第12話 難事件

 便利屋として、元探偵として血が煮えたぎるように騒ぎ出す。何か事件とくれば、動かずにはいられない。

 まずは聞き込みだ。屋敷付近まで行くと、警察官の視線を浴びながら野次馬化している女性たちに話を聞いた。

「あの屋敷で何かあったんですか?」

 二人組の女性はリックを下から上まで見つめ、害がないと判断するとお喋りな口が開く。

「いやねえ、三日前からパトカーが来て根ほり葉ほり聞いてくるのよ。屋敷の人を最後に見たのはいつかとか、何か異音がしなかったかとか」

「多分、殺人事件よ」

「おばあさんが亡くなったんですか? 小柄な方でしたよね。知り合いなんですよ」

「小柄? 小柄だったかしら?」

「確か車椅子に乗ってた気がするけど」

「車椅子……?」

 女性たちは本当に知り合いなのか、という疑惑の目を向ける。

「外に綺麗な花が咲いているでしょう? よくお水をあげていたのよ。車椅子に乗ってね」

「そうでしたか。ありがとうございます」

 屋敷の中は段差がなかった。車椅子でも通れるほど廊下も広かったが、肝心の車椅子は見ていない。

 それに、リックが見た女性は小柄だった。だが女性たちの見た老婆はそうではないと言わんばかりの目だった。男性と女性から見た体型は違うものが見えているというが、認知の差によるものだろうか。

 リックは屋敷の近くまで行き、庭を覗いてみる。花はしおれていて元気はない。

 女性は綺麗な花と言っていた。興味のある情報は脳に刻まれる。リックは道を歩いても車を走らせても、それほどインプットされない。

「家主が水をあげていた間は元気だったが、いなくなってからは水をあげる人がいなくなった……か」

 花に詳しい人は身近にいる。電話をかけると小言を言われるのは見えているが、端末をタップして母にかけた。

 ひと通り耳への打撃を受けた後、リックは花について問いを口にする。

『花の種類にもよるわよ。サボテンみたいにほとんど水をあげなくても枯れないものもあるし』

「庭に咲いてる花なんだ。枯れかかっていて、いつ頃から水をあげてないのか知りたくて」

『写真は撮れる?』

「撮って送るよ」

 電話を切ると、警察官を目の前に堂々と写真を一枚撮った。

 警察官は睨むだけで何も言わない。野次馬程度思われようと痛くも痒くもない。背中に少しちくちく刺さるだけだ。

 母に送ると、一分足らずで返事が来る。

──そこまで枯れていると、一週間くらいだと思う。

 花の知識がここで役に立とうとは。分からないものだ。

「一週間……」

 母の花に関する知識な並なものではない。信頼はしている。

 枯れるまでの天候や気温も考慮に入れなければならないが、記憶に残るほど天気に大きな変化はなかった。

 ひとまず屋敷周辺での調べはついた。

 リックは途中でグリーンティーとライスボールを車で食べ、端末を開く。メールも来ていないし着信もない。なぜかあの刑事の顔が浮かんだ。

 ネットニュースを探っていると、小さな記事だがロサンゼルスでの事件が上がっていた。屋敷の通り金持ちで、土地を貸し出し収入を得ていたらしい。マスコミの情報網は恐ろしい。

 数日前から行方不明、足腰が弱っていた、一人で住んでいるなど重要なところをメモしていく。

 引っかかったのは、旦那と住んでいるわけではないということ。老婆はリックに対し、旦那がいると言ったが、あれは真っ赤な嘘だった。

「…………待て、ええと……これって」

 落ち着けと何度も心の中で唱え、リックはもう一度メモ帳を開く。

 最初から勘違いしていた可能性がある。何もかも一から洗い流さなければならないある一つの疑惑が思い浮かび、運転席に座っていられず何度も腰を浮かせた。浮かせたからといって特にどうとなるものでもないが、とにかく落ち着かなかった。

「いやいや、おかしいだろ……」

 疑惑が合っているとしたら、大事件になる。

 リックは頼みの綱であるウィルに電話をかけ、留守電に今日会えるかどうかメッセージを吹き込んだ。電話より留守電が緊張するのはなぜだろう。

 メールで返事を寄越したのは家についてからだった。

──ピザと寿司、どっちがいい?

 リックはすぐにメールを返した。

──寿司で。




「コーラで寿司を食べるって間違ってると思うね。どう?」

 リックの忠告兼提案にぴくりとも反応せず、ウィルは黒い液体で寿司を流し込んだ。

「熱いグリーンティーがよく合う。冷たくても良いけど」

「お前はこの前、レモンパイをレモネードで食ってなかったか?」

「あったかいやつね」

「俺のおすすめはコーヒーだ」

「覚えておくよ」

 忠告の結果、「好きなものは好きな飲み物で」。これに限る。

「ちょっと話していい? 事件の話になるけど」

「ああ」

「俺が会った老婆だけど、犯人の可能性がある」

「ほう」

 日本式の箸の持ち方は完璧で、ウィルは一口ずつ噛み締めながら口に放り込む。

「聞き込みをしてたんだ」

「してたな」

「見てたのか。いたのか」

「いたし、見ていた」

「僕は小柄で背の低い女性に会った。回りに住む人たちに聞き込みをしたら、小柄という言葉には首を傾げて車椅子に乗っていると言っていた。おまけに庭に咲いている花だ」

 花、という言葉に、ウィルは箸が止まる。

「母に聞いたら、一週間くらい前からすでに水を与えていないんじゃないかって」

「なるほど。いい線いってる。お前の言う小柄な女性だが、他に思い出したことは?」

「犯人だと思うか?」

「参考までに聞きたい」

「人良さそうな顔だよ。凶悪犯だと言ったとしても、警察を疑うレベルの」

 髪型や色、思いつく限り乱雑に並べる。拾って組み合わせるのは警察官の仕事だ。

「その女性が家主を隠した犯人だとして、僕を呼んだのは指紋をべったりとついたキッチンを調べられたとき、疑惑を僕に向けるため……とか。……そういえば、小柄な女性は手袋もしてなかったな」

「指先に何かつけていれば、指紋は出ない」

「あと、旦那とふたりで住んでいるようなことをほのめかしていたのに、屋敷には車椅子の女性しか見たことないってさ」

「家主の旦那はすでに亡くなっている。だから、お前の会った女性は嘘を吐いているか、本気で間違ったか」

「旦那が死んだか生きているか間違えるって? アメリカの州を覚えるより簡単だと思うけど」

 最後の寿司を口に入れた。久しぶりの寿司は、日本の寿司とは似ても似つかないのにとても懐かしい味がした。

 テレビでは、ちょうど話題のニュースが上がっている。昼間にいたカメラマンが撮った映像だろう。怪しい男がうろついていただの、金品には手をつけられていなかっただの、出所が怪しい情報は得られた。

「怪しい男ってのはまさか僕じゃないよな?」

「警察官から見ても、お前は怪しい」

「思いつきでの逮捕は止めてくれよ」

「……あまりうろうろするな」

 まただ。

 心配そうに見つめるウィルの顔を見ると、リックの脳裏にはいつも父が浮かぶ。


 今日はひとまずネットを漁ることにした。

 得られた情報といえば、どのニュースにも金銭には手をつけられていないということだ。これがもし本当ならば、怨恨の線が大きい。あまり考えたくはないが、ウィルは竈で人骨らしきものがなかったかと疑っていた。考慮に入れれば、さらに怨み説のパーセンテージが跳ね上がる。

 気分転換も兼ねて、リックはバー・オアシスへ向かった。リサと会うのも久しぶりだ。何せジローが逮捕されてからは一度も連絡は入れていない。

 バーには看板が出ていて、駐車場にも何台か車がある。バーの扉を開けると、リサは驚愕したまま言葉を失っている。

「やあ、リサ」

「リック! ああもう、なんでまた……どうしましょう、言葉がうまく出ないわ」

「僕も同じ気持ちだよ」

「嘘ばっかり! ならなぜ会いに来てくれないのよ!」

 カウンターに座る男性は軽く舌打ちをした。リサに気があるのは見え見えで、リックは内心ため息を吐くしかない。

 一つ空けて、男性の横に座った。

「すっごく美味しいオレンジが手に入ったのよ。どう?」

「マンゴヤン・オレンジで」

 メニュー表に書いていたオレンジのつくカクテルを適当に言うと、リサはご機嫌に鼻歌を歌い出す。

「悪かったよ。いろいろ聴取を受けたりしていたんだ」

「済んだの?」

「ほぼね」

 マンゴヤン・オレンジ。想像通りの甘そうなカクテルだ。

 ジュースのように喉を鳴らして飲み、グラスを置くと氷が音を立てて食欲をそそられる。ついでにつまみも注文した。

「便利屋を始めたんだ」

「まあ、探偵を辞めて?」

「辞めたけど、辞めたわけじゃない。心はまだ探偵のままだよ。言い訳がましくて見苦しいけど」

「いいじゃないの。いろいろな経験を積んで、探偵に戻るのもいいと思うわ」

 リサはいつも否定せず、話を聞くタイプだ。

 自分を分かってくれると勘違いした輩が寄ってくるものだが、あしらい方も慣れている。

「もしかしてまた事件に巻き込まれたの?」

「まあね。ロスの外れで、資産家が亡くなった事件は知ってる?」

 すべてを話せるわけではないため、リックは掻い摘まんで─ついでにチーズを摘まんで─要点を述べた。

「失踪したって話だけど、彼女関わりのある人を訪ねてみたら? 調べるのは得意でしょ?」

「捜してる人がいるんだ」

 頼れるのは目から入った情報と記憶だけだ。忘れかける前に、目の前の綱を掴んでどうにか連想ゲームのように彼女に託したかった。

「リックが会った人が犯人かもしれないのね」

「頼りがいのない記憶で困るよ」

「そんなことはないわ。だって過去に話したことだって覚えていてくれるじゃない。私の誕生日とか」

 色気のある流し目には、期待がたんまりとこめられていた。リックは慌てて「二週間後」。呟きは成功した。

「必ずまた来るよ。仕事が入っていてもね」

「本当? 約束よ。扉にバラの花束を置くのは止めてね。全然ロマンティックじゃないわ」

「分かったよ。君の好きなものを用意しておく」

 リサの好きなものは何だったか。

 難事件がまたしても増えてしまった。

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