり感情を込めずに言う。明るくも暗くもない絶妙なトーンだった。

「ああ、大丈夫だ。だが今夜は眠れないだろうな」

「睡眠薬でも処方してもらいますか?」

「いや、いい。できる限り薬は飲みたくない」




 真っ黒な部屋で、俺の泣き声だけが部屋に響いた。

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