第21節① 現統治者と元統治者と旅人

 街の中央、小高い丘の上にある領主邸からの眺めは悪くない。赤瓦の街並みが一望でき、街の外には広大な麦畑が広がっていた。広がっているはずだった。

 収穫を終えたばかりの畑には軍勢が陣を敷き、敵国の国旗、軍旗をはためかせていた。その光景はどの方角を向いても同じ。つまり、この街は敵軍に包囲されていた。


 いや、敵は俺たちの方だ。祖国はこの国に攻め込み、領土を広げた。

 俺の団も快進撃を続け、この都市を無傷で占領できたが……ここまでか。

 いくら考えても打開策は見つからず、ただ、いたずらに時は過ぎていくばかりだった。


「団長、指しました」


 室内から俺を呼ぶ声が聞こえ、バルコニーを離れる。執務室では盤上遊戯に身を乗り出す副官がいた。

 敵軍に包囲されているというのにのんびりしたものだと我ながら思う。敵はすぐに動かないだろう。敵本陣に掲げられた旗には見覚えがある。臆病な指揮官の軍旗だ。今まで何度となく楽な戦いをさせてもらった。

 日和見だけが上手い指揮官だからな。あと二週は動かないだろう。

 それよりも今は盤上遊戯だ。


「随分と長考したな」

「申し訳ありません」

「良い……なるほど、腹を決めたようだな」

「はっ」


 盤の中央には俺の駒が固まっていて、副官の駒が取り囲む形になっていた。

 今の俺たちに見立てるため、あえてこうなるように動かした。それができるのも力量差が大きいからだが。

 まあいい。舞台は整った。


「さあ、止めてみせろ」


 守備の要となる『盾騎士』の駒を取り、後ろに下げた。

『盾騎士』が支えていた場所に穴ができる。そこは攻めやすい弱点に見えるはずだ。この場合、先に穴を押さえるのが定石。

 実際、副官はそう動かした。機動力が高い『軽戦士』で穴を支え『やり騎士』が突撃。内側から食い破る算段だ。


「悪くない手だが読まれていては駄目だ」


 俺の『盾騎士』が作った穴は正面だけではない。右側に配置した『弓兵』の射線も開いていた。穴に取り付く『軽戦士』はなす術もなく散った。

 穴の確保に失敗した副官はどう考えるか?

 俺が穴を開けた意味を探るはずた。そして見つける。控えている『槍騎士』の存在を。


「であれば、これはいかがですか」


 突破力の高い『槍騎兵』を止めるには『長槍兵』を当てる。これまた定石通りだが、『長槍兵』は足が遅い。その対応では止められない。


「遅い。教えたはずだ。戦争で最も大切なものは、速さだ」


 もたもたしている間に俺の『軽戦士』は戦場を走り『弓兵』を黙らせた。

『軽戦士』に気を取られていてもいいのか?

 おろそかになった中央に俺の『槍騎士』が駆け回り次々と蹴散らしていく。こちらの損害は小さいが副官の軍は見る影もない。勝敗は決した。


「参りました」


 敗北を宣言し、口を閉ざした副官だったが、その目は俺を見据えていた。これは俺に言いたい事がある時の目だ。

 長い付き合いだからな。それぐらいはわかる。


「構わん。言ってみろ。おおかたの想像はつく」

「この街を占領して三年経過しました。統治は順調で、もめ事も極わずか。占領当初の緊張はとうの昔に失なわれました。我々がふ抜けたと思われても仕方がありません」


 副官は外に目を向けた。その視線はバルコニーを飛び出し、赤瓦の街を飛び越え、敵軍が掲げる旗を見据えていた。


「ですが、兵の士気は今まで以上。戦いの準備も万全。約五倍の戦力差ですが、我々ならば打ち勝てます。団長、打って出ましょう」

「駄目だ」

「団長!」


 勢いよく副官が立ち上がると、盤が揺れ、駒が転がり落ちた。

 俺だってそうしたい。しかし兵を無駄死にさせるわけにはいかん。援軍という、わずかな望みは消え去っていない。

 街が包囲されて一週間。城壁もない街なのに、なぜ攻めてこないのか。簡単だ。この街は俺が占領するまでは敵国の都市だ。それもかなり大きい。やつらは街を戦場にした場合の損害を危惧している。

 普通に戦えば楽に勝てる戦力差だからな。戦後に得る予定の利益を考えると腰が重くなるのもわからんでもなかった。


 とはいえ、打つ手を見いだせないのは俺も同じ。援軍を待つか、打って出るか。未だ答えは見いだせずにいた。

 俺の思考を妨げるように乱暴に扉がたたかれる。


「報告! 司令との対談を希望する者在り! 名はギル! 所属国、なし!」


 扉の向こう側から、伝令兵が声を張り上げていた。

 扉を開けた副官も怒鳴り声をあげる。


「どこの馬の骨かわからんやつだぞ! いちいち団長の手をわずらわせるな!」

「構わん。茶色の髪、青い目、小柄な男か?」

「相違ありません!」


 俺の知るギルであれば面白い。停滞した盤上に突如放たれた駒がどう動くのか。俺自身の目で確かめてやろう。

 連れてこいと命じると、伝令兵は走り去った。


「その男、何者ですか?」

「戦場を駆ける双剣使い。お前も知っているはずだ」


 不信感を隠そうともしていない副官だったが思い当たったのだろう。驚きのあまり声を出せないでいた。

 その男は決して速くなく、力が強くもない。しかし、やつが駆けるたびに死体が増えた。直接剣を交えてはおらず何度か戦場で見た程度だったが、あの戦い方は忘れようもなかった。

 剣一本で成り上がった者としては剣を交えたいと思ったものだ。それが向こうから来てくれるとはな。


「そんな男を招き入れるのは危険です!」

「俺が負けるとでも? それに、もう遅い。来たぞ」


 執務室に現れた男は、俺の知る男とは別人のようだった。鉄かぶとと鎖帷子からびらを返り血で染めていた男は、つば広帽とコートを着こみ、ただの旅人のように見えた。

 戦場ではしっかりと見えていなかったが、かなり若い。二十歳そこそこといったところか。となると戦場で見た時は十五歳前後。別人かと疑いたくなったが、やつが口を開くと本人であると確信できた。戦場でギルを知った頃、確かに俺はそう呼ばれていた。


「私は言伝の使者であって、プランタードに会いたいとは言っていない」

「今はプランタードだ! 無礼者め!」


 歯に衣を着せぬ言い草に、副官は声を荒げた。ギルの強さを知っているのに、大した戦技もないのに、俺とギルの間に立つ副官が頼もしかった。俺を守る盾ぐらいにはなる、そう思っての事だろう。


「俺より前に立つな。戦いは任せろと言っているだろう。それに、お前が死んだら誰が団の管理するんだ。俺はできんぞ」

「……はっ」


 副官は下がったが、半ば渋々といったところか。それでも俺とギルの間に立つ者はいなくなると表情が良く見えた。警戒も油断もしていない。

 俺など眼中にないという事か。気に入らん。


「話の前に、確かめさせてもらう!」


 腰に下げた細剣に手をかけた。王から賜った複雑な装飾が施された細剣。とても戦場では使い物にならないが、軽い。

 五歩の距離を二歩で詰め、心臓目掛けて突き入れた。

 熟練兵でもこれをかわせる者は多くないが、あっさりと避けられた。半歩下がり上体を反らしたギルの目が獲物を狙う獣のそれになった。

来る! やつの得物は短剣のみ。受けるのは容易い。しかし、その目論見は大きく外れた。

 ギルは後ろに飛び、短剣を抜く事さえなかった。その上、戦場では見せなかった顔色になった。それが焦りなのか恐れなのか、俺にはわからない。わからないが、こいつは、もう、戦士ではない。

 興覚めだ。ため息交じりに剣を納める。やはり戦場で剣を交えるべきだった。そうしていれば血沸き肉躍る戦いになっていただろう。

 流石に警戒する気になったのだろう。いつでも動ける姿勢を取ってはいるが、俺が戦いたかったのは今のこいつではない。


「もう一回言うべきか? 言伝があるだけだ」

「試しただけだ。つまらん結果になっただけだかな。さっさと言ってさっさと消えろ」

「そうさせてもらおう。『話がある。今夜、が部屋に行く故、待つがいい』以上だ」


 街の守り人、とはなんだ? 初めて聞く名だ。俺がわかっていないと察したのだろう。副官に耳打ちされた。


「時折、夜の街に現れて犯罪の対処をしている、と報告を受けています。街の守り人とは通称であり、人物の特定はできていません」

「なるほどな。それで俺に何の用だ?」

「それは直接聞いてくれ。私は知らない。では、失礼させてもらう」


 ギルは振り返り、扉に手をかけ、首だけこちらに向けた。


「これは私からの忠告だけど、いきなり斬りかからないほうがいい。剣では彼に勝てない」

「ふん。それだけか?」

「それだけだ。二度と会わない事を祈るよ、プランタード団長」


 あおる言葉を残してギルは去った。俺の剣が通用しないだと? 面白い。試してやる。そう思うと自然に笑いがでた。それを見た副官が口を開けたが、すぐに閉ざされた。

 その通り。止めても無駄だ。街の外に敵の大軍がいるというにもかかわらず、俺の関心は今夜の来訪者へと向いていた。


 その夜、領主邸はかがり火と武装した兵で囲まれていた。軽騎兵まで配置されている。バルコニーから下を見ると、邸宅前で副官が細かく指示を飛ばしていた。どいつもこいつも過剰に反応しすぎだし、活き活きしすぎだ。久しぶりの荒事に目を輝かせていた。

 しかし、そもそも攻め込んでくるとは言われていないというのに大げさすぎる。執務室の扉を開けると俺直属の兵が二人、立番していた。俺を見るなり「部屋にお戻りください」と声をそろえて言われた。

 団長は俺だぞ。なぜ副官の命令を優先する? これでは幽閉されているようなものだ。

 やる事もなくテーブルの盤上遊戯の前に座った時、生暖かい風が吹き込んできた。燭台しょくだいの火が消えそうになるほどに揺らめき、風が止んだ。

 なぜ、風が入ってきた?

 それは執務室の扉が開かれたからだ。そこにはそこには黒のマントの男がいた。全身から口元まで隠れているため体格はわからないが、長身でやつれ気味の顔をしていた。


「すまぬ。少し遅れた。貴様がどの部屋にいるのか、わからなかったものでな」


 その男の足元に警護についていた二人の兵が倒れているのが見えた。

 頭の中で警鐘が鳴り響き、本能が剣を抜かせる。考えるより早く俺の剣は寸分違わず心臓を貫いた。それなのに、なんだ? この手応えのなさは? なんだ? 胸から漏れ出る闇は?

 剣を引き抜きたかったが、とてつもない力で握られていてびくともしなかった。仕方なしに剣を手放し距離を取ると、男は抜いたあと事も無げにへし折った! 手から放れた剣が、ガランと転がった。


「痛いではないか! それに見ろ、これを! 一張羅が台無しになったわ!」


 胸に開けられた穴よりも、男が気にしているのはマントの穴だった。

 その間に胸から漏れる闇は少なくなり、消えた。残ったのは服の穴だけだった。


「貴様……何者だ?」

「ブルーノ・ラングハイム伯爵。吸血鬼でもある。伯爵と呼ぶ事を許そう」

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