第13話 竃には背後を振り向く

 情報網はネットが主流だが、泥臭く足使う方法にはいつの時代も敵わない。

 マスコミが決して取り上げないところに、思わぬ大穴が潜んでいるものだ。

 ベンチで口を開けたまま真ん中にどっかり座る男性に、紙袋を渡す。屋台で購入したホットドッグはまだ熱々で、同じ箇所を持っていられない。

「いいのか?」

「交換条件だ。あなたはそこの屋敷で事件があったときも、ここにいたんじゃないのか?」

「ああ、いたよ」

 さらっと爆弾を投下し、ホームレスは紙袋を漁る。

「何があったか教えてほしい」

「そうは言ってもな。屋敷のばあさんじゃない人が出入りしてたってくらい」

「どんな女性?」

「背の小さい……顔は知らん。近くで見ていなかった。あと男もな。腕に刺青を入れてあった」

「男? どんな刺青だ?」

「分からんな。羽があった気がする」

 ホームレスは決して綺麗な食べ方ではなく、コールスローをぽろぽろ零す。

 木に止まる鳥が視線を外さず見下ろしている。

「刺青の男……」

「俺以外にも聞き込みをしたらどうだ? アンタ警察か?」

「いや……便利屋だ」

 ホームレスの男性は意外そうな顔をする。

「便利屋なんてのは警察みたいなこともするんだな」

「まあね。情報ありがとう」

 彼に持っていたガムを渡し、リックはベンチを立つ。

 近隣住人には聞き込みはした。刺青の男の存在は誰も明かさなかった。目立つ男性がいれば、おしゃべりな女性は必ず話題にするはずだ。

 屋敷は相変わらずテープが張られ、何人たりとも受け入れは許可しないとはねのけている。

「また来たのか」

「やあ、歓迎してくれて嬉しいよ」

 手を上げて答えると、キム刑事はげんなりとした表情で腕を組んだ。

「ギルバート刑事は?」

 ちょうど屋敷から出てきた。目の下には隈ができ、心なしか頼りなく感じる。

「少し痩せたんじゃないか?」

「そう見えるか?」

「ドーナツを買ってくれば良かったよ」

「俺の好物のうちの一つだ。で、何しにきた」

「刺青を入れた男が出入りしていたって聞いたんだけど、」

 ウィルの目が細まる。肯定しているようなものだ。

 ウィルはキム刑事を一瞥すると、

「誰が言っていた?」

「ホームレスからの聞き込みで知った。でもアメリカだと刺青を入れている人なんて山ほどいるけどね」

 ウィルは頭を豪快にかく。

「男が入ってくのを見たって。多分、そっちが持ってる情報ほど詳しいものはないよ。どんな刺青かなんて、分からないし」

 竃の件を聞こうとしたとき、近くにカメラを持った男性たちがいるのを目の端で捉えた。おそらくテレビ局か何かだろう。

「……今日は帰れ」

 今日は。確かに彼はそう言った。明日なら来てもいいのか。

 ウィルはうろつくカメラマンに見向きもしないで、踵を返す。彼はなんだかイライラしていた。思っているほど捜査は進んでいないのかもしれない。リックの持つ情報もあまり役に立ちそうにない。

 仕方なくリックも屋敷を離れようとすると、先ほどのホームレスが待ち構えていた。

「どうしたんだ?」

「箱の中身は何が入ってたんだ?」

「箱?」

 そういえば……ふと思い出す。

 屋敷へは行ったのは一回だけではない。誰かからの依頼で、運び屋も行い、二度彼女の屋敷へ行っている。

「もしかして、刺青の男を見たって言ってたのは、僕が箱を置きにきたときか?」

「そうだ」

 なんてこった、とリックは頭を抱えた。そんな大事なことを自分自身も忘れていたなんて。

「僕が置きにきて、どのくらいで取りにきた?」

「わりとすぐだ。屋敷の人が出てくるのか確かめていただろう? お前が帰った後にタイミングよく」

 リックが帰るところも見張っていたことになる。

「庭から男が出てきて、お前が置いた箱を持ってどこかに行った」「屋敷の中から出てきたわけじゃなく?」

「屋敷だろう? 思い出したんだが、刺青の位置は左腕だ」

「……そうだな。僕が間違っていた」

 庭も立派な屋敷の一部だ。こればかりはお互いの相違があったと思うほかない。

「ありがとう。助かったよ」

「解決できるといいがな。ガムのお礼だ」

「もう一つあげるよ」

 最後のガムを彼に渡し、リックは家に戻った。

 言われた通りおとなしくするつもりもなく、刑事にメールを送りパソコンの電源をつける。

 すると、すぐに返事が来た。

──コーヒー頼む。

 いつからカフェ店員になったのか。

 リックはキッチンに行くと、手ぶらでは来ない彼を予想して苦めのコーヒーを入れた。

 インターホンが鳴り、リックは玄関を開けると、想像とは異なるウィルの姿にがっかりする。持つ袋には、とろけるチーズの絵が描いてあった。

「ドーナツと予想したのに」

「ピザの気分なんだよ」

 急いで来たのか、ネクタイが歪んでいた。ウィルはさらに歪みを加え、ソファーにどっかりと腰を下ろす。

「熱いコーヒーとピザなんてなかなか素敵な組み合わせだね」

「ホットコーヒーだと? アイスコーヒーじゃなく?」

「……なんて日だ。今日はいろんな人と意思疎通が取れてないよ。ピザ買ってくるならそう言ってくれ。気分はドーナツだったのに」

「何の話だ」

 油っこいものは得意としないリックだが、それでもジャンクフードはたまに食べたくなる。気を使ったのか、シンプルに生地が薄めのペパロニピザだ。

 今日あった一連の話を、リックはピザに手を伸ばしながら説明をする。ホットコーヒーとピザが合うかは別の話だ。

「するとお前は、竃の掃除をした後に、誰かからの依頼で箱をまた屋敷に届けたのか?」

「ああ。一応、違法なものではないと契約は交わしたけどね。中は見見てないけど。僕が去った後、刺青の男がすぐに来て箱を持ち去ったってホームレスからの情報」

「……刺青の男は、お前は追わなくていい」

「なんで?」

「リック」

 ウィルはピザを持ち上げた手を下げた。チーズが伸びに伸びて、皿に水たまりを作っている。

 リックはなんだか身が縮こまる。もったいない、と自分の分でもないのに残念に思う。

「お前はこの事件は一つの事柄だと思うか?」

「どういうことだ?」

「まんまの質問だ。課題をそれぞれ分離して考えるのが近道の場合もある。それとあまり暴れ回るな。お前は与えられた仕事をきっちりこなした。それでいい。後始末は俺たちの仕事だ」

「食べ散らかした後は誰が片づけるんだよ」

「俺がやろう」

 ウィルはテーブルへ向けて両手を大袈裟に広げた。

「いいか、嬢ちゃん。便利屋と警察の違いは分かるな? 聞き分けのない市民を守るのも俺の仕事なんだ」

「大変な仕事だな」

「ああ、本当に」

 ウィルは皿に残ったチーズも綺麗にかき集め、一気に口に入れた。これでチーズが無駄にならないで済む。

「事件解決のために便利屋をこき使う手もあるぞ」

「民間人の手を借りるほど人出不足じゃない」

「やけに手を引けっていうのは、事件から? 刺青の男から?」

 ぎろりと睨み、ウィルは二枚目のピザを取った。

 半分ほど口にしたところで、痺れを切らしたリックももう一枚手を伸ばした。

「言わないってことは、どちらか正解があるってことかな。それと、竃の件なんだけど」

「ああ」

「屋敷の女性は……やっぱりそうなのか?」

「やっぱり、そういう、ことだ」

 一言ずつ区切って話す彼は、それが真実だから手を引けと言っているような気がした。

「お前が綺麗に掃除をしたようたが、竃にはまだ煤が残っていた」

「はあ…………」

「ため息も吐きたくなるだろうが、お前は口にしたわけじゃない」

「あのクッキーって本当に焼いたものじゃなかったのか? そうだよな? そうだと言ってくれ」

「言っただろう。あれは店で売っている。例え竃で焼いたクッキーだったとしても、お前自身は竃にぶち込まれずに済んだんだ。運が良かった」

「僕が会ったおばあさんは捜査中?」

「ああ」

「刺青の男も?」

「お前は犯人と思わしき人物に一度会っている。次会ったらやられるぞ……おい」

「ごめ……ちょっとまずいかも」

 とろとろのチーズがぼとりと皿に落ち、生地も形を崩しながらテーブルに落ちた。

 リックは口元を押さえてソファーにうずくまる。目の奥がちかちかし、霞んで肩で大きく息をした。何かが逆流し、息をさせまいと喉の奥を締めつける。

 ウィルはゴミ箱を口元に持っていき、荒々しく背中を大きく擦る。

「…………むり」




 数時間前よりも綺麗になったテーブルと空になったゴミ箱に、リックはいたたまれない気持ちになる。

「なんだよ……ほんとに」

 胃液もすっからかんになった胃は小さくなるが、またもや何か入れる気にならなかった。入れてしまえば、罪のない竃すら憎いという感情に蝕まれるだろう。このまま二度とピザ屋に入れなくなるなんてごめんだ。

 世話焼きのロサンゼルス刑事は、部屋掃除も得意らしい。リックの吐き出した異物もきっちり片し、電話に呼ばれてさっさと帰ってしまった。

 お礼すら言えなかったのは、気持ちが追いつかなかったのと、疑問が勝ってしまったからだ。

「いちいちなんでこんなに世話を焼くんだ……」

 押し留めている気持ちが溢れそうで、よれよれのタオルケットを強く掴んだ。

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