最終節⑤ 囚われの姫と逃亡者

「クリスタ・ヘルダーリン、聞いているのか」


 威圧する異端審問官を無視して窓の外に広がる王都をながめ続けていた。私が育った町とは比べ物にならない大きい都市。カールもここにいるのよね。ちゃんと騎士をやれているのかしら?

 いつも後ろをついて歩いていたカールが騎士になりたいと言った時は驚いたけど、やっと自分の道を進もうとしたのかと喜んだ。だから父に頼んで聖堂騎士団への推薦状を書いてもらった。少し寂しかったけど、それがカールのためになると思った。

 あれから十年。カールは騎士になった。私は領主になった。妹ばかりでは私がやるしかなかったというのが現実だけど。

 物思いにふけっていると、置かれている状況を思い出させるように異端審問官が視界を塞いだ。


「クリスタ――」

「うるさいわね。聞こえているわ」


 ドレスの下で足を組み、頬づえをついたまま目だけ向けた。自分で言うのもなんだけど態度が悪い。でも仕方ない。頭に来ているのだから。さて、どうやって憂さを晴らそうか。

 丸めていた背を伸ばて椅子の背にもたれる。安物らしいきしむ音を立てた。組んだ足はそのままに膝の上で指を組む。

 あまりの厚かましさに異端審問官の顔が引きつっていた。


「話を整理しましょう。教会は私、クリスタ・ヘルダーリンを異端と決めつけた。間違いないわね?」

「あ、ああ、いや、まだ――」

「歯切れが悪いわね。しっかりしなさい。それでも異端審問官なの? まあいいわ。理由を言いなさい」


 私より年上の男性がたじろぐ姿に笑いそうになったけど、まだ駄目。ここぞという時まで取っておくの。


「異端者ギルとつながりが深い。それ故の嫌疑だ」

「あらそう。それで、なぜ、ギルが異端者なのかしら? 大聖堂前で酔いつぶれてた? それとも礼拝堂に酒をこぼした?」

「それは……」

「さっさと答えなさい。焦れったいわね。それを寄こしなさい」


 異端審問官に歩み寄り資料の束を奪い取る。もちろん抗議の声は上げさせない。ひとにらみするだけで簡単に大人しくなった。

 いくら教会の権威があろうとも私に盾突くには図太さが足りないわ。

 立ち尽くす彼を後目に殺風景な部屋を歩きながら資料をめくり目を走らせた。

 ふふん、思った通りだわ。ギルについての情報がない。書いてあるのはヘルダーリン家の情報のみ。祖母アメリーが教会の許可を取らずに疫病被害者の火葬を行った事まで書いている。もちろんカールについても。まったくよく調べたものだわ。

 おおかたギルを異端者に仕立て、つながりを持つヘルダーリン家を失脚させるつもりだろうけど、それにしては粗略すぎる。

 資料をたたきながら無駄に背が高い異端審問官を見上げた。


「肝心のギルについて書かれていないわ。よくもまあこんな物で私を拘束する気になったわね。議会が許可を出したのが信じられないわ」


 逆に言えば、この程度の証拠で議会が動いた事実にこそ警戒すべきね。ここまでの力を教会が持っていると知れただけでも収穫があった。

 もういいわ。せっかく王都に来たんだしカールの様子を見て帰ろう。


「それは別の担当者が――」

「あなた、それも知らずに何がしたいの? 本当に残念な人ね」


 ここぞとばかりにほほ笑んであげた。大声で笑いたかったけど止めておこう。青筋を立てた彼が見られただけでも満足できたし本命を片付けよう。

 私が連れて来られた扉とは別にある、もう一枚の扉に顔を向けた。


「どうせ聞いているのでしょう? この人では話にならないわ」


 自信満々に声を張ると、少し遅れて扉が開かれた。現れたのは頬に火傷の痕がある中年の男。

 その祭服は……枢機卿すうききょうかしら? また大物が現れたわね。

 温和そうに見せてはいるけど眼光までは隠していない。年相応、いえ、それ以上のやり手に見えた。

 肩に手を置かれた異端審問官がビクリと震える。


「あとは私が」

「しかし……」

「彼女はそれなりの権力を持っています。にらまれるのは望ましくないでしょう。汚れ役は任せてください。力不足かもしれませんが、あなたの助けになりたいのです」

「よろしくお願いします」


 逃げられると判断したのか異端審問官はあっさりと引き下がる。

 退室ぎわの憎しみに近い視線に手を振って応えた。楽しませてくれた礼の代わりに。

 さて、こっちも簡単にいけばいいけど。先手を取らせてもらうわ。


「盗み聞きとは良い性格しているわね」

「これも務めですので」

「そう。あなたは名乗ってもらえるのかしら?」

「申し遅れました。ヴァルター・リストと申します。肩書は枢機卿ですが好きに呼んでもらっても結構です」


 ここからが本番。油断していると食われかねない。そんな重圧を感じていた。


「教会の組織についてはよく知らないけど、異端審問官は組織から独立しているのでは? 枢機卿といえども命令できないと思っていたけど?」

「その通りです。お詳しいですね。彼は協力してくれているのですよ。ありがたい事です」


 にこやかにしてはいるが、とんでもない食わせ者だ。指示系統外の異端審問官を顎で使えると言っているようなものだった。


「随分、偉い――」

「そうそう、ご報告があります」


 私の言葉をさえぎってまで口を挟んできたのには理由があった。

 枢機卿はほほ笑みを絶やさずに、こう言った。


「カールが逃亡しました。数日前の事です。異端者ギルとの関与を確かめようとする矢先に、です。クリスタ・ヘルダーリン、異端者ギルとの関わりを伺いたいところですが、先にカールについてお聞きしてもよろしいですか?」


 乱暴に座って腕を組んだ。忌々しい視線を打ち消すようににらみつける。苦し紛れにもなっていないけど。

 ふん、勝負は初めから決まっていたのね。


「あの馬鹿」


 思わず声に出た。


「何か仰いましたか?」

「いいえ、何も」


 なぜ連れて来られたのか理解できた。私は餌だ。ギルを釣るための。

 彼に見えないように歯を食いしばった。何もできないのが悔しかった。


 閉じ込められて数日たった夜、眠る気になれずバルコニーへ出た。ながめは良かったがいい加減飽きる。思った通り幽閉するだけで尋問は一切なく、待遇も悪くはない。ただ暇だった。

 手すりから身を乗り出すと、はるか下に月明りに照らされた王都が広がっていた。外から見た増築中の大聖堂には塔が何本もあったけど、まさかそこに幽閉されるとは思ってもいなかった。

 手すりに肘をついて考える。このままでいいのだろうか? 私の存在がギルとカールの足かせになっている。それだけは許せない。特にカールには無様な姿を見せるわけにはいかない。

 ではどうするべきか? 両頬をはたいた。決まっている。行動あるのみよ!


 一枚しかない扉は上質な物だった。当たり前だけど開かない。肩から当たってみても、ドン、と音を立てただけで無駄な行いだとわかった。

 扉が駄目ならバルコニーがあるわ。肩をさすりながら下をのぞいた。飛び降りたら死ぬわね。間違いなく。

 下のバルコニーまで移れたらいいのだけど。そうやって一つ一つ降りていけばいい。ベッドシーツが使えそうね、と考えていたら、そこに女性の姿が見えた。流れるような黒髪の女の人。すぐ下のバルコニーに立っていた。

 思い切って声をかけた。


「ねえ! あなたも捕まっているの?」


 聞こえていないのかしら? 微動だにしないので、もう一度と思った矢先、ゆっくりと仰向かれた。髪と同じ黒い瞳をしていた。


「それとも教会の人?」


 質問を変えたが返事はないままだった。静かに目を向けられているだけ。なんだろう? この感じ。異端審問官は表情をコロコロ変えた。枢機卿は薄ら笑いを張り付かせていた。

 この人には何もなかった。まるで感情がないようだった。

 きっと、あいつらにひどい事をされて心を閉ざしたんだわ。

 安心させようと、また声をかけた。


「少し待ってて。そっちに行くわ」


 反応はなかった。気にはなるけど、今は動く。

 ベッドシーツを剥ぎ取り、手すりの格子に固く結ぶ。よし、行けるわ。

 即席のロープを握ると突風にあおられた髪が顔にまとわりついた。

 ああ、もう、邪魔な髪ね!

 何とかまとめようと顔を上げると目が合った。傍目には滑稽な絵面に見えるだろう。

 大聖堂の高い塔、そこにある小さなバルコニー、手すりに足をかけて見上げる私、手すりに立って優雅に見下ろす彼女。

 いつの間に? どこから? 何をしてるの? 不可解な状況に頭が付いていけない私に彼女は言った。


「あなた、クリスタ・ヘルダーリンであってる?」

「え、ええ、あなたは?」

「私はテレーザ・ラングハイム。捕らわれの姫を救いに来たわ」


 白い髪と白いマントをなびかせた彼女は男性がするお辞儀をした。姫を救い出すのは男性の役目だと言わんばかりに。

 全身を白で統一している彼女は人ならざる雰囲気をまとい、人懐っこい笑みを浮かべていた。


「救う? あなたが? どうやって?」

「あんな感じに、よ」


 彼女は下に目をやった。見ているのは大聖堂の屋根。複雑な形状をしているだけで特に目を引くものはない。いえ、違う。微かに争う音が聞こえる。

 多重に積み重ねられた建造物の一つ、その窓に剣を抜いた聖堂兵がいた。何かを指差して叫び、しゃがみ込む。直後、一枚の扉が窓を突き破り、破片を撒き散らしながら屋根の上を転がり消えていった。

 隣でテレーザがクスクスと笑う。


「ルーノは楽しんでいるわね」

「ルーノ?」

「そっ。私の大切な人。彼とギル、カール、そして私。この四人であなたを救いにきたの」

「なんで、そんな無茶を! 自分の面倒ぐらい見れるわ!」


 カールの名前が出たのには驚いたけど、私のために無謀な事をしているのも驚きだった。

 眼下では、また扉が落ちていき屋根に刺さる。

 私の返しが意外だったのか、テレーザは首を傾げた。


「聞いてないの? 数日中に幽閉されるのよ。監獄に」

「誰が?」

「あなたが、よ。だからカールはギルに助けを求めた。それでギルと一緒にいた私たちが手伝っているわけ」


 いくらなんでもおかしい。これでも私は領主だ。私を拘束できたのですら疑問なのに、その上、幽閉? いくらなんでも議会が承認したとは思えない。そこまでの影響力はないはず。となると……狂言。わなを張っているわね。

 考えをまとめているとテレーザにのぞき込まれた。白い瞳がまばたく。


「どうしたの?」

「なんでもないわ。どうやって逃げるの?」


 罠だとしても今更どうにもならない。すでに動き始めている。止める事はできない。だったらさっさと退散すべきだ。

 彼女は私の問いに行動で応えた。手すりから軽く飛び降り、室内に向かって走る。その勢いのまま頑丈な扉を蹴り破った。蝶番ちょうつがいはねじ切れ、激しい音をたて通路の壁で跳ね返る。

 テレーザは大した事をしていないといった風に振り向いた。


「さあ、行きましょう」


 ありえないけど、ギルの友達なら納得するしかない。


「少し待って。すぐ下の階に連れていきたい人がいるの。良いかしら?」

「ええ、構わないわよ。どうせろくでもない理由で捕らえられたに違いないわ」


 彼女にとって鍵で閉じられた扉などなんの障害にもならないのは証明されていた。気がかりだった階下の女性も反応は小さいが、手を引けばちゃんとついてきてくれる。

 あとは脱出さえできれば。

 長い螺旋らせん階段を駆け降りていく。先導するテレーザは時々遭遇する聖堂兵を片っ端から一撃で沈めていった。

 しかし、いくら強くても私たちを連れていて大丈夫だろうか?


「どうやって逃げるの?」

「カールが来てくれる。兵士はギルたちが陽動してくれるわ」


 なるほど。それなら――

 その時、引いていた手が離れた。黒髪の女性の足が止まっていた。微かに、確かに、ギル、と言った。

 初めて見せるしっかりした反応に思わず肩をつかんだ。


「大丈夫? 意識ははっきりしてる?」


 彼女は目を閉じ、長い息を吐いて、また開いた。今までとは違う強い意思を感じた。感覚を確かめるように手を閉じたり開いたりしながら、しっかりとした口調で答えていた。


「ええ。生まれ変わったみたいに清々しいわ。ところで、ここはどこかしら?」


 今の状況などお構い無しにのんびりとした彼女は辺りを見回し、テレーザで視線を止める。


「あなたを知っているわ。ブルーノと一緒にいる子ね。彼は元気?」


 彼女はほほ笑んだ。

 それは優しさと怪しさが同居している不思議な笑みだった。

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