8-3
管制塔ビルの中に踏み入った三人は、二階の管制室にたどり着くまで、人っ子ひとり見かけることはなかった。どうやら龍の出現に泡を食って、警備員まで含めて全員が逃げ出してしまったらしい。ビル内を制圧するために余計な殺生をしないで済んだのは、不幸中の幸いというべきか。
三席しかない管制室は、窓際につるりとしたプレーンな長デスクが備えつけられて、その上にいくつかのモニタがずらりと並んでいる。さらにその上に嵌め込まれた窓越しには、明かりに照らし出された殺風景な発着場が広がっていた。右奥にはシャトルの発射台が、反対側の左奥にはシャトル本体が地中から機体を覗かせている様が、共にはるか遠くに見える。
そして全身を地上に現した龍の巨体は、豪快に振り回される尻尾を管制塔側に、頭部はどちらかといえばシャトルに向けて、ずるりずるりと前進しているように見えた。
「システムをロックもしないでほっぽり出すとか、職務怠慢も極まれりだな。お陰で手間が省けるのは助かるけど」
ソリオが空いた椅子のひとつに腰掛けると、デスク上に様々なコンソールを模した照明パターンが浮かび上がる。その上に早速指を走らせようとしたソリオの肩を、背後からアイリンの右手が掴んだ。
「待て」
その手は華奢なように見えて思いのほか力があり、ソリオは椅子ごと回転させられて彼女と対面する。
「まず、現物の引き渡しが先だ」
無造作に突き出された手を前にして、ソリオがへらっと笑う。だがアイリンの表情が仏頂面から一ミリも動かないことを確かめると、肩をすくめてからジャケットの内に手を伸ばした。
やがて彼の手が銀色の筒身に赤い吸い口のベープ管を取り出したのを見て、アイリンの冷ややかな目が見咎める。
「誰がベープを吸えと言った」
「慌てんなよ、ほら」
ソリオが両手の中のベープ管を軽く捻ると筒身の一部が開き、そこからリキッド筒に似たカプセルが覗いた。
「こいつが例のブツだ」
そう言ってソリオが親指でぴんと弾き飛ばしたカプセルを、アイリンは空中ではっしと掴み取った。手の内から摘まみ上げた無機質な銀色の筒を、親指と人差し指の間に挟んで目の前で翳しながら、アイリンが自然と目を眇める。
「この中に、管制システムの
「マザー
ローベンダールへの亡命資金を捻出するために、マテルディが宇宙港から秘かに持ち出した管制システムの
「爆発事件の犯人をマテルディと決め打ちするにはちと弱いが、そんなもん盗み出されたこと自体が大スキャンダルだ。航宙省は管理責任を問われること間違いなし。上手くすりゃ大臣の首だって獲れるぜ」
「……お前はこいつをネタに、バララト本国への復帰を持ちかけるつもりでいたんだろう。本当にいいんだな?」
「そいつは今さら言いっこなしだ」
ベープ管を軽く振り回しながら、ソリオの口元には相変わらず薄い笑みが張りついている。
「
そう言ってウィンクしてみせるソリオと、銀色の筒状カプセルを何度か見比べてから、やがてアイリンは無言でカプセルをコートの内に仕舞い込んだ。それはつまり、航宙省にひと泡吹かせる代わりに、マテルディの処置には口をつぐめというソリオの提案を、彼女が呑んだことを意味していた。
一連のアイリンの振る舞いを見届けて、ソリオの唇の端が笑みを象って歪む。
後ろめたさに満ちたふたりのやり取りをよそに、トビーは管制塔のカメラが捉える映像を確認しながら、通信端末に呼び掛けていた。
「おい、本部長。いい加減に目は覚めたか?」
「貴様、この真夜中に叩き起こして、どういうつもりだ」
通信端末の向こうでは、熟睡を妨げられたタヴァネズの不機嫌な声が喚き立てている。もちろんトビーは彼女の不平などまるで構わずに、言いたいことだけを言い放った。
「今から映像を送るから、ちゃんと最後まで見届けろ。てめえが泣いて喜ぶショーを披露してやる」
「なんだと? どういう意味だ、トビー!」
それ以上の会話は不要とばかりに、トビーは一方的に通信端末をオフにした。肩の
「これであの女も最後まで共犯だ」
「通信切っといて、その言い訳は通用するのか?」
「タヴァネズが途中でストップをかけるわけがねえ。終わった頃には喝采上げてるさ」
「なるほどね」
ソリオはトビーの断言に頷くと、そのまま椅子をくるりと回転させて、再びコンソールに向き合った。
「準備が整ったところで、では始めますか!」
そう言い出す前から、彼の両手の指はコンソールの上を走り出していた。絶え間なく駆けずる指先の動きにつられるように、やがて据え付けのモニタから浮き上がったホログラム・スクリーンまで、いくつもの画面が展開される。
「軌道エレベーター塔も大概だったけど、こいつはまた輪をかけてボロいシステムだな」
ソリオの頭の中には、最新型から骨董品レベルまで様々な管制システムに関する知識が詰まっている。その多くはマテルディから手解きを受けたものだ。基礎重視の指導は当時のソリオには退屈極まりないものだったが、それがこうして役に立つ日が来るのだから、彼女の言うことは正しかったのだ。
「礼を言うぜ、マテルディ」
傍らに浮かんだホログラム・スクリーンの映像には、シャトル機内の客席に落ち着かない面持ちでひとり腰掛けるマテルディの姿が映し出されている。ソリオはその映像を見る目を一瞬だけ細めてから、コンソール状の照明パターンの内、際立って赤いボタンを模した輝きを軽やかに叩く。
その動きに最初に反応したのはトビーでもアイリンでもなく、コンソール・デスクに備え付けられている通信端末であった。
「馬鹿野郎、何を考えてやがる! この状況でシャトルを打ち上げる気か!」
「穴の中にはまだ人が残ってたんだな。感心、感心」
それはシャトルのコンテナ部から下が未だ収まった、採掘坑を改造した整備工場からの通信であった。聞き慣れないソリオの声を耳にして、通信端末の向こうで緊張する気配がする。
「お前、誰だ? いや、誰でもいい。今すぐ打ち上げ準備を止めろ」
「ところがそうはいかないんだなあ。おっと、緊急停止装置は無駄だよ。そちらからのコントロールはさっき全部解除させてもらった」
「何? そんなことが――」
相手は慌ててソリオの言葉を確かめようとする。一方で窓の外ではついに、トビーとアイリンの目にもわかるような変化が生じつつあった。
遠目に見えるシャトルが、徐々に地中から迫り上がり出している。
「忠告するよ。工場に残ってる奴がいるなら、三十分以内に全員退避しろ。そこから先は、安全は保証出来ない」
ソリオが憐れみ半分、突き放し半分の口調でそう告げると、端末越しの相手はくぐもった声で唸り、そして尋ねた。
「何をするつもりだ。お前らいったい何者だ」
そうしている間にもシャトルはコンテナ部までが地上に姿を見せて、いよいよ推進剤タンクとロケット部が現れつつある。その様子を確かめて小さくほくそ笑んでから、ソリオは通信端末に向かって答えた。
「俺たちはあの龍をぶちのめす為にやって来た、
そして通信を打ち切ったソリオの横顔に、トビーが切れ長の目の端から視線を注ぐ。
「その
「当たり前だろう。あんたを差し置いて名乗れるわけがない」
さも当然といった笑みを若草色の瞳に浮かべて答えるソリオに、トビーが大きく舌打ちする。
しばし無言のまま絡み合うふたりの視線は、「動いたぞ!」というアイリンの声を聞いて、揃って窓の外に向けられた。
発着場で気儘にのたうち回っていた龍が、巨体の先端をいつの間にか一定の方向に定めている。目も鼻も口も見当たらない無機物にしか見えない頭部は、どうやら地中から迫り出すシャトルの姿を捉えたらしい。
それまでの無軌道な動きを止めて、ずるりずるりと前進する速度を上げながら、今や龍の巨体は明らかにシャトルに向かって突き進んでいる。
「よっしゃ、餌に掛かったぞ。狙い通りだ」
思わず歓喜の声を上げたソリオが振り返ると、既にトビーは扉を開けて、屋外の階段へと向かおうとしていた。
「てめえの仕込みとしちゃ上出来だ」
口角を吊り上げた隙間から犬歯を覗かせて、トビーがソリオの顔に指先を向ける。
「ここから先は俺の仕事だ。お前らはそこでゆっくり見物してろ」
そう告げるトビーの顔には、もはやソリオもすっかり見慣れてしまった、凶悪な笑みが浮かび上がっていた。
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