まだらの羽根
妻高 あきひと
第1話 まだらの羽根
洋平は高校二年生だ。
そのスーパーマーケットは洋平の高校への通学路の途中にあった。
中には食品売り場と専門店街があり、その境あたりには大きな広場があってガチャポンマシンが二十台くらい並んでいた。
ある日、洋平がスーパーに立ち寄ったときのぞいてみると、端っこに新しいマシンが一台置いてあった。
普通のマシンと外見は同じだったが、中身は玩具なんてもんじゃなかった。
その説明を見ると蝶々のサナギが入っていると書いてあった。
1個300円と書いてあり、注意書きにはこうあった。
「カプセル入りの蝶々の生きたサナギです。
成長はきわめて早く、すぐに羽化し蝶々になります。
生ものですので大事に優しくあつかってください。
カプセルのふたを開ければすぐに羽化の準備が始まります。
エサは雑食のようです」
生きている蝶々のサナギ。
「エサは雑食のようです、とは確かなことは分からんのか」
具体的な説明は無かった。
洋平はしばらく考えたが、料金300円を入れてガチャッと回した。
ポンと出てきた。
薄くて透明な丸いカプセルにそれらしきものが入っていた。
照明に透かしてみると確かにサナギのように見えなくもなかった。
おっと、洋平はおどろいた。
「動いている」
サナギが伸びては縮み、また伸びている。
屈伸運動をしているようにも見えた。
「確かに生きている。
こいつが自分で背伸びした。
でも水もエサも無く、カプセルには空気穴も無い。
そもそも呼吸ができないはずだ。
でも仕掛けがしてあるようにも見えないし」
カプセルのフタが開けられるように横に小さなツマミがついていた。
開けると羽化が始まるらしい。
「でもこんなサナギがいたっけな、見たことも聞いたことも読んだこともない」
洋平はどうしようかと考えたが、考えても何も浮かばない。
ツマミをつまんでそっと開けた。
ほわっと湯気か陽炎のようなものが上がり、漬物のような臭いがした。
「もう羽化が始まったのか」
一体どんな蝶々になるのか、とにかく家に持って帰ることにした。
ケースのふたを開けたまま、カバンの中で転ばぬようにしてそっと入れた。
その日の夜、カプセルはフタを開けたまま机の上に置いて寝た。
朝起きるとカプセルはそのままで、サナギはサナギのままだった。
その日の夕刻、下校途中でスーパーに寄ってみると、なぜか昨日あった蝶々のマシンは無くなっていた。
「なぜなんかな」
洋平は分からないまま家に帰った。
だだっと二階に上がって部屋に入った。
うん?机の上にあるはずのカプセルが無い。
おかしい、周りを見てみると部屋がきちんとしてある。
下りて母に尋ねると布団を干すときに部屋の掃除もしたと言う。
「カプセルとサナギを机の上に置いていたんだけど」
と言うと
「ああそれならゴミだと思って不燃ゴミの箱に捨てたわよ、あれサナギだったの、枯れ葉のかたまりかと思った」
枯れ葉のかたまりじゃないよ、とすぐに外の不燃ごみ用のゴミ箱を探すとカプセルはフタが閉まっていたが、すぐ見つかった。
サナギはカプセルの中にそのまま入っていた。
うん? よく見るとサナギの中身が無い。
留守中に羽化したのか、そうとしか思えない。
これじゃ枯れ葉のかたまりに見えても仕方ないかと洋平は思ったが、じゃ蝶々はどこにいる。
母に尋ねると
「ゴミ袋に入れたときは枯れ葉のような皮だけで中身なんか無かったわよ」
まさか蝶々に毒や害はないだろうと思ったが、自信はない。
部屋に戻って探したがいない。
天井にも壁にもベッドの上にも本棚にも窓のあたりにもいない。
また母に蝶々を見なかったかと言うと
「何も見てみてないわよ」
と面倒くさそうに言った。
家中、父の部屋も妹の部屋も手洗いも風呂場も見たが蝶々はいない。
一体どんな蝶々だったのか、あのスーパーにはもう蝶々のマシンは無かったし、どこか他のスーパーに行ってみるか、それとも電話して聞いてみるか、と思ったが、とりあえずもうどうしようもない。
蝶々はもうあきらめた。
カプセルとサナギも外の分別用のゴミ箱に自分で捨てた。
明くる日の朝のこと、洋平は目が覚めると左手の手のひらに少し痛みを感じた。
見るとゴマよりも小さな血豆ができている。
「何だこりゃ、虫刺されかな」
血豆をそっと取り除くと血は出ていないが、小さな穴が開いていた。
何かの虫がいるのかと洋平は思ったが、頭に浮かんだのはあのサナギから脱皮したのであろう蝶々だ。
だが蝶々が人の手を刺すようなことはないよな、と洋平は自分を納得させた。
また刺されたら燻蒸式の虫殺しで自分の部屋か家中を燻蒸しなきゃならない。
とりあえず虫に刺されたと言って母には見せたが、母も何の虫かは分からない。
「梅雨も近いし、今のうちに虫殺ししておくかね」
と母は言ったが、それ以上は相手が分からないので母も言いようがない。
その日、下校のときスーパーに寄ってみたが、やはりあの蝶々のマシンは無かった。
近くにいたスーパーの人に尋ねると担当の人がやってきた。
説明すると担当の人は首を傾げ、笑いながら言った。
「蝶々の、それも生ものと書かれた生きたサナギのマシンですかァ? そんなマシンは置いてませんが」
担当の人は最後まで笑っていた。
確かに笑われても仕方ない。
蝶々に羽化する生きたサナギが入ったカプセルマシンなんてあるわけない。
じゃ昨日あったマシンは、家にあったあのケースとサナギは何なんだよ。
母がカプセルとサナギの皮を一度は捨てているのだから妄想や幻想ではない。
洋平は少し混乱してきた。
次の日の朝がきた。
なぜか今度は右手の中指の第一関節のところがチクチクする。
昨日と同じ痛みで、やはり小さな穴が開いている。
「こりゃやっぱり虫がいる」
下に降りて台所にいる母に言うと、母も昨晩刺されたという。
テーブルに座っていた父と妹は刺されてないと言う。
みなで話し合って日曜日に燻蒸式の殺虫剤で虫殺しをやることに決まった。
その日が過ぎてあくる朝になった。
また痛みがあった。
今度は足、右足のくるぶしのところだった。
またか、と思って見るとやはり小さく乾いた血豆の下に穴が一つ開いていた。
台所に行くと妹が言った。
「兄ちゃん、私も刺された」
見ると耳タブに同じような血豆があって、それを除くと穴が開いている。
すると父も起きてきて言った。
「さっき気づいたんだが、おれも刺されてる」
父はなぜか尻を刺されていた。
母が言った。
「アンタ、だらしのない格好で寝てるからよ」
父は頭をかきかきしながら、妹とオレの傷を見て言った。
「いやいや面目ない、しかし何だろうなこりゃ。蚊でも蚤でもダニでもないぞ、こんな穴、それもみな血が止まっているし、痛みもない。かゆさもない。何だよこれは」
みんな見当がつかない。
何しろその現場を誰も見ていないのだ。
みな熟睡しているときに痛みも感じないまま穴を開けられている。
何よりも”そいつ”は穴を開けて何をしているのか。
今のところ、誰も身体には異常がない。
「血を吸われたのかしら」
妹が言うと母も父も、それも否定できないな、と言いたげな様子だ。
でオレはあの蝶々のサナギのことを話した。
「父と母はまさかそんなことがね、う~んなんだろねそりゃ。マシンもあくる日には消えていたのか、店の人も知らないって?」
妹はふざけて自分の頭を指さしながら
「お兄ちゃん、ダイジョウブ?」
と言った。
「ダイジョウブだよ」
と洋平は言ったが、三人は顔を見合わせながら、洋平の顔をじっと見ていた。
そりゃそうだろう、カプセルトイの中に生きたサナギがいて、それが羽化して蝶々になり、それが一家四人を次々と刺した、なんて誰も信じゃしない。
その日の夕飯は、その話しやら何やらで盛り上がったが、最後には思った通り、蝶々を持ち出した洋平が笑われて終わった。
そりゃみんなが笑うのも無理はない。
まるでSFかオカルトで、洋平自身も話しているとバカバカしいのだから。
どっちにせよ、明後日に虫殺しをやってからのことだ。
あくる土曜日、洋平はまた刺された。
肩がチクチクするので指でさわってみると、わずかに血がついた。
すぐに下りると父も妹ももう出かけていた。
二人とも昨晩は刺されていない、という。
「じゃオレだけがまた刺されたのか」
洋平はその日の夜は、また刺されるかと思うと寝付けず、朝までうとうとしながら起きていた。
でもそのせいか、その夜は刺されなかった。
朝、母が聞いたので
「起きていると襲わないらしい」
と言うとみなへ~というような顔をしていた。
父が
「そいつは一体どこにいるんだ、どこから来るんだ」
と誰にともなく聞いたが誰も返事はできない。
梅雨が近く蒸し暑いので家はエアコンきかしており、窓も掃き出しも閉めたままだ。
「そいつは夜行性だろう。
ならそいつがいるのは家の中、天井裏かもな」
と父が言った。
そして思い出したように言った。
「そういえば、若いときに山で二度ほどヒルに吸い付かれたことがある。
あれは吸い付かれても肌に穴を開けられても気づけず、血だけを吸われるんだ。
二度とも自分でヒルをつかんで引きはがしたが、あんときの傷口にそっくりだ。
もっともヒルの場合ははがしたとき、少し血が流れるけどな」
洋平も母も妹もへえ~と言ったが、まさか家にヒルがいるはずもない。
でも傷口と症状はヒルに似ていると父は言う。
いずれにしても正体を見極めるか退治しないと面倒なことになりそうだ。
何よりも今日は虫殺しの日だ。
これで何かが分かるかもしれないし、刺されるのも今日が最後かもしれないと思うと気分も違う。
燻蒸式の殺虫剤を使うので煙が出る。
この煙が外に出ないように家の中を密閉しなきゃならない。
窓も掃き出しも総て閉め、二階の天井裏への出入り口は洋平の部屋の押し入れの天井にある。
そこは出入り口にかぶせてあるベニヤの板だけ横にずらせばいいようになっているので洋平が自分でやった。
一階の押し入れの上にある天井裏への出入り口も同様だ。
トイレも風呂もタンスもみな開けっ放し、一階と二階に四個づつ燻蒸剤をたいて煙を出し、家族四人で車に乗って隣町の大規模スーパーに行った。
日が暮れてから帰宅して、ドアーを開けるとすでに煙はなく、わずかに臭いだけが残っていた。
アブラムシやクモや丸虫やアリ、ゲジゲジのような虫が台所やふろ場や居間にまでいくつも転がっている。
気づかないだけで普通の家庭にいるものばかりだ。
でも蝶々はいなかった。
母が洋平に言った。
「二階のアンタの部屋の天井板も元にもどしといてよ」
「ああ今からやっとこう。ちょうどいいから天井裏も見てみる」
洋平は小さなLEDのライトを持って二階に上がった。
押し入れの棚に上がり、天井裏に頭を入れてぐるりとライトを照らした。
ベニヤ板をずらしたときは下から手でずらしただけだから気づかなかったが、頭を天井裏に入れたとたんに臭った。
洋平は緊張した。
あのカプセルのフタを開けたときに臭った漬物のような臭いだ。
洋平はライトを照らしながら天井裏に肩まで入れて見ると、いた。
”そいつ”がいた。
”そいつ”は柱の角にとまっていた。
怪奇な姿だったが、不気味なほど美しいまだら模様の羽根をまとっていた。
その美しさが恐ろしさをなおも強調していた。
そしてでかい、羽根を広げればアゲハ蝶の倍以上はある。
確かに姿は蝶々だった。
間違いなく”そいつ”だが、あの燻蒸剤では死ななかった。
”そいつ”はまだらの羽根を上下にゆっくりと揺らしながら、柱を離れて洋平のすぐそばまできた。
でもそいつの目は蝶々ではなく、鳥の目のように丸くて大きく、はっきりと洋平を見ているのが分かった。
そして洋平は怖くなった。
口吻がまるで牙のように先が鋭く、先端が太い針のようになっていたのだ。
洋平はみんなを刺していたのは、こいつだと確信した。
じゃ何のために刺したのか、と洋平が思ったとき、”そいつ”はふわっと浮き上がってライトを持っている洋平の右手にとまった。
左手ではらおうとすると”そいつ”は洋平をにらんだ。
確かに洋平をにらんだのだ。
洋平がひるむと”そいつ”は、とんがった口吻を洋平の右手に近づけ、そのまんま突き刺した。
痛みはないが、口吻の管の中を赤いものが上がっていくのが見えた。
あの穴の意味が分かった。
”そいつ”は穴を開けて血を吸っていたのだ。
まさに蝶々の姿をしたヒルだった。
ほんの数秒で儀式は終わった。
見ると手にあの小さな穴が開いていた。
”そいつ”は天井裏にひそんで人が寝静まると家中を飛びまわって血を吸っていたのだ。
「すぐに皆に言わなきゃならないが、こいつを逃がすわけにはいかない。
逃げられたら、もう誰に言っても信用されないだろう。
となると捕まえるか、殺すかだ」
洋平は急いで机の上のノートを取ると押し入れに戻った。
そいつは動かずにいた。
そして洋平を見ている。
洋平がノートを取りに出たときも逃げなかったのだ。
人間なんか怖くもなんともないらしい。
洋平はノートを腰のあたりで構え、勢いをつけて一気にそいつの上から振り下ろした。
”そいつ”は、もだえるように体をひねって鱗粉のような粉を、巻き散らかせた。
二度三度、どれほど丈夫なのか分からないから、何度もたたくとおとなしくなった。
そしてノートで押し入れの棚に掃き落とした。
死んだようだった。
もうピクリとも動かない。
下から母の声がした。
父が階段を上がってくる。
みなに見せて場合によっては市役所か保健所に連絡しなきゃならない。
洋平は天井のベニヤ板を元に戻すと父に見せた。
台所でみんなで蝶々の死骸を見ながら、明日保健所へということになった。
洋平は安心した。
「これですんだ、もう刺されることもない。
大事にもならなくて良かった」
床に新聞を敷いて蝶々の死骸はそこに置き、上にも新聞をかぶせた。
自分が持ち込んできたサナギでここまで騒動が続いた。
もう終わったと洋平は嬉しかった。
だが洋平は気づかなかった。
蝶々がとまっていた柱の裏側には、あのサナギがいくつも団子になってぶら下がっていたことを。
まだらの羽根 妻高 あきひと @kuromame2010
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます