第二節 定着の儀式
定着の儀式 その一
一九一八年一一月 帝居地下 神殿区画
◇
螺旋が絡み合う門の下で、遂に娘への拷問が始まろうとしている。
宮森には、彼女が手足を硬直させ恐怖に
ここで案内係が、会員達にひとり一つづつ革製の巾着袋を手渡す。
『儀式中はいかなる理由があろうと退場できませんので、気分が悪くなった際はこの袋に
宮森が袋内を
水分が浸み込まないよう処理が施されているらしい。
吐袋の裏地素材はポリエチレンなのだが、一般社会には第二次世界大戦以降広く普及して行く。
詰まり、九頭竜会はポリエチレンの実用化技術をこの時点で既に持っていた。
会員達皆に吐袋が行き渡るも、多野 教授を始めとした幾人かは受け取らない。
瑠璃家宮に至っては、案内係が吐袋を進呈しようとする
会員達の中には、今か今かと興奮を隠し切れず鼻息が荒くなっている者も居れば、多野や瑠璃家宮のように
娘を注視する事が
神官達は長持から
藁束は
乾燥植物の方は黒くくすんだ色をしており、長さ一〇センチメートル、幅五センチメートル程の葉か花弁を束ねた物。
『見ただけで種類の特定は出来ないが、自身の入会儀式で使用された物とは別物かも知れない……』と、宮森は予想した。
宗教儀式などで用いられる薬草は、気分を高揚させる作用を持つ物の他、気分を抑制する作用を持つ物、幻覚作用を引き起こす物とに大別される。
宮森の入会儀式で使われた薬草は、香を
今回の場合も同じ物なのか、それとも拷問の際の痛みを和らげる為の物か、はたまた別の何かなのか。
不謹慎だとは感じつつも、宮森の中では好奇心と知識欲が膨れ上がって行く。
神官達は長持から
今度はその火を黒い乾燥植物へと移す。
乾燥植物の束が燃え始めると、磔刑台前を左右に歩き出す神官達。
そして、湧き出す煙を娘に浴びせ始めた。
ここで案内係達が前に出て来て、会員達に後ろへ下がるよう促す。
恐らくは、娘以外に煙を吸わせない為だろう。
磔刑台前に煙が立ち込める時分には、藁や乾燥植物は既に燃えさしとなっていた。
娘は煙を吸い込むよりなく、立ち込める煙の匂いがきついのか、身の悶えが始まっているように
ここに来て墨色の斎服を纏った神官が、長持から小型の
今現在中々見られなくなった昔
只その瓢箪は、栓のしてある飲み口部分に札で
その
神官が施された封印を破ると、瓢箪は踊るように揺れた。
瓢箪の中身が嬉しさに打ち震えているのか、それとも外に出たくないと怯えているのか、宮森にはその区別が付かない。
もう片方の墨色斎服神官は、木箱から小さな包み紙を取り出す。
折り畳まれた包み紙が広げられ、紙上には
宮森は、内服薬かも知れないと察しを付ける。
[註*
そして先程のひとりが練色の粉末を娘の口内へと慎重に注ぎ入れると、
娘は練色の粉末を口内に注がれた際、反射的になのか酷く咳き込んだ。
しかし瓢箪から放たれた液体はドロドロと波打ち、練色の粉末を残らず絡め取り乍ら
その液体は粘性が高く、暗灰色で半透明。
そこに宮森は、何か生物組織のようなモノ。
とりわけ眼球に似たナニかを認める。
いや、波打つ液体ソノモノが、眼のような組織に変化したかに視えたのだ。
その瞬間を間近で観ていた宮森自身、自らの目と精神を疑ってしまう。
『先程の煙には幻覚作用が有り、自分はそれを吸い込んでしまったのではないか……』そんな気分にすらなっていた。
宮森は恐る恐る他の会員達や神官の表情を探ってみたが、特段変わった様子はない。
⦅新参の自分が知らないだけで、いつも行なわれている事なのだろうか……。
それとも、気付いているのは、まさか自分だけ?⦆
多野である。
多野は隣にいる男らと親し気に話していた。
「
新婚生活はどうですか?」
「はは。
新婚生活ですか?
今のところ楽しい時間を過ごさせて貰ってますよ。
ただ来年は駐在武官として渡米の予定でして、家内を連れて行くかどうか迷っている所です」
彼は【
現在は帝国海軍少佐だが、この後連合艦隊司令長官にまで登り詰める男だ。
そして、この国を太平洋戦争という最悪の泥沼へと導く男でもある。
「それはそれは困った事になりましたな。
されど、順調に事が運んでいるようで何より。
奥方には宜しく御伝え下さい」
多野はもう片方の人物に話を振る。
「御仕事の方は順調ですかな?
七三に分けた髪を過剰とも思える量のポマードで撫で付けた、小太りで背広姿の
「はいぃ。
それはもうお蔭様でぇ、順調すぎるくらいですぅ」
小太りの矮躯は【
蔵主 財閥の三代目であり、蔵主 産業の社長でもある。
蔵主 財閥はこの国を代表する財閥で、幕末から
その後も急成長を続け、炭坑・鉱山経営、造船、貿易、銀行、保険など多くの分野に進出。
今やアジア有数の巨大財閥に迄のし上がった。
その急成長の陰には、太帝一族との癒着は当然の事、九頭竜会が関わっているのは言う迄もない。
「近々ぁ、兵器開発部門の設立に
四十近い歳の筈だが、顔に脂がのり過ぎているのと常に笑みが張り付いている所為で、年齢が少々判り辛い。
「そちらの準備ができ次第、私が論文をしたためようではありませんか。
新しいオモチャで存分に遊ぶ為の、これ以上ない根回しとなりましょう」
「はは。
多野 教授の御助力があれば大手を振って暴れられるでしょう。
その
多野と草野の
「多野 教授ぅ、草野 少佐ぁ……。
やっぱり持つべきものは友ぉ……いやぁ、兄弟ですねぇ……」
⦅兄弟?⦆
権力者達の会話は宮森の耳にも届いたが、彼がその真意を理解できるのは、まだ先の事である。
◇
定着の儀式 その一 了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます