第二節 定着の儀式

定着の儀式 その一

 一九一八年一一月 帝居地下 神殿区画





 螺旋が絡み合う門の下で、遂に娘への拷問が始まろうとしている。

 宮森には、彼女が手足を硬直させ恐怖におののいている姿が有り有りと見て取れた。


 ここで案内係が、会員達にひとり一つづつ革製の巾着袋を手渡す。

 吐袋とぶくろと云う名前らしい。


『儀式中はいかなる理由があろうと退場できませんので、気分が悪くなった際はこの袋に吐瀉としゃして下さい』と、案内係が吐袋の使用法を解説した。


 宮森が袋内をあらためた所、裏地はろうに似た手触りの物質で覆ってある。

 水分が浸み込まないよう処理が施されているらしい。


 吐袋の裏地素材はポリエチレンなのだが、一般社会には第二次世界大戦以降広く普及して行く。

 詰まり、九頭竜会はポリエチレンの実用化技術をこの時点で既に持っていた。


 会員達皆に吐袋が行き渡るも、多野 教授を始めとした幾人かは受け取らない。

 瑠璃家宮に至っては、案内係が吐袋を進呈しようとする素振そぶりすらなかった。


 会員達の中には、今か今かと興奮を隠し切れず鼻息が荒くなっている者も居れば、多野や瑠璃家宮のように至極しごく冷静な者も居る。


 娘を注視する事がはばかられた宮森は、オペラグラスを神官達の方へと向けた。


 神官達は長持から藁束わらたばを取り出すと、白木の箱の中から乾燥植物の束を取り出す。


 藁束は火点ひつけに使用する為の物で間違い無いだろう。

 乾燥植物の方は黒くくすんだ色をしており、長さ一〇センチメートル、幅五センチメートル程の葉か花弁を束ねた物。


『見ただけで種類の特定は出来ないが、自身の入会儀式で使用された物とは別物かも知れない……』と、宮森は予想した。


 宗教儀式などで用いられる薬草は、気分を高揚させる作用を持つ物の他、気分を抑制する作用を持つ物、幻覚作用を引き起こす物とに大別される。

 宮森の入会儀式で使われた薬草は、香をきその煙を吸い込む事で、催淫さいいん効果をもたらした。


 今回の場合も同じ物なのか、それとも拷問の際の痛みを和らげる為の物か、はたまた別の何かなのか。

 不謹慎だとは感じつつも、宮森の中では好奇心と知識欲が膨れ上がって行く。


 神官達は長持から燐寸マッチを取り出すと、藁束に火を付けた。

 今度はその火を黒い乾燥植物へと移す。


 乾燥植物の束が燃え始めると、磔刑台前を左右に歩き出す神官達。

 そして、湧き出す煙を娘に浴びせ始めた。


 ここで案内係達が前に出て来て、会員達に後ろへ下がるよう促す。

 恐らくは、娘以外に煙を吸わせない為だろう。


 磔刑台前に煙が立ち込める時分には、藁や乾燥植物は既に燃えさしとなっていた。

 娘は煙を吸い込むよりなく、立ち込める煙の匂いがきついのか、身の悶えが始まっているようにえる。


 ここに来て墨色の斎服を纏った神官が、長持から小型の瓢箪ひょうたんを取り出した。

 今現在中々見られなくなった昔ながらの瓢箪に、宮森は僅かばかりの懐かしさを感じる。


 只その瓢箪は、栓のしてある飲み口部分に札で幾重いくえもの封印がなされていた。

 その所為せいで中身が水や酒ではない事が宮森には容易に想像できてしまい、僅かばかりの懐かしさは膨大な疑わしさへと姿を変える。


 神官が施された封印を破ると、瓢箪は踊るように揺れた。

 瓢箪の中身が嬉しさに打ち震えているのか、それとも外に出たくないと怯えているのか、宮森にはその区別が付かない。


 もう片方の墨色斎服神官は、木箱から小さな包み紙を取り出す。

 折り畳まれた包み紙が広げられ、紙上には練色ねりいろの粉末が観て取れた。


 宮森は、内服薬かも知れないと察しを付ける。


[註*練色ねりいろ=黄みをおびた白色]


 あんじょうほかの神官達が娘の許へと歩み寄り、別のひとりが彼女のあごつかんで無理矢理に口を開けさせた。

 そして先程のひとりが練色の粉末を娘の口内へと慎重に注ぎ入れると、かたわらで準備していた瓢箪を持つ神官が、中身を彼女の口内へと流し込む。


 娘は練色の粉末を口内に注がれた際、反射的になのか酷く咳き込んだ。

 しかし瓢箪から放たれた液体はドロドロと波打ち、練色の粉末を残らず絡め取り乍らのど奥へと潜り込んで行く。


 その液体は粘性が高く、暗灰色で半透明。

 そこに宮森は、何か生物組織のようなモノ。

 とりわけ眼球に似たナニかを認める。

 いや、波打つ液体ソノモノが、眼のような組織に変化したかに視えたのだ。


 その瞬間を間近で観ていた宮森自身、自らの目と精神を疑ってしまう。

『先程の煙には幻覚作用が有り、自分はそれを吸い込んでしまったのではないか……』そんな気分にすらなっていた。


 宮森は恐る恐る他の会員達や神官の表情を探ってみたが、特段変わった様子はない。


⦅新参の自分が知らないだけで、いつも行なわれている事なのだろうか……。

 それとも、気付いているのは、まさか自分だけ?⦆


 狼狽ろうばいする宮森を横目に観察し乍ら、さも愉快そうに口元を歪める男が居た。

 多野である。


 多野は隣にいる男らと親し気に話していた。


草野くさの 少佐、祝言しゅうげん以来ですな。

 新婚生活はどうですか?」


 小兵こひょうだが、自信に満ち溢れた表情の若い海軍士官が答える。


「はは。

 無沙汰ぶさたしております多野 教授。

 新婚生活ですか?

 今のところ楽しい時間を過ごさせて貰ってますよ。

 ただ来年は駐在武官として渡米の予定でして、家内を連れて行くかどうか迷っている所です」


 彼は【草野くさの 磯六いそろく】。

 現在は帝国海軍少佐だが、この後連合艦隊司令長官にまで登り詰める男だ。

 そして、この国を太平洋戦争という最悪の泥沼へと導く男でもある。


「それはそれは困った事になりましたな。

 されど、順調に事が運んでいるようで何より。

 奥方には宜しく御伝え下さい」


 多野はもう片方の人物に話を振る。


「御仕事の方は順調ですかな?

 蔵主ぞうす 社長」


 七三に分けた髪を過剰とも思える量のポマードで撫で付けた、小太りで背広姿の矮躯わいくが嬉々として答える。


「はいぃ。

 それはもうお蔭様でぇ、順調すぎるくらいですぅ」


 小太りの矮躯は【蔵主ぞうす 重郡しげさと】。

 蔵主 財閥の三代目であり、蔵主 産業の社長でもある。


 蔵主 財閥はこの国を代表する財閥で、幕末から盟治めいじにかけ海運業で財を成した。

 その後も急成長を続け、炭坑・鉱山経営、造船、貿易、銀行、保険など多くの分野に進出。

 今やアジア有数の巨大財閥に迄のし上がった。


 その急成長の陰には、太帝一族との癒着は当然の事、九頭竜会が関わっているのは言う迄もない。


「近々ぁ、兵器開発部門の設立にぎ着けられそうなんですよぉ」


 四十近い歳の筈だが、顔に脂がのり過ぎているのと常に笑みが張り付いている所為で、年齢が少々判り辛い。


「そちらの準備ができ次第、私が論文をしたためようではありませんか。

 新しいオモチャで存分に遊ぶ為の、これ以上ない根回しとなりましょう」


「はは。

 多野 教授の御助力があれば大手を振って暴れられるでしょう。

 そのあかつきには、この私が陣頭指揮を執らせて頂きますぞ」


 多野と草野の激励げきれいを受け、蔵主は思わず目を潤ませた。


「多野 教授ぅ、草野 少佐ぁ……。

 やっぱり持つべきものは友ぉ……いやぁ、ですねぇ……」


⦅兄弟?⦆


 権力者達の会話は宮森の耳にも届いたが、彼がその真意を理解できるのは、まだ先の事である。





 定着の儀式 その一 了

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