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「ああん、なんだって?」

 額から左耳手前にまで走る大きな火傷痕が、眉をしかめたせいで思わず引き攣れる。ところどころ白髪混じりの短い黒髪の下で、トビーのいかめしい顔立ちには苛立ちが隠しきれなかった。

 軌道エレベーター塔の周りを、もう何度旋回したかわからない。塔に張りついた龍を目の前にお預けを食らい続けて、このままジェットヘリの燃料切れを待つばかりかと思っていた矢先、トビーの通信端末に飛び込んできたのは見知らぬ男の声であった。

「だから、さっき本部長に言われたんだよ。あんたと協力して、あの龍を追っ払えって」

 男の声は、初めて口をきくはずのトビーに対して妙に馴れ馴れしい。

「協力も何も、てめえはいったい何者だ?」

「ああ、自己紹介が遅れたね。俺はソリオ・プランデッキ。今日付で着任……は、塔に閉じ込められっぱなしだからまだだけど、ここの管理官だ。あんたは?」

 この非常時に肩の力が抜けた挨拶を寄越す、その神経の太さだけは大したものかもしれない。トビーは右耳に引っ掛けた通信端末のマイクに向かって、ぶっきらぼうに言い返した。

「俺のことはトビーでいい。こっちは龍への攻撃に待ったをかけられて苛ついてんだ。この状況で、お前は何が出来る?」

 だがトビーの問いに対するソリオの返事もまた、戸惑いに満ちていた。

「トビー、そいつは俺が聞きたいよ。俺とあんたのふたりでなんとかしろって、無茶もいいところだ。龍退治のスペシャリスト集団とかいないのか?」

「そんな集団なんているわけあるか。スペシャリストは俺ひとりだ。ぐだぐだ言ってないで、何が出来るのかさっさと言え」

 通信端末越しに大きなため息が聞こえた後、続く言葉は極めて投げやりだった。

「むしろ何をすりゃいい? 本部長は、塔の中から龍をはたき落とせみたいなこと言ってたけど」

 その口調だけで、声の主が肩をすくめてお手上げのポーズを取っているだろうことが容易に想像がつく。まだ見たこともない奴だが、きっとにやけ面の、ムカつく野郎に違いない。トビーは脳裏に思い描いたソリオの顔に想像で一発お見舞いしながらも、彼の言葉にあった一節を聞き逃してはいなかった。

「中からはたき落とせ? 本部長がそう言ったのか」

「ああ。塔がおシャカにならない程度までなら、多少の無茶も許すってさ」

「多少の無茶も許す、だと」

 そのひと言を反芻しながら、トビーは我知らず薄い唇を舌先で湿らせる。

 あの事なかれ主義の権化、とことん面倒を嫌うタヴァネズ本部長にしては、思い切ったことを言い放つ。タヴァネズの奴、おおかたこのソリオとかいう男に、今回の事態の責任を擦りつける腹づもりなのだ。その際につい勢い余って、口走ってしまったのだろう。

 しかし本部長。この男を自分と組ませるということは、つまり自分にも多少の無茶が許されるということではないか――俺はそう受け取ったぜ。

「よし、ソリオ。お前、管理本部の資格はもう取得しているか?」

「管理官資格はIDチップに登録済みだよ。今日付で発効されてるはずだけど、それが何か?」

 ソリオの返事を確かめて、トビーは切れ長の目を一層細めた。片手に握った操縦桿をくいと倒して塔を振り返れば、龍の頭部と覚しき先端が、軌道エレベーター塔の途中に差し掛かっている。

 あの塔は昇降機を吊すケーブルをぐるりと囲んで保護するための、正式には防護塔という。外壁は強風からケーブルを守るだけでなく、鳥などの予測不能な飛翔物を撥ねつけるため、高圧電流が張り巡らされている。

 もちろんその程度では火山の火口奥深く、マグマ溜まりを棲み家としているらしい龍には、大した意味を成さない。

 だがちょっとした無茶・・・・・・・・をするにはうってつけだ。

「お前の資格があれば、軌道エレベーターの管制システムにアクセス出来る」

 トビーがそう言うと、ソリオはやや間を空けてから答えた。

「……トビー、あんた、なんかろくでもないこと考えているだろう」

 その返事を聞いて、トビーの口角がわずかに吊り上がる。そんな言葉が返ってくる当たり、この男自身が同じようにろくでもないことを思いついたという証しだ。

「あの化け物の頭は今、軌道エレベーターの防護塔の辺りにある。防護塔の外壁が高圧電流に覆われているのは知っているか」

「初耳だと言いたいところだけど、残念ながらよく知ってるよ」

「そいつは話が早い」

 トビーはジェットヘリを操作して、龍の頭とほぼ同じ高さの空中に据えた。ホバリングで待機するジェットヘリの操縦席からは、何枚もの歪な刃先を出鱈目に突き出したかのような、龍の赤黒い頭部が見える。これまで目鼻口に相当する部位が確認されたことはないが、巌のような先端をもたげて前進することから、そこに感覚器官があるのだろうとトビーは当たりをつけていた。

 その感覚器官に多少なりとも刺激を与えれば、どうにかなるだろうということも。

「例えば急激に過電流をかければ、龍の頭をはたく程度の衝撃は与えられる」

「あの化け物をはたき落としたら、後はあんたがなんとかしてくれるんだっけ」

 トビーの提案に驚きもせず、ソリオはその後のことを確かめてきた。この男は塔の中に閉じ込められながら、少なくともその程度の無茶は平気で聞き流せるタマだということだ。

「塔から離れた龍には一発でかいのをお見舞いする。仕留めるのは無理だろうが、弱らせることぐらいは出来る」

「でかいのって?」

 当然の質問であったが、今のトビーにそこまで詳細を語る余裕はなかった。

「説明は後だ。龍は塔から離れればあの図体だから、放っておけばメガフロートから海中にずり落ちる。その際に一発でも喰らわせれば、当分は海の中――おそらく海底に穴を掘って逃げ込んじまうだろう」

「龍の生態はよくわかんないけど、スペシャリストだっていうあんたがそう言うなら、そういうもんだと思っとくよ」

 その台詞と共に、今度は小さなため息が漏れ聞こえた。ソリオもどうやら腹を括ったらしい。己のやるべきことを諦めて受け容れたと見える。

「そうと決まったらお前はさっさとシステムに介入しろ、急げよ」

 そこまで言ってから、トビーは肝心なことを確かめ損ねていたことに気がついた。当たり前に引き受けるから気にも留めなかったが、このソリオという男はそもそも軌道エレベーターの管制システムを扱えるのだろうか?

「軌道エレベーターのことはよく知ってるって言ったろう」

 トビーの疑問に対して、ソリオはこともなげに答えた。

「俺の前職は宇宙港の施設管理だ。軌道エレベーターの管制システム程度なら、初見でもなんとかなるさ」

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