異魚 ――綾―― その二

 一九一八年 一一月 帝居地下 神殿外郭部 管制室





 本日のものを含めた一連の儀式で綾が懐妊する、と云う衝撃の特種スクープが草野少佐よりもたらされる。

 だが宮森は言葉を受け止めきれず、ぽかんとした表情を晒すばかりだ。


⦅言っている事がおかしいぞ。

 瑠璃家宮は婚約さえもしていない筈だ。

 それに、今日の儀式で懐妊する?

 確かに瑠璃家宮とあの娘は事に及んでいた様だが、何故懐妊するとまで言い切れる?⦆


 上手く意味を咀嚼そしゃく出来なかった宮森が、草野へと問いを発した。


「草野少佐、そっ、それは一体、いっ、いかなる事なのでしょうかっ?」


「理解し辛いのも無理はない。

 私から説明しよう」


 今度は多野教授の方から切り出した。


「この国を御造りなされた祖神おやがみ

その子孫にあらせられるのが、ここにおられる殿下を始めとする太帝一族である事は君も知っていよう。

 御伽おとぎ話の類を指しているのではないぞ、事実だ。

 我々が今いる巨大な地下空間や神殿の様相を見ただろう。

 圧倒的な科学力だと思わんかね?

 太帝一族の祖神はこの科学力をもって太古の地上を統治されていたのだよ。

 論文まで上梓じょうしした君には覚えが有る筈だ」


「……ムーとアトランティス、ですね」


 専門分野の話になり、宮森も落ち着いて来た。


「左様。

 しかし残念乍ら今から約一万二千年前、当時の太帝に反旗をひるがえしたアトランティス勢力との全面戦争で地上は荒廃。

 多くの臣民も失われ、太帝一族もその大半が亡くなられた。

 しかし、生き残られた太帝一族は残った臣民と共に地上の再建に取り組まれたのだ。

 その痕跡は今も世界各地に残っておる」


 二人の会話に蔵主社長が横槍を入れて来た。


「でも戦争の所為でぇ、ムー帝国時代の科学技術の大半が失われてしまったんですよねぇ。

 それにアトランティスの奴らも全滅と云う訳には行かずぅ、今もなお世界の脅威として居残っているという訳でしてぇ」


 宮森が蔵主に問う。


「と云う事は、今もアトランティス勢力とは戦争状態にあると云う事でしょうか?」


「まぁ、そういうコトですぅ。

 正確には休戦状態ぃ?

 で良かったですかね教授ぅ?」


「いかにも。

 代々の太帝一族がこの国を中心として世界の再建に取り組まれるかたわら、奴らも失われた古代の科学技術を復活させ、我々ムー帝国の末裔に取って代わり世界を支配するべく尽力しておった。

 それにこちら側も技術や国力を蓄え切れぬまま全面戦争に突入してしまば、ムー帝国の再来たるこの大日本帝国が敗れる事はないにせよ、今まで成されて来た世界の再建が大幅にとどこおる事にもなりかねん。

 そうなってしまっては意味がない。

 確実に勝てる目算が立つ迄は、力を温存する事としたのだ」


「では、その目算が立ちそうだと?」


「そうだ。

 その為には君の力添えが必要と判断した」


「一体自分に何をしろと言うのです?」


「君は我々がひた隠しにして来たムー・アトランティス時代の実在にぎ着けた事に加え、極めて高い霊的資質を持っている事が調査の末に判明した。

 宮司殿の呼び出したモノを認識出来ていたのも知っている。

 これから来るアトランティスとの戦いに置いて決め手となるのは、霊的資質の高い者をどれだけ抱えているかにかっているのだよ」


「そのアトランティスとの戦いとやらに自分の力がどう役に立つのかは解りませんが、買い被りではないですか?

 それに先の清国、ロシアとの戦争、片付いたばかりのヨーロッパでの大戦は、そのアトランティスとの戦いとどう関係が有るのです?」


 宮森は多野との会話に出て来た調という言葉に反応し、急速に不信感を抱いた。


 これ以上多野に話させては宮森が強硬な姿勢を取ると読んだのか、ここで草野が口を開く。


「はは。

 それは私から説明しよう。

 清国、ロシアとの戦争、ヨーロッパでの大戦は、来たるべき決戦の余興に過ぎない」


「余興、ですか?」


「ああ。

 我らがムー陣営とアトランティス陣営あちらさんの小手調べと云った所でね。

 お互い手の内を探り合っていたのだよ。

 それだけじゃない。

 ムー陣営我々に付くかアトランティス陣営あちらさんに付くか決めかねている国や派閥にも力を見せ付け、どちらに付いた方が得か知らしめておかねばならんのでね。

 デモンストレーション、日本語訳だと……実物宣伝か。

 まあ、その様なものだよ」


 この男達は無辜むこの民の命など眼中にないらしい。

 残念乍ら、九頭竜会にはこの様なやから跋扈ばっこしていた。


「私は自分の学問を究める為にこの九頭竜会に入会したのです。

 どんな使われ方をするのかは解りませんが、戦争に直接加担するのは御免ごめんこうむります!」


 何時もは気弱な所が目立つ宮森であるが、霊感の目覚めも関係しているのかこの時ばかりは義憤ぎふんに駆られ言い返してしまった。


 この物言いに対して多野が激怒する。


「こ奴めが調子に乗りおって!

 殿下の頼みをね付けるなど言語道断!

 貴様がここまでへそ曲がりだとは思わなんだ。

 まあ、一応は言っておいてやろう。

 もし断れば……死が生ぬるく感ずる程の惨苦に叩き込んでくれるわ!」


 怒り心頭の多野から発せられた明確な脅しに、宮森の心身はおろか霊感までもが身構えてしまう。


「これ、多野教授。

 あまりいじめてやるな。

 あの者が怖がる。

 これから勤めにはげんで貰わねばならぬのに、臍を曲げられでもしたらどうするのだ?」


 意外にも瑠璃家宮が多野をいさめる。

 だが、その態度と表情には尊大の音色と嘲笑ちょうしょうの香りが付きまとっていた。

 下民である宮森には、断る権利などない事が分かっているのである。


「しかし殿下! こ奴めは……」


 瑠璃家宮が右手を挙げて多野を制し言葉を続ける。


「良い。

 宮森と云ったか、其方にはの方から説明する。

 教授らの発言に有る通り、我らムーとアトランティスは地上の覇権を賭けて争い続けて来た。

 その戦いを終わらせる目処めどようやく立ちそうなのだよ。

 その鍵となるのが、余の妻である綾と綾が産むであろう余の子だ」


「あっ、綾様と、殿下の御子おこが、鍵?

 先程、草野少佐が綾様は懐妊される、と申されましたが……」


「そう、その為にあの様な大々的な儀式を行ったのだ。

 其方にもアレが視えたのであろう?

 あの宮司殿は良い働きをしてくれた。

 そこで其方には、遠からず生誕を迎える余の子を育てて貰いたい」


「殿下、い、一体それはどう云う事なのでしょうか?

 私には、殿下の御言葉の意味が、解りかねますっ」


 当然、宮森の頭の中は迷走した。


「余の子はのだよ……。

 ……そろそろか。

 集音器と拡声器を作動させろ。

 明かりを灯せ」


 研究員達が指示を受け集合装置を操作する。


「集音器と拡声器、共に作動しました」


「投光器、点灯完了しました」


 瑠璃家宮の言葉に反応した宮森はブラウン管ディスプレイに目を向ける。

 そこには、海水を注入され暗く沈んだ神殿区画だけが映っていた。


⦅綾が居ない、まさか溺れたのか?⦆


「そっちじゃありませんよ宮森さぁん。

 硝子窓の方ですぅ。

 まぁ~、普通の硝子じゃないんですけどねぇ~」


 蔵主のねちっこい声でき立てられ、宮森は急いでオペラグラスを取り出す。

 窓外に設置されている照明の御蔭で、水中でもある程度は視界が確保されていた。


 明かりが灯された窓外に何か浮かんでいる。

 ひらひらと水中をただよっているそれは、綾が身に着けていたワンピースドレスであった。


 中身はない。



 宮森はオペラグラス越しにあちこちを見回してみる。


 奥の方に何か浮かんでいる。


 ひらひらと水中を漂っている。


 天女てんにょ羽衣はごろもひるがえる。


 室内の拡声器から音が漏れる。


 天女がこちらに向かってささめいている。


 羽衣と天女が共に舞っている。


 得意げに宙返りなどをして見せている。


 声が耳ではなく脳中のうちゅうに入り込んで来る。


 ウタを歌っている。


 段々と硝子ガラス窓に近付く。


 宮森の精神こころにさえも近付く。


 ウタゴエが広がる。


 身魂しんこんの隅々にまで満ち満ちる。


 アレは――


 神話や伝説や御伽おとぎ話の中でのみ存在を許される筈のモノ。


 ソレは――


 きずをつけひびをいれすきをぬって獲物に這い込もうとするモノ。


 コレは――



異魚にんぎょ〉だ――。





                異魚 ――綾―― その二 了

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