第22節② アルビノの淑女と旅人

 肝心の聖水は……ああもう。ここからじゃ見えない。

 移動しようとした時、腕をつかまれ振り向くとギルだった。騒ぎを聞きつけてきてくれたのかしら。

 人は集まり続け騒ぎは大きくなっている。街の人にとって聖水の事件は大きな問題だった。


「待て。今は動くな」


 どうして? その疑問はすぐに解決した。店を囲む輪の向こう側が割れ、司祭が現れた。助祭、聖堂兵を引き連れて堂々とした歩みだった。

 隣にいるギルが顔を寄せてきた。


「若いな。知っているか?」

「かなりのやり手らしいとだけ」


 二十歳すぎ、私と同じぐらいね。司祭にしては若い彼は、にらみ合っている二人の元に近づく。何が起ころうとしているのか見守ろうと群衆は静かになった。

 司祭は職人の腕を取り、穏やかだけど、よく通る声で語りかけた。


「申し訳ありません。私の力が不足しているばかりに職人の魂を傷つけてしまいました」

「いや、司祭様は悪くねえ。悪いのは聖水に毒を混ぜたやつだ。それと、それを野放しにしたこの店だ」

「いいえ、それも全て、私の力不足によるものです。あなたに謝罪を」


 司祭は膝をついた。群衆がどよめく。

 驚いたのは私もだった。地位のある司祭が、何の変哲もない職人に膝をつくなんて聞いた事もない。

 職人も慌てて膝をついた。


「司祭様! どうか立ってください。俺のような男に膝なんてついちゃならねえ!」

「いいえ、犯人を捕らえるよりも、まず、あなたの心に寄りそうのが私に与えられた使命です。その上で乱された人の輪を元に戻す。いえ、今まで以上の強固な輪を作らねば! だからどうか! 怒りを静めてもらえませんか? どうしてもと言うのであれば、その怒りは私へ! 我々教会が受け止めます!」

「わかった! わかりました! だから膝をつかないでください! 店に八つ当たりしたのは謝ります。俺が悪かった!」

「寛大なあなたに感謝を」


 ようやく司祭は立ち上がり、ほほ笑んだ。

 話に疑問を持った女性が、強固な輪? と口に出した。静まり返ったこの場に、よく通る声だった。司祭は彼女に向き直った。


「そう、強固な人の輪です」


 司祭は胸の前で手を組み、頭を垂れた。


「敵は卑劣です。闇の中から嘲り、影に潜み、我々の隙をうかがっています」


 司祭は顔を上げ、拳を握りしめた。輪の中をぐるりと回り、拳を上げ、振り、声を張り上げた。


「私たちは次は自分の番ではないかと恐れ、愛すべき隣人を疑っています。それこそが敵の狙い! 我々は屈してはなりません。人同士で争ってはいけません! 今こそ団結するのです! それこそが神意! それこそが敵に打ち勝てる唯一の方法なのです!」


 言うべき事は言い切り、皆が固唾を飲んで見守る中、息を整えた司祭は職人の腫れた手に布を被せた。


「あなたの苦悩はよくわかります。さあ、こちらへ。教会ができる限りの治療をしましょう。仕事が出来るようになるまで保護しましょう。ですから悪に屈服しないでください。悪の心に負けないでください」


 職人は恐る恐る口を開いた。


「どうしてここまでしてくれるんです。俺なんかのために」

「どうして? 弱きものに手を差し伸べる。神の信徒だからではありません。それが当然の行いですから」


 どこからともなく拍手が起こり、司祭は職人を連れて去ったが、私には不信感が残った。なぜ? 司祭はと言った。それは誰にとっての敵なの?

 またギルが立ち尽くす私の腕を引いた。


「行こう。落ち着いた場所で話したい。できれば人目に付かないところで」

「そうね。こっちよ」


 ギルを連れて物見塔に登った。城壁が作られてから役目を果たせなくなった塔。ここなら誰も来ない。

 毎日のようにここから街をながめているけど、昼間の街を 見るのは初めてだった。赤い屋根はいつもより鮮やかに見え、通りには大勢の人が行き来している。同じ街だけど夜とは全く違う街に見えた。これが、私が捨てようとした世界。

 襟巻きで隠れた首の傷に触れた。そこには塞がりかけた二つの穴が残っていた。


「ルーノ、がっかりしただろうな」


 心の中でつぶやいたつもりが声に出ていた。聞かれてないよね? きっと大丈夫。知らん顔していれば。


「先輩と何かあったのかい?」


 ああ、どうして真正面から聞いてくるかな。取り繕うとしたのが馬鹿馬鹿しくなった。


「そうよ。これ見て。ルーノに噛んでもらったの」


 襟巻きをめくって首を露わにした。冬の空気が、むき出しになった傷跡に触れて凍えそうだった。

 吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼になる。おとぎ話の中ではそう言われていた。ルーノは試していないからわからないと言っていた。それでもやってもらった。結果は痛いだけだった。

 人をやめようとした私を知っても、ギルは薄くほほ笑むだけだった。普通なら嫌悪するでしょうね。そうしないのは彼もルーノと同じで人の理の外にいるからだろうか?


「それで会いづらいから一人で事件を追ってるのか」

「……はっきり言うわね」

「正直に言うと駄目だろうと思っていたんだ。先輩は呪われて吸血鬼の姿をしているだけで本物ではない。もっとも本物の吸血鬼がいるのかは知らないけどね。吸血鬼と言えば、こんな逸話があって……」


 おどけて吸血鬼の話をしているけど、それで慰めているつもりなの? まあ、気持ちだけ受け取ってあげるわ。


「いいの。元々、生き方まで変えるつもりはなかったもの。だからこれまで通りやるの。ほら、事件について話があるんでしょ?」


 そりゃあ、駄目だとわかった時は落ち込んだけど、今まで通りに生きると決めた。ルーノとの微妙な距離は変わらないだろうけど、それでもいい。だから今は事件に集中するの。

 私の心を知ったギルは真面目な顔に戻った。彼の目は私ではなく、事件に向いた。


「私なりに考えたんだ。さっきの事件で得をしたのは誰だと思う?」

「……動機って話? 教会を恨んでるとか」

「守りの兵士を持つ教会へ直接手を出せないから聖水を狙うのはわかる。しかし、教会の印象は下がっていない。目論見通りなら店先から聖水が消えているはずだ。あれだけの騒ぎになっているのに、なぜだ?」

「それは、司祭が事後処理をうまくやってるから?」


 ああ、なるほど。ギルの言いたい事がわかってきた。でも、何のために?


「教会の見回りが行われるようになったと言っていたが、さっきの対応、手際が良すぎないか?」

「まるで教会が黒幕みたいな言い方ね。でも、それこそ何の得があるの?」

「逆に聞こう。教会に人が集まるのはどんな時だと思う?」


 それは……わからない。それほど教会を知らないし、信徒に知り合いもいない。そもそもルーノ以外の人と話すのも久しぶりだ。両手を上げて降参すると答えが返ってきた。


「つらい時さ。戦争、疫病、災害、飢饉ききん、何でもいい。そういった時、人は神にすがる。逆に平和で余裕がある時はそうでもない。身勝手なものさ」

「つまり、この街が平和だから、もめ事を起こしているというの?」

「さあ? ただ、そう考えると筋が通るってだけさ。しかし、それだけなのか、とは思う」

「他に何が――」


 言葉の途中で、静かに、と制された。

 ギルの真面目な顔は険しくなり、左手が短剣を求めて動く。そして、視線は地上へ続く螺旋らせん階段に向けられていた。

 石階段を駆け上がる金属音が聞こえる。登頂部から身を乗りだして地上を見ると聖堂兵が物見塔をぐるりと囲んでいた。その一人が私に気付き、指をさして叫ぶと一斉に視線が集まる。背後から聞こえる金属音は次第に大きくなり聖堂兵が姿を現した。


「貴様らには聖水に毒を入れた嫌疑がかかっている。大人しく同行するならよし! さもなくば!」


 ギルは私を見ると、短剣から手を放した。


「わかった。どこへでも連れていけばいい」


 縛られるのはあっという間だった。隣を歩かされていたギルは小声で、大丈夫だ、と言った。もしかしなくても、私を守るために諦めたのだろう。

 街の人に注目される中、私たちは罪人のように連行された。教会の権威の象徴、大聖堂に。暗く、光の射し込まない地下に。

 闇の中ギルの声が届いた。


「とりあえず出方を見よう。まだ絶望するには早い」


 ええ、心配には及ばないわ。だって眠くなるほど落ち着いているんだから。

 なんでこんなに眠いのかしら。石床に横になって冷たい石床に頬を当てた。

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