最終節⑦ 枢機卿と呪い師
大聖堂がひっくり返るような騒ぎだというのに、その中心にある礼拝室だけは落ち着いた空気に満たされていた。時折届く破壊音は遠い。
たった数人で乗り込んできたのは予想外だったが、拘束に手こずっているのも想定外だった。この分ではまだ待たされるだろう。
最前列の長椅子に座り、じっとその時を待つ。四十年も待たされたのだ。このぐらい何でもない。
無意識の内に組まれていた指をほどき、握り締める。その手はすっかり若さを失っていた。
火が落とされ薄暗い礼拝室で計画を振り返る。打てる策は全て講じた。問題はない。そして私は不死となる
巨大なステンドグラスが月明かりを様々な色に変え、純白の聖人像を染めていた。
そう、ここにいるのは私だけだ。神などいない。神の存在など認めてたまるか。もしも、いるのであれば、父も母も死なずにすんだはずだ。
――私は石工の息子だった。無口な父は勤勉でいつも石と
皆、教会の教えを生きる指針にしており、ことある事に教えを口にした。目に見えない概念のような教えが理解できなかったように思う。そのたびに疑問を口に出し、周りの大人を困らせていた。隣に住む老人が私の手を引き、司祭のところに連れていく事も少なくなかった気がする。そして穏和な司祭が語る話に眼を輝かせていた。
私は私を取り巻く小さな世界が大好きだった。
ある時、父が疫病で倒れた。
誰も助けてくれなかった。町中どこも同じ有り様では仕方がない。結局、二人が息を引き取るまで何もできなかった。
それから丸三日間、二人の亡骸と共にすごした。語りかけても返事はない。二度とその目を開く事もない。これが死というものだと理解できた。
では、生とはなんだ? 二人は何のために生きてきた? 真っ当に生きてきたのに、こんな終わり方はあんまりだ。自分もこんな理不尽な死に方をするのだろうか?
それだけは嫌だった。
四日目の夜、領主が死んだ。前領主とその婦人も疫病の犠牲になっていた。
一人残された領主婦人は、あろうことか死者を火葬しろと言った。被害の拡大を防ぐにはこれしか方法がない、と言って。
教会は火葬を禁じていた。焼けば魂も燃えて失われる、と教えていたので町の者からの反発は強かった。
それでも領主婦人は火葬を強行し、皆、従った。領主婦人が恐ろしかったのか、熱意に負けたのかは知らない。町のあちこちから煙が立ち上る景色が異様に思えた。
そして父と母もそうなった。炎に包まれる二人を見て思った。燃やされた魂はどこに行くのだろう、と。
一月ほど経った頃だろうか? 疫病の脅威が治まりつつある町を領主婦人が視察していた。こいつがいなければ父と母は。そう思った時には石を投げつけていた。
彼女は悲鳴を上げるとこもなく、額から流れる血をそのままに、私を見据えていた。
領主婦人は口を開く。なぜ泣いているのか、と。
なぜ? それすらわからないのか! また石を投げた。彼女は避けようとも目を逸らそうともしない。ただ、石は届かなかった。
彼女の隣にいた男。つば広帽とコートの旅人が受け止めたからだ。その旅人に向かって領主婦人は、止めてギル、と言った。私ではなく旅人に向かって。
情けをかけられて悔しかったのをよく覚えてる。そして、その場から逃げだした事も――
思考の邪魔をするように礼拝室の大扉が開かれた。ゆっくりときしむ音を立てながら隙間が広がり、現れたのはミナという女だった。人形のように何も反応しない女と認識していたが、今の彼女にはしっかりとした意思が見て取れた。
彼女は、暗いわ、と腕を振った。礼拝室にある全ての
なるほど。ただの町娘にギルが固執するはずがないと考えてはいたが正しかったようだ。その女に利用価値があるのか、計画にどう影響するのか、見極める必要がある。
「あなたとクリスタの二人を騎士マルクに連れて来させる手はずですが?」
「マルクは来られないわ。カールに負けたから。だからクリスタも来ない」
「では、なぜ逃げずに来たのですか?」
計画ではクリスタとミナを餌にしてギルを呼び寄せ拘束する。それがかなわないのであれば礼拝室に誘導する。その要ともいえる二人の移送をマルクに任せていたが、あの若者を買い被り過ぎてたようだ。
それよりも今は目の前の女だ。計画の障害にならないか確認する必要がある。
彼女は私などお構いなしに礼拝室のながめていた。その視線は装飾の施された高い天井からステンドグラスに移り、その手前の聖人像へ。さらに手前の祭壇、上に置かれた剣を経由して私で止まった。
「逃げる? とんでもない。一番いい場所で見物させてもらうのよ」
話は終わりとばかりに、彼女は長椅子に腰を下ろした。とても捕らえられていた者の態度には思えない。計画の妨げになる。そんな予感がした。
「何が目的ですか?」
「ふふっ、策をあれこれ講じているあなたに、それを聞かれるとは思わなかったわ。私は人の心が知りたいだけ。強い感情が見たいだけ。安心していいわ。邪魔をしないであげるから」
その気になればやれる。ただ、やらないだけ。不遜な態度に苛立ちを覚えた。しかし表情と声には出さない。
「人の心が知りたい、ですか。まるで人ではないと言っているように聞こえますが」
「私にもわからない。あなたは自信を持って言えるのかしら。自分が人だと」
「私は父と母から生まれた。人以外何物でもない」
「不死となっても?」
確かにそれは人ではない。しかし……
「人であろうとなかろうと、私は私です。あなたは違うのですか?」
「それこそわからないわ。私は混ざってしまったから。私は呪い師と呼ばれていた。でも、今はどうなのかしらね。あなたに私はどう見える? 呪い師? それとも、ミナ?」
「どちらでも構いません。ギルを呼び寄せる餌であれば」
即答すると彼女は笑った。笑って、笑って、顔を伏せて長い息を吐いた。
「ギルが来るかわからないわよ。ここに来るように
「それはどうでしょう。あの不死者があなたに固執しているのは明白。騎士マルクの話が正しければ、ですが」
固執している理由までは知らない。調べさせても得られる情報はなかった。ミナは予備の餌として捕えさせた。しかし彼女が本命かもしれない。
「そしてもう一つ。ギルが来ないのであれば、あなたはなぜ来たのですか?」
「ギルにも用があるけど、面白いものが見れそうだからかしらね。あなたのやろうとしている事を含めて」
「私、ですか」
「ほんの少し興味があるだけよ」
私に興味がある? 捕らえさせたのを根に持っているのか? いや、違う。彼女の目に憎しみの色は見えない。
「私はつまらない男です。興味を引かれるような人物ではありません」
「そうね。今のあなたはつまらない。閉ざしている心に興味はないわ。でも、あなたのやろうとしている事には興味がある。今まで、そんな人はいなかった。つまらない心の持ち主のとる行動が面白かった事はないもの。でもあなたは例外みたいね」
「私の何を……知っているのですか?」
動揺が少しだけ声に乗った。興味があるという事は少なからず知っているという事だ。計画は誰にも
「大した自制心ね。何も知らないわよ。ああ、話さなくていいわ。直接見させてもらうから。あなたを形成するに至った過去をね」
視界がゆがんだ。呪い師の瞳が大きく見える。私が小さく感じる。吸い込まれていく、私が飲み込まれる、そんな感覚に陥った。
――疫病で孤児となった私は慰問のために訪れていた枢機卿に引き取られた。大きな街に移り住み、厳しい教育と戦う訓練を受けた。同じような子供は男ばかりで五十人程いたが、年が経つにつれ減っていった。明らかに能力が低い者からだ。
枢機卿には跡継ぎがいないらしい、後継者を育成しているらしい、そんな風説が広まっていた。そんなうわさが流れていたら友人などできるはずがない。回りの者は障害でしかなかった。
次第に学ぶ内容は難解になり、訓練は過酷になっていった。その都度、子供は減っていく。十年が過ぎた頃、残っていたのは八名だったか? 私たちは相変わらず団結もせずに互いを
私たちを管理している者は決闘を許さなかったが、枢機卿は、やりなさい、と言った。
彼が見守る中、いや、品定めしている中、決闘は行われた。もちろん立っていたのは私だ。あいつの名前はなんだったか? 今となっては顔も覚えていない。腕から血を流し剣を落とすと膝をついて命乞いしていた。確か泣いていた気がする。
私はそこで終わらせて良かった。もう絡まれる事はないだろうから。しかし、終わらせなかったのは枢機卿だ。冷たい目で私にこう言った『殺しなさい』と。
枢機卿は運ばれていく決闘相手を一度たりとも見ない。興味は私にしかないようだった。名前を聞かれたという事は、その興味は今芽生えたのだろう。
私は枢機卿の前で膝を付き、名乗り、形ばかりの忠誠を誓った。
枢機卿が私を利用すると言うなら、私もそうしよう。全てを奪ってやる。競争者を全て蹴落とす。最後まで生き残る。私がこの男にとって代わる。途中で倒れてたまるか。
幼き頃の疑問が解けないがわかった事もある。死ねば全て失われる――
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