2-5
「私が経営する大事な店だよ。オーナーとして心配するのは当然じゃないか」
元の顔からして笑っているような造りのゲンプシーが、ことさら作り物めいた笑顔でそう答えた。
「欲を言えば、さっさとその
「死体が出たら困るのはお互い様だろ」
相手の笑みにとても応じる気にはなれず、トビーは無愛想に言い返す。
「違法ベープの
ジャケットの上からハンドガンの収まったホルスターの位置を軽く叩きながら、トビーは肩をすくめてみせた。
「今日び、
「相変わらずひどい話だ。なあ、トビー。いい加減に保安官なんてやめて、私のところで働かないか」
ゲンプシーは慈悲深いつもりなのだろう笑顔を満面に浮かべながら、両手を広げてトビーの前に進み出る。
「給料なら今の倍は出すよ。もちろんご執心の
「それでこいつみたいな
そう言ってトビーはゲンプシーに背を向けると、足下に俯せになったままの大男の背中を蹴りつけた。床に顔を打ちつけた際に鼻でも折れたのだろうか、頭の周りには細かい血飛沫が飛び散っているが、毛ほども動く気配はない。保安官仕様の
「この野郎はいったい誰なんだよ。見かけねえ顔だが」
するとトビーの肩越しに大男を見下ろしたゲンプシーが答えた。
「ザックだな。確か去年、うちの資源採掘場にやって来た男だ。普段は街に降りてこないから、お前が知らないのも無理はない」
「鉱山仕事に嫌気がさして、違法ベープに手を出した末に借金塗れ。おおかたそんなとこか」
大男の後頭部に唾を吐きかけてから、トビーはゲンプシーに向き直った。
「お前んとこで飼ってた野郎なら、ちゃんと躾けとけ」
「いくら私でもそこまでは責任持てんよ。ただ首が回らなくなったザックが、借金のかたに女房をこの店に売り払ったのは確かだな」
ゲンプシーは太い指先で口髭を撫でながら、したり顔で頷く。福々しい顔を崩さぬまま他人事のように呟くちょび髭面を、トビーは蛆虫でも見るような目つきで見返した。
どうせこのザックとやらを借金漬けにしたのも、ゲンプシーの息がかかった金貸しに違いないのだ。というよりも彼というケツ持ち無しに、この星でなんらかの商売をすることは極めて難しい。
ゲンプシーは娼館『ロイヤルサロン』や資源採掘場を経営するだけではない。およそエンデラのありとあらゆる経済活動を、表からも裏からも牛耳る男だ。といってもバララトという巨大な複星系国家にあって、辺境中の辺境にあるエンデラの金回りを握ったところで高が知れている。所詮猿山のボスに過ぎないくせにことさら大物ぶった彼の態度が、トビーは昔から気に入らない。
「てめえで女房を質に入れといて、その店に殴り込みかけるたあ。頭がイカれるにも程があるだろ」
「珍しくもない。
その言葉に頷くのはトビーには癪であったが、事実その通りなので反論する気も起きない。
「俺はもうこれ以上働かねえぞ。殺さなけりゃ何も言わねえから、後の始末はお前たちでやってくれ」
そう言ってこの場を立ち去ろうとするトビーの肩に、ゲンプシーの大きな手が気安く乗せられる。
「保安官のお務めご苦労。チュールリーは最近入ったばかりだが、将来有望でね。怪我されたりしなくて良かったよ」
「将来有望ったって、この店じゃどいつも似たようなもんじゃ――」
トビーはゲンプシーの手をはたき返しながら、まだチュールリーとやらの顔を見ていないことに思い至った。
「言っておくが、俺はその女が無事かどうか確かめてねえぞ」
「それなら心配ない。彼女なら二階の避難部屋にいるはずだ」
「あの、非常口のついた部屋か」
今回のザックが起こした騒ぎほどではないにしろ、『ロイヤルサロン』では同様のトラブルは日常茶飯事である。いざというときの避難用のスペースが常備されていることは、何度もそのトラブルに対処してきたトビーもよく知っていた。
「だがお前の言うことももっともだ、トビー。私も引き上げる前に、彼女の顔を見て安心しておこう。おい!」
ゲンプシーは後ろに控える部下を振り返ると、それまでの穏やかな声から一転して腹の底に響くような太い声で呼びつけた。チュールリーを呼び出すよう命じられた部下は、床に伏せっぱなしのザックの巨体を跨いで階段に向かう。部下の背中を目で追いながら、ゲンプシーは一段声を落として囁きかけた。
「チュールリーはまだ若いが、なかなかの上玉だ。少しは興味が湧かないか?」
「湧くわけねえだろ、阿呆らしい」
トビーは心底興味なさげに、ゲンプシーから顔を背けた。結局この男は見た目ばかり大物ぶっても、下品な性根は隠しようもない。
改めて階段に目を向けると、ちょうどゲンプシーの部下が階上へと姿を消したところであった。そういえばゲンプシーが現れたことで忘れていたが、あの赤毛のにやけ面もこの階段を駆け上がっていったことを思い出す。
「あの野郎、どこまで逃げやがった」
トビーが階段の上を見上げてそう呟いてからも、降りてくる者はなかなか現れない。
やがてゲンプシーの部下が戸惑い気味な顔で戻ったのは、それから十分以上も経ってからのことであった。
「ボス、チュールリーがいません」
予想外の部下の報告に、それまで一貫して細められていたゲンプシーの目が軽く見開かれる。同時にその太い右腕が、恰幅の良い体格に似合わぬ素早さでしなった。見ればいつの間にかゲンプシーの手には神経鞭が握られており、打撃を喰らった部下は苦悶の声と共に床の上をのたうち回っている。
「会長と呼べと、何度も言っているだろう」
「も、申し訳ありません、会長……」
這いつくばる部下を冷ややかな視線で見下ろしながら、ゲンプシーが改めて問う。
「それで、いないとはどういうことだ?」
「そ、それがその、チュールリーは既に外に避難した、と」
息も絶え絶えな部下の答えに、ゲンプシーが太い眉を片方だけ跳ね上げた。
「何を馬鹿な。よほどのことがない限り避難部屋なら安全だと、彼女も知ってるはずだ」
「い、いや、それが。ほかの女たちに訊いたんですが、ここは危険だと言われて、そいつと一緒に逃げ出したそうで」
「誰だ、そんなことを言い出した奴は」
問い質すゲンプシーの福々しい顔から、にこやかな表情が抜け落ちていく。その横顔を眺めつつ、トビーの脳裏には極めて確度の高そうな嫌な予感がよぎっていた。
やがてえずきながらも顔を上げたゲンプシーの部下が、トビーの予感を裏付ける答えを口にする。
「赤毛の、背の高い男だそうです。管理官とかなんとか」
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