第15話 刺青の男

 ハンバーガーの包み紙がくしゃりと手の中に収まると、遅れてリックも小さく縮めた。

 ウィルの携帯端末に電話がかかってきたのは食べ終わってからで、深刻に眉を潜めると小声で話し始めた。どうやら近場で事件があったらしい。

 ウィルは電話を切ると、

「事件に関わる気はあるか?」

「もちろん、ある」

 二つ返事でOKを伝えると、トレーを持って立ち上がった。

 どこへ向かっているのかは聞いていないが、眉間の溝を見るに厄介な事件だとは伺える。

「おい、まさか」

 Uターンするとは思わなかった。

 ウィルは先ほどまで駐めていた駐車場に車を置くと、行くぞと小さく声をかける。

 ゲイバーの通りは人だかりで奥が見えなくなっている。

「オーズリー」

 若い刑事が振り返った。オーズリーと呼ばれた刑事は、東洋人のような見た目で背も高く、リックとそれほど年も変わらないように見える。

「俺の新しい相棒だ」

 ウィルは小声で囁くと、先を歩いて彼の元へ行く。

「そちらは?」

「友人だ。さっきまでそこのバーにいた」

「どうも。リック・モリスです」

「シン・オーズリーです」

 手を差し出すと、シンも握手する。どうやらゲイに対して偏見はないらしい。ゲイバーにいたとばらした後でも、彼の態度は変わらなかった。

 中へ通してもらい、ひとまずパトカーの中へ避難する。助手席にはもう一人刑事がいて、にこやかとは言い難いが、重苦しい空気をなんとかしようと努力は見られた。

「亡くなったのはバーに来ていた客です。身元を特定できるようなものは持ち歩いていませんでした」

「スマホもか?」

「持ってはいましたが、番号を登録していないようで。メールも何も残っていません。鑑識に回しています」

 やましいことがありますと自己紹介しているようなものだ。

「腕には刺青がありました」

「刺青」

 いち早くリックが反応すると、ウィルは口を強く閉じる。

「どんな刺青だ?」

「天使と蝶と、蛇があります。知っているんですか?」

「天使と蝶……蛇…………」

 リックは目を瞑り、小さな唸り声を上げる。

 ネットで調べ、ホームレスが指差した刺青も同じキーワードを話していた。

 リックは何か、とんでもないものに巻き込まれているのではないかと目の前が遠のいていく。膝は震え、武者震いのように小刻みに揺れた。

「今は何とも言えないな。見たら思い出すかもしれない」

「残念ながら遺体は見せられませんので。亡くなった経緯は、いきなり倒れたそうです。ちょうどあなた方が店から出て、数分後のことでした」

「薬物の可能性と、容疑者ってわけか」

「疑ってはいませんよ。彼の口にする飲み物も本人にも触れてはいませんでした。あの状況で毒を入れる方法は、私には思いつきません」

「僕らを疑っていないのは分かった。けど、薬物の疑いは晴れてないわけだ」

「おい、リック。深く入り込むな」

 そしてこの男も、刺青の男を追うなという節がある。

 リックは確信した。警察も刺青の男を追っている、と。しかも薬物というキーワードを出した途端、助手席の刑事はペンを走らせる手のスピードが落ちる。

「残念ながら、俺たちは三十分ほどで店を出た。その後は大通りのバーガーショップいる。ほとんど何も分からないさ」

「なぜ、あの店に?」

「静かに飲める店を探してたんだ。会員制だし、悪くなかった。客引きがいるような店は苦手でね」

 ぎりぎり筋が通っていると言える。警察官と警察官の探り合いは、ドラマでしか見たことがない。

「薬物中毒なら、すぐに判明するんじゃないのか?」

「それが……いえ、判断するのは早いですから」

 何か引っかかる言い方だ。誤魔化しているような、適当に流しているような言い方。ウィルもウィルで、薬物に関しては探ろうとしない。

 ありきたりな質問を繰り返され、リックたちは一時間ほどで解放された。

 ウィルが口を開いたのは車に乗って走らせてからだ。「喉が渇いた」。

「家に寄ってく? コーヒーくらい出すよ」

「ああ。頼む」

「ひとりでずっと喋っていたもんな。僕の挟む口がないくらいに。まるで余計な話はするなって言われてるみたいだった」

「分かってるならいい」

「僕もいろいろ聞きたいことがあるしね。喋り足りないよ」

 アパートに入ると、ウィルはリックの部屋のメールボックスを覗き込み、「何もない」と勝手にぼやく。聞こえなかったふりをして階段を上がった。

 二つのホットコーヒーにミルクをたっぷり入れ、テーブルに置く。

「紅茶は飲まないのか?」

「今は飲まないよ。ジローが好きでね。いろいろ思い出してしまうから」

「……………………」

 美味い、と漏らし、ウィルは二口目を啜る。

「薬物と刺青のふたつが鍵だ。なぜ黙る?」

「なぜ黙るかって? それはな、答えたくないからだ」

「秘密情報なのは分かったからさ、ちょっとは教えてほしい。僕だつて関わりのある当事者なんだ」

「秘密情報と言いつつ教えろはないだろう……。事件に関わらせたのは俺だが、まさかこうなるとは思ってもみなかった」

 げんなりした様子で、ウィルはソファーに深く座り直した。

「宗教的な組織が絡んでる」

「宗教……?」

「とある薬物の話だが、人殺しのための薬が出回り始めている。飲むと薬物中毒とは反応しない。酸欠で死亡した状態になる」

「胃にも残らないのか?」

「何も残らない。いわゆる、酸素欠乏症というやつだな。脳細胞の破壊が見られ、酸欠とまったく変わらない死に方なんだ」

 リックはふと、過去に見たトラウマがフラッシュバックした。

 腕の中で苦しむ父の姿が鮮明になろうとしたところで、リックは頭を振って目を強く瞑る。

「何かの植物のエキスというより人間が作り出してしまった毒薬だ」

 ウィルは覚醒剤だと断言する。

「副作用でそうなるのか? それとも……殺しの道具として使われている?」

「さあ……どうだろうな。体内から取れないとなると、現物を手に入れるしかない」

「さっきのバーが捜査対象だったのは、」

「世話になったバーの肩を持つわけじゃないが、おそらく店員は関わっちゃいない。取引の場として利用されただけだ」

「僕が屋敷に運んだ白い箱って……まさか」

「だろうなとは思ってる」

「……開ければ良かった」

「おい」

 ウィルは指で腕をとんとんと叩く。

「ここに刺青がある。天使と蛇と蝶だ。まれに首にもしている人がいるが、奴らも警察に目をつけられているとは分かってる。最近は隠している人が多い」

「これはアメリカだけの問題か?」

 ウィルはふと目を逸らし、カーテンも開いていない窓を見つめた。外の情景が分からなくとも、彼には見えているのかもしれない。

「どうして教えてくれたんだ? 守秘義務なんじゃないのか?」

 教えてくれと頼んだわりには矛盾しているが、それでもどうしても聞きたかった。

「それはな、お前はどう足掻いてもどんな道に進んでも、きっと辿り着くからだ。念を押すが、教えたくない気持ちは残っている」

「何に?」

 後者は無視し、なぜなのか問いただす。

「真実に。それとコーヒー」

 一滴とて残っていない。コーヒーも本望だろう。

 リックはもう二杯入れて、テーブルに乗せた。

「やけに僕のことを買ってるね。たどり着くとは限らないのに」

「買ってるかは別として、すでにお前は片足どころか両足を突っ込んでいる。ズブズブだ。目標地点に到着するのは遅いか早いかだけなんだ。何度も忠告するが、無理はするな」

「領域に入るなとか言ってなかったっけ? 随分優しい言い方になったね」

「刑事としても言うさ。そしてこれからも言い続ける」

「世話を焼く理由も教えてほしいんだけど」

「言っただろう。お前がこちらの領域に入ってくるからだ。側にいて見張っていた方が精神的にもいい」

「ああ、そう」

「これからどうするんだ? 肝心な依頼人の依頼人は死んでしまった」

「辿り着くんであれば焦らないよ。人を相手にする仕事をしてるんだ。運が良ければまた出会えるさ。一つ謎が解けたところで、もう一つ解決しなきゃならないことがあるんだ」

「ああ……プレゼントか」

「リサの誕生日は待ってくれないんだ。アクセサリーとかどうかな」

「女心の分からん奴だな。趣味が分からないんなら止めるべきだ」

 結婚していた経験があると言っていた手前、何も言い返す言葉が浮かばない。

「やっぱり花だよ。それしかない」

「まあお前がいいならいいんじゃないか」

「投げやりすぎる。もう少し何か考えてくれよ」

「自分の好きな分野で勝負したらどうだ?」

「好きな分野? 本とか?」

 ウィルはコーヒーカップを持ち上げ、何か言いたげにリックを見る。

 女心どころか男心も理解しきれない自身に、リックは内心ため息を吐いた。

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