2-4

「『ロイヤルサロン』たあご立派な名前だね」

 観念して車の助手席に乗り込んだソリオが、目的地である店の名前を口にした。

「実はどこぞの王侯貴族がお忍びで遊びに来るような、秘密のクラブとか?」

「そんなわけねえだろう。ただの娼館だ」

 トビーはしかめ面のまま答えながら、操縦レバーを押し倒して車のスピードを上げる。大通りに出ることなく、細い小径を走り抜けるものだから、先ほどから慌てて避ける人影が後を絶たない。

「とても保安官の運転ぶりに思えねえなあ」

「安心しろ。この街の連中は、俺の車を見かけたら飛び退くように教育してある」

「それはそれでどうなんだよ」

 ソリオが呆れ顔でぼそりと漏らした言葉は、エンジン音に掻き消されてしまった。どうやらトビーの耳には入らなかったことに安堵しながら、ソリオは話題を引き戻す。

「ただの娼館って割には随分と慌ててるんじゃないか?」

 するとトビーは視線を前に据えたまま、眉間に深い縦皺を寄せた。

「店のオーナーが面倒臭えんだよ」

「面倒臭いって……」

「この街の実力者を気取った、ゲンプシーっていけ好かねえ男だ」

 そう吐き捨てると、トビーはさらに操縦レバーを倒した。ソリオが顔を引き攣らせるのも構わずに、一層速度を増した車は狭い小路を駆け抜けていく。

 やがて到着した先は、網の目のような街並みの中にぽっかりと開けた広場であった。中央には水の涸れた噴水にたむろしたり蹲ったり寝転がったりする人影が見受けられ、周囲をぐるりと囲むいくつもの建物沿いにはトビーの車と似たり寄ったりの車が数台停車している。

 トビーは空いたスペースにカーキ色の車を停めると、勢いよく運転席のドアを開けた。

「さっさと片づけるぞ。あんまり引っ張ると、ゲンプシー本人が出てきてややこしくなる」

 車から降りながら、トビーがフライトジャケットの内からハンドガンを取り出す。後に続くソリオが「俺の武器は?」と尋ねても、「そんなもん、自前でなんとかしろ」と素気ない返事しか返ってこない。

 引っ張り回されるばかりでそんな暇も伝手もあるわけがないと抗議をしても、無駄であることは明らかであった。諦めたように肩をすくめて、ソリオは向かう先にある建物に目を向ける。

 ホテルのように複数階建ての大きな構えなのに、決してホテルと見間違えることはないのは、そのけばけばしい外観のせいだ。外壁にはこれでもかと言わんばかりに電飾が張り巡らされて、目に痛いほどのピンクを中心とした強烈な目映さを放っている。時刻はそろそろ夕刻から夜に移ろう頃合いだが、この建物は端から陽の光など必要としない、毒々しい輝きに包まれていた。

 正面の玄関口の上には、びかびかと輝く蛍光色のオンパレードの中にあって、ひときわ目立つ『ロイヤルサロン』の名が掲げられている。だがこの建物が騒動の舞台であることは、実のところその文字を目にする前からわかり切っていた。

 なぜなら玄関をくぐった先の、待合室を兼ねたラウンジと覚しき場所で暴れ回る人影が、屋外からも窺えたからである。

「チュールリーはどこだあああ!」

 騒動の中心にいるのは、長身のソリオよりもさらに頭一つは高そうな、それ以上に逞しい体躯の大男であった。大男はどうやら目を血走らせて、口角から垂れる涎が糸を引くその口で女の名を叫んでいる。彼を抑え込もうと数人の男たちが繰り出しているのは、神経鞭と呼ばれる非殺傷用の武器だ。常人なら一撃食らえば悶絶するはずが、一向に堪えないまま鞭を持った男を次々と殴り飛ばすところを見ても、大男が正気でないことは明らかだった。

「おお、派手にやらかしてるねえ」

 ラウンジの入口に立ったトビーの背中に隠れるようにして、その後ろから伸び上がったソリオが顔だけ覗かせる。乱闘騒ぎを遠目にした口振りは、まるで他人事だ。

「こそこそしてねえで、お前もあの場に乗り込むんだよ」

 後ろを振り返ったトビーはそう言うや否やソリオの腕をつかみ、前に引きずり出すと同時にその背中を強かに蹴りつけた。弾みでラウンジの床に放り出されたソリオが、這いつくばるような姿勢から顔を上げると、折悪しく大男の焦点の合わない眼と目が合う。

「なんだあ、てめえは!」

 その声と同時に振り回された太い腕を、ソリオは床の上で身体を回転させながら間一髪で躱す。それは彼の持ち前の反射神経によるものであったが、転がりすぎてサイドテーブルにぶつかってしまったのは誤算であった。

 勢いに負けて倒れ込んだサイドテーブルの、円卓のちょうど端がソリオの後頭部を直撃する。苦悶の声を上げて頭を抱え込むソリオに、大男が覚束ない足取りでゆっくりと近づいてくる。

「おい、こっち来るな、こら」

 痛む後頭部を擦りながらのソリオの制止に、大男が立ち止まる気配は無論ない。するとソリオは左右に激しく目を配ってから、おもむろに足下に転がるサイドテーブルを蹴飛ばした。円卓同様に台座も円形のサイドテーブルは、緩やかなカーブを描きながら勢いよく転がって、大男の向こう脛に的中した。

 ただでさえ動きの怪しい大男が、足下をもつれさせて転倒する。その隙にソリオは背中を見せて、ラウンジの奥にある通路へとそそくさと逃げ込んでいく。

「馬鹿野郎、ソリオ、そっちに行くな!」

 ハンドガンを構えて大男の背後から忍び寄ろうとしていたトビーが、ソリオの動きに気づいて声を上げる。それ以上に頭に血を昇らせた大男が、巨体を片膝突いて蹲ったまま怒声を上げた。

「てめえええ、待ちやがれえええ!」

 がばと身を起こした大男の形相が、怒りに満ちている。大男はそれまでの酔客のような動きが嘘のように、ソリオが逃げ込んだ奥の通路に向かって駆け出した。その後を、トビーが舌打ちしながら追う。

 通路は入ってすぐに二階へと続く階段になっていた。その手摺りに寄りかかって、騒動の様子を窺おうとしていた娼婦たちが、ソリオが飛び込んでくると同時に悲鳴を上げて逃げ去っていく。

「待った、待った。俺は保安官の連れだ、管理官だ。あいつが探してる、チュールリーってのはどの子だい?」

 逃げ出す娼婦たちの大半はソリオの質問に答える余裕もなかったが、最後尾にいたひとりだけが、振り返りもしないまま二階の廊下の端を指差した。

「チュールリーならあっち、端の部屋でがたがた震えてるよ!」

「ありがとう!」

 彼女が指差した先に向かってソリオが走り出したその頃、階段の下では手摺りをつかんだ大男が、両膝を突いて動きを止めていた。

 大男の充血した目は飛び出さんばかりに見開かれていたが、それもほんの数秒のこと。やがて瞳から光が失われると、その巨体は力なく崩れ落ちた。派手に床に顔面を打ちつけた音がしたが、大男はぴくりともしない。

 倒れ伏した巨体からやや離れた後ろ、通路の入口に立って見下ろすトビーの手には、今し方撃ち終えたばかりのハンドガンがある。

「こんなことで麻痺銃パラライザを使わせやがって。あの野郎、後で弾代は請求してやる」

 苦々しげな顔つきで、トビーがハンドガンをフライトジャケットの内に仕舞う。そしてソリオの行方を追って二階を見上げた、そのときである。

 静かになったラウンジに、ことさら響き渡らせようとするかの如く大きな拍手と共に、トビーの背中に投げかけられた声があった。

「ここで仕留めてくれて良かったよ、トビー。もしうちの娘たちに何かあったら、管理本部に補償を請求しなきゃならないところだった」

 嫌になるほど聞き覚えのある、太いだみ声を耳にして、トビーは一層険しい顔で振り返った。

 そこに立つのは、彼の視線を正面から受け止めてもにこやかな表情を崩すことのない、大柄で恰幅の良い、口髭を生やした中年男。その福々しい顔立ちを目にして、トビーの顔にはかえって眉間に皺が寄る。

「この程度の騒ぎにわざわざお出ましか。よほど暇なんだな、ゲンプシー」

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