最終節① 呪い師と旅人

――空も大地もない暗闇の中に私はいた。そこは何も見えなかった。自分自身さえも。

 ただ、彼女を待っていた。彼女から語りかけられるのだけを待ち続けた。


「おはよう。調子はどう?」


 彼女の声が聞こえた。姿は見えない。


「おはようございます。問題ありません」

「そう。少し話しましょうか」

「はい」


 彼女が質問するたびに私は答えた。意見を求められた時の返答は決まっている。わかりません、だ。それはいつも通りの会話だった。


「記憶の修復はほぼできているのに、なぜ心の修復ができないのかしら」


 それは独り言と判断した。返答は沈黙。


「こういう時は相づちを打つものよ。『本当に?』とかね」

「本当に?」


 笑い声だけが聞こえた。


「あなた面白いわ。でも私が求めているものとは違う。さっきのは無しね」

「わかりました」

「やっぱり人としての経験が必要かもね。いいわ。試してみましょう。何がしたい?」

「何もありません」


 聞き方が悪かったわ、と言って彼女は沈黙した。私は待った。


「何が得意? なければ、やれる事でもいいわ」


 記憶をたどった。情景がいくつも見えた。生地をこねていた。パンを焼いていた。焼きたての匂いを知っていた。

 どこかの民家で私はパンを焼いていた。釜土から取り出し、良い焼き具合を見て満足気にうなずく。横から手が伸びてきてパンをつかんだ、と思う。記憶の映像ではその人のところだけ切り取られたように何も見えなかった。映像の一部分が真っ黒に塗りつぶされ、人をかたどっていた。

 はパンを口に運ぶ。私に向き直り何かを言っている気がした。私は笑っていた。


「パン」

「パンがどうしたの?」

「焼けます」

「なら、それをしなさい。体の主導権を渡すわ。と言っても元はあなたのだけどね」


 暗闇に光があふれた。今度はまぶしすぎて何も見えなかった――



 あれから半年。彼女からの語りかけはない。自分では随分と人らしい反応ができるようになったと思う。相変わらず感情というものはわからないけれど。

 考えながら手を動かしていたら店主に呼ばれているのに気付けなかったらしい。


「ミナ。聞いているか?」

「あ、はい。すみません。なんですか?」


 生地をこねる手を止めた。店番の交代はまだ先のはずなのに、しわだらけの店主が作業場に顔を出した。


「店に出てくれないか? 続きはわしがやっておくから」

「はい。ラルフさんですか?」

「ミナ目当てとは言え、常連だからな。少し相手をしてやってくれ」

「わかりました」


 前掛けを外し、手に付いた生地を布巾で拭き取った。


「生地に少し水を吸わせてください。いつもより乾燥しているので」


 前掛けを外して店先へ出た。

 冬の寒さは和らいだが、まだまだ寒い。釜戸のある作業場から出るなら上着を着れば良かった。

 さっき焼き上がったばかりのパンをながめているのは騎士のマルク。毎日のように彼が来る理由は、パンではなく私にあると店主が言っていた。

 私に気づいたマルクが上げようとした手が台に当たり、上に並んでいたパンが踊った。落とさないように慌てるマルクは面白い。そういう時は笑う。

 目が合い、釣られた彼も笑っていた。


「おはよう。ミナ」

「おはようございます。マルクさん」


 一瞬、彼の顔が曇った。何か失敗したのだろうか? そうだ。『さん』はいらないと言われていた。


「今日もいい天気ね。マルクは今日も訓練?」


 表情から曇りが消えた。推測は正しかったようだ。


「ああ、毎日ヘトヘトさ。しかし、それだけ強くなった」

「本当に?」


 歯を見せながら力こぶを作るマルクが固まった。どうやら言葉の使い方が違うらしい。


「そうそう、今日の分ね」

「あ、ああ」


 聖堂騎士団の宿泊に納めるかごを渡した。中には今朝焼いたパンが詰められている。本来は騎士がやる仕事ではない。


「少し待ってて」


 作業場へ特別なパンを取りに行った。前日、店主と交わした会話を思い出す。


『マルクに贈り物をしてはどうだ? 常連客だしな』

『わかりました。どのパンにしましょうか?』

『せっかくだから特別なやつがいいだろう』


 マルクが抱える大きな籠の上に特別なパンを置いた。切れ目を入れ、葉野菜と燻製くんせい肉を挟んだパン。私はこれを知っている。記憶の中に製法があった。


「これは?」

「いつも良くしてくれるお礼。良かったら食べて」

「うれしいな。ありがたくいただくよ」


 マルクは大げさに喜んだ。その姿が記憶の中姿が見えない人と重なった。真っ黒な影の人物も同じように私のパンを受け取り、喜んでいた。

 記憶をたどりたい私をマルクの声が邪魔をした。その声で影の人は消え失せた。


「そうだ! 今度、剣試合の選考会があるんだ。年に一度ある聖堂騎士と近衛騎士の交流試合の代表を決める試合なんだ。良かったら見に来ないか?」

「いいの? でも店主に聞いてみないと」


 話を聞いていたのだろう、店主が顔を出した。


「店は気にするな。行ってきなさい」

「ありがとうございます。誘ってくれてうれしいわ、マルク」

「楽しみにしてる。良い所を見せないとな」


 そう言って彼は帰った。

 見送り、手を振りながら考える。欠落している記憶が見えかけた原因はなにか? きっかけはマルクとの会話。そして、特別なパン。どちらかなのか、それとも両方か。慌てて結論を急ぐ必要はない。私とマルクの距離は近づいている。これから検証すればいい。



 その夜、自室に戻った時に声が聞こえた。見慣れた室内が暗闇に変わる。前回と違い、自分の姿が薄く見えた。まとめられていない黒髪が顔にかかる。


「――うまくやっているようね」

「はい」

「試させて良かったわ。随分と人らしくなったもの。感情があるとは言いがたいけど、たった半年でここまで成長するとは思わなかった」

「本当に?」


 未だ姿が見えない声の主が笑った。


「上手に言葉を使うようになったじゃない。覚えていないと思うけど、記憶の修復を始めて十年以上経つのよ。その間、全く変化がなかった。心は心に触れないと成長しないのかもね」


 それが正しいのなら、この声の主は心がないのだろうか? 私にはわからない。


「これからも続けていきましょう。もっと経験を積めば感情が芽生えるかもしれない。これからもよろしく。じゃあ、私はやることがあるから」


 話が終わりそうだったので私から声をかけた。


「聞いてもいいですか?」

「あなたから話しかけられるなんて初めてね。何かしら?」

「欠落している記憶があります。知りませんか?」

「ええ、把握はしているわ」


 声は戸惑っている。


「どうすれば取り戻せますか?」

「今は無理。例えるなら、その記憶は重いの。とってもね。だから引き上げられない。もしかすると、あなたがやった方がいいかも。でも今は気にしなくていいわ。他に何かある?」


 いいえ、と答えると、また様子を聞きに来るわ、と言われた。また暗闇に光があふれる。前回と異なるのは光の色。それはまばゆい黄金色だった――



 いつも通り店番をしていた。

 記憶の欠落は解消されない。マルク、特別なパン。記憶が見えかけた状況を再現しても、あれ以来まったく見えない。

 こんな時、人はどうするのか? 店主もよく物忘れをする。大体、話している内に思い出していた。

 私も同じようにすれば思い出すかもしれない。少しでもマルクとの会話を増やすべきだろう。


「ミナ! 俺の話、ちゃんと聞いてたか?」

「ごめんなさい。少しぼーっとしてたかも」

「いつもより顔色が悪いぞ」


 考え事に思考を割き過ぎたか。マルクの言葉を聞きもらした。とっさの言い訳を真に受けたのか、顔をのぞき込まれた。とっさに背を向ける。


「近いわ。顔色の変化とか、よくわかるわね」

「そりゃあ、わかるさ。よく見ているからな」

「本当に?」

「ああ、本当さ。見てて飽きない」


 マルクが笑ったので、合わせて笑った。

 内容のない会話だ。記憶も取り戻せない。それなのになぜだろうか。

 目を細めて顔を綻ばせるマルクを見て、思う。

 悪い気分じゃない。


 店の奥から店主が出てきた。両手で抱えないと持てない程の大きな籠を持っていた。中はパンで満たされているのだろう。


「ミナ、悪いが今焼きあがったやつを届けてくれないか? 通り三つ向こうの酒場、昼は食堂をやってる所だ」

「はい。よく飲みに行ってるとこですよね。すぐ行きます」


 大きな籠を見てマルクは心配そうな顔をした。安心させるために指を一本立てて振る。


「大丈夫ですよ。すぐそこですし。それよりも飲みすぎには気を付けてくださいね」

「やれやれ、よく話すようになったと思ったらこれだ。わかった、控えるよ」

「約束ですよ」


 店主は苦笑いして頭をかいていた。なるほど。うまくやれるようにはなったらしい。努力の成果を実感した。

 籠を抱えて微笑んでみる。


「行ってきます。マルク、またね」

「気をつけてな」


 二人に見送られて店を出た。大通りに出ると忙しなく人が行き来している。こんなに大勢の人がいる場所は知らない。欠落した記憶にあるかもしれないけど。

 最近は表情を作って会話するようになったせいか、顔見知りから挨拶されるようになった。おはよう、今日も元気だね、配達かい? その一つ一つに表情を作り、動作を交え答えていく。いつか無意識で行うようになるのだろうか?

 そんな事を考えていたら前を歩く人にぶつかってしまった。籠の中でパンが暴れ、思わず落としかけたけど、その人が支えてくれて助かった。


「ごめんなさい。立ち止まったのに気づかなくて。それと、ありがとう。パンを落としていたら叱られていたわ」

「こちらこそ、すまない。道を間違えて――」


 その人、旅人の言葉は途中で途切れた。つば広帽の下にある目がみるみるうちに険しくなる。まるで敵を見るような目だった。これはもう一度謝った方がいいだろう。


「本当にごめなさい」

「こんな所で会うとはな。まるで町娘のような姿をして何を企んでいる?」


 彼が何を言っているのかわからなかった。わからないものは返答のしようがない。それでも無言を貫くのはとして好ましくない。適切な言葉を探していると、が聞こえた。


『よりによってギルと会うなんてね。いいわ。私が相手をしてあげる。主導権をもらうわ』


 ギルという名前を聞いた時、記憶の中の真っ黒に塗りつぶされた人が脳裏に浮かんだ。そこに誰かかいるとしか認識できなかった人の姿がはっきりと見えた。小柄で、茶色い髪、青い瞳。目の前にいる旅人だった。

 待って! その声は聞きとげられずに辺りは闇に閉ざされた。

 ああ、またここか。膝を抱えて丸くなり、あの人の記憶を探った。この人は誰なのか? なぜ、私のパンを食べていたのか? どんな会話を交わしたのか? あなたは、私と、どんなかかわりがあるの? 聞きたい事は山のようにあった。

 その問いかけは許されるのだろうか? それは私が決めていい事ではない。私は目を閉じた。

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