金華猫の誘い その三

 一九一八年一二月 宮森の下宿先





 両センセーのげんに忍びない現実を突き付けられ、談話室チャットルームには僅かに悲壮感が漂い始める。

 しかし、明日二郎センセーは構わずに講義を続けた。


『ではミヤモリ君、道祖神の役割を述べたまえ』


『これまでの講義に基づくと、疫病の侵入を防ぐなどの役割は嘘だな。

 とすると、邪霊を呼び込んだり、邪念を儀式場へと誘導するのが本来の役割だと思う。

 どうでしょうか、明日二郎センセー?』


『正解。

 流石は伝承学者をこころざすだけはあるな。

 で、この土地に張る結界にはもう一つのタイプが在る。

 ヒントは自然に邪念が溜まってしまう場所だ。

 当ててみたまえ、ミヤモリ君』


『自然に邪念が溜まってしまう場所と云えば、戦場、古戦場、刑場。

 後は、邪念の質が違うのかも知れないけど、貧民窟ひんみんくつ岡場所おかばしょ花街はなまちたぐいも当てまるんじゃないか?』


『おお~、ミヤモリ君大正解~。

 お前さんが悪所に寄りたがらないのも、霊的本能が邪念を避けているからかも知れんな。

 先程あげて貰った場所にも邪念は多く集まるから、魔術師達も頻繁に出入りして結界として利用しているぞ』


『段々と解って来たぞ明日二郎センセー。

 遊里ゆうりについては、当時の住宅街から離れた場所や、水はけの悪い土地を埋め立てて造成されている場合が多い。

 周囲も塀や堀で囲ってあるし、出入り時も橋を渡ったり門をくぐったりして、何らかの境界を越えなければならないね。

 これは神社の立地とも一致する』


 徐々に学究的アカデミックな要素も講義に絡んで来た。


 今日一郎も示唆しさに富む情報を開示する。


芳原遊郭よしわらゆうかくについてだけど、恵土えどで起こった盟暦めいれき大火たいか後に造られた新芳原しんよしわらって在るだろ。

 そこの建設工事を指揮したのが実は陰陽師で、実際に建設工事を担ったのは町民ではなく、特定職能民達だった。

 そして、新芳原の大門おおもんに通じる五十間道ごじゅっけんどうの不自然な曲がり方といい、大門手前とくるわ内の四隅よすみに配置された神社で五芒星をかたどっている事といい、確実に魔術の儀式場だ』


『なんだってー⁉

 済まない、つい興奮してしまった。

 すると、新芳原を造ったのは魔術師……。

 もしかして盟暦の大火って、新芳原と云う儀式場を新たに造る為に引き起こされたのか⁈

 と云う事は、新芳原内で数多く発生した火災も……』


 宮森の問いに、今日一郎は今日一番の暗さを覗かせてうなずいた。


『恐らくはそうだと思う。

 儀式と云えば、寺社の境内けいだいや山中、洞窟、地下など、普段は人気ひとけが無く、邪魔が入りにくい場所で行なうのが通例だ。

 でも、芳原の場合は逆だね』


『周囲を塀や堀で囲まれた人口密集地での儀式……。

 そうだ! 盟暦の大火が起こり元芳原もとよしわらから新芳原へと移転する際、当時の北町奉行が便宜べんぎを図っているな。

 確か……周辺で起きた火事への対応免除、だった筈。

 この制度は、芳原周辺で火事が起こっても芳原側は手伝わなくて良いが、逆に芳原で火事が発生した場合に、周りからの援助が一切得られない事を意味するものだ。

 その結果芳原全焼が多発……。

 郭内の遊女を始めとして、多くの人達が亡くなっている。

 いま考えると、明らかに生贄儀式だな』


『僕もそう思うよ。

 少なくともこの頃にはもう、都市市民を生贄とした儀式が定期的に行なわれていた事になる。

 宮森さん、矢張やはり巫女と遊女は同質のものなのかい?』


『今日一郎の推察通りだよ。

 神殿娼婦しんでんしょうふ、なる言葉も在るぐらいだ。

 神社の巫女による貴人への性接待は古代から存在していたし、巫女は性的絶頂を経て変性意識状態に至る。

 霊的資質はどうであれ、遊女も一種の巫覡ふげきとして機能していた。

 遊郭の場合は、させられていた……かな』


[註*巫覡ふげき=神官やその身に神おろしをする者、所謂いわゆるシャーマン。

 は女性、げきは男性を表す]


 ここで、明日二郎が怪訝けげんな思念を発し会話に割り込む。


『……だとすると、ナルトデラの野郎が言っていた帝都全土を標的とした厄災は、芳原炎上どころじゃ済みそーにねーな』


『だから宮森さんには一刻も早く断界術を極めて貰い、帝都を守って貰わないといけないね』


『今日一郎センセー、精神的圧迫が凄いんですけど……』


 今日一郎の宮森に対する期待がモロに伝わった所で、明日二郎が講義を再開する。


『おーし、続き行くぞー。

 ではミヤモリ君、芳原のような造っちゃー壊しタイプの結界を破るには、どうしたら良いか判るかね?』


『芳原遊郭の例だと、火災を利用しての人民殺害と被災による邪念集積が目的だろうから、生贄にされる予定の人々を外に逃がすのが効果的だと思う。

 まあ、結界を破ると云うよりも被害を抑えると表現した方が正しいかな。

 火災が発生する前に止めるのが一番いいんだろうけど……』


『いいぞいいぞ~、解って来たではないか。

 じゃあ、神社仏閣、禁足地タイプの結界はどう破る?』


『え~と、注連縄や関守石は単なる目印だから、破壊しても実質的な効果はほとんど得られないと思う。

 後は、儀式場そのものを見つけ出して荒らす、とかかな。

 道祖神なら壊すとか。

 さっき言っていた念動術だっけ、それを使えば石なんかも割る事が出来るんだろ?

 移動させるだけでも、術式の妨害にはなる』


『そうそう、それでいい。

 凶大な邪霊を召喚する結界ほど、些細な妨害でその効力が大幅に減衰するからな。

 但しこのタイプは、土地に邪念を集めて一時的に邪神やその眷属の力を利用する。

 結界を完全に破壊するには、大抵の場合儀式場まで乗り込まなければならん。

 儀式場に術者がおらず邪霊が呼び出されていないか、儀式から日にちが経ち過ぎて邪霊の力が消え掛かっている等の場合は楽勝だ。

 反対に、邪霊の力が衰えてなかったり術者が結界内に居る場合は厄介になる』


『明日二郎センセー、その場合どうやって結界を破るんだ?』


『術者が邪霊を召喚していないのであれば、術者との直接対決だろうよ。

 もし邪霊が召喚されていたなら、最悪の場合邪霊と術者を同時に相手取るコトも有り得る』


『そ、そんな事この自分に出来るのか?

 なんか怖くなって来たぞ……』


 明らかに怖がり始めた宮森が滑稽こっけいだったのか、今日一郎が唐突になだめる。


『そんなに怖がる事じゃないよ、宮森さん。

 大それた儀式なんてそう出来るものじゃない。

 よしんば邪霊の召喚が成されていたとしても、依代よりしろとなる存在を無害化したり、結界内に流れ込む邪念を断てば邪霊は力を失う。

 そしたらさっさと逃げればいいんだ。

 凶大な邪霊の召喚には霊力を大量に消費するし、結界の完成には星辰せいしんの位置や正確な時刻が必須だからね。

 ずれれば儀式そのものが失敗となるし、術者本人にも反動が有る。

 儀式失敗の後、術者本人がしつこく追って来る事は先ず無い』


『でも今日一郎、大それた儀式の場合は術者が複数いるよね……』


『いるよ』

『いるぞ』


『自分らが結界内に侵入したとして、こっちが逃げたら向うも追って来るよね』


『来るだろうね』

『来るだろうな』


『やっぱり駄目じゃないか~。

 自分足遅いんで、逃げ切る自信なんて無いぞ……』


『大丈夫だよ宮森さん。

 さっき明日二郎が、宮森さんに似合いの方法も有るからって言ってただろ。

 それもおいおい教えるから。

 じゃあ、今日はこの辺で失礼するよ。

 宮森さんに明日二郎も、おやすみ』


『ああ、お休み今日一郎』


『オヤスミオニイチャン。

 じゃ、回線閉じまーす……』


 明日二郎が精神感応送信網テレパシックネットワークを遮断し、今日一郎の思念が消えた。

 だが宮森の脳内では、ウキウキしっぱなしの明日二郎がその体躯たいくもだえさせている。


『オデカケ、オデカケ~♪

 ドコ連れてって貰おっかな~♪

 ナニ食べよっかな~♪』


 本当に修業をやり遂げる事が出来るのか、明日二郎の浮かれ具合を見て、うれいをつのらせる宮森であった――。





                 金華猫の誘い その三 了

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