最終節④ 聖堂騎士と枢機卿
「騎士マルク、実は尋ねたい事があります。不快に思うかもしれませんが大切な話です。先日、城門付近で騒ぎを起こしましたね? いえ、
苦い記憶を思い出して苛立ちが顔に出そうになった。それよりも、なぜあんな旅人を気にかける? そして、なぜそんな取るに足らない事を知っている?
疑問に思うが口には出せない。俺と枢機卿の身分差は大きい。返答するだけに留めておくのが良さそうだ。
「はっ! ギルと呼ばれていました」
期待通りの答えに大きくうなずかれた。穏やかな表情とは逆に眼光は鋭い。
「やはりそうですか。その旅人ギルは神に盾突く異端です。やつは人を欺く術に長け、巧みに操り、姿を隠してしまう。これまで何度も煮え湯を飲まされてきました。あなたが見聞きした情報が彼の者を追い詰める材料になるでしょう」
急変したミナの態度に違和感があったが合点がいった。まさか異端者に操られていたとは。
しかし旅人については容姿ぐらいしか知らない。話せる情報はすぐに尽きた。対立した経緯も話すべきだろうが、ミナとの関係を口にしたくはなかった。
それが伝わったのだろう。枢機卿は祈るように指を組んだ。
「経緯を聞かせてもらいたいところですが無理にとは言いません。どんな勇敢な者でも心の痛みには耐えられないのですから。ただ、私なら騎士マルクの力になれるかもしれません」
話していいのか? いや、俺ごときに親身になってくださっている。礼には礼で応えるべきだ。
そう頭では理解していてもミナの話をするのは苦痛だった。緩やかに温めていた親交を壊されたのは深い傷として心に刻み込まれている。
しかし言葉に詰まるたびに枢機卿は寄り添ってくれた。ある時は眉をひそめ、ある時は肩に手を置いてくれた。
「つらい話をさせてしまいました。謝罪を」
膝をつこうとする枢機卿を慌てて留まらさせた。
「いえ! 自分が弱いせいです! 力不足が招いた結果です!」
「そうだとしても、です。あなたはまだ若い。これからも成長するでしょう。必要な挫折かもしれません。しかし、その傷をえぐったのは私です」
「そんな――」
俺の言葉をさえぎり、両手で包み込むように手を握られた。包まれていたの手だけだったが抱擁されているような温かさを感じた。
闘技場からの歓声が地響きとなって伝わってきた。
「話が逸れてしまいました。話にあったミナという女性、心配ですね。再びギルに狙われるでしょう。その後、彼女に会いましたか?」
「いいえ。急いで保護する必要がある。そうですね?」
「その通りです。これ以上、悪をのさばらせてはいけません」
思わず強く握り返してしまったが、それ以上に強く握られた。
今、確信が持てた。このお方は神の代弁者であり、正義の使徒だ。
「彼女を任せてもいいですか? 親密な騎士マルクが行けば誤解されないでしょう」
「はっ!」
すぐ実行に移そうとする俺を枢機卿が引き止め、
広げた翼をかたどったそれは枢機卿の代弁者を表す。つまり同等の権力を持つ証。実際に見るのは初めてだった。
「本来は気軽に与える物ではありませんが事態は急を要します。聖堂兵を使いなさい。それと、もう一つ――」
枢機卿が待機所の入り口に目を向けた。そこにはカールがいた。恐らくいつまでもたっても観客席に現れない俺を心配して来てくれたのだろう。
カールも枢機卿がいる事に驚いていたが、即座に敬礼をした。
「ちょうどいいところに。騎士カール、あなたにも尋ねたい事があります」
「はっ!」
緊張したまま敬礼しているカールに、枢機卿は穏やかに尋ねた。しかし口調とはうらはらに冷たい空気をまとっているように感じた。
「記録から確認できていますが、あなたの口から教えてほしいのです。あなたを聖堂騎士に推薦したのは地方領主のヘルダーリン家。間違いありませんね?」
「はっ!」
「あなたはヘルダーリン家に仕える使用人の息子であり、現当主クリスタに目をかけてもらっている。正しいですか?」
「間違いありません!」
枢機卿はゆっくりと室内を歩きまわり何度もうなずいていた。一瞬、目があった。
なんだ? 俺に何を求めている? わからないが、いつでも動けるようにしておくべきだ。
「騎士カール。通常、使用人を騎士に推薦するなどありません。教会は従事する以前の身分を問われないとはいえ、家の信用に関わります。よい主に恵まれましたね」
「はい」
カールは困惑していた。言葉の意図がつかめないのだろう。それは俺も同じだったが、俺には枢機卿が剣を振るっているように感じた。ここまでは布石、陽動。本命を叩きこむために追い詰めているように見えた。
枢機卿は鋭い眼光をカールに向けた。
「ところで騎士カール。旅人ギルを知っていますね。その者はヘルダーリン家と深いつながりがあります。もちろん、あなたとも」
なんだと! 異端者はカールともつながっていたのか? 俺の足場が崩れて消えてしまったような不安定さを覚えた。
あの旅人がミナだけではなくカールまで奪っていく、そんな不安を覚えた。
当のカールは突然出された名を耳にしても平然を装っている。
「はい。それが――」
「その旅人ギルが異端者であると調べがついています。ギルと関与する者は全て調査対象。もちろん、あなたも。そして、クリスタ・ヘルダーリンも、です」
「クリスタは関係ない!」
冷たい視線を送る枢機卿にカールは反論した。不敬極まりない行為だった。
「残念ながらそれを判断するのはあなたではない。私でもない。異端審問官に委ねられる。騎士カール、枢機卿リストの権限において聖堂騎士資格を剥奪します。騎士マルク、この者を拘束し異端審問官に引き渡してください」
いつでも動けるようにしていたつもりだった。それなのに動けなかった。たった一瞬だったがカールに後れを取るには十分な時間だった。俺が伸ばした手は空をつかんだ。
後方に飛びすさったカールが叫ぶ。
「マルク! 僕を信じてくれないのか?」
「お前こそ俺を裏切るのか! ミナと同じように!」
「……悪い。ここで捕まるわけにはいかない。僕はクリスタを守る」
カールは背を見せると逃げた。
「待て!」
「騎士マルク! 追う必要はありません」
「しかし!」
「いいのです。鎧姿のあなたでは追いつけませんし、すでに手を打っています。あなたはミナという女性の保護を優先してくだい」
決断を鈍らせた自分を恥じていると枢機卿はかぶりを振った。
「騎士マルク、友を思うあなたに捕えさせようとした事を謝罪します。さぞ心を痛めたでしょう。それも異端者ギルのせいです。これ以上の苦痛が広まる前に捕らえます。私とあなたの手で、必ず」
「お心遣い、感謝いたします。次はためらいません。鋼の意思をもって期待に応えてみせます」
膝をついて忠誠を示す。肩当てに置かれた手から信頼されているとわかった。それがうれしかった。
「私は心強い味方に恵まれました」
「はっ! 神命と誇りに誓い、使命を全うします!」
私がこのお方の剣となる。そして盾となるのだ。
枢機卿が去った後、聖堂兵の詰め所に向かった。急の要請のため、準備に時間がかかったが、胸章の効力は絶大だった。
小隊十名を引き連れてミナの元に着いたのは夕方の鐘が鳴る頃。聖堂兵が入り口を封鎖するようにぐるりと囲む。
あまりの物々しさに人が集まってくる。聖堂兵小隊長が、静まれ、と声を張り上げにらみを効かせた。静寂とはいかないまでも面と向かって異議を唱える者はいない。
ミナが住み込みで働くパン屋の主人が先頭にいる私の元に来た。堂々としているとは言い難く、あきらかに
「店主、ミナはいるか?」
「は、はい。いるにはいますが……」
「なんだ? はっきりしろ」
「先日から魂が抜け落ちたようになりまして」
「なんだと?」
店の屋根裏にある彼女の部屋に駆け込んだ。必要な物以外ない部屋だった。西日が射しこみ彼女と彼女が横たわるベッドを赤く染めていた。ベッド脇にある台の上には
彼女の側らに膝をついてそっと手を握った。その手は井戸水のように冷たく、握り返してくれない。
死んでいるのではと疑いたくなったが、その胸はかすかに上下しており、瞬きもしている。ただ、その焦点の合っていない瞳が私に向けられる事はなかった。
握る手に力が入る。様子を見ている店主が、ひっ、と小さく悲鳴を上げた。
ああ、私はさぞ恐ろしい形相をしているだろうな。もはや怒りを鎮めるなど不可能だ。
そっと抱き上げる。その細い体は驚くほど軽かった。
「店主、ミナは教会で保護する」
「いや、しかし」
ひとにらみすると、それ以上口を開く事はなかった。
反応も感情もないミナが哀れに思う。それも全てあの旅人のせいだ。
ギル、ギル! ギル!! 異端者め! 私からミナを奪い、カールも奪っていった。
胸に芽生えたのは決意。許しはしない。これ以上、悲しみを巻き散らかせてたまるか。
待っていろ。神の名の下、貴様を裁いてやる。
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