最終節⑥ 囚われの姫と逃亡者

 変容した彼女を前にしてテレーザがまとう空気が変わった。


「あなたは誰?」

「残念だけど話している暇はなさそうね」


 彼女は螺旋階段の下へと目を向けた。階下から鉄靴てっかを踏み鳴らす音が近づく。音からして数人どころではない。

 先頭にいたのは聖堂騎士。数名の聖堂兵を引き連れていた。

 聖堂騎士は螺旋階段の私たちに気づくと足を止め、かぶとの面当てを上げた。見つめているのは黒髪の彼女。焦がれるように手を差しのべていた。


「ミナ! 私だ! マルクだ! どうしてこいつらと一緒に!」

「さあ? 私も目覚めたばかりでわからないのよ」

「そいつらは異端者の協力者だぞ! こっちに来い。私が守ってやる」


 差し出す腕をそのままに、騎士は一段あがる。その熱量と裏腹に、応えは冷ややかなものだった。


「必要ないわ」

「なぜだ? やはり、ギルに操られているのか?」


 ミナと呼ばれた彼女は、真剣な騎士の言葉を笑いとばした。肩を震わせる笑い声に騎士の足が止まる。


「ギルが私を操る? どうしたらそんな発想が出てくるのかしら」

「枢機卿が仰ってた。ギルは心の隙に付け込み、人を操る、と」

「それを信じたいなら好きにしなさい。利用されているのを良しとする人に興味はないわ」

「私が利用されている?」


 騎士の腕が力なく下がる。階下の騎士を見下ろすミナの視線は厳しい。


「それすら自覚ないとわね。あの子といた時のあなたは愚直だけど、自分を持っていた。今のあなたにはそれがない。だから相手をする意味がないの」


 あまりの扱いに騎士は頭を垂れた。その勢いで面当てが下がる。上げられた顔は見えなかったが深く暗い声から彼の怒りが伝わってきた。


「……全員、捕えろ。無傷でなくても構わん」


 これはまずい。

 いくらテレーザと言えども、この人数を相手では危ない。兵士が動き出す前に手を打つべく急ぎ立ち塞がった。


「口の利き方に気を付けろ下郎! それが一地方とはいえ領主に対する態度か! 膝を付け! 頭を垂れろ! 私たちは帰らせてもらう」


 聖堂兵は足を止めてくれたが、騎士の方はどこ吹く風だった。


「領主など神の前には無力! 行け!」


 これだから考えなしは困るのよ。教会の信徒である前に国民でしょうに!

 騎士の左右から兵が駆け上がってきた。女ばかりで油断しているのか、武器を手にしていない。それはすぐに後悔する事になった。

 風のように早く前に出たテレーザが拳を振り、蹴り飛ばした。一人は壁に叩きつけられ、一人は膝から崩れ落ち、あるものは騎士の脇を転がり落ちていく。足場が悪いのに、その動きは流れるように美しい。

 ほんの僅かの時間で動く兵は一人もいなくなった。


「すごい」


 これほどまでとは! 彼女なら、そう思った矢先、小びんがテレーザに飛んできた。とっさにマントで防いでいたが、飛び散った液体を浴びた肌から黒いが染み出てきた。苦し気な表情で膝をつく。

 うずくまるテレーザに、剣を抜いた騎士が近づいてきた。


「さすがは枢機卿。本当に聖水が効くとはな。とどめをさしてやる」


 とっさにテレーザの前に立った。抜き放たれた剣は怖いが気持ちまで負けるつもりはない。危険を押して来てくれたテレーザのためにも。


「何のつもりだ? どけ」

「いいえ、あなたこそ下がりなさい」

「私は大丈夫だから……逃げて」

「大丈夫だと言うなら早く立ちなさい! それまで一歩も動く気はないわ!」


 命を懸けてもいい。その思いもあっさりと打ち砕かれた。

 とてつもない衝撃を受けて宙に浮いた。壁に叩きつけられた。階段を転がり落ちた。

 耳鳴りが響く。騎士が剣を振り上げるのが見えた。テレーザはまだ動けない。止めたいけど足が震えて力が入らなかった。

 目を逸らしたくなった時、すぐ脇を駆け抜けていく人がいた。どこか懐かしい空気をまとったその人は剣を振る。騎士は受け止め反撃に出た。後ろ姿しか見えない男は剣を受けるたびに下がる。騎士が大きくなぎ払う。男はそれをかいくぐり、階段の上部に立った。

 真剣な顔が見える。何よ、男らしい顔になってないかと期待してたのに全然変わってないじゃない。

 歯を食いしばって立ち上がり胸を張った。これ以上、情けない姿は見せられない。


「カール! 遅いわよ! さっさとその騎士を倒しなさい!」

「これでも急いだ――」

「ははっ! 倒す? お前が? 私をか? よろいも盾もない。思いあがるのもそこまでだ!」


 暴風のような剣が次々とカールを襲う。激しい剣撃を、け、受け流し、かいくぐった。しびれを切らした騎士は盾ごとぶつかりに行くがカールはそれも避け、すれ違いざまに鉄靴に斬りつける。火花が散った。階段の下に回ったカールの背中越しに騎士が膝をついているのが見えた。刃は通らなかったものの衝撃までは防げない。騎士はすぐに立ち上がり怒気のこもった声を発した。


「何だ、その戦い方は! 私を裏切っただけでなく、騎士の誇りまで捨てたか!」

「裏切る? 僕はマルクを止めに来たんだ。枢機卿の言葉に踊らされるマルクが情けなくてさ」


 騎士が立ち上がるの待ってからカールは一歩、踏み出した。その背中は頼もしい。


「それに誇りは忘れていない。だからここにいる。誇りとは戦い方じゃない。信念だ」

「なら、その信念で私を倒してみせろ!」


 また騎士の剣がカールを襲う。しかし今度はカールが圧倒する番だった。騎士の剣が振られる前に剣を弾く、盾を叩く、肩を、胴を、ももを打ちつけた。鉄の鎧に阻まれているが、その度に火花が散る。騎士はよろめき壁に身を預け、面当てを上げた。その表情は苦しい。カールは面当てで狭くなっていた視界の外から剣を振っていた。


「おおおおおっ!」


 カールは吠え、さらに打ちかかる。しかし大振りになったそれを騎士は見逃さなかった。カールがしたように体を低くして潜る。カールの剣は石壁を叩き、甲高い音をたてて折れた。

 騎士は怒声を上げカールを持ち上げて投げる。いくら騎士の体格が良いとは言え、あまりにも簡単に投げた。

 カールは壁にぶつかりながら転がり落ちてくる。上げそうになった悲鳴を飲み込んだ。祈る代わりに拳を握りしめる。


 大丈夫、カールは必ず立つ! 私が信じなくてどうする!


 辺りを見回した。カールは武器を失っている。何か、何かないか。あった! 近くに倒れている聖堂兵の傍らに剣が見えた。

 駆け寄り拾い上げる。

 カールはまだ立てない。荒い息を吐き肩を上下していた。

 騎士は駆け降りてきている。

 考えている時間はない。


「カール!」


 私が投げた剣を受け取ったカールは騎士の打ち込みに耐えることができた。

 なんとか間に合ったが憎しみに満ちた目でにらまれる。


「女! 邪魔をするな!」

「うるさい! 目の前で死なれるぐらいなら何度でも邪魔をするわ!」


 水を差された事でさらに怒りを増した騎士は何度も打ち付けた。

 

「なぜ裏切った、カール!」カールは後退った。

「なぜから去った、ミナ!」カールはよろめいた。

「なぜ教会に盾突く!」カールは膝を付いた。

「なぜだ!!」止めと言わんばかりの強烈な一撃がカールを襲う。


 驚いた事にカールは剣を手放した。剣の代わりに取ったのは騎士の腕。ひねりながら引き込んだ。騎士は自らの勢いで回り叩きつけられる。あまりの衝撃にほこりがパラパラと落ちてきた。

 これは知っている。昔、ギルに剣を教えてもらっていたカールが同じように投げられていた。

 騎士が起き上がるより早く、膝で押さえ込み、胸当ての隙間に剣を当てながらカールは言った。息も絶え絶えだった。


「なぜかって? マルクが間違ってるからだ。お前、頭に来すぎてて何も考えてないだろ」

「俺が間違ってるだと?」

「そうだ。ギルを異端者に仕立てたのは誰だ? 枢機卿だろ」


 マルクの目が泳ぐ。


「だからなんだ。人の道を外れ不死となったギルを裁くために、枢機卿は尽力されている。立派なお方だ!」

「それが間違いなんだよ。あいつ、自分が不死になりたくてマルクを利用しているんだぞ。大体おかしいだろ。ギルを捕らえるためにクリスタを餌にしようだなんて。教会の教えに反してる」


 何も言えずにいるマルクへさらに言葉を重ねた。


「それにギルは不死じゃない。不老と言っていた。違いはよくわからないが、とにかく呪いなんだと。ギルは呪いを解くために旅を続けているんだ」

「はっ! 信じられるか!」


 マルクが嘲り、カールは苦笑した。


「だよなあ。自分で話してるのに寝言に思えるよ」

「ほら見ろ。カールこそだまされてるんだ」


 二人は命を懸けて戦っていた。今だって、いつでも殺せて、いつ殺されれてもおかしくない。

 でも気のせいだろうか? 話している内にマルクの険が和らいできたように見えた。

 

「カールの言葉は正しいわ」


 今まで静観していたミナが階段を下ってきた。

 マルクはミナへと視線を移した。もう怒りは見えない。


「本当なのか、ミナ?」

「マルクはおかしいわね。あなたを利用する枢機卿の言葉を信じ、友達であるカールの言葉を疑い、ギルとつながりを持つ私の言葉を信じていいか迷っている。それはどんな心情なのかしら? 興味深いわ」

「……なぜ、ミナが呪いを知っているんだ?」


 ミナは怪しくほほ笑んだ。人ならざる笑みだった。


「だってギルを呪ったのは私だから。もう百年以上前の事よ」

「……カール、どいてくれ。何もしない」


 マルクは目を閉じると、長い息を吐いた。

 カールは力つきたのか座りこむ。もう、その手には何も握られていなかった。

 ミナがマルクの手を引き、起き上がらせると、頬に触れた。相変わらず、ほほ笑んだままだったが、どことなく寂しげだった。


「マルク、私はあなたが知るミナではないの。あの子はもういない。もう存在しない」

「ミナではない? では誰だ?」

「私は呪い師。魔女とも呼ばれていた時もある。人の心を知りたいと思う者。ミナの心を作ろうとして失敗した者」

「……そんな」


 呪い師からほほ笑みが消え、苦悩だけが残った。


「信じられないでしょうね。でも、この言葉だけは信じてあげて。あの子が残した最後の言葉。『私が育つのにあたなの存在は不可欠だった。そのせいで傷ついたのも知っている。ごめんなさい』」


 呪い師の言葉にどんな意味があるのかは、私にはわからない。


「……それだけか?」

「それだけよ」

「ははっ。ミナらしい。わかった。もう、いい。思えば自分の事ばかりだった。それでもミナがいた日々は掛け替えなかった。俺は、いつもミナを見ていたんだ」

「本当に?」


 マルクがぱっと顔を上げた。すがるような目だった。彼の思いは言葉にならず、彼女は黙って見つめ返していた。

 マルクが見ている彼女は、呪い師だろうか? それともミナだろうか? それはマルクにしかわからないだろう。しかし、彼の顔はとても穏やかだった。

 彼は、本当だ、と言った。


 カールは座り込んだままだったが、マルクはすぐに立ち上がった。胸を張り見下ろしている。その表情はつき物が落ちたように見えた。


「カール、これからどうするんだ?」

「聖堂騎士資格を剥奪されたんだ。ここにはいられないさ。でも、これからも鍛え続ける」

「そうか。俺もだ。もう二度と負けるつもりはない」


 二人は拳を合わせた。それ以上の言葉はいらないのだろう。マルクは聖堂兵を引き連れて去った。

 そしてミナも。ギルあての伝言ことづてを残して行ってしまった。

 とっくに回復したテレーザもだ。まだやることがあるらしい。

 こうして螺旋階段に二人残された。


「それで、カールはいつまでそうしているつもり?」

「もう少し……大丈夫だから」

「しっかりしなさい! 私を守るのでしょう!」


 丸めた背中を張ると怪我に響いたのか、悲鳴を上げて真っ直ぐになった。

 ふふっ、面白いわね。

 立ちなさい、と言って手を引く。


「やっぱり私がいないとカールは駄目ね」

「僕だって頑張ってるんだ」


 下を向いたままの額を指で押し上げた。


「ええ、知ってるわ。これからも走り続けなさい。真っすぐに。止まる事は許さないわ」

「厳しいな」

「そうでもないわ。カールは私の『ゆうしゃ』なんでしょう? だったらしっかりしなさい」


 さあ行くわよ、と手を引いた。私が先に歩いてカールがついてくる。子供の頃と同じだった。

 でも、これからは隣を歩いてもいい。そう思った。

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