第五節 放精の儀式 

放精の儀式 その一

 一九一八年 一一月 帝居地下 神殿内部





 高舞台での奇怪な舞楽は、退出楽曲である長慶子ちょうげいしが演奏されずに終了してしまう。

 当然困惑した宮森であったが、会場は二度目の休憩に入ってしまった。


 案内係達は吐袋を回収し殆どの会員達は手洗いに立つ。

 舞人を務めた瑠璃家宮と生贄……だった娘、管方をこなした神官達と宮司、そしてあの化け物は、広間ホール奥へと続く楽屋左右の出入口から立ち去った。


 宮森は化け物が気に掛かり、その様子をつぶさに観察する。


 化け物は立ち去る際、体節に大切に仕舞い込み完全な腹這いの姿勢を取った。

 そして、四対の腹脚をもそもそと動かし宮司とは反対の通路へと向かう。

 ただその途中、体表全面に植わっている全ての眼球が別れを惜しむかの様に宮司の方を向き続けていた。


 そんな化け物の様子を観ていた宮森も流石に気分が悪くなり、手洗いの方で盛大にぶちまける運びと相成あいなる。

 演目中には嘔吐しなかったものの、緊張の糸が切れ疲労が一気に吹き出したのかも知れない。


 宮森は今、先程の演目と自らの体験で困惑の極みにいた。

 だが、周囲の会員達の多くは活気を取り戻し始めている。


 但しその活気とやらには、脂ぎった情欲がたっぷりと塗り重ねられていた……。





 案内係が休憩の終了を告げる。

 どうやら神殿奥へと移動するらしい。


 会員達が列をなして楽屋横の通路へと向かう。

 楽屋左側と右側にそれぞれ入り口があり、どちらに入っても良い構造になっている。

 宮森が左側の通路を進むと通路は右に折れ、楽屋右側からの通路と合流した。


 宮森は例の如く列の最後尾に付き、通路内部を観察する。

 通路は混凝土コンクリートで覆われ一定の間隔で電灯が設置されていた。

 途中、左右に分かれ道があり十字路の形になる。


 吐袋を乗せた手押し車カートだけが右の通路に入り、残りはそのまま直進した。

 凝った造りの広間ホールとは対照的に、通路は打ちっぱなしの混凝土コンクリート壁で一切の装飾がない。


 混凝土コンクリート壁の通路は直進を続け、豪華な装飾を施された西洋式扉へと辿り着いた。

 扉は通常の人間寸法サイズである。


 案内係がこちらを向いて一礼した後、解錠した扉を左右に開け放った。


「おお……これは、あの有名画家の!」


「なんと素晴らしい!」


「ここに収蔵されていたとは……」


 新米であろう上級会員達が展示してある絵画に驚き入っている。


 この広間は和洋折衷の豪華な装飾を施された大応接室で、今迄の宗教的な様式とは程遠い。


 床には長い毛並の絨毯じゅうたんが敷かれ、広間ホール中央には重厚な質感の椅子と長机が鎮座ちんざしていた。

 部屋奥には華美な装飾を施された暖炉まで設えられ、天井は格式高い格天井ごうてんじょうである。


 壁面上部には横長の給気口が並んでおり、壁面下部には中央暖房セントラルヒーティング用の熱放射器ラジエーターが設置されていた。

 空調設備が張り巡らされている事が判る。


 この時点での宮森はまだ知らない事であるが、壁面上部の横長の給気口スリットとは空気調整装置エアコンディショナー、所謂エアコンの風向調整板フラップの事だ。

 日本の一般社会にエアコンが普及するのは第二次世界大戦後になるので、九頭竜会は既に家屋用エアコンの実用化を果たしていた事になる。


 宮森は部屋の調度類を粗方あらかた見終わった。

 高級品ではあるが、彼の興味を引く品物は見受けられない。


 宮森が着席し様としたその時、あの海軍士官から声を掛けられた。


「はは。

 多野教授の御弟子さんだね。

 確か……宮森さんと云ったかな。

 私は帝国海軍少佐の草野 磯六と云う者です。

 多野教授から貴方の事は聞いてますよ」


「みっ、宮森っ遼一ですっ……」


 突然の声掛けに言葉が出なかったのか、宮森はみっともなくどもってしまった。


 そこに別のもう一人から声が掛かる。


「初めましてわたくしぃ、蔵主産業の社長を務めております蔵主 重郡と申しますぅ。

 多野教授の御弟子さんだとかぁ」


「あっ、はいっ。

 多野教授に御世話になっている、宮森 遼一ですっ。

 おっ、お初にお目に掛かりますっ、草野少佐っ、蔵主社長っ……」


「はは。

 そう緊張なさらんでも宜しい。

 この後は御互いに楽しみましょう」


「教授お気に入りの御弟子さんとお会い出来て私も嬉しいですぅ。

 ではまたぁ」


 草野と蔵主は宮森の許を離れ別の会員達に話し掛けている。


 この国を動かしている人物達であるからか、宮森は随分と緊張してしまった。

 いや、それだけではない。


 瑠璃家宮程では無いにせよ、彼らからも邪な想念を感じたからである。

 それに草野の『御互いに楽しみましょう』、蔵主が放った『教授お気に入り』と言う台詞せりふが気に掛かるらしく、彼の顔色は今まで以上に曇った。


 催物の準備が整ったらしく、案内係が呼び掛けている。

 手洗いから会員達が戻って来た所で一同は別室へと案内された。


 その部屋の扉は和風の造りで引き戸になっており、重厚さよりも華麗さに重きを置いた装飾が施してある。

 案内係がこちらを向いて一礼し、引き戸を開けた。


 入室すると別の案内係から靴を脱ぐよう促される。

 案内係達は靴を脱いだ会員の名前を聞いて書類と照合、番号が明示してある下駄箱へ会員の靴を収めて行った。


 部屋は畳敷きの座敷。

 座敷には番号札付きの籐籠とうかごが会員の人数分置いてあり、綴じ込み板バインダーと鉛筆を持った係りが待機していた。


 入口付近には宴会用の長机が置いてあり、握り飯や煮物などの軽食と酒が用意してある。

 給仕係も十人ばかり付いていた。


 ここで案内係が会員達に飲食と喫煙の許可を出す。


「ふ~うっ、やっと最後ですな~」


「えぇ。

 早いとこ一服いっぷくしましょうや~」


「まったくですよ。

 腹ん中のもん全部吐き出してしまいましたからな~」


「まあ~、あの苦しみがあってこその……ですからな~♪」


「まずは腹ごしらえからっと……」


 会員達に緊張は観られず、食い物や酒を食らったり喫煙がてら雑談したりと思い思いに過ごし始めた。


 宮森も煙草に火を点け彼らの様子を観察する。


 多くの者は先ず食事を取っていた。

 あれだけ嘔吐したのだ、腹もいているだろう。


 宮森も握り飯一つと煮物を少し所望した。

 給仕係がよそって持ってくる。

 頼んではいなかったが銚子ちょうしも付いていた。


 彼は握り飯を一口頬張ると、次いで煮物も口に運ぶ。


⦅柔らかい肉団子だ。

 鶏肉けいにくだと思ったのだが、味が違う。

 何の肉だろう?

 酒は得意な方ではないが、今日は色々な事があり過ぎて疲れた。

 これが、飲まずにはいられない! と云うやつだな。

 まあ丁度いい。

 久方ぶりに酒でもあおろう。

 ……んっ、度数の強い蒸留酒だったか。

 何か鉄を思わせる変わった後味がする。

 銚子で出て来たのが理解出来ないが、洋酒か何かなのか?⦆


 彼は煮物と酒の味に幾ばくかの疑問を持ったが、飲み食いがてら会員達の観察を続ける。


 宮森が観るに、彼らは急激にを取り戻し始め欲望の感情がたかぶっているのが判った。

 ある会員は下卑た想像で顔のにやつきを抑えられず、ある会員は気がはやり股間が膨らんでいる。


 宮森は状況を把握し気分を害した。


 準備が出来た者から次の会場へ向かうよう、案内係が呼び掛け始める。


 充分に飲み食いし、景気を付けた者から脱衣して別室へと向かった。

 綴じ込み板バインダーを持った記録係が会員達の衣服を管理するため番号を記入して行く。


 宮森は誠に気が進まなかったが、仕方なく脱衣し別室へとおもむいた。


 その背中に、淫猥いんわいな視線が絡み憑いている事にも気付かずに……。





                  放精の儀式 その一 了

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