禁断の舞楽 その三

 一九一八年 一一月 帝居地下 神殿内部





 又もや宮森の常識をくつがえす事態が起こっていた。


 舞台中央には今尚、宙に浮いた剣を中心に虹色の球体群が柱を形成している。

 その最中さなか、舞人である筈の宮司が虹色の球体群から出現した化け物の胸脚を牽き、共に楽屋へと入って行ったのだ。


 おきて破りもはなはだしい、と一旦はそう思い掛ける宮森。

 だが彼自身の、と云うより世間一般の常識や伝わっている歴史の方が為政者側の都合に合わせて隠蔽、改竄、捏造が成されて来た偽物であった。


 宮森は屈辱の心持ちで楽屋を見詰める。


 宮司は楽屋中程に配置してある楽琵琶のもとに腰を下ろし、楽琵琶に収納してあるばちを取り出して調弦ちょうげんを始めた。


 追随ついずいして来た化け物は、観覧席から見て楽筝の左側に腹這いになる。


 胸脚のある上体の一部だけを反らし、楽筝に対して斜めに構えた。

 生田流いくたりゅうである。


[註*生田流いくたりゅう箏曲そうきょくの流派の一つ]


⦅まさか、あの化け物が楽筝を演奏するのか?⦆


 更なる掟破りで、宮森の顔には苦笑いの表情が張り付く。


 化け物は胸脚が三対あり、先端部は人間ヒトの指に近い形状をしていた。

 だが、化け物の胸脚は楽筝に対し明らかに寸足すんたらずである。

 あれでは手前の絃までしか届かず、楽筝の演奏は出来そうにない。


 宮森が注視していると、化け物のゼラチン質の体節が蠕動ぜんどうし、下半身の体組織が胸脚まで押し出されて来た。


 その結果胸脚とその先端にある指状器官がその分伸長し、楽筝を演奏するのに充分な長さを備えるに至る。

 そればかりか右手指状器官の親指、人差し指、中指の腹が硬質化し、長方形の箏爪ことづめまで形成した。


 箏爪の形状まで生田流。

 しかも、右胸脚右手三腕とも全てである。

 この化け物はとことん演奏するやる気なのだ。


 観覧席では会員達の大部分がまだ悪臭に悩まされているらしく、不幸にも吐袋が満タンになってしまった者は案内係に使を渡し、新たな装備で第二波の到来に備えている。


 宮司が撥を再び楽琵琶に戻した。

 調弦が済んだ合図。


 今や管方でもある宮司に吹物と打物うちものを担当する管方達が注目した。


 化け物に顔は見当たらないが、体表に植わっている全ての眼球が隣の宮司へと向いている。

 とはまさにこの事であろうか。


 宮司が羯鼓奏者に目配せする。

 羯鼓奏者がばちを取る。

 笙の奏者は火鉢で温めていた笙を構える。


 笙の幽玄な音色が舞台を包み始め、演目が開始された――。





 舞台上に舞人が不在のまま、宮司も管方として楽琵琶を演奏している。

 化け物も楽筝の演奏にいそしんでいた。


 音が小さい筈の絃楽器も、が演奏すると何故かはっきりと聞こえる。

 それは無理矢理にでも鼓膜を振動させてやろうと云う、厳然たる悪意の結果として宮森には感じられた。


 くだんの化け物は三本の右胸脚右手を最大限に活用して演奏している為、人間ヒトには到底不可能な超絶技巧ちょうぜつぎこうになってしまっている。

 だが霊感の乏しい者には化け物が楽筝を爪弾つまびく姿が視えず、独りでに鳴っている様にしか視えていない。


 その不可視の管方が巻き起こす超絶技巧は、霊感に乏しい会員達に明らかな混乱をもたらしていた。


 羯鼓かっこが小刻みに打ち鳴らす律動リズムに呼応して、えらくたかぶる者がいる。


 あの娘だ。

 隣りの瑠璃家宮に何かを訴える様な視線を投げ掛ける。


 瑠璃家宮は何もかも解ったかの様な顔で頷き、二人で舞台へと上がった。


 今度の演目はこの二人が舞人の様である。


 二人が舞台に上がってしまったので、殆どの会員達は混乱の度合いを深めていた。


 その中にあって多野教授、草野少佐、蔵主社長の三人は、を懐かしむかの様に顔をほころばせている。


 宮森の席からは三人の表情は窺えない。

 だが彼の霊感は、三人の邪悪な精神が喜びに満ちて行く様を有り有りと感じ取っていた。


 舞台上では瑠璃家宮と娘が楽屋側の階段まで歩き、観覧席側に振り返って剣の前に並び立つ。


 瑠璃家宮と娘、二人の洋装は凄まじく場違いであるが、二人に文句を言える者など当代の太帝を除いてはこの国に存在しない。


 化け物は生意気な事に、右胸脚右手全てを鶏足けいそくの形にして時機タイミングを計っている。


[註*鶏足けいそく=楽筝の演奏時、手を休ませている時の指の形態フォーム

 にわとりの足に似ている事からそう名付けられた]



 舞人達二人二度ふたたび視線を交わす。


 宮司が撥をき下ろす。


 化け物は鶏足を一斉に解く。


 曲調が異界化する変わる


 楽器それぞれの奏でる音がずれて行く。


 怪しく不穏な響きに変わる。


 化け物の体表から飛び出ている触手の先端がぱくぱくと開閉を繰り返す。


 が段々と大きくなる。


 現界と異界が次第に癒合ゆごうしてく……。


 宮森の意識に、憶えの無い情景イメージが雪崩れ込んで来る。



支子くちなし色の空⦆


鈍色にびいろの土⦆


⦅深川鼠色の石畳⦆


⦅灰色の磐座いわくら


⦅そして磐座の上には、虹色の……しゃぼん球?⦆


⦅あの高舞台は、環状列石での儀式を模した……⦆



 宮森に底気味悪い予感がはしる。


⦅これは……まさか!⦆


 曲調が更に異界化して変わってく。


 霊感などなくとも、まともな感性の持ち主ならば思わず耳を塞ぎたくなる無秩序さだ。


 会員達の中には不覚にもが訪れてしまい、予備の装備に手を付けざるを得なくなる者まで出て来る。


 それに加え、化け物の体表に散っている青紫色の輪紋が不規則に点滅し出した。

 気分が高揚してのっているのかも知れない。



 演目は最高潮クライマックスに差し掛かる。


 化け物が曲に合わせその身をよじらせる。


 その度に会員達の誰かが嘔吐えずき、我慢し切れなかった者は吐袋にぶちまける。


 胃に吐瀉物が残っていない者も盛んに空嘔吐からえずきを繰り返す。


 この国を代表する権力者達の殆どが無様ぶざまを晒す。


 舞人達二人が虹色の柱の周囲を歩み始める。



 この国に伝わる国生みの神話――。



 その神話では、兄と妹が柱を廻る。


 超絶技巧はそのままに、化け物の醜態ダンスは次第に情熱的グルーヴィーなものに移り変わる。


 瑠璃家宮は左に廻る。

 は右に廻る。


 奏でられている不浄の旋律は、宮森の中で膨大な戦慄へと変換され始める。


 舞人達二人三度みたび視線を交わす。


 宮森の霊眼に映る舞人達二人の輪郭はぼやける。

 宮森の霊眼に映る化け物の輪郭はあらわになる。


 化け物の体節全体がびくびくと震えている。

 最も上部の体節が筒状とうじょうに変形する。

 一生懸命に何かを絞り出そうとしている。


 舞人達二人目合まぐわう。


 舞人達二人はヒトで無くなる。

 化け物からはヒトのカオが現れる。


 よこしまなモノになる。

 絞り出されたソレは、


 そして、の方から、

 赤い目をして、顎のない、


 誘惑するさそう

 宮司と同じカオをしている。


 は想い人に語りかける。

 化け物は同胞はらからに呼びかける。



 お兄様。

 オニイチャン。



 変換され終えた膨大な戦慄が、


 宮森の精神を容赦無く飲み込んで行った――。





                  禁断の舞楽 その三 了

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