第11話 運び屋

 今日の仕事は物運びである。単純な作業に、リックは探偵として働いていたときの勘がいやでも蘇ってくる。

 違法なものではないとしっかりと取引を交わし、後部座席がいっぱいになるほどの大きなクマのぬいぐるみを詰める。苦しそうなクマとできるだけ目を合わせないようにしながら、リックは車を出す。口が縫われていなかったら、さぞや文句がダダ漏れだったろう。

 指定場所へ行ってインターホンを押すと、可愛らしいレディーのご登場だ。

「これ、パパから?」

「君の名前は?」

「アイリス」

「OK、パパからだよ。ハッピーバースデー、アイリス。今年も良い年になるといいね」

 近くのケーキ屋で買ったクッキーも、ついでに渡す。

「これもパパから?」

「運び屋リックからだよ。誕生日だって聞いて、君に。さっき買ってきたんだ」

「ありがとう! うれしい!」

 八歳だと聞いていた少女は大いに喜び、大きなぬいぐるみとクッキーを抱えて中に入っていく。入れ違いに、少女の母親がやってきた。

「わざわざありがとう。夫が急な仕事で娘と過ごせなくなってしまったのよ。クッキーも嬉しいわ。よろしかったら、こちらを」

「ありがとうございます。美味しそうですね」

 葡萄の香りがするパウンドケーキを受け取り、再び出てきたアイリスにさようならをする。

 今日は運び屋の仕事が二件だ。もう一軒は、ここから二十分ほどの公園で落ち合うことになっている。

 もらったパウンドケーキを食べると、下にはレーズンが敷き詰められていて、ラムの香りが漂う大人の味だ。ボリュームのある二切れはランチ代わりにし、リックはハンドルを握り締めた。

 物寂しい公園は、散歩を楽しむ老人も走り回る子供の姿すらない。

 ベンチの上には、小さな箱が置かれている。白い包みに赤いリボンが印象的で、一見すると誰かへのプレゼントのようだった。

 リックはリボンに挟まった二つ折りのカードを見る。丁寧に『便利屋さんへ』と書かれていて、住所も添えられている。

 リックは疑問の声を上げる。見覚えのある住所だ。携帯端末で顧客とのやり取りを見るに、先日の老夫婦の住む建物だった。

「どういうことだ……?」

 悩んでいても仕方ない。前払いでお金はすでにもらっているので、行かずにはいられなかった。

 てっきり前回のように老婆が顔を出すものだと思っていた。だが二度三度とインターホンを鳴らしても、一向に出る気配がない。

 リックは二つ折りのカードと共に、メモ帳を切ってメッセージを残すしかなかった。


 朝食にシリアルを食べ終えてメールをチェックしようとしたとき、インターホンが鳴った。

 画面に映し出される二人の顔に、今度はなんだと嘆息を漏らす。

 一人は目を細め、もう一人はこちらの世界に全力で関わるなオーラを発している。ちなみに前者がキム、後者がウィルだ。ストーカー事件でキムに助けられたといえど、できれば関わりを持ちたくないのがリックの本音だ。

「ミスター・モリス、朝から済まないね。どうしても聞きたいことがある」

「やあ、今度は何の用?」

「ちょっといろいろあってな」

 不機嫌そうに、ウィルはリックとキムの間に身体を挟む。会えたのがよほど嬉しいのか、しかめっ面のまま機嫌が屈折している。

「数日前の話だが、ロスの外れにある大きな屋敷に行ったか?」

 ウィルが掲げた年季の入ったメモ帳には、言い逃れのできない住所が書いてある。紛れもなく、便利屋としてリックが足を踏み入れた屋敷だ。

「行ったよ。仕事の依頼があった」

「何の依頼だ?」

「家の電球の交換と、掃除の依頼。キッチンの掃除を頼まれたんだ」

「具体的に教えてくれ」

「メールでは簡易の内容だったけど、行ったら竈の掃除を頼まれた」

 二人の刑事はシンクロしたように、眉間に溝ができる。

「何か妙なことを感じなかったか?」

「妙? 汚れていたとか?」

「まあ……そうだ」

 ウィルは煮え切らない態度で、一瞬だけ視線を逸らす。

「老夫婦ふたりなら掃除だって行き届かないだろ」

「ふたり?」

 ウィルの片方の眉が上がる。

「ふたりいたのか?」

「いや。いたのはおばあさんだけだ。旦那とふたりで住んでいるって言ってたな」

「ってことは、見てないんだな?」

「ああ。何か事件でもあったのか?」

「ちょっとな。家主が行方不明になってる。」

「いつ?」

「分からんが、匿名の電話が来たんだ」

「僕が仕事を引き受けたのは三日前だ。メールも残ってるよ。確実におばあさんに会ってる」

「一応、見せてもらえるか」

 さらに間に入ってきたのはキム刑事だ。閉鎖は許さないとばかりに片足を建物の中に入れ、圧力をかける。締め出してやりたい。

 リックは持ち出し禁止を条件にパソコンを開き、彼らに老夫婦から来たメールを見せた。

「念のため言うけど、彼らと会ったのは初めてだし怨みも何もないよ」

「分かってる。あまりそういうことを口にすると、かえって嘘臭く感じる」

「チップもスイーツもたんまりもらったし、怨恨どころか感謝しかない」

「スイーツ?」

「クッキーをもらったんだ」

「あるのか?」

「あるよ。まだ残ってる」

 冷蔵庫に入れっぱなしのクッキーの隣には、スミレからもらったレモンパイもまだある。いい加減食さなくては、最終地点はゴミ箱だ。

「ほら」

「もらっていいか?」

「そんなに食べたかったのか。良ければレモンパイもつけようか? 僕の母親の手作りだ」

「受け取ろう」

 クッキーを、とご丁寧に付け足し、ウィルが手を伸ばすより先にキムが取る方が早かった。

 ウィルはクッキーの袋をじっと見つめ、口を噤む。そんなに腹が減ったのかと軽口を叩ける雰囲気でもなく、リックも質問されるがままに答えていく。

 掃除に関してや、老婆の様子の詳細を伝えると、二人は帰っていった。

 仕事の依頼をまとめていると、またもやインターホンが鳴る。今日はよく客の来る日だ。今朝の同じ客が、ネクタイをしっかりしめたスーツ姿で立っている。服の上からでも、図体の良さがはっきりしている。

「ずっと家にいたのか?」

「メールをまとめてたんだ」

「入っていいか?」

 コーヒー、と一言漏らして勝手気ままに上がろうとしていた男が、今日は不自然に感じられた。なぜわざわざ聞いてきたのか。

 リックはドアを開け、ロサンゼルス刑事を招く。

 ウィルは紙袋をテーブルに置き、呟いた。「コーヒー」。

 熱めのコーヒーをふたつ、片方にミルクを入れてリビングに持って行くと、ソファーに座るウィルの格好がいやに緊張感が漂っている。リラックスしていないというか、背筋が伸びてまだ刑事の顔から抜けきれていない。

「目の前に殺し屋がいるような顔をしているね。あいにく僕は便利屋だよ」

「話は食ってからがいいか? それとも前がいいか?」

「嫌な話は先に処分しよう」

「単刀直入に聞く。お前が掃除した竈に、何か異物が混じってなかったか?」

「それってどういう……まさか人とか言わないよな?」

「骨とか」

「言い方変えただけだろう……、」

 リックの顔色が変わったのを、ウィルは見逃さなかった。

「心当たりが?」

「……最初はなんでこんなに異臭がするんだって思った。煤も多くて、掃除が行き届いていなすぎた。おい、まさかクッキーも……」

「あのクッキーは手作りじゃない。多分」

「なんで分かる? 彼女は手作りだって……」

「市販で売っているクッキーをお前に渡しただけだ。俺は似たクッキーを見たことがある」

「さすが甘党。信じたいけど本当だろうな? 僕に気遣いはなしだ」

「骨の味はしたか?」

「美味しいクッキーだったよ」

「なら大丈夫だ。問題ない。ただ念のため、調べたいだけだ。表面に付着したものとか、な」

 リックは盛大に息を吐いた。残念ながら消化された今では、何もできることはない。

 ウィルは二段の分厚いハンバーガー、リックには野菜がたっぷり入ったハンバーガーを買ってきた。それとフレンチフライズ。熱々のコーヒー。謎深い話を聞いた後では、半分も食べられなかったが。

「三日前に僕が公園でランチをしていたら、前を通ったよな? この事件のことか?」

「……………………」

「だんまりはなしだ。僕の持ってる情報は渡したんだぞ」

「お前の言う通りだ。匿名の電話が入ったのが三日前。お前が仕事を受けたのも三日前。だがな……」

「歯切れが悪いな」

「はっきりしないんだよ。タイミングが良すぎる」

「そうだね。まるで僕に罪をなすりつけているみたいだ」

 ハンバーガーを包んでいた紙がぐしゃりと潰れる。ウィルは食べ方が綺麗でスピードも早い。両方をある程度の域に達している人は初めて見た。

 リックのハンバーガーは半分ほど包まれたままだ。テーブルに残る食べかけを押しやると、ウィルは一瞥し、包みを開けた。

「なぜ僕だったんだろう」

「お前の経歴に、探偵歴があると書いてないだろ? 登録したばかりの新人の便利屋だ。余計なものを押しつけるにはちょうどいい」

「次からは書くことにするよ」

「そうしてくれ。難易度の高い仕事を頼まれそうだけどな」

 ウィルは二枚の包み紙を潰し、紙袋に押し込む。リックの入れたコーヒーを飲むと、温くなったのか喉を鳴らして二口ほど一気に流した。

「こちらから質問はしていいか?」

「…………なんだ」

 顔が引き締まる彼に、リックはしてやったりと笑ってみせる。

「レモンパイを食べる余裕はある?」

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