第21節② 現統治者と元統治者と旅人

 ブルーノと名乗った男は音もなく足を進めてきた。わずかに見下ろしてくる瞳は、闇、そのものに見えた。


「お前、どうやってここまで来た」

「伯爵と呼べと言っておろうに。まあ良い。どうやってとな。無論、歩いて、だ。安心するがいい。貴様の兵には眠ってもらった。話しの邪魔をされてはかなわんしな。それより、貴様がガエル・プランタードで相違ないな?」

「……俺がこの街の統治者であり、プランタード戦闘団長のガエル・プランタードだ。吸血鬼? 眠らせた? 馬鹿も休み休み言え」

「そうか、本人で安心したわ。では、話す前に腰を下ろすがいい。立ち話もつらかろう」


 そう笑う口元から鋭い牙が見えた。吸血鬼だと? 信じられんが、こいつは強い。しかし力で負けはしても、心まで負けるわけにはいかん!


「それだけの力をもって俺をどうする気だ? 俺を殺しても戦闘団は引かんぞ。頭がなくとも動ける。それが俺の作り上げた戦闘団だ!」

阿呆あほうか? 話す相手を殺してどうする。それにギル以外の者との対話は久しくてな。我輩は愉快だ。殺すなどありえん」


 上機嫌に我が物顔で執務室を歩き回るブルーノだったが、盤上遊戯に食いついた。


「良いものがあるな。我輩は強いぞ。心配するでない。手加減してやろう」

「なぜ、貴様と指さねばならん!」

「駄目か? では、こういうのはどうだ? 我輩に勝てば何でも望みを聞いてやろう。出来る範囲で、だが。どうだ?」


 腕ずくで追い出してやりたいが、とても敵いそうもない。それに、気分を害されたら手に追えそうもない。

 ……いや、なぜ俺が下手にでなければならない! さっさと終わらせて追い出してやる!

 俺が盤の前に腰を下ろすと、ブルーノはマントをひるがえし、優雅に席についた。


「対局を申し込んだ我輩が『勇者』と言いたいところだが、譲ってやろう。風体からして我輩が『魔王』に相応しいからな」

「『ユウシャ』?『マオウ』? 何を言っている?」

「この駒であろうが。挑戦者が『勇者』だと昔から決まっておろうに。しばらくやっていなかった間に規則が変わったのか?」


 そう言って指差された駒は互いの『王』だった。俺が知る限り、この駒は『王』としか呼ばれていない。


「そうか、まあ良い。先手は『勇者』……ではなかったな。貴様からで良い」


『歩兵』を取り、叩きつけるように進めた。ブルーノは満足気にうなずき、対象となる位置の『歩兵』を動かす。序盤は何も問題なかったが違和感は次第に膨らんでいった。

 数手指せば相手の力量は大体わかるが、こいつの力量は計れずにいた。俺の得意とする戦法、機動力のある『槍騎士』による速攻を仕掛けたが、不可解なかわされ方をしたからだ。

定石では『盾騎士』で受けるか『長槍兵』での迎撃。それなのに『歩兵』と『軽戦士』で機動力を殺され、封じ込められた。


「何だ、その手は?」

「ん? よくある定石であろう。最近の流行りは違うのか?」

「そんな定石は知らん」


『槍騎士』が生き殺しにさせられたのには驚いたが、こちらの駒一つに対して駒二つで対応する戦法が良手であるはずがない。

 そんな事もわからんようでは強い指し手とは思えなかった。ならば一気に方を付けてやる。

 それなのに、俺の苛烈な攻めは、のらりくらりとかわされ、無駄に時間が過ぎていった。


「いつまで逃げ回る気だ!」


 苛立ちのあまりテーブルを叩くと燭台に刺さっていたロウソクの一本が消えた。わずかに闇が濃くなったが、ブルーノの背後に広がる闇はそれ以上に見えた。


「ふむ。理解できた。我輩も動くとしよう」


 今までは足を組み、頬づえを突き、ふんぞり返りながら指していたが、盤に覆い被さらんばかりに身を乗り出してきた。

 何をするかと思えば、俺の『槍騎士』を封じていた『軽戦士』を下げた。解き放たれた『槍騎士』盤上を突き進み『弓兵』を踏み潰した。


「理解できた、だと? 何をだ?」

「決まっておろう。貴様の人となり、だ」


 ブルーノが動かした『軽戦士』によって『盾騎士』が側面から潰されたが、それを『弓兵』で落とす。


「ふざけるな。俺の何がわかる!」

「わからぬはずがなかろう。故に、こうして貴様の手に乗っておるのだ。戦いたいのであろう? 正面からの殴り合いがしたいのであろう? 我輩が受け止めてやろうではないか。守りなど気にするでない」


 今度はもう一つの『盾騎士』が『槍騎士』に押し潰されたが、深く切り込み隙だらけとなっていれば『歩兵』でも落とせる。


「貴様も攻撃の要を失ったがな。押し潰してくれる」

「望むところよ。さあ、我輩に貴様の気概を見せるがいい」


 俺が笑うと、ブルーノもニヤリと口をゆがめた。

 そこから先は敵味方入り交じった混戦となった。黙々と駒を進め、盤外へ落としていく。

 勝たなければ意味がない。それが自然だ。それなのに、なぜ、こうまで心躍るのか? わからん。わからんが、自分が笑いながら指していた。見ればブルーノも白い歯をのぞかせている。


「その牙をしまえ。気が散るわ」

「これは済まぬ。どうにも楽しくてな。口元が緩んでおったわ」


 ブルーノの『軽戦士』に『弓兵』が落とされ、『歩兵』で反撃した。

 短くなったロウソクの火が揺らめくき、残り少なくなった駒の影が躍る。

 お互い半死半生となり手が止まった。ここまで戦力が減ると勝敗の付けようがない。

 だというのに、ブルーノは何をしている? 駒を並べ直し始めただと?


「まったく締まらない結末ではないか。今回は引き分けだが、次に勝者となるは我輩だ」

「まだやる気か? 元はと言えばお前が古臭い定石ばかり使うのが悪い」

「貴様こそ定石を無視した力押しをするではないか。やりづらくてかなわぬ」


 やはり、こいつは気に入らんが、不思議な、すっきりとした気分でいるのを感じた。成すべき事ではなく、俺がやりたい事が見えた気がした。


「今夜はしまいだ。また相手をしてやる。俺が暇な時にな」

「そうか。では日を改めるとしよう。次は加減してやらぬ。覚悟しておくといい」

「ぬかせ。それは俺の台詞よ」


 ブルーノはふわりと浮かび上がり、バルコニーの手すりに立った。闇が形どったようなマントがなびく。月に照らされた姿は、吸血鬼以外の何物でもなく、たった今というのに、それが当然の事のように思えた。


「待て! 結局、何しに来た? 盤上遊戯を指しただけだぞ!」

「忘れておったわ。しかし用は済んだとも言える」

「何の話だ? わかるように言え」


 ブルーノはあごに手を当て、面倒臭そうに話した。


「先日の夜、街で酔いつぶれてた男を介抱したのだ。貴様の兵だと言っておった」

「……それがどうした」

「自棄になって飲み過ぎたらしく、話が前後して何を言っているのかさっぱりでな、聞き出すのに苦労した」

「お前の話こそ意味がわからん。簡潔に話せ!」


 今度は大げさにため息をつかれた。吸血鬼とは、こうも人臭いものなのか?


「その男が言うには、団長である貴様が攻勢に出られぬ原因は俺たち兵にある。俺たちがもっと強ければ、団長の足を引っ張らずにすむ。だそうだ。随分と自分を責めておったぞ」

「……お前には関係ない話だ」

「大有りだ。はるか昔より、ここの統治者は我輩、ブルーノ・ラングハイム伯爵である。我輩の民が苦しんでいるのであれば手を差し伸べてやるべきであろう」

「俺たちは侵略者だ。お前の民ではない」


 それなのに、ブルーノは声を上げて笑った。笑って、笑って、息を切らせていた。


「すまぬ。ちと可笑しくてな。貴様はここ数年、上手く統治してたではないか。故に我輩の民だと認めよう。光栄に思うがよい」

「ふざけるな。さっさと目的を話せ!」

「話の腰を折っているのは貴様ではないか。我輩は助言を授けに来た。それも不要だったようだ。貴様も、貴様の兵も思いは同じと知った。ならば授ける言葉はいらぬ。全く無駄足であったわ」


 確かに迷いはない。戦えば大勢死ぬだろう。その中には俺も含まれているだろう。それがどうした。戦って死ぬなら本望だ。俺も兵もそれを望んでいる。ならば倒れるまで駆け抜けるのみ!

 俺の決意を知っているブルーノは大きくうなずいた。


「命のやり取りは、褒められたものではないが仕方あるまい。戦いたい者同士なら許容しよう。ガエル・プランタード。よいか? 貴様はまた我輩と指すのだ。それを忘れるな」


 制止するより早くブルーノは飛び立ち、月夜の闇に消えていった。

 それと同時に眠りから覚めたのか、領主邸が一気に騒がしくなる。駆ける足音が近づき、乱暴に扉が開かれると副官が息を切らせていた。


「無事でしたか!」

「問題ない。それより腹が決まった。明日の昼までに全兵を集めろ。領主邸前だ」


 理解が追い付いていなかったのだろう。あっけにとられていたが、子供のように顔を輝かせていた。


「はっ! その言葉、待ちわびてました!」


 本当にわかっているのか? 俺は死ねと命じているんだ。それとも俺に長く付いて毒されたか? とにかく、これだけは言っておかねばならん。


「苦労をかけたな」

「本望です。私たちも団長と共に戦えて光栄です」


 副官は敬礼して退室した。それは、見事な敬礼だった。

 俺は部下に恵まれているな。それだけは確かだ。



 翌日、日が高く上がった頃、副官が執務室に来た。いつもの文官の装いではなく、甲冑かっちゅうに身を包み、俺の直属である事を示す青いサーコートをなびかせていた。金属と金属がぶつかり、擦れる音を鳴らしながらの歩みに迷いは見えない。


「全部隊、作戦行動可能! 加えて報告! 昨日さくじつの旅人が接見を所望。用向きは――」

「いい。通せ」

「そう言われると思っていました。入れ!」


 ふん、そこまでわかっているなら共に入ってくればいいものを。

 物々しい兵が忙しなく行き来している中、ギルは昨日と同様に平然としていた。全く物怖じしてない、か。こいつの強さは、この胆力からなのかもしれない。


「もう会いたくないと言ってたはずだが聞き間違いか?」

「間違いなくそう言ったし、今もそう思っている。しかし彼の頼みだから断れななかった。これを。贈り物だそうだ」


 ギルが差し出した布に巻かれた長物を副官が受け取った。それは指揮官が持つ剣にしては、あまりにも無骨で、な幅広の剣だった。


「かなりの業物だな」

「贈り物に合わせて言伝もある。『昨日は剣を折ってすまぬ。代わりこれを使うがよい。武運を祈る』以上」

「俺からの返礼はこうだ。『ありがたく頂く。そして、いつか、必ず、再戦しよう。次は勝つ』頼めるか?」


 俺の言伝が意外だったのか、つば広帽の下の眉が少し上がった。そして何を察したのかは知らんが、帽子を脱ぎ、かかとをそろえて敬礼した。


「ガエル・プランタード団長殿、言伝は承りました。では、失礼します」


 きびすを返し去り行くギルを眺めていると、副官に急かされた。のんびりしている暇はない。執務室からバルコニーに出ると領主邸を丘を埋め尽くさんばかりの兵が待っていた。多くの旗が風になびいていた。


「プランタード戦闘団、総勢五千名。戦闘準備完了。お言葉を」


 兵の視線が俺に集まっていた。その一つ一つが俺を信頼しているのが伝わってきた。兵で埋め尽くされた丘の下には、慣れ親しんだ赤瓦の街。その向こうには俺たちを滅ぼさんとする敵が待ち構えている。そいつらにまで届かせるように声を張り上げた。


「これより我らは敵中を突破し、祖国へ凱旋がいせんする! 土産は敵軍が用意してくれるそうだ! 存分に戦い! 存分に稼げ! 副官、作戦指示だ!」

「はっ! 我々が最も得意とする縦陣形で敵軍中央突破を行う! 槍騎士隊は敵のかく乱、分断を自由に行え! ただし! 敵指揮官は残しておけ! それは我らが団長の仕事だ!」


 笑い声、籠手で胸よろいたたく音、剣で盾を叩く音、それらの圧力が領主邸を震わせた。

 ふん、美味しい所を持っていったな。これではどっちが団長だかわからんが負けてはいられない。俺は負けるのが嫌いだ。

 俺が右手を上げると音の洪水がすっと引いた。


「我々は敵国深くまで駆けてこの街まで来た! 全兵、回頭! 謝辞のときをあげろ!」


 その声は大気を振動させた。


「敵兵を震え上がらせろ!」

 

 その声は大地を揺るがせた。


「進め! 我らの道を作り上げろ!!」


 副官の号令で凱旋が始まった。街を去り、敵軍を蹴散らし、勝鬨を上げ、帰還する。


 さあ、存分に戦ってくれよう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る