第14話 近くにいても手は出せない

 後日、リックは早朝からパソコンにかじりついていた。

 片っ端から羽のような刺青を探し、めぼしいものはチェックを入れていく。地味な作業が午前中だけで潰れ、午後は温かな賄賂件差し入れを持って再び屋敷付近へ向かった。

 やはりいた。ベンチで屋敷を眺めていて、リックを見ると片手を上げて歓迎する。

「また聞きたいことがあんのかい?」

「ああ。ちょっと見てもらいたい画像があってね」

 紙袋を渡すと、ホームレスは早速中を漁る。前回のホットドッグとは違い、微妙に顔を傾けた。

「ライスボールだ」

「ハンバーガーが良かったよ」

「きっと気に入る。サーモン入り」

 文句を言いつつ食べ始めたが、一気に平らげると二個目に突入している。

 区切りの良さそうなところで、リックは引き伸ばしてコピーした写真を彼に渡した。

「刺青の男だけど、似たものはある?」

 羽というキーワードをぼんやりと浮かべ、とにかくなんでもかき集めた。

「天使の羽だと、これに近いな」

 覚えていないと言っていたわりには即決だった。

 画像には、天使と蝶、蛇の刺青が彫られている。

「羽って天使のことか」

 刺青の天使には確かに羽が生えているが、蝶にだって羽はある。蝶に気を取られていて、天使の羽は見向きもしなかった。

「腕まくりをしていたから、蝶は見えなかったな。うん……見れば見るほどこの刺青に近い」

「腕まくり……? ってことは、そいつは逆に入れていたのか」

 画像では、蝶に巻きつく蛇を見下ろす天使の図だ。腕まくりをしていて天使しか見えていないのであれば、本人から見て正位置になるよう彫ったということになる。

 ホームレスにお礼を伝えると、リックは車を走らせた。

 次から次へと調べ物をしていた最中は気づかなかったが、リックは何か引っかかるものがあった。昔にどこかで見たような感覚が襲ってきた。

 家に帰ると、すぐにノートパソコンを開き、仕事のメールをチェックした。

 リックはとんだ勘違いをしていた。屋敷に箱を届けてほしいとメールを送った人物と刺青の男が同一人物とは限らない。別人であり、しかし何らかの繋がりがあると考えるべきだ。そう考える方がしっくりくる。

 リックはすぐにコンタクトを取る。返事はなかなか来ず、来たのは夕方を過ぎたあたりだった。

──あのときは助かった。なんせ緊急だったもんで。

「緊急……?」

 すぐさまリックは続きを送る。

──誰かに頼まれたものか?

──頼まれたと言えば頼まれた。急に腹が痛くなっちまって、直接アンタに渡せなかったんだよ。

 本人がおらず公園のベンチに置きっぱなしになっていた理由は合点がいく。

──誰に頼まれた?

──知らん。バーで飲んでいたら、男に声をかけられたんだ。ここの住所宛に持っていってほしいって。

──頼まれたのは君なのに、僕を利用した理由は?

──なんか嫌な予感がしたんだよ。宅配業者より足がつかないと思って、便利屋を利用者したんだ。

 便利屋を利用したのもメールの送り主の意思だった。可能性はゼロとは言い難いが、今回の事件とは結びつきは薄い。

──どこのバーが教えてほしい。

──秘密だとは言われてないからいいけど……ゲイバーだし一人じゃ入れん店だぞ。

──問題ないよ。

 少し経った後に送られてきた住所は、ロサンゼルスの中心地を示している。

 元探偵としての血が騒ぎ、リックはそわそわしながら頼みの綱に電話をかけた。

「やあ。いつも市民を守ってくれてありがとう。ヒマ?」

『嫌な聞き方をするな。せめて何の用かは先に言え』

「一緒にゲイバーに行ってくれないかな。前ならジローに頼んでたけど、今はいろいろあって頼めないんだよ」

『熱は? 今日は吐いたか?』

「吐いてないしピンピンしてる。平熱」

『家で待ってろ』

 ウィルが来る間に、リックはパソコンでゲイバーについて調べた。会員制のバーだが、二人一組で行けば初回でも中に入れると書いてある。

 一時間ほどでやってきたウィルは、ジーンズにパーカーとラフな格好だった。こうして見ると、厳ついモデルと言っても過言ではない。

「場所が場所だしもっと嫌がるかと思ったけど」

「捜査を荒らされるより、近くでお前を見張っている方が精神的にいい」

「僕は仕事とは一言も言ってないぞ」

「仕事以外にあるかよ。相棒のジローに頼むはずが、お相手は俺になったんだ」

「バレてたか。実は僕に箱を屋敷に届けてほしいって言った人物と連絡を取ったんだ」

「なんだと?」

 ウィルのこめかみがひくりと動く。

 リックは男とやりとりしたメールをウィル見せ、掻い摘まんで流れを説明する。ちなみに箱の中身は依頼者も知らないとつけ加えた。

 ウィルの車でバーに向かい、近くの駐車場に駐めた。

 同じロサンゼルスでも、少し道を外れただけで雰囲気がまるで異なる。控えめなネオンがある通りに入ると、数人の客引きが立っていた。男性たちの何人かはふたりに声をかけようとするが、ウィルを見ると視線をさまよわせて見知らぬふりをした。中に入って身を潜めようとする人もいる。

「僕からしたら、ウィルはモテるタイプだと思うよ」

「なんだその同情は。歩き方でバレてるんだ」

 ウィルの歩き方は、大股で歩きつつあまり足音を立てない。獲物を狙う豹にも見え、リックからすれば魅力的に見える要素でも、彼らからしたら本当に狩られるかもしれないという死活問題を抱えている。

「ここだ」

 リックが立ち止まるとウィルも足を止め、看板や防犯カメラの位置をチェックする。

 店の前には客引きは立っていない。会員制だからか、他の店とは違い物静かなバーのイメージだ。

 地下への階段は、申し訳程度の明かりが足元を照らし、すかさずウィルはリックに手を伸ばす。

「……………………」

「……………………」

「…………悪い」

「なあ、僕を女性と勘違いしてないか?」

「してない。胸の膨らみもないし、骨格も完全に男だ。今のは俺が悪かった」

「ウィルの彼女じゃないんだぞ」

「彼女はいない」

「いつから? 指輪の跡はあるけど」

 後ろを振り返りにやりと笑うと、ウィルはそんなことかとつまらなそうにそっぽを向く。「早く行け」。

「結婚はしていた」

 リックは階段の途中でまたもや止まると、不平の声を漏らす。「早く行け」。二度目だ。

「完全な僕のイメージだけどさ、一途に女性を愛するイメージ」

「よく分かったな。守り抜くと誓った者にはとことん執着するタイプだ」

 ウィルはリックの目をじっと見つめ、早く行けと急かした。

「まあね。男の見る目はあるんだ」

「お前がそれを言うか?」

「………………確かに」

 信頼できる相棒には裏切られ、傷心しきっているところに探偵事務所をたたまなければならなかった。

「冗談だ。お前は見る目がある。相棒に俺を選んだんだからな」

「言ってろ。ドア開けるぞ」

 一瞬でぴりっとした空気を作り上げ、リックはドアノブを回した。

 隙間が開いた瞬間、バーらしくアルコールの香りが鼻腔を刺激する。

「いらっしゃいませ」

 わずか数十センチ先にいたバーテンダー風の男性が、にこやかに会釈する。

「初めてなんですけど」

 男性はリックではなく─後ろにいたはずのウィルは横にいて─彼を下から上までを眺める。

「誰かの紹介ですか?」

「ネットで検索したら、ここが気軽に飲めるって書いていたんでな。二人一組なら問題ないんだろう?」

「ええ、構いませんよ」

 ふたりが案内された席は、カウンター席だった。ソファー席にも男性しかおらず、今さらながらゲイバーだったとリックは思い出す。

 適当にキールを注文すると、ウィルも同じものを頼む。

「カクテルには詳しいのか?」

「ちまちましたものは飲まん」

「ちまちまって……これを機会に好きになったらいいよ。あ」

「どうした?」

「いや……行きつけのバーがあるんだけど、店主のリサと友達なんだ。誕生日プレゼント買わないといけないんだった」

「バラの花はどうだ」

「気が合いすぎでしょ。ドアにバラの花束を置くのは止めてだってさ」

「仲良くなれるかもな。今度紹介してくれ」

「男だけどいい?」

 ウィルはリックのグラスに当て、音を立てるとひと口飲んだ。

「な、なに?」

 いきなり距離を縮めくるウィルに、リックはうろたえてグラスを掴み損ねそうになった。

「振り向くなよ。後ろの男だが、多分あいつだ」

「いたのか?」

「ああ」

「なんで分かる?」

 思わず振り向きそうになり、ウィルはリックの肩に手を回した。ほのかに香水の香りが漂う。アルコールと混じり、大人の香りだ。

「長年の経験」

「さすが……皮肉もジョークも出てこないよ」

「ああやって運び屋を捜してるんだ。ちょうどいい」

「ちょうどいい……? まさかウィル、僕の仕事の手伝いをしに来たわけじゃなく、ここも捜査対象だったのか?」

「捜査対象だが俺の管轄外だ。あくまで捜査はついで。お前を一人で行かせたら何をしでかすか分からん。顔をチェックできただけでも来た甲斐があった」

 肩がふと軽くなる。ウィルはメニュー表を一瞥すると、「飲みたいものがない」と独り言を言う。「場所を変えようぜ」。

「何が飲みたいんだよ」

「だからカクテルは性に合わんと言っただろう」

 いきなり声を大にしたせいで、席の離れた男性たちもちらりとふたりを見た。

 リックはなるほど、とひとり納得し、演技派の彼に合わせることにした。

「だったら何が飲みたかったんだよ」

「アルコールより今は飯だ。ハンバーガーでも食おう」

「近くにあったっけ?」

「大通りに一件あった」

 ウィルが立ち上がると、リックもすぐに席を立つ。

 ウィルはポケットに手を突っ込み、小型の機具を覗かせた。遠慮がちな遠慮のない隠し撮りだ。

「もうよろしいのですか? まだ三十分も経っていませんが」

 出迎えた男性は眉を傾け、時計を見やる。

「申し訳ない。また来る」

 ウィルは手短に言うと、クレジットカードではなく札を取り出して彼に渡した。

 アルコールより飯だと言う彼はもっともなのかもしれない。リックの腹が小さくなる。

 警戒してか、ウィルは道を変えてバックミラーを何度も確認し、ようやく大通りに出た。

 どこにでもあるチェーン店のバーガーショップでは、客人が少ないのか店員が暇そうに明後日の方向を見ていた。

 リックたちに気づいても、やる気のないのは変わらずで、適当に注文を受けてはレシートを渡す。

 窓際の開いた席に腰を下ろすと、ちょうど強い明かりが差し込んできた。

「なんだ?」

 パトカーが数台並び、大通りを横切っていく。

「肩が凝ったな」

「バーは慣れてるんじゃないのか?」

 ウィルはハンバーガーにかぶりつく。カクテルよりハンバーガーが似合う男だ。

「行くのはリサの店だけだよ。そもそもそんなにアルコールは飲まない。胃が弱いもんでね」

 リックの頼んだものは、野菜がたっぷりと入ったハンバーガーだ。肉を二枚入れる余裕はなく、代わりにスライスされたトマトが多めに入っている。

「さっきのパトカーはなんだろうな」

「あれだけ台数が多ければ、おそらく殺人。または未遂。関わりたくないね」

「いいのか? 現役がそんなことを言って」

「……ハンバーガーくらいゆっくり食わせてくれ」

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