最終節⑩ 旅人と枢機卿
枢機卿は神妙な面持ちで指を組む。高みの見物を決め込む気だろう。
「かかれ!」
騎士団長の号令で一斉に剣が抜かれた。私一人ならまだしも、この人数を相手に二人を守りきれない。カールとクリスタを巻き込んだのは失敗だったか。
そう考えた時、ステンドグラスが粉々に砕けた。聖人像に破片が振りかかる。
飛び込んできたのは二つの影。一つは黒、一つは白。二つの影はそのままの勢いで駆けた。
黒のマントをまとう先輩が騎士団長の首を片手でつかみ持ち上げる。もがき、暴れているが先輩は物ともしていない。
白いマントをなびかせたテレーザは長椅子を持ち上げ、騎士の集団に投げつけた。彼らの目前の床板に突き刺さり破片を巻き散らす。
人を越える力の行使に騎士団の動きが止まった。見かねた枢機卿の激が飛ぶ。
「聖水を使いなさい!」
我に返った者から小
先輩が騎士団長を持ち上げたまま口を開くと鋭い牙が現れた。
「馬鹿の一つ覚えのように投げてきおって。わかっておれば避けるに決まっておろう」
吸血鬼を目の当たりにして騎士たちがざわめく。それでも冷静さを保っていた騎士がテレーザ目がけて聖水を投げつけた。
難なく小瓶をつかんだテレーザが投げた騎士に笑いかけた。
「素敵な贈り物ね。お返しに長椅子はどう?」
彼の冷静さは消え失せ、小さな悲鳴を上げてへたりこんだ。
先輩が手を放す。落とされた騎士団長は床板を破り、半身が埋まった。その顔は痛みと恐怖でゆがんでいる。
どうやってるのかは知らないが、先輩は器用に空中で向きを変えて私を見た。
「ところでギルよ。この状況はなんだ?」
「結構危なかったんですよ。しかし先輩のおかげで助かりました」
先輩は私と枢機卿を交互に見た後、全て理解したとばかりにうなづいた。
「なるほど。つまり、こやつらに手出しをさせたくないわけだな」
「ええ、まあ、大体あってますが」
先輩は騎士団へと向き直り腕を組んだ。
「貴様らの手出しは許さん。我輩は弱い者を虐めたくはないのだ。わかるな? 理解できるのであれば武器を収めよ!」
しかし誰一人従おうとしない。当然といえば当然だった。ほとんどの騎士があっけにとられている。
ならば仕方あるまい、と拳を握る先輩へ、言い聞かせるようにテレーザが口を開いた。
「ルーノ、こういう時はお願いするの。大人しくしててってね」
口調は柔らかい。しかし、その右手には彼女の二倍はある長椅子がぶら下がっている。
騎士たちも理解できたようだ。ここに長椅子はいくらでもある。
彼らの顔に絶望が浮かんだ。圧倒的な力を目の当たりにし、鍛え上げられた騎士の心が折れるのがわかった。次々と剣が手放され、ガランガランとけたたましい音を立てる。
戦意を失った聖堂騎士団に枢機卿が冷たい言葉を浴びせかけた。
「どうしました? 相手は数名。それでも栄誉ある聖堂騎士団ですか」
「しかし、この者たちは――」
枢機卿は首を振って騎士団長の言葉を遮った。
「情けない。やはり自らの目的のためには、自らが動かねばならない、か」
彼は祭壇にある剣を抜き放った。装飾が施された美しい細剣を軽く振る。軌道に薄く、青白い光が残り、消えた。
カールが目を見開く。
「なんだ? 光が……」
カールの疑問に答えたのは呪い師だった。
「聖剣ね。教会が生まれるよりずっと昔からある剣。断ち切れない物はないと言われている剣。まだ残っていたなんて驚きだわ」
枢機卿が壇上から降り、真っすぐに歩み寄ってくる。その歩みは次第に速まり、床板を踏み鳴らし駆けてきた。
その目がギラリと光ったと同時に鋭い斬撃が襲い来る。剣で受け流そうと考えたが嫌な感じを信じて飛び退いた。聖剣は私の背後にあった長椅子を易々と切り裂く。受け止めていたら剣ごと真っ二つにされていただろう。背筋に冷たいものが伝う。
あまりの光景にカールが叫んだ。
「聖剣だって! なんでそんなものが!」
「この場には呪い師の私がいる。不老のギルがいる。吸血鬼のブルーノとテレーザがいる。本気で不死者になろうとする者もいる。聖剣があってもおかしくもないわ」
枢機卿はじりじりと距離を詰めてきた。それに合わせて下がる。聖剣だけなら何とでもなる。しかし彼の剣技は達人の領域。受けもせず全てかわすのは容易ではない。
「これが切り札。今、楽にしてあげます。そして私は不死になる!」
「なぜ、そこまで生に執着する? 人はいつか死ぬ。だからあがき、前に進めるというのに」
「不老の貴様にだけは言われたくない! 死ねばそこで終わりだ! 生きてこそ意味がある!」
不死を求める彼と、望まぬ不老から解放されたい私。私たちの道が交わる事はない。しかし……
「名を聞いてもいいか?」
「ヴァルター・リスト。それがあなたを滅ぼす者の名です」
「ただの旅人ギルが相手をしよう」
ヴァルターは壮年とは思えない速度で踏み込んできた。繰り出される剣撃は鋭く、しなやか。それを一つ一つかわす。避けきれないものだけをそっといなすが、その度に刃は火花をあげ、こぼれていった。
私の狙いは一つ。しかし、それは危なすぎる橋。なぎ払う剣撃をかいくぐり、立ち位置を入れ替えた。
ヴァルターの背後にミナの姿が見える。一瞬、ほんの一瞬だが、私を心配しているように見えた。
二度、三度、振られる聖剣をかわし、受け流す。ちらりと剣に目をやると、ボロボロになった刃が燭台の灯りを反射した。剣を鍛えたクレイグと支えたリリー、二人の顔が剣身に見えた気がした。まるで、まだまだやれる、そう言っているようだった。
機をうかがう私の意思を挫くかのようにヴァルターが口を開く。
「どうしました? 手も足もでませんか? それとも怖気づきましたか?」
「まさか。せっかく妻が見ているんだ。どうやって格好つけようか考えていたのさ」
呪い師は冷ややかな目で見守っている。それでも、ミナが、妻がそこにいる、そう思えた。
自然と口元が綻む。私は挑発したいのか? 違う。
ヴァルターの薄ら笑いが消えた。
勝負はここだ。
右足が踏み込んできた時、激流のような時間の流れが穏やかになった気がした。
斜めに振り下ろされる剣を上体だけで避ける。帽子のつばが切り落とされた。
聖剣はそこで止まらず、
臆するな! クレイグの剣で合わせた。受け止めず、いなさず、勢いを足し、跳ね上げる。
ヴァルターは聖剣を手放さなかったものの大きく体勢をのけぞらす。喉を狙う私の短剣を見ているのがわかった。叩き折るつもりなのだろう。力ずくで聖剣を振り下ろしてきた。
クレイグ、すまない、無茶をする。
短剣を引き戻す力を利用して剣を振る。狙うのは聖剣の重心。均衡が整いすぎている聖剣だからこそ、その位置がわかる。
打ち合わされた剣から想像もつかない軽い音をたてて、剣身だけが舞いあがる。それはゆっくりと回り祭壇に突き刺さった。
ヴァルターの顔に枢機卿の仮面はすでになく、驚きを隠そうともせずに手元の聖剣を見ていた。剣身を失い、輝きをなくした聖剣を。
クレイグの剣は無事だ。飾り気のない無骨な剣が聖剣を上回っていた。愚直な職人の技と魂が伝説に打ち勝った。
ほっと息をつきたかったが、まだだ。短剣をヴァルターに向ける。
「わたしの勝ちだ」
彼は敵意で歯をむき出しにしているが手を震わせて後退る。それは怒りであり、怖れでもある。願いを阻む私への憎悪と、命が脅かされている恐怖。不死を求める彼は誰よりも死を恐れていた。
「そこまで死を恐れていて、なぜ戦う? なぜ死を振りまこうとする?」
恐怖をかみ殺し震える声で怒鳴る。枢機卿の仮面はそこにはない。
「死を恐れるから立ち向かうのだ! 不死を求めるのだ! それのどこが悪い! 私を絶望させた世界など知ったことか!」
「随分と都合のいい話だけど、そこまで悲観するほどではないと思うね」
「貴様に世界の何がわかる!」
「わかるさ。長い年月をかけて、この目で見て、この足で歩いてきた世界だ。私より知っている者はいない。納得できないと言うなら……」
ヴァルターの額を汗が伝い、唾を飲み込んだのがわかった。
短剣を下げ、距離をとった。大体十歩ぐらい。こんなものか。駄目になったつば広帽とコートを脱ぐ。やはり薄着の方が動きやすい。
「気が済むまで相手になるさ。カール、枢機卿に剣を貸してやってくれ」
「な! ギルの勝ちでいいだろ!」
「いいんだ」
他に方法が浮かばなかった。やりたくはないが仕方がない。ヴァルターの思いを知ってしまった。その思いは
ヴァルターは歯を食いしばり、折れた剣を握りしめたままだったが、呪い師が水を差してきた。
「そんななれあいは期待してないのだけど」
「黙れ。元はと言えばお前が興味本位で人の思いを弄んだせいだ。ヴァルターの後で相手をしてやるから口を閉じていろ」
呪い師が肩をすくめ、ヴァルターが口を開いた。
「なぜ、そこまでする」
「私は後悔したくないだけだ。それに……」
思い出した。私は少年のヴァルターに会っている。
「両親を失い、涙を流しながら石を投げる少年に言いたかった言葉もある」
「……何をいまさら!」
「君が憎むべきはアメリーではない。火葬を提案したのは私だ。だから私を恨むといい。ヴァルター、君の怒りも、悲しみも、迷いも、全部私が受けとめよう」
ヴァルターの目に怒りが見え、戸惑いが見え、光を失っていくのがわかった。
諦めてはいない。このままでは勝てない、そう判断したのだろう。
先輩、テレーザ、カール、クリスタ、聖堂騎士団、そしてミナ。彼らが見守る中、かつて聖剣であった剣が手から離れた。
「私の負けです。殺しなさい」
「断る。まだくすぶっているものがあるだろう?」
「生かしておけば必ず立ち塞がります。私はあなたを許せそうにない」
「ああ。裏でこそこそされるよりずっといい」
これ以上ヴァルターにかける言葉はない。これからどうするのかを決めるのは彼だ。
表情なく腕を組んでいる呪い師へと進む。手が届きそうな距離まで近づき、僅かに見下ろす。色々と言いたい事もあったが、先程から感じていた違和感を確かめたくなった。
「お前は誰だ。呪い師か? それとも、ミナなのか?」
「よく見てるわね。私はあなたの知る呪い師じゃない。そして、あなたの妻であるミナでもないわ」
そう答える彼女は寂しそうな笑みを浮かべた。それは、初めて見る顔だった。
「そして、この体は返せない。悪いわね」
ミナの体を取り戻し共に死ぬ。再び妻と共に生きる。
甘すぎた私の願いは打ち砕かれた。
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