8-4

 外付けの階段を昇った先、二階建ての管制塔ビルの屋上には、胸元までの高さの塀が四方を囲む以外には何もない。見晴らしの良すぎるその場所に踏み出して、トビーは周囲をぐるりと見渡した。

 照明に照らし出された発着場の端に位置する管制塔は、その背後には荒涼たる大地が広がっている。振り返って建物の正面には、遠くに発射台の影が待ちくたびれたかのように佇み、そこからさらに左へと視線を滑らせれば、今まさに地中から全身を現しつつあるシャトルが目に入った。

 今やシャトルは最下部のロケット部も半ばまで姿を見せ、その高さは既に百メートル以上もあるだろう。星が瞬く中天に向かって突き出されていく様は、背後に連なって見える火山連峰の稜線と重ねれば、荘厳にさえ見えるかもしれない。

 だがトビーの胸中に、そんな感慨が湧くことはなかった。

 切れ長の目に潜むグレーの瞳は、塔の如く聳え立つシャトルよりもやや手前を見つめている。彼の視線の先では、赤黒い岩に覆われているとしか思えない長大な龍の巨体が、既にシャトルの足下までにじり寄ろうとしていた。

 先端でもたげられた頭部は、さながらシャトルに絡みつく足掛かりを探しているかのようだ。

「初めて龍を見たとき、あいつは軌道エレベーター塔にがっしり巻きついていた」

 妙案が浮かんだというソリオが、次いで口にした思わせぶりな台詞を、トビーは思い返す。それがどうしたと尋ね返したところ、ソリオは得意気な顔をして言ってみせたのだ。

「同じような塔を見つけたら、あいつはまた同じように絡みつくんじゃないか?」

 それは長年龍を追い続けてきたトビーにも思いもよらぬ発想であった。もっともあの巨体を絡められるような代物が、この星にそうそうあるはずがないのだから無理もない。軌道エレベーター塔に巻きつく龍を見たのは、トビーもあれが初めてのことなのだ。

 ソリオにとっては塔に絡みつく龍の印象が強すぎたがために、トビーに先んじて『いいアイデア』を思いつけたのかもしれない。

「塔に見立てたシャトルに龍を巻きつかせるとは、上手いことを考える」

 塀の上に片肘を乗せて、照準装置ポインターを構える。その先をシャトルに向けてスコープを覗くと、ロケット部に身体を絡ませ始めている龍の姿が見えた。トビーは薄い唇を舌先で舐めながら、その調子でさっさとシャトルの先端まで登りつめろと、声に出さずに呟く。

 垂直に聳えるシャトルに絡みついた龍であれば、衛星砲の照準光も標的をカバーしやすい。しかも軌道エレベーター塔での一件を振り返れば、一度シャトルに巻きついた龍はそのまましばらく動き出すこともないだろう。トビーにとっては願ってもない、龍を仕留める絶好の機会である。

「ついでにシャトルの中身・・から採掘坑まで、もろとも吹き飛べば一石三鳥か。えげつねえ野郎だぜ」

 シャトルごと龍に衛星砲を放てば、当然のことながら中にいるマテルディも、そして採掘坑を改造した整備工場もまとめて消滅することになる。消極的ながらマテルディの逃亡を後押ししていたように見えたソリオが、一転して彼女を『処分』する気になった、心境の変化の理由はわからない。またわかる必要も無いのだろう。

 大事なことは、千載一遇のチャンスが目の前に訪れたということである。この機を逃そうものなら、とんだ間抜けも良いところだ。

「何しろ龍追い人共ドラゴン・チェイサーズ復活の夜だからな」

 低い声で呟いたトビーの脳裏に束の間、忘れ去っていたはずの過去が蘇る。それはかつて照準装置ポインターを入手する前のこと、彼がデミルと共に龍を追いかけ回していた頃の記憶だ。

 当時のふたりを呼び倣わしたその通称を、まさかソリオに口にされて、トビーが内心微かにでも動揺しなかったと言えば嘘になる。デミルが負傷してハンターを引退して以来、誰も口にすることのなかったその呼び名を耳にして、トビーの胸中にはいつにも増して昂ぶるものがあった。

「あいつの目玉の借りだ。たっぷり利息をつけて返してやる」

 そう言って頭に巻き付いた包帯を剥ぎ取ると、ザックにかち割られた傷痕は既に出血も止まっている。代わりに左眉の上の火傷痕を引き攣らせ、スコープに右目を押しつけながら、トビーは照準装置ポインターの銃底のボタンを親指で力強く押し込んだ。

 同時に夜闇を切り裂くかのように細い光条が天空から垂れ落ちて、その先がシャトルの鼻先を照射する。


 ◆◆◆


 全体の九割方を地上に出現させた、尖塔のように聳えるシャトルの足下には、今や龍の身体ががっしりと絡みついていた。龍は歪なドリル状の頭部を時折り振り回しながら、なおも上へ上へと身体を這わせていく。

「思いのほかシャトルが好みに召したようで何よりだ。あれならトビーも的を外すこたあないだろう」

 管制室の席から半ば腰を浮かして、デスクに両手をついたソリオが発した声は、心持ちはしゃいでいるようにも聞こえた。その後ろに佇むアイリンは、両腕を組んだまま窓越しの光景を凝視している。

 航宙省トップの責任まで問える物証を手に入れた彼女には、もうこれ以上口を挟む資格はない。そもそもこの状況でマテルディ・ルバイクを拘束することは、物理的に不可能だ。にも関わらずソリオが取引を持ちかけてきたのは、司法捜査官であるアイリンもマテルディ『処分』の共犯者とするためだろう。

 それについてはアイリンも今さら異論は無い。ただ彼女には、未だに納得いかない点がある。

「どうしてマテルディ・ルバイクを『処分』する気になった?」

 トビーが照準装置ポインターの照準光を灯したのだろう、龍が這い上がるシャトルに上空から光の筋が注がれる。暗闇を貫くようにそそり立つ光の柱が、徐々に太さを増していく光景を前にしながら、アイリンの黒い瞳はソリオの背中に注がれていた。

「彼女の亡命を見届けるつもりが、なぜいきなり『処分』に踏み切った」

「……アイリンはさあ」

 デスクに両手をついたまま立ち上がったソリオは、だがアイリンの顔を振り返ることなく口を開いた。

「宇宙港爆発事件を捜査してたなら、どうして被害があんなにでかくなったか、よく知っているだろう?」

 爆発のあった当日、宇宙港では複数の宇宙船で機関故障が生じ、その整備に追われていた。それとは別に係員の操作ミスにより、ドッキングアームが着船デッキに衝突するという事故まで発生していた。相次ぐトラブルに運行スケジュールは大幅に狂い、本来は使用予定のなかった施設まで稼働させることで、その日をなんとか凌いでいたのだ。

 爆発が起きたドックには、本来ならメンテナンスのため使用予定外だったところを解放されて、大型客船が係留中であった。つまり様々なトラブルが頻発しなければ、被害ははるかに少なかったと考えられている。

「ぐちゃぐちゃになった運行予定をこなすのに、空きドックから軍用施設まで数に足して見事にスケジュールを捌いてみせたのは、何を隠そうこの俺なのさ」

 そこで赤毛の頭を掻きながら、なおも背を向けたままのソリオは、ふうとため息を吐き出した。

「管制担当の連中までパニックの中、俺の鮮やかな機転でピンチを乗り越えて、周囲の連中からは拍手喝采。いやあ最高の気分だったぜ。もっとも一時間もしない内にあの爆発が起きて、今度はどん底に叩き落とされたけどな」

「……お前の責任ではないだろう」

 それ以外口にしようがないアイリンの言葉を受けて、ソリオの背中は心持ち肩をすくめてみせる。

「爆発の衝撃でしっちゃかめっちゃかなオフィスで、今度は俺がパニックさ。真っ白になった俺の頭に、最初に思い浮かんだのはなんだと思う?」

 そしてようやく振り返ったソリオの顔には、ありありとした自嘲が片頬に張りついていた。

「『こんなとき、マテルディがいてくれれば』『助けてくれ、マテルディ』そればかりを念じてたよ」

 デスクにひょいと腰掛けて、ソリオは傍らのホログラム・スクリーンに目を向ける。シャトル機内の様子が映し出された映像の中では、絡みついた龍に締め付けられて激しく軋む機体に、目に見えて狼狽えるマテルディの姿があった。

 かつての同僚が哀れなほど怯えている様を一瞥してから、ソリオはコンソールに指を走らせると、おもむろに彼女に声をかけた。

「よう、マテルディ。なんだか大変なことになってるな」

 すると映像の中のマテルディが、はっとした顔で機内を見回す。どうやらソリオの声は機内にアナウンスされているらしい。

「何が起こってるのかわからないだろうから、教えてやるよ。シャトルは今、龍にがっしり巻きつかれてる。君もさっき見ただろう、あのとんでもなく馬鹿でかい龍だ」

 管制室の窓の向こうでは半ば以上龍に巻きつかれたシャトルが、太い光の柱に包み込まれつつあった。柱は太さをなおも増し続けて、未だ光の外にある龍の尻尾まで飲み込もうとしている。

 そしてホログラム・スクリーンの中では、マテルディが呆然とも驚愕ともつかない顔で立ちすくんでいる。そんな彼女に、ソリオはいっそ優しいほどの声音で囁きかけた。

「マテルディ、君は俺に裏切られたって言う。だからお仕置きしたんだと。それはまあいいんだ。俺に勝手に期待して勝手に失望する女は、これまでも何人もいた。今さら驚くことじゃない」

 そう言ってデスクに備え付けられたマイクに口元を寄せるソリオは、次の瞬間表情を一変させた。

「だけどそのために宇宙港を爆発するって、何がどうトチ狂ったらそうなるんだよ」

 発着場の照明を寄せつけないほどに眩い、衛星砲の照準光がソリオの顔を照らし出す。その若草色の瞳に宿るのは、一片の情も窺えない、冷ややかな輝きであった。

「あんたがイカれたことしてくれたせいで、千人以上があの世行きだ。それがこんなふざけた理由だなんて、みんな死んでも死にきれねえ」

 ソリオの突き放した物言いに、スクリーンの中のマテルディは涙ながらに激しく首を振る。違う、そんなつもりはなかった、私は悪くない、お願い、許して。マテルディの唇の動きはそれらの言葉を口走っているように見えたが、彼女の声はソリオに届かない。

 そしてソリオの中にはもう、彼女が何を言おうとしているのか、そのことについての関心は消え失せていた。

「あんたはもう、死んであの世で詫びるしかねえよ。自分が殺した連中に、せいぜい袋叩きにされてこい」

 ソリオがそう言い捨てたのと、シャトルと龍に降り注ぐ光が急激に輝きを増したのは、ほぼ同時のことであった。

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