第三節 突然の来訪者

突然の来訪者 その一

 一九一八年 一一月 帝居地下 神殿区画 外郭部 観覧室





 排卵と受精の儀式は佳境に入った。


 比星兄弟ブラザーズとの霊感共有で感覚拡張された宮森は、邪念の流れ、比星兄弟の術式行使、〈異魚〉胎内の様子などが手に取るように判る。

異魚〉胎内では瑠璃家宮の放っていた精子が卵管采らんかんさい付近の卵管膨大部らんかんぼうだいぶに集中しており、今か今かと排卵を待ち構えている場面だ。


[註*卵管采らんかんさい=卵巣から排卵された卵子を卵管内に取り込む器官]


 今日一郎から宮森への直通回線ホットラインが開く。


『宮森さん、瑠璃家宮の精子の数が思ったよりも減っていない。

 放精から日にちを開けたのに、Y精子がかなり生き残っている。

 こちらに不備はなかった筈だが……』


『今日一郎、それは瑠璃家宮達が独自に何かやったのか?』


『その可能性は低い。

 儀式の日取りや手順は絶対だ。

 変更は有り得ない』


『拙いな……。

 今日一郎、Y精子での受精を防ぎ切って予定通りX精子で受精させる事は可能か?』


『やるしかない。

 ここで失敗すれば儀式はやり直しだ。

 そうなれば、邪念を駆り集める為に多数の民間人が犠牲になる。

 明日二郎もいいな?』


『オウよ! この程度のコトで動じるオイラ達じゃあねー。

 比星ブラザーズの手並み、とくとご覧あれ~ってなもんよ。

 よ~く観とけよ、ミヤモリ』


『頼もしいじゃないか、二人共頼むぞ』


 今日一郎が〈異魚〉の脳下垂体のうかすいたいを刺激すると、〈異魚〉の生殖腺刺激ホルモンが通常よりも多く分泌される。

 これは〈異魚〉の卵巣に作用させる為だ。


異魚〉は気だるげに水中をただよっている。

 瞳が潤みほおが紅潮して行くのは排卵の前兆症状。

異魚〉は今にも夢の世界へと旅立ってしまいそうな半眼で、硝子ガラス壁の向こうを眺め続ける。


⦅瑠璃家宮を見ているのか。

 兄と呼んだ男を……⦆



 鉦鼓の律動リズムに合わせ卵巣の脈動が高まる。


 篳篥の音色に合わせ卵管采が磯巾着いそぎんちゃくの様な触手をゆらゆらとなびかせる。


 楽琵琶の調べが〈異魚〉の脳下垂体を刺激する。


異魚〉の雌性しせいが発露する。


 弾ける。


異魚〉が長息ちょうそくする。


 次々と排卵が起こる。


 その数、六……。



 ――。


 ――⁉


異魚〉の排卵が落ち着き今日一郎が受精作業に入ろうとしたまさにその瞬間、覚えのない思念が宮森と比星兄弟ブラザーズ精神感応通信網テレパシックネットワークに割り込んで来た。

 いや、最初からそこに存在していたかの様な不自然な自然さでもって、彼らに語り掛けて来たのである……。





『初めまして、比星 今日一郎君に明日二郎君。

 そして宮森 遼一さん』


 その何気ない一連の挨拶は、宮森と比星兄弟ブラザーズ震駭しんがいさせるに充分なものであった。

 突然の来訪者に彼らは恐慌状態パニックおちいり掛けるが、寸前で踏み止まる。


 今日一郎が警戒の思念をみなぎらせ、直ぐ様明日二郎に指示を出した。


『明日二郎、通信が漏れている箇所を探知してくれ!』


『アイアイサー!

 なんでだ? 通信の漏洩ろうえい箇所が見当たらない。

 どうなってやがる……ミヤモリはなんか感じるか?』


『駄目だ……。

 自分も二人との連鎖しか確認出来ない!』


 通常精神感応テレパシーいては、相手との会話だけでなく視覚情景イメージもやり取りする。

 宮森と比星兄弟ブラザーズは謎の来訪者の姿を未だ捉え切れず、声のみが一方的に彼らへと送られて来た格好だ。


 来訪者の出処でどころを探ろうとしたが未だ叶わず、苛立いらだちと敵意を滲ませた今日一郎が問う。


『何者だ貴様!

 どうして僕達の通信網に入って来られる?』


 対して、来訪者は太々ふてぶてしい態度で答えた。


『質問は一つにして貰いたいな、比星 今日一郎君。

 名前がないと呼びにくいだろうから一応名乗っておく。

 私は【鳴戸寺なるとでら 保夫やすお】。

 以後、見知り置いて頂きたい。

 初めに言っておく。

 私の正体を探っても無駄だ。

 特に明日二郎君。

 この通信から逆探知を試みているね?』


『クソっ、バレたか……』


 鳴戸寺と名乗る怪人に明日二郎の手口が早速看破かんぱされ、宮森と比星兄弟ブラザーズがものの見事に辟易たじろぐ。


 今度は鳴戸寺が今日一郎へと思念を向けた。


『君達が何をしようとしているのかは知っている。

 君達の関係もだ。

 そこで私から提案がある。

 君達の関係と計画を口外しない代わりに、私がこれから言う事を実行して貰いたい。

 どうかな? 比星 今日一郎君』


『テメー……オイラ達を脅す気か。

 許さんぞ、ナルトデラとやら!』


 明日二郎は気丈に吠えはしたが、鳴戸寺と名乗る怪人からの明白な脅迫に対しては無力極まりない。


 このまま思案していても仕方がないと、今日一郎が交渉の場に就いた。


『鳴戸寺さん、と言ったね。

 今は儀式中だ。

 取り敢えず、対話の時間を稼ぐ為に思考と感覚の高速化を行いたい。

 出来るか?』


『可能だ。

 そちらに同期するからやってくれ』


 話に付いていけない宮森が今日一郎に説明をう。


『思考と感覚の高速化?

 自分にはまるで珍紛漢ちんぷんかんだ。

 それに……儀式の方はどうする?』


『大丈夫だよ宮森さん。

 僕達と霊感共有で連鎖している今なら、特に練習せずとも思考と感覚の高速化を体験出来る。

 但し、少し疲れるけどね。

 物は試しだ。

 明日二郎は宮森さんの支援を頼む。

 では、思考と感覚の高速化を開始する』


 各人思考と感覚の【高速化クロックアップ】に入った。

 宮森は自身の肉体に閉じ込められた様な感覚を味わう。


⦅これが思考と感覚の高速化……。

 まるで、周りの動きが止まったかの様に見える。

 これで儀式中に会話を行うのか⦆


 精神感応通信網テレパシックネットワークが再構築され、宮森にも比星兄弟ブラザーズとの連鎖リンクが確認出来た。


 今日一郎が猜疑心さいぎしんに満ちた思念を鳴戸寺に送る。


『鳴戸寺さん、貴方の望みは何だ』


『では私の望みを言おう。

 君達が用いる次元牢を使い、瑠璃家宮のY精子で授精させた授精卵を生成して貰いたい。

 数は一つで構わないが、授精卵の生育までしっかりと行ってくれたまえよ。

 元々確実な妊娠の為に多排卵を促したのだろう、出来る筈だ』


『次元牢の存在まで知っているとは……。

 だが、そのまま着床させたとしても瑠璃家宮達が望む女児は生まれて来ないぞ。

 それとも、僕達が造ろうとしている授精卵を共に着床させ多胎たたいの状況を作り出そうとしているのか?

 だがそれは正規の予定ではない。

 儀式は失敗と見做みなされ、やり直しになる可能性が大きいぞ』


『それは心配御無用。

 瑠璃家宮のY精子で成育させた授精卵は、一週間後の儀式の際そのまま胎外へと流して貰えればいい』


『それは神殿に満ちている海水へ放出しろと云う事か?』


『それで良い。

 後はこちらで処理する』


『瑠璃家宮の精子に何らかの処置を施したのも貴方か?』


『どうだろうね~? 御想像に御任せするよ。

 瑠璃家宮の精子に施されたのは普賢菩薩ふげんぼさつ延命法えんめいほうと呼ばれる術だ。

 後学こうがくの為に覚えておくと良い』


覚者密教かくしゃみっきょうの秘術……。

 貴方はその授精卵をどうする積もりだ。

 どうせ良からぬ事に使うのだろう』


『フハハハハハハ……。

 それも御想像に御任せするよ。

 それと、こちらの要求を呑んでくれたら君達が成そうとしている帝都脱出を支援しても良い。

 勿論君達の母上様共々……ね』


 怪人の放言は宮森と比星兄弟ブラザーズにとってまさに青天せいてん霹靂へきれきであった。

 動揺を隠し切れない彼らの様子が怪人まで直接ダイレクト伝播でんぱする。


 明日二郎が怒声を発し食って掛かった。


『コノヤローッ! オカアチャンに何かあったらただじゃ置かんぞ‼』


『怖い怖い。

 まるで咬みつかんばかりだねえ明日二郎君。

 でも良いのかい? 精神感応の中継作業が疎かになってしまうよ?』


 この一言にも宮森と比星兄弟ブラザーズは驚きを禁じ得ない。

 何故ならば、昨日の精神感応テレパシー密談中に今日一郎が明日二郎をたしなめた一言だったからである。


 今日一郎は肉体と脳内の操作記録ログを素早く点検するも、不審な点は見当たらない。

 今日一郎の思索しさくはある一点に帰着し、再び怪人との交渉に戻る。


隠形法おんぎょうほう……を使っているみたいだね。

 盗み聞きにはもってこいだ。

 僕達が気付かなかった事と良い、ここまでの手練てだれにはそうそう御目に掛かれない。

 まあ、隠形法を使っている訳だから元から視えはしないが』


『今日一郎君は冗談を言える程に落ち着きを取り戻したみたいだね。

 では、こちらの要求に対しての回答を御願いしたい』


『良いだろう。

 そちらの要求を呑む……』


『オニイチャン!』

『今日一郎⁈』


『聞き分けが良くて大変助かる。

 ありがとう、今日一郎君』


 今日一郎の回答に対して明日二郎と宮森は懸念を示すが、今日一郎はなおも交渉を続ける。


『但し、そちらが裏切らないと言う証左しょうさを見せて貰いたい』


あかしを見せろと言われても難しいが……よろしい。

 では、君達にとある情景を送る。

 先ずはその情景を観てくれたまえ』


 鳴戸寺からの情景イメージが宮森と比星兄弟ブラザーズに伝送されて来た。


 宮森は注意深く情景イメージ咀嚼そしゃくする。


長閑のどかな海沿いの田園風景。

 建造物などから見て日本だな。

 入り江の中に……島?

 その島に大勢の人々が視える。

 どうやら作業員のようだ。

 それに軍服姿……帝国海軍もいる。

 帝国海軍の施設を建造しているのか?⦆


 情景イメージが流れ終えると鳴戸寺が解説に入る。


『ここはある目的の為に建造が始まった施設だ。

 今月着工したばかりだよ。

 四年後の大昇十一年、西暦では一九二二年に完成が予定されている』


 考えあぐねた明日二郎が口を開いた。


『ココが何だってんだよ?』


『この施設が完成し稼働を開始すれば、この国のみならず世界中が巨大な災禍に見舞われる』


『一体ココは何の為の施設なんだ?

 答えろ!』


 まるで自らが立てた手柄の如く、鳴戸寺は解説を始めた……。





                 突然の来訪者 その一 了

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