異魚 ――綾―― その三
一九一八年 一一月 帝居地下 神殿外郭部 管制室
◇
「お兄様~、お~い!」
既に海中となった窓外からは、〈
儀式で変容した直後に見せた忌まわしさは鳴りを潜め、屈託のない笑顔と仕草を見せている。
そこだけを見れば年頃の娘にしか見えない。
だが、〈
手指の間には
[註*
胸郭には一対の大きな裂け目。
そこから覗く赤い器官は、水中での呼吸を可能にする
背中には
両脚は膝上あたりで結合し、膝下から足先までは一体化していた。
足先は四つ
その尾鰭こそが、天女の羽衣の正体であった。
〈
〈
⦅御殿での嬌声
伝説にある、水夫を誘う人魚の歌声の正体はこれか……⦆
薄い血管の筋が入った膜が眼球を覆っている。
〈
瑠璃家宮が彼の取り巻きと喋ってばかりいるので、綾はいい加減退屈していた。
だが、
自分の身体を一心に見
試しに手を振ってみたが反応しない。
気付いてはいる様なのだが、綾とは目を合わせ様としないのだ。
「ねえ、貴方は誰?
お役人さん? それとも研究所の人?」
青年に話し掛けたが返事はない。
綾は無視されたのが
明かりの範囲から外れても少し暗く感じる程度で、綾の方からは問題なく青年を視認出来る。
しかし向こう側からは全く見えなくなるのか、青年はかなり慌てているらしい。
余り意地悪するのも悪いと思い、綾は明かりの許へと戻ってみる。
〈
一瞬肝を冷やしたが、直ぐに〈
慌てていた所為か、宮森もつい目を合わせてしまった。
瑠璃家宮の前と云う事もあり、この時ばかりは宮森も〈
どうしても、彼女が異形に変容してしまう前の面影を想像してしまう。
⦅彼女の中に巣食っている筈の忌まわしいモノは、一体何処へ行ったのだろうか。
眠っている……いや、門前での儀式で娘の人格と云うよりは霊格、霊魂とでも呼ぶべきモノが萎れ
肉体も抜け殻同然だった筈。
では、今まるで年頃の娘の様に振る舞っている彼女は……⦆
「
「はは。
憑かれた様に綾様を観ている」
「さっきまではあんな
「興味が湧くと周りなど気にならんか。
あ奴らしい」
瑠璃家宮、草野少佐、蔵主社長、多野教授は、宮森の無我夢中振りを見物し乍ら歓談を続ける。
「それにしても今回は上手く行きましたねぇ~、殿下ぁ」
「これも宮司殿の才の
「私共の時とは定着率がまるで違いますな。
〖
「はは。
教授の言う通りです。
先代には申し訳ないが、あの方の力は突出している。
「それにしても教授ぅ、宮司殿が招かれた弟君はどうなるのでぇ?」
蔵主が口にした『
「うむ。
本来ならば直ぐにでも御隠れになる筈だ。
だが、綾様の様に物質として顕現されているのではないからな、
殿下、どうなさいますか?」
「云う迄もない。
直ぐにでも実行に移せ」
目覚めた霊感の助けもあってか、悪人一同の交わす会話を一言一句憶える事が出来る。
⦅会話の内容によると、奴ら九頭竜会は
そしてそれは直ぐにでも実行出来るらしい。
あの宮司の事もある。
この機会になるだけ多くの情報を仕入れたい……⦆
宮森の立てる聞き耳に気付かず、話に花を咲かせる四悪人達。
「……ですねぇ。
平民どもの苦しがる姿が目に浮かぶなあぁ」
「まったくですな。
蔵主さんも更に一儲け出来そうで……。
宮森君、君は何時まで綾様を眺めている積もりかね?
殿下の前で不謹慎であるぞ」
「もっ、申し訳御座いません。
集中してしまうと、周りが見えなくなる
「ふふっ。
一国の皇太子と国の重鎮達を揃って周り呼ばわりか。
其方は中々に肝が据わっているな」
「もっ、申し訳御座いません。
高貴な方々と御話をさせて頂く機会などっ、これ迄になかったものですから……」
「よい。
綾も其方の事が気に入った様だ。
綾が余の子を産むのは少しばかり先の事だが、その際は存分に励め」
「そっ、その様な御言葉を
宮森は平身低頭し乍らも、心にもない
何故なのかは解らないが、瑠璃家宮達の悪意を
怒りも湧くと同時に頭も冴えて来る。
その様な思いを抱き、宮森は形ばかりの恐縮を続けた。
「では殿下、今日はこのくらいで
宮森君、来たまえ」
「でっ、殿下、草野少佐、蔵主社長、宮森もこれで失礼致しますっ……」
多野が宮森を連れ引き上げ様としたその時、宮森は不意に〈
そこには、先程まで見せていた屈託のない笑顔と仕草は
既に、忌まわしいモノが舞い戻っていたのだ。
あどけない邪気で彩られた嬌笑を浮かべ、
瞬膜に覆われた瞳で
聞く者の理性を
甘美だが有害なウタを垂れ流す。
――
好物を口に運ぶ前の、子供の様に。
――〈
虫けらを
――――。
◇
異魚 ――綾―― その三 了
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