最終節⑨ 旅人と枢機卿

 大聖堂内を聖堂騎士と聖堂兵が走り回る。とてもやり過ごせる数ではなく、執務室らしき部屋に身を潜めていた。この騒ぎの中でカールとクリスタに出会えたのは幸運としか言いようがない。

 よろいの擦れる音が近づき、遠ざかっていく。扉の右側に立つカールがホッとしたように息をついた。

 扉を挟んで反対側にいる私へと、カールの奥からクリスタが鋭い視線を向けてきた。


「本当に逃げる気?」


 クリスタが言っているのは呪い師の事だ。礼拝室で待つ、そう言伝ことづてを残していたそうだ。


「優先すべきは君の安全だ。呪い師はいい。それに、今まで散々振り回しておいて待っているから来い? 虫が良すぎる」


 暗い執務室だが、クリスタがため息をつくのがはっきりと見えた。


「いつもは冷静なのに、呪い師の事になると全然駄目ね。ずっと追いかけてきたのでしょう? なら行けばいいわ。私たちを気にする必要はない」

「そうは言うが――」

「逃げる気――!」

「クリスタ、静かに」


 大声を出しかけたクリスタの口をカールが慌てて塞いだ。振り解こうとしているが力でカールにかなうはずもなく、諦めて両手を上げていた。

 カールは恐る恐る手を放す。

 クリスタは小声に戻るが厳しい目はそのままだった。


「私たちはギルに救われたわ。二度もね。その上、私たちのせいで諦められたら目覚めが悪すぎる。だから行きなさい。いいわね」

「ちょっといいか? その事だけど」

「何よ、カール」


 話の腰を折られたクリスタは視線をカールに移した。厳しさはそのままで。


「ギルを一人で行かせる気か?」

「そうよ。私たちは私たちで何とかすればいい」

「そもそも行くとは言っていない」


 決まった事のように話すクリスタをさえぎると舌打ちが聞こえてきた。クリスタの家系の女はどうしてこうも気が強いのだろうか? 祖母のアメリーも、曾祖母そうそぼもそうだった。

 過去に思いを走らせていると無視するなと言わんばかりに指を差された。


「はっ、そこまで意気地なしとは思わなかったわ。なぜ問題を先送りにするの? さっさと終わらせればいいじゃない。こういう事はね、さっさと終わらすに限るの。……放っておいても好転しないもの」


 クリスタの言葉が刺さる。問題を先送りにしている? 私が? そう、かもしれない。

 今まではミナの体を取り戻す。彼女と共に死ぬ。それだけを思って生きてきた。それが崩れそうになった。呪い師の言葉によって。


 偶然、街で会った時の言葉を思い出す。ミナの心をよみがえらせる事ができるかもしれない、と。たった一言で妻と生きる未来を想像してしまった。共に歩く旅を思い描いた。彼女のパンを待ちながら畑仕事をする日々を思い出してしまった。

 その後で会ったミナは呪い師ではなかった。違和感こそあったものの、再びミナと会えた事を喜んだ。

 しかし、彼女は言った。私はミナになれなかった、と。


 そして今、呪い師からの言伝を受け取った。礼拝室で待つ、と。

 次は何だ? 正直なところ、会うのが怖い。またぬか喜びさせられるのではないか?

 一度抱いてしまった希望を失うのが怖い。それが私をためらわさせる。


「会って絶望しかないとしたら、どうすればいい」

「いい歳して馬鹿じゃなの? 逃げたって何も変わらないわ。そんなこと二十年程度しか生きてない私でもわかる」

「しかし、優先すべきは――」

「じゃあ、私たちがここにいなかったら? 一人だったら行くの? どうせ言い訳しながら逃げるんでしょう?」


 反論できずにいるとえりをつかまれた。彼女の手が震えている。それは私に対する怒りか? いや、そうではない。私を思っての怒りだ。


「ギルは私たちを助けてくれる。でも私たちがしてあげられる事は少ないの。だから、せめて、その背中を支えさせて。そんなつらい顔しなくてもすむように」


 そうか、私はそんな顔をしているのか。

 アメリーの頼みだからという訳ではないが、彼女の子供、孫、その先まで見守ろうと思った。助けが必要なら喜んで手を貸そう、そう考えていた。

 それが、どうだ? 背中を押されているのは私の方ではないか。

 考えてみればこれ以上失うものなどなかった。それなら、さっさと決着をつけて終わらそう。


「わかった。私一人で行く。クリスタたちは逃げろ。私が騒ぎを起こせば隙ができるはずだ」


 私の心が決まったのが伝わったのだろう。クリスタは襟を放した。


「後で、ちゃんと報告しなさい。わかったわね」

「ああ、約束しよう」

「いや、クリスタ、それは駄目だ、と思う」


 横からカールが口をはさんできた。


「まだ何かあるの? それともまだ逃げるのを優先するなんて言わないでしょうね?」

「そうじゃなくてさ。ギルは礼拝室がどこかわかるのか?」


 ……私が知るはずがない。首を振るとクリスタが吹き出しそうになっていた。


「カール、クリスタ。すまない、案内してほしい。危険だが頼めるか?」

「もちろんだ。それに、兵士が巡回している様子がない。動くなら今だ」


 先ほどまでとは違い、聞こえてくる音はない。それが安心できない状況なのはカールの顔を見れば明らかだった。


「諦めたとは思えないな。わなの可能性が高い。どうする? 止めておくか?」


 クリスタが胸をたたいた。


「まさか。行くに決まってるわ。私たちが見届けてあげる。だから死ぬ気で頑張りなさい」

「よし、僕が先導だ。兵に出会っても極力無視する。クリスタ、ついて来れるか?」

「当たり前よ。カールこそ私の前に立っても大丈夫だと証明してみせなさい」


 クリスタの強気な言葉にカールが肩をすくめたが、その手は扉にかけられている。

 目で合図を求められた。

 いざという時に迷わないよう優先すべき事を考える。二人の安全だ。それさえ間違わなければ何とでもなる。

 よし、行こう。

 私がうなずくと同時に勢いよく開かれた。

 狭い廊下をカールは走る。クリスタが続く。私が続く。時折、兵士の姿を見かけたが手を出される事はなかった。

 仕組まれている可能性が高まる。しかし、止まるわけにはいかない。そこにミナが待っているかもしれない。そして、私を捕えようとした者も。クリスタを捕えたのも、カールを陥れたのも、枢機卿すうききょうの仕業だ。なぜ私を知っているのか、なぜ私を狙うのか、教えてもらうとしよう。


「ギル! ここだ!」


 カールの前に大扉が現れた。装飾のない簡素な扉だったが、教会の権威を示す重厚さがあった。

 カールが押し開けたところに飛び込む。

 その礼拝室は無数にある燭台しょくだいで照らされていた。高い天井には装飾が施され、正面には巨大なステンドグラス。その手前に聖人像。像の足元には祭壇があり、そこにもたれるようにして壮年の男が腕を組んでいた。

 それと、動く姿が一つ。最前列の長椅子でくつろいでいるのは呪い師。身をよじり私を見た。

 大丈夫だ。迷いはない。カールとクリスタのおかげだ。

 呪い師に向かい、踏み出した。


「私を呼んだ理由を聞こう」


 その答えより早く祭壇の男が口を開いた。祭服からして彼が枢機卿だろう。


「私を無視するとは感心しませんね」

「悪いが君に用はない。後にしてくれないか」

「そうはいきません。呪われし者、ギル。あなたはここで死んでもらう」


 呪いの事まで知っているとは驚きだったが、呪い師から得た情報だろう。何にせよ、彼の相手は後だ。

 彼女に向かい、一歩づつ踏み締めるように近づく。そのたびにミシッと床板が悲鳴をあげた。


「何のために呪いの話をした?」

「別に隠すことでもないでしょう? 彼は自力であなたにたどり着いたのだから」


 私にたどり着いた? 何が目的だ? 枢機卿に向き直る。ゆったりとした祭服でもわかる。歳のわりには鍛えられた体をしている。ぎらつく眼光に見覚えはない。いや、あの頬の火傷痕……私は知っている。不死を求めていた男だ。


「その頬を見て思い出した。ブルーノとテレーザを罠にはめた司祭か。まだ不死になるのを諦めてなかったとはね」


 火傷痕に触れれば本心をみせるかもと思ったが、全く動じもしなかった。


「思い出してもらえて何よりです。自分を殺す者も知らずに死ぬのはつらいでしょうから」

「さっきから物騒な話をしているが、私を殺しても不死にななれない」

「ええ、それは正しい。同時に間違ってもいます。あなたを殺せば不死にしてもらえる。そういう話なのです」


 どういう事だ? 呪い師は薄くほほ笑んだままだ。


「私はギルと決着を付けなさいと言っただけ。その方法は任せるとも言ったわ。あなたを殺すのが彼なりの決着だそうよ」

「つまり、私を殺すために呼んだのか」

「そのつもりはなかったけど、そういう話になったみたいね。その代わり、あなたが勝てば、あなたの願いをかなえる。今度こそ、ね」


 呪い師は、私の知る呪い師のままだった。人を知りたいと言って興味本位で心を弄ぶ。


「ミナの心を蘇らせると聞いた時は人の心を理解できるようになったかと思ったのにな」

「思ったのに?」

「本質は何も変わっていなかった。人の心はお前のおもちゃではない」


 呪い師に期待した私が間違っていた。彼女の本質は善でも悪でもない。ただ、目的のためには何でもする。余計に質が悪い。

 そこにつけ込んだのがあの男か。祭壇にもたれ掛かっているあいつだ。


「不死になって何をする?」

「これは驚きました。同じ事を聞かれましたよ。私は彼女のために人の感情が渦巻く世界を作ります。戦いの絶えない世界を!」

「……まさか、本気で言ってるのか?」

「もちろんです。そろそろ話は終わりにしましょう」


 枢機卿が大扉へと目を向けた。金属と金属が擦れる音が近づいてくる。それも一つや二つではない。

 扉の近くにいたカールがクリスタの手を引いて奥まで来た。


「ギル! 罠だ!」

「そうらしい」


 二枚の扉が勢いよく開かれた。そこから騎士がなだれ込んでくる。

 カールの顔に焦りが浮かんだ。


「聖堂騎士団だ。手ごわいぞ」


 全身を金属鎧で包んだ騎士が三十名ほど。その中から声をあげる者がいた。


「枢機卿! ご無事でしたか!」

「はい。この通り問題ありません。しかし改心させるには力不足でした。残念ながら神の下に送るしかないようです。聖堂騎士団長。枢機卿リストの権限で命じます。元聖堂騎士カール、領主クリスタ・ヘルダーリン、異端者ギル、彼らに癒やしを」


 なるほど、長々と話していたのは彼らが来るまでの時間を稼いでいたのか。全くとんだ食わせ物だ。

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