8-2
「赤毛はどこだあああ!」
丸太ほどもありそうな太い右腕が、唸りを上げてトビーの顔面に襲いかかる。迫り来る拳に対して、だがトビーは冷静だった。すかさず右手に構えたハンドガンが放たれて、額に一撃を食らったザックはもんどり打って倒れ込む。
「人にものを尋ねるのに、ぶん殴ろうとするんじゃねえよ」
ひっくり返った大男に唾を吐き、
「咄嗟に
「こんな野郎にまた
忌々しげな顔で答えながら、トビーは改めて背後に横たわる龍を振り返った。衛星砲に穿たれた爆発跡から現れた龍は、岩石のような鱗を一枚一枚不気味に蠢かしながら、全身這い出るべく少しずつ前に進んでいる。トビーが見たところ、地中に埋まるのは残すところ四分の一を切った具合か。
「畜生め。シャトルがいなけりゃ、あの穴に叩き込むところを」
実際のところを言えば、地上にシャトルを据えつけられない場合、整備工場と化した採掘抗は隔壁によって塞がれている。だからトビーの言うことはそもそも不可能なのだが、そんなことを夢想するほどに彼は頭を悩ませていた。
龍の身体を二回か三回に分けて焼き尽くしていくか。このだだっ広い発着場なら、よほどのことが無い限り焼き残しを見失うこともない。だが衛星砲の照準光を最大限に広げても、龍の身体はまだ半分以上が残るだろう。次弾を撃つまでのチャージ時間に生き残った部分が地中に潜ってしまえば、元も子もない。
タヴァネズまで共犯に巻き込んで手に入れた、またとない機会である。なんとしてもここで龍を仕留めなければならない。ハンドガンの銃底で自らの頭を小突きながら、トビーは思案する――
「キャブラギー!」
アイリンの叫ぶ声が聞こえたのと、トビーの身体が背後から吹き飛ばされたのは、ほぼ同時であった。どうやら
全身の骨が砕けんばかりの衝撃に、思わず喉の奥から声にならない声が漏れる。痛みを堪えつつ辛うじて開いた目が次に捉えたのは、今まさに顔面へと振り下ろされそうな拳であった。
「クソッ!」
すんでの所で身体を捻り、間一髪躱した拳がアスファルトにめり込む。転がりながら立ち上がったトビーの目の前には、先ほど
「
そんな忠告が耳に入るはずもない。ザックは砕けた拳を持ち上げて、ゆらりと立ち上がる。トビーは舌打ちしながら、今度は
「そいつから離れろ、キャブラギー!」
ふたりから一歩引いた場所で、ハンドガンを構えたアイリンが叫んだ。撃とうにもトビーとザックが近すぎて、誤射を怖れているのだろう。
だがトビーはその言葉に素直に従おうとはしなかった。
「邪魔するんじゃねえ!」
その怒声はザックに向けられたものか、それともアイリンを制したものか。大きく振りかぶられた太い右腕をかいくぐって、トビーが素早く間合いに入り込む。そして鋭く振り抜かれた左拳が、ザックの顎先を激しく揺らした。
もともと正気を失っていたザックは、脳震盪を起こして半ば白目を剥きながら、崩れるようにして俯せに倒れ込む。
足下を見下ろしながら、トビーはようやく深い息を吐き出した。
「ふざけんなよ、全く。誰だ、こんな化け物を寄越したのは」
その黒幕はおおよその当たりがつくから、トビーの眉間に深い縦皺が寄る。八つ当たりとばかりにザックの顔を踏みつけようとしたトビーが片足を上げたそのとき、ふと地面を引きずる地鳴りのような音が耳に飛び込んできた。
顔を上げれば俯せになったザックの足先のすぐ側まで、龍の巨体が迫りつつあった。全身を地中から引き抜くため、長大な身体を左右に振り回しているのだ。あんなものに巻き込まれたら、残骸と化したヘリやワゴン車を見るまでもなく押し潰されかねない。
その場から後退ろうとしたトビーは、次の瞬間片足をがっしりと掴まれてつんのめった。
「チュールリーを返せえええ!」
彼の足首を握り締めるのは、ほとんど身動き出来ないはずのザックの右手であった。砕けたはずの手で、その握力はどこから出てくるのか。
「てめえ、この死に損ないが、放しやがれ!」
トビーがもう一本の足で何度蹴り上げても、ザックは掴んだ手を放そうとしない。そうこうしている間にも、赤黒い岩肌のような龍の巨体が唸りを上げて迫ってくる。
その瞬間、ザックの手首が派手な音を立てて炸裂した。
見れば腕の先からは鮮血が噴き出して、トビーの足首には引きちぎれた手首が掴まっている。
拘束を逃れたトビーは機を逃さずに、手首をぶら下げたままに大きくその場を飛び退った。後に残されたザックは失われた手首に目もくれず、「チュールリーいいい!」と叫び続けながら、やがて龍の身体の下に巻き込まれていく。
押し潰されるザックを見届けて、冷や汗を拭うトビーの耳に、アイリンの声が届いた。
「邪魔して悪かったか?」
撃ち終えたばかりのハンドガンをコートの内に仕舞いながら、アイリンが唇の端を上げる。トビーは足首に絡んだザックの手首を振り払いながら、「はっ」と吐き出すように笑い返した。
「奴の全身が這い出る前にここを離れるぞ。あの馬鹿でかい尻尾をぶん回されでもしたら、俺たちはあっという間にお陀仏だ」
その場を駆け出したふたりが目指したのは、発着場の隅にぽつねんと立つ管制塔――といっても二階建ての建屋であった。あそこまで離れていれば、よほど龍が暴れ回っても、さすがにその巨体が届くことはない。
全身を左右にうねらせて地鳴りを響き渡らせる龍から距離を取るべく、管制塔に向かって全速力で走る。いつ龍が地中から全身を引き抜いて、巨大な尾を振り回すとも限らない。時間との勝負とばかりに駆けるふたりがようやく管制塔の前にたどり着いたのと、ビルのように太い龍の尾が姿を現したのは、ほぼ同じタイミングであった。
トビーたちが思わず安堵の息を吐き出していると、まるでふたりの到着を見計らったかのように、建物の陰から聞き覚えのある暢気な声が呼びかけた。
「つくづくとんでもない馬鹿でかさだな。あんなに勢いよく尻尾を振られたら、風に煽られてここまで悪臭が漂ってくる」
「てめえ、生きてたのか」
容赦の無いトビーの言葉に、現れたソリオが苦笑した。
「相棒に向かってそりゃないだろう」
「マテルディ・ルバイクはどうした? 一緒だったんじゃないのか?」
彼の顔を見たアイリンが開口一番、彼女にとっての大事を鋭く問い質す。するとソリオは頭を掻きながら、困ったような笑顔を見せた。
「そのことなんだけどアイリン、実はひとつ相談がある」
何を言い出すのかと、アイリンが眉をひそめる。その横で胡散臭いものでも見るような顔のトビーとを見比べてから、ソリオは両手をいっぱいに広げてみせた。
「ここに集まった化け物たちを、まとめて吹っ飛ばすいいアイデアがある。ふたりとも、少しばかり聞く耳持たないか?」
口元に相も変わらぬ薄い笑みを浮かべながら、そう語るソリオの若草色の瞳は、一切笑っていなかった。
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