禁断の舞楽 その二

 一九一八年 一一月 帝居地下 神殿内部





 観覧席からどよめきの声が上がる。

 剣が独りでに直立し、床を離れ浮いているからだ。


 宮森は直ぐに剣の石突と床をオペラグラスのレンズ越しに凝視する。


⦅石突が台などで支えられている訳ではない。

 目を凝らして周囲も観てみたが、細い天蚕糸てぐす鋼線こうせんを使った手品の類でもなさそうだ。

 本当に何の仕掛けもなく宙に突き立っている……⦆


 その場景は宮森にとって今日何度目の驚愕であろうか。


⦅本当に浮いている!

 それに、この空気の振動……⦆

 

 不意にあの娘が歓声を上げた。

 それに連られて瑠璃家宮も笑う。


 笑声しょうせいこそ出ていないが多野教授、草野少佐、蔵主社長も楽し気な雰囲気である事がうかがえた。


 鼉太鼓の奏でる律動リズムが段々と速くなる。

 娘は半ば身を乗り出し舞台に躍り出ようとする。


 確実に何かが視えている。

 彼女は何かを期している。


 吹物の音が途絶えた。


 鉦鼓の乾いた金属音が別世界へのしるべの如く、聴覚を介して脳内に侵入して来る。


 会員達も気付いた。

 舞人が手を触れている訳でもないのに、


 ――剣が抜刀されて行く。


 門前での儀式と同じく刀身はない。

 だが、その時と同じく剣周囲の空間が歪む。

 そして全方位に放たれる耐え難い悪臭。


 殆どの会員達が手やハンカチーフで悪臭を防ごうと努力し、その努力も虚しく吐袋に吐瀉物をぶちまけてしまう者が出始めた。

 周りが悪臭に苦しんでいても娘と瑠璃家宮、多野、草野、蔵主は、悪臭を全く意に介さず楽しんですらいる。


 宮森は、これまでの常軌を逸した儀式で道義的にも精神的にも追い詰められていた。

 今迄に感じ取った事の無い異質な悪意にさらされ、存在の根底から翻弄され続けてもいた。


 彼の霊感は今まさに、強烈な開花を始める。


 急速に高まり行く宮森の霊感が、空間の歪みの原因をはっきりと知覚した。


⦅剣の、本来であれば刀身の部分、そこから湧き出ているのは……虹色の球体!⦆


 宮森の得た知覚では、様々な大きさをした多数の虹色の球体が舞台上に出現したり消滅したりを繰り返している。


 ふわふわと浮遊している球体群は次第に剣を取り囲み、直径一メートル程の円柱を形成した。


 その円柱は、舞台床から神殿の天井までを貫いている様に宮森には視える。


 球体は床と接しても物理的な干渉はせず、そのままめり込んで行ったり逆に床から出現したりしていた。


 その様子は宮司と神官達、娘と瑠璃家宮、多野、草野、蔵主以外の会員や案内係には視えていない様である。


 宮森は確信した。


⦅あの虹色の球体の柱は、この世のものではない何かを……呼び込む為のモノだ!⦆


 宮司が虹色の球体からなる柱に手を伸ばす。


 会員達の大部分は舞人が手を伸ばす所作にしか視えていない。


 宮司が球体群に触れた。


 宮森の霊眼れいがんには、宮司の手がこの次元から突然消失したかの様に映る。



 舞人が手を引く。


 異界から何かを引き込む。


 虹色の球体群から何かが出て来る。


 ソレは宮司よりも若干低い背丈の、と云うよりも、と表現した方がしっくりくるであろう、


 人間ヒトとは程遠い、化け物であった――。



[註*霊眼れいがん=異界のものや魔術の痕跡などを、視覚として認識する能力(作中での設定)]





 その外形シルエットはまるで、西洋料理の食卓に並ぶ卵台エッグスタンドに腹を剥き出しにして乗っかった疣跳虫いぼとびむしである。


[註*疣跳虫いぼとびむし=原始的な昆虫の一群]


 目、鼻、口、耳などの人間ヒトの顔や頭部に相当する器官は見当たらない。

 その代わりのもりなのか、ぶよぶよしたゼラチン質の体節にはおびただしい数の眼球が植わっていた。


 体表の前面には、人間ヒトの手を中途半端に真似たような胸脚きょうきゃくが三対、その下部にはけいの太い腹脚ふくきゃくが四対ある。


 床との接地面エッグスタンドの部分とそれに近い体節だけは甲虫や甲殻類の殻を彷彿とさせるキチン質の組成らしく、そこからは竈馬かまどうまのそれに似た、体格に対して余りにも大き過ぎる後脚こうきゃくが一対生えていた。

 詰まり、化け物は逆関節の後脚で直立している格好になる。


[註*竈馬かまどうま=カマドウマ科に分類される昆虫の一種。

 湿度の高い場所や暗所を好む為か、シケムシ、オカマコオロギ、便所コオロギなどの不名誉な俗称で呼ばれる事がある]


 体表側面には舞人の装束に付けられた麹塵の領巾に似た触手が一面に突き出しており、先端は唇状しんじょうになっていた。


 体色は半透明の灰桜色はいざくらいろ

 そこに青紫色の輪紋が満遍まんべんなく散る事で毒々しさが増している。


[註*灰桜色=薄く明るい桜色]


 霊感に乏しい大部分の会員達は虹色の球体やそこから出現した化け物は視えておらず、悪臭をこらえるのにそれはもう必至だ。

 宮森も辛い事には違いないのだが、姿が視える様になった今は幾分か耐えられる。


 虹色の球体やそこから引っ張り出された化け物に代表される異界の存在は、霊感のない者には空間の歪みや悪臭としてしか認識されない。

 しかし、霊眼を得た今の宮森は視覚を通して異界の存在を認識出来る様になった為、その分嗅覚に掛かる負担が軽減したのだ。



 舞人が手を伸ばした所作のまま、宙空に突き立つ剣から後退あとずさる。


 宮司が化け物の胸脚いたまま、虹色に輝く柱から遠ざかる。


 三ノ鼓が故意に律動リズムを外した一打を打つ。


 音色が一斉に止み、演目の終了を告げた――。





                  禁断の舞楽 その二 了

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