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 エンデラの軌道エレベーター塔は、静止軌道衛星上の宇宙ステーションと海上に浮かぶメガフロート群とを結んでいる。メガフロート上のエレベーター発着場基部は、遠目から見ればすり鉢を伏せた小山のような図体をしており、その頂から天空へと先の見えない塔が聳える格好だ。

 塔の足下の小山から頂を経てその先まで、赤黒い長大な生物がぐるりと張りついている様を、オクシアナ・タヴァネズは卓上のホロヴィジョン映像を通じて食い入るように見入っていた。

 長身のてっぺんに黒々としたアフロヘアを大きく盛りつけて、その下の艶やかな黒い肌に滲む汗を、タヴァネズは右手の甲で拭い去った。彼女の役職名は、バララト航宙省惑星開発局エンデラ管理本部長という。長ったらしい肩書きを正確に覚える者はほとんどおらず、通常は『本部長』と呼ばれるばかりのタヴァネズは、未だ住民による自治が確立しないここエンデラにおいて最高責任者の座を押しつけられている。

 タヴァネズにしてみれば、まさしく押しつけられたとしか言いようがない。バララトという強大な複星系国家の中にあって、辺境の極みにあるこのエンデラの最高責任者であることに、いったいどれほどの旨味があるというのか。この星に着任して以来、任期の残りを指折り数えるのは、彼女の欠かせない日課となっている。

 だが目の前のホロヴィジョンは、そんな彼女のささやかな願いを吹き飛ばしかねない事態を映し出していた。

 宇宙ステーションとの連絡用シャトルが整備されていないエンデラにとって、軌道エレベーターは他星系との唯一の連絡手段だ。バララト本国をはじめ、他星系からの支援物資が欠かせないエンデラには、日々の生活を支える命綱に等しい。

 その軌道エレベーターが見るもおぞましい巨大生物に取りつかれている光景は、タヴァネズにとって悪夢としか言いようがない。より正確に言えば、彼女の任期中に軌道エレベーターが破壊される可能性こそが悪夢である。

 なにしろ対策を指揮しなければならないのは、立場上は彼女ということになっているのだ。

「あんなもん、どうやって追い払えというんだ……」

 塔にがっしりと長大な身体を巻きつかせている龍は、そもそも地中のマグマに棲息し、気まぐれに火口から出現するという意味不明の生物だ。そんな生態だから、この星の住人であってもそうお目にかかれる代物ではない。タヴァネズも以前に見かけたのは着任して間もない三年前のことで、そのときは火口を遠巻きにして、保安官が操縦するジェットヘリの中からであった。

「おい、本部長。俺は塔に抱きついたあの野郎を眺めながら、いつまでお空で待機してりゃいいんだ?」

 通信端末を通じてタヴァネズを呼ぶのは、そのジェットヘリを操縦していた保安官、トビーの声である。

「塔の周辺の連中はもう退避済みなんだろう? じゃあ、後はレーザーでもぶっ放して引き剥がせばいい」

「簡単に言うな。迂闊な攻撃をして、軌道エレベーターに万一のことがあったらどうする」

「とっくに万一のことになってるじゃねえか」

 トビーの言うことはもっともであったが、だからといって彼の提案を許可するわけにもいかなかった。

 彼の言う通り、軌道エレベーター塔を周回するジェットヘリからレーザーでもなんでも攻撃すれば、龍はおそらく塔から剥がれ落ちるだろう。だが攻撃の際の衝撃で、塔内に未だ閉じ込められている数百人の人命や、軌道エレベーター塔そのものにも取り返しのつかない被害が生じる可能性は十分ある。

「せめて塔の中から、あの龍に一撃でも食らわせられれば……」

 龍と呼ばれるあの巨大生物は、図体に比べて存外臆病な生き物と聞く。塔の内側からなんらか衝撃を与えられれば、驚いて塔から離れるかもしれない。そうなればあの巨体だ。足下のメガフロート上に身体全体は乗り切らない。周囲の海中にでも落ち込んでさえしてくれれば、後はトビーが追い払ってくれるはずだ。

 そんなことを考えながら丸々とした髪の毛の固まりを震わせていたタヴァネズを、通信端末越しに呼び出す声があった。

「あー、あー。惑星開発局エンデラ管理本部、聞こえますか?」

 トビーの声ではない。長ったらしい部署名で呼び掛けるのは、どこか間延びした、聞き慣れない若者の声音であった。

「こちらは本部長のタヴァネズだ。誰だ、貴様?」

 タヴァネズの険しい声に対して、相手は怯む様子もなく返事する。

「ええとですね。俺は本日付けで管理本部に着任予定の、ソリオ・プランデッキです」

「ソリオ・プランデッキ?」

 その名を聞いたタヴァネズは、一瞬眉をひそめてから思い出した。そういえば新しく管理官が一名配属されると聞いていたが、よりによって今日だったか。しかし今はそんなことに構っている場合ではない。

 だがタヴァネズの考えに当然の如く頓着せず、ソリオと名乗る若者の声は暢気に喋り続ける。

「それがどうやら今日中に本部事務所に顔出せるか怪しい状況でして。今、軌道エレベーター塔の発着場にいるんですが、馬鹿でかい龍が塔に巻きついてて、閉じ込められちゃってるんですよ」

 緊急事態のはずなのに、どことなく他人事めいたその口調は緊張感に欠ける。しかしタヴァネズは彼の言葉を理解した瞬間に、その大きな目をさらに大きく見開いた。

 ソリオ・プランデッキという、自分が直接指示を下すことの出来る人間が、軌道エレベーターの中にいる。それはタヴァネズにとって、この事態をなんとかするための一筋の光明にすら思えた。

「ソリオ・プランデッキ。お前のいるところからは、何が見える?」

「何って、そうですね。ちょうどロビーのガラス窓の向こうに、龍の腹がびたっと張りついてるのが見えます。なかなかの迫力ですよ」

 軌道エレベーター発着場のロビーと言えば地上第五層、塔の基部に当たる小山の、頂に近い階層である。どうやら彼が塔の中にいることは間違いないらしい。

「この星には龍が棲むと聞いてましたが、まさかその龍に出迎えられるとは、運がいいんだか悪いんだか」

 そんな報告を口にしながら、ソリオの口調に動揺はない。よほど肝が太いのか、感覚が麻痺しているのか。いずれにせよこの状況で平静を保てるような男ならば、利用しない手はない。

「いいか、ソリオ・プランデッキ。お前にこの星での、最初の任務を与える」

「はい? いや、任務って――」

 ソリオが尋ね返そうとする、その隙を与えぬように、タヴァネズは畳みかけた。

「そうだ、任務だ。良く聞け。お前は塔の中から、その龍をなんとかしてはたき落とすんだ。ただしその際、軌道エレベーターが使用不能にならないよう細心の注意を払うこと。それさえ守れば、多少の無茶は許可する」

「待って下さいよ。俺はまだ着いたばかり――」

「龍を塔から剥がすことが出来れば、そこから先は保安官のジェットヘリに任せればいい。保安官にも繋ぐから、後はふたりで協力しながらなんとかしろ」

 そこまで一気に捲し立てると、後は反論に耳も貸さぬと言わんばかりに、タヴァネズは通信端末の回線をオフにした。

 傍らのホロヴィジョンには相変わらず、龍にがっしりと抱きしめられた塔の様子が遠目に映し出されている。タヴァネズは手元のコンソールに指を走らせて、その映像を切り替えた。

 代わって映し出されたのは、先日バララト本国から届いた、新しい管理官に関するプロフィール資料である。

 真ん中から左右に分けた赤毛に若草色の瞳の優男。今し方無茶を押しつけられたばかりのソリオ青年の顔写真を確かめて、タヴァネズは厚い唇の端に笑みを浮かべた。幸いなことに、彼のような白い肌ににやけた細面は、彼女が最も嫌いなタイプの男の顔立ちだ。

「この期に及んで責任を被せる相手が現れてくれるとは、私の悪運も捨てたもんじゃない。後は頼んだぞ、ソリオ・プランデッキ」

 そう言うとタヴァネズは、今日初めて席にゆったりとその長身を委ねることが出来たのであった。

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