第七節 邪神の胎動 結び

邪神の胎動 結び

 一九一八年 一一月 宮森の自室





 昨日、多野教授と共に帝居地下から引きげた際、今日は自宅待機するよう宮森は命じられた。

 次に帝居地下へと出向くのは明日になる。


 宮森の心はあの儀式での恐怖と嫌悪の所為で未だに雁字搦がんじがらめのままだ。

 又、自分の見識不足と突如として芽生えた霊感の御蔭おかげで頭の方も茫々ぼうぼうたる不安に絡み付かれている。


 彼は僅かなりとも落ち着こうと、煙草に火を付け……煙草を切らした事に気付いた。


⦅まだ買い置きの残りが有ったと思ったが……ないんなら仕方ない⦆


 彼は仕方なく下宿を出て近所の煙草屋へと向かった。

 何時ものように〘ゴールデンハット〙を一カートン購入し、人っ子一人見当たらない帰り道を戻る。


[註*ゴールデンハット=煙草の銘柄めいがら(作中での設定)]


「ねえ、お兄さん。

 そこのゴールデンハット持ってるメガネのお兄さん」


 子供の声で呼ばれた事に気付き、誰もいなかった筈だと思い乍らも宮森は道を振り返った。

 そこには五、六歳ぐらいの幼い男児が立っており、じっと彼を見詰めている。


⦅誰もいない筈だと思ったのだが、落とし物でもしたかな⦆


「坊や、自分に何か用かい?」


 男児との目線を合わせる為にその場でしゃがみ込むと、宮森は改めて男児の顔を見る。


 ――⁈


 その瞬間、宮森は余りの衝撃に戦慄わなないた。


 忘れる事など出来ない。

 思い出す迄もない。


⦅この子は、この顔……は、あの、!⦆


「ゴールデンハットのお兄さん、タバコ好きでしょ。

 マッチ持ってるからあげる♪」


 宮司と同じ顔の男児から燐寸マッチ箱を手渡される。


 こうして見る限りは普通の子供だ。

 他人の空似そらになのだろうかと宮森は思い掛ける。


「あ、ありがとう……」


 礼を言ったは良いが、対峙した男児から宮森は眼を逸らせない。


 そして、にわかに男児の雰囲気が変わった。


はまだ鳴らない。

 貴方あなたにはこの意味が解る筈だ」


「ちょ、一寸待ってくれ、坊やはもしかして神殿のぐう……」


 子供とは思えぬ泰然たいぜんとした態度で宮森のげんを遮る男児。

 これまた子供とは思えぬ程の鋭い口調で切り出した。


「それ以上は口にしない方がいい。

 部屋へ戻り次第、直ぐに燐寸マッチ箱を開け。

 頼んだよお兄さん、じゃあねー♪」


 喋っている間に元の子供らしい雰囲気に逆戻りした男児は、唖然とした表情の宮森の許を走り去って行った。


 宮森の雁字搦めにされた心は未だそのままだったが、あの男児がほのめかした事象により不安に絡みつかれた頭にはくさびが撃ち込まれた。


⦅あの男児、宮司が語った『ちょうげいしはまだ鳴らない』と云う言葉。

 舞楽の退出楽曲である長慶子ちょうげいしは、未だ演奏されていないと云う事……⦆


 まだ舞楽は終演していない。


 それが意味するところ


 あの忌まわしい儀式は、未だ続いていると云う事だ――。





 下宿の自室に戻った宮森。

 彼は煙草を吸いたかった事すら忘れ、文机ふづくえの上に置いてある燐寸マッチ箱を穴が空きそうな程にこれでもかと見詰めている。


⦅『部屋へ戻り次第、直ぐに燐寸マッチ箱を開け』と、あの子供は言っていたが、儀式の情景が頭の中に蘇って来て中々りが付かない⦆


 宮森は暫く燐寸マッチ箱を見詰め……


『オイ、何時まで迷ってんだ。

 早く開けろ!』


燐寸マッチ箱が喋った⁉⦆


 宮森はびくりと身体を震わせ文机から退しさる。

 燐寸マッチ箱が更にまくし立てて来た。


『お前がマッチ箱開けねーと、オニイチャンと会話させらんねーだろ!』


 頭の中に直接声が響いて来る。

 子供っぽい声色こわいろではあるが、宮森の霊感は声の異質さを見抜いた。


⦅声から悪意は感じとれないが、このまま燐寸マッチ箱を開けて良いものだろうか。

 だが、尻込しりごみしていても始まらない……。

 え~い、ままよ!⦆


 宮森は決心して燐寸マッチ箱を開いた。


 燐寸マッチ箱を開けた途端に漂い始めたのは、儀式の時に嗅いだ悪臭である。

 彼は悪臭に耐え乍ら、燐寸マッチ箱の中身を恐る恐る覗き見た……。


『んおっ!

 やっとこさ開けてくれたか~、やれやれだぜ……』


 そこに居たのは、イボトビムシと竈馬を合体させた様な外形シルエットで、ゼラチン質の体表全体に眼球が植わっている……化け物弟君だった。

 儀式で視た時と比べると燐寸マッチ寸法サイズにまで縮んではいるが、造形は細部ディテールまで正確である。


『よしっ、ちゃっちゃと要件済ますぞ~。

 うんしょっと!』


化け物弟君は宮森にそんな思念を送った後、体節をびくびく震わせていきみ始めた。

 すると、体節上部より勢い良く『びゅるっ』と何かが顔を出す。


 顔を出したのは、赤い目をして顎のない……宮司と同じカオだった。


 様子を間近で視てしまった宮森は……。


「く、臭いッ……き、ぎもぢヴぁ…………!」


 文机の上に盛大にぶちまけた――。





                   邪神の胎動 結び 了

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