第22節③ アルビノの淑女と旅人

 しまった。本当に寝てた。こうも暇だと仕方がないわよね。自分でも思うけど緊張感が欠片もない。なんでこんなに落ち着いていられるのかしら?

 体を起こし、首を振って顔にかかる髪を払った。縛られたままだったから、あちこち痛い。

 それにしても大聖堂の地下にこんな部屋があるなんてね。地下だからか時間がわからない。

 いい体勢を探してゴソゴソしていると、部屋の隅で縛られているギルが苦笑いした。


「おはよう。随分と余裕じゃないか」

「おはよう。夜も昼も動いてるから寝不足なのよ。どのぐらい寝てた?」

「夕方の鐘が鳴ったのが随分前だ。もう夜中だろう」


 そんなに眠っていたのね。さて、様子を見るべきか、それとも逃げるべきか。見回すと部屋の中には何もなく、扉が一枚あるだけだった。


「起きたばかりのところで悪いが、今の状況をどう見る?」

「どうって、教会の自作自演なんでしょう? そして私たちに罪を押し付けようとしてる。それとも教会は事件と無関係で、単に私たちを犯人と間違えているとでも?」


 何が言いたいのかわからなかった。


「自作自演は間違いないだろう。でなければ私たちを捕えているのは衛兵のはずだ。疑問なのは、なぜ、私たちが捕らえられたか、だ。罪をなすりつけやすい人はいくらでもいるが、私は不向きだ。少し調べれば街に入ったばかりだとわかる。昨日より前の事件にかかわりようがない」


 そういうこと。最初から私かギルが狙われていたと考えるべき、と言っているのね。だとするとなぜ? 私はその答えを知っている。ギルが言っていた教会が力を持つために必要なのは不安定な社会。それがこの街にはない。陰ながら秩序を守っているのはルーノと私――


 ガチャリと鍵が開けられ、扉がきしみながら開かれた。突然現れたランプの光が目に刺さる。


「これはこれは。吸血鬼を釣る餌を捕えさせたが予想外の大物が釣れたものだ。お前のことは知ってる。不死の旅人ギルだな。ちょうどいい。私も不死にしろ」


 ようやく目が光に慣れると聖堂兵の後ろに昼間の司祭がいた。彼の後ろにも兵が二人。良い状況とは言い難かった。

 吸血鬼と言ったわね。狙いは私か。毒混入事件を起こし、民に不安を与え、罪をルーノに被せる。民は私たち恨み、排除され、教会は力を得る。なんて悪知恵かしら。

 それはともかく、司祭はギルを知っている? それも詳しく。

 勝ち誇る司祭に対し、ギルは薄い笑みを浮かべていた。


「勘違いしていないか? 私は不死ではない」

「いいや、知っているぞ。私は貴様と会っている。あの時と変わらぬ姿なのが不死であると証明している。どうやって不死となった? 方法を教えろ。そうすればテレーザとかいう娘を解放してやろう」

「無理だ。私は知らない」


 ギルの顔から笑みが消えた。それだけ油断のならない相手と物語っていた。それは私も同じ。名前まで調べられている。物見塔も知られた今、地下の隠し部屋にいるルーノも危ない。それもこれも私が勝手に動いたせいだ。私がなんとかしないと。

 拘束から逃れられないかと身じろぎすると司祭に蹴られ、踏みつけられた。頬が石床に押し付けられ、革靴が食い込む。

 そして腹に押し当てられる感触。見るまでもなかった。それは剣だ。余裕の消えたギルの叫びが狭い室内に響いた。


「止めろ!」

「なら、早く吐くがいい。私は不死になりたいだけで貴様自身に用はない。事が成されれば二人とも解放してやろう。約束だ。神に誓ってもいい」


 司祭は右手を上げて誓いを立てた。こんなうさん臭い誓いは初めてみた。

 私が枷になっていてギルが行動に移せないように感じた。逃れようとしたが踏み付けが強くなる。痛みでうめき声が出た。


「この女を見殺しにするのか?」


 ギルの顔から表情が消えた。そこにあるのは静かな怒り。今日、初めて会った彼だいけど腹を決めたのはわかる。察した兵士が司祭とギルの間で剣を抜いた。兵士の掲げるランプの灯りがギルの後ろに大きな影を作る。

 ギルが何をするつもりかはわからないけど、私のせいで無理をしようとしている。せめてギルだけでも逃したいけど、縛られたままじゃ足手まといにしかならない。

 その時だった。背後から金属同士が打ち合う音がした。


「淑女は丁重に扱うものだ。司祭ともあろう者が感心せぬな」


 聞き間違いじゃない。この声はルーノだ。司祭は向き直り、頬から足が離れた。いつもと同じ黒マントに身を包み、優雅に腕を組むルーノがそこにいた。

 入口を見張っていた兵士は二人とも倒れ、それを知った司祭は顔をゆがませる。


「我輩に用があるそうだな。わざわざ足を運んでやったぞ」

「何者だ!」

「ブルーノ・ラングハイム伯爵。吸血鬼だ。伯爵と呼ぶがいい」

「はっ! 手間が省けたぞ、吸血鬼!」


 司祭は懐から小びんを取り出すとルーノ目がけて投げつけた。ルーノは叩き落としたけど、小瓶は割れて中身が飛び散る。まともにかかった手がただれ、黒いがもれ出ていた。水滴が着いた額と頬からも。

 ルーノはその手を一見すると固く握りしめ、踏み出した。口の端で笑い、鋭い牙が現れる。


「ふむ。これが市井を騒がしている毒か? この程度では痛いだけよ。足止めにもならぬ。我輩を止めたくばたるで持ってくるがよい」

「化け物め!」


 司祭は、また毒瓶を取り出した。しかし、それは投げられなかった。ルーノが腕をつかんだからだ。


「くそ! 離せ!」

「まあ、そう急くでない。それよりも、ギル。テレーザが世話になった。礼を言おう」

「この様ですけどね」


 金属が叩きつけられる音がしたと思ったら、ぐったりと倒れている兵士の傍らにギルが立っていた。さっきの冷たい感じはもうない。兵士の持っていたランプが割れて炎が上がった。


「殺したの?」

「まさか。倒しただけさ」


 ギルは私の元に来ると小さなナイフで縄を切り始めた。そんなものを隠してたのね。

 一気に形成が悪くなった司祭は焦りだした。腕を振り解こうと必死だけど、人がどうにかできる力ではない。現にルーノは余裕そのものだった。今の今までは。

 もがく司祭の手から毒瓶が離れた。偶然にも、それは私めがけて飛んでくる。とっさにギルが私に覆いかぶさったが私の手に痛みが走った。


「ああっ!」

「貴様!!」


 ルーノは私の側らに膝を付き縄を引きちぎった。つかんでいた司祭を邪魔だと言わんばかり放り投げて。


「があああ!」


 今度は司祭が叫ぶ番だった。炎に顔から突っ込んだ司祭の祭服に火が移り転げまわっていた。

 ルーノは司祭の様子などお構いなしに、私を優しく抱き起してくれた。


「テレーザ! 大丈夫か!」

「大丈夫。少し痛いだけ。逃げましょ。もうこの街には居られないわ」

「いや、しかし、あやつに聞きたい事があってな」


 司祭は礼服を脱ぎ捨て、くすぶる煙をまとい、顔を押さえ、殺意ある目を向けてきていた。とても聖職者の目とは思えない。


「貴様ら! 許さんぞ!」

「それはこっちの台詞よ。私たちは行く。できれば邪魔してほしくはないのだけど、私のお願い、聞いてもらえるかしら?」


 その願いに返事はない。肩で息をしているだけだけど、目から敵意は消えていなかった。誰がこんな人の相手をしてやるもんでしか。


「ルーノ、ギル、行きましょう」

「いや、しかしだな。我輩は――」

「話しても仕方ないわ。そもそも考えが違いすぎるもの。では司祭様。ごきげんよう」


 不満が残るルーノを無理矢理引っ張って大聖堂を出た。大階段を下る途中、振り返って見上げると巨大で荘厳な建物だった。いつの間にか舞い始めた雪の中で教会という組織の強さを静かに漂わさせていた。

 私たちの情報は丸裸。私は負けた。私の落ち度だ。まんまとあの司祭に操られた。

 これからどうすればいい? 間違いなく街には居られないわね。視線を戻すとルーノに見上げられていた。その目は厳しい。


「ごめんなさい。私のせいね」


 私が一段下りるとルーノは一段上がった。


何故なにゆえ、相談しなかった?」

「昼間の事件だし、一人でもやれると思って」


 もう一段下りる。彼は一段上がる。


「一人で、か。我らを何と呼ばれておる? 確か『白と黒』と記憶しておるが」

「逆。『黒と白』よ」


 ゆっくり一段づつ進み、距離が縮る。


「どちらでもよいわ。我らは二人で『黒と白』だと思っておったのだがな」

「その、顔を合わせづらくて」

「吸血鬼に成りそびれたからか?」

「そうよ。がっかりさせたわね」


 手が届くところまで近づいた。二人の間には二段しかないけど、目の高さは同じだった。さっき見た厳しさはどこにもなく、吸血鬼らしからぬ優しい目だった。


阿呆あほうか。気に病んでいたのはそなたであろうに。我輩と並び立つ者が人か吸血鬼かなど、些細ささいな話よ。我輩はテレーザが生を全うする時まで隣に立ち続ける。それを忘れるでない」

「恥ずかしい事言わないでよ。まるで……」


 その先は口に出せなかった。疎まれるアルビノに生まれた私は誰とも生涯を共にできないと思っていたから。それを言ってくれたのがルーノだったから。


「聞こえぬ。吸血鬼の過敏な耳を持ってしてもな。見るがよい。ギルも困っておるではないか」

「いや、それは、この場に居づらくて」


 ギルもそんな目で見ないでほしい。どうしていいかわからないじゃない。

 何も言えずにいる私の手をルーノが握った時、痛みが走った。


「痛っ!」


 見れば、毒を浴びた所が赤く爛れていた。夢中で気が付かなかったけど、こんなになっていたなんて。


「ひどく爛れているではないか。ギル、あの毒はこれ程強いものなのか?」

「いや、あれは毒ではないでしょう。実際、テレーザより多く浴びた私はなんともない」


 そう言って袖をまくって見せる彼の肌は奇麗なままだった。

 あの時、私をかばったギルがずぶぬれになったのは間違いない。ルーノと私は爛れた。でもギルは何ともない。司祭は、吸血鬼め、と言って瓶を投げた。もしかして聖水だった? そんな想像を吹き飛ばすかのようにルーノは笑った。 


「ギルは色々とおかしいからな。考えても仕方なかろう」

「先輩に言われると複雑です」


「大体、貴様は」「先輩こそ」と言い争う二人をながめながら思った。

 まさか今頃になって? 首の噛み跡を指で探したけど、それらしい感触はなかった。でも実感はない。確かめても良いけれど……まあ、それは、大した問題じゃない。ルーノはずっと一緒にいてくれると言った。それだけで十分だった。


「ほら、二人とも行くわよ。しばらく街を離れましょ。ルーノの民は強いもの。放っておいても大丈夫よ」


 何百年も過ごした街を離れるのを嫌がるかと心配したけど、彼はあっさり同意した。むしろ、まだ見ぬ地に思いをはせているように見えた。


「うむ。それも良かろう。永遠に戻れぬ話でもあるまいしな。ギル、王都はどの方向だ?」

「向こうですが、王都に行くつもりですか? なぜまた」

「勘だ。何やら不穏な空気を感じる。それ以上の意味などないわ」


 ちょっと、私と同じ事言わないでよ。

 ギルが私とルーノを見比べ、こらえきれずに笑っていた。


「何が可笑しい。我輩は真剣に話しておるのだ」

「くっくっく。すみません。二人ともそっくりで驚いただけです」

「驚いただと? 笑っておったではないか。説明せい」


 説明されてたまるもんですか。ギルに詰め寄るルーノを遮った。納得いかなさそうだけど、そうはいかない。


「早く移動しないと。夜明けまでに休める所を見つけないと、それこそ大変な事になるわ」

「いかん! 太陽はまずい! あれの痛みは耐え難い! では、ギルよ、また会おうぞ」


 ルーノは私を抱え夜の街に飛びあがった。ただ上だけを見つめ高く上がる。大聖堂より高く。大階段からギルが見上げていた。私たちの物見塔は雪に隠されて見えない。もう街には戻れない。私たちは身一つで街から去る。これから先はわからない。でも不安はなかった。


 だって、私たちはどこにでも行けるから。

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