第20節③ 門番と旅人

 商工所を出ると鐘が鳴り始めた。日没まで数時間しかないが、オスカーに追い付くなら今しかない。ここからトット商会までは遠いようで近い。俺より路地を知り尽くしているやつなんてそうそういてたまるか。

 大通りを避け、薄汚れた狭い路地を走った。開け放たれた窓を潜り、倒れたたるを飛び越え、汚れた水を跳ね上げ、ひたすら走った。


「よし、ここを曲がれば……ほら着いた」


 路地から出たところはトット商会の目の前。この時間になると往来の動きは落ち着いてくるというのに未だ出入りは多い。その中にギルの姿を見つけた。

 そういえばフランツが言ってたな。手が足りなくて、ギルを見つけたら遠慮なく使えって。


「ギル! 手伝ってくれ!」

「デニスか。こんな所でどうした?」

「オスカーってガキを捕まえたい! いや、杖だ。黒塗りの杖! 頼む!」

「うん? 何をしていいのか、さっぱりだ」


 やれやれと両手を上げられると、こっちの力まで抜けた。馬鹿か。俺が焦ってどうする。

 オスカーと杖の特徴を話すと協力してくれると言ってくれた。


「よし、行くぞ」


 大扉を押し開け、二人並んでトット商会に入る。衛兵と旅人、何とも不思議な組み合わせだ。

 俺が出入りしてた時より広くなっていたが、取引されるべき品はない。その代わり商人たちがいくつものテーブルを囲み、それぞれ熱心に商談をしていた。

 テーブルの上にあるのが紙の束でなくエールなら酒場と間違えてもおかしくない熱気だった。

 

「オスカーはいない。もう取引が済んだのか、まだ来ていないのかはわからない。俺はトットから情報を引き出す。ギルはオスカーが来ないか見張っててくれ」

「黒塗りの杖だろ? わかってるさ」


 ギルは入り口脇へと移動し、俺は奥でふんぞり返っているトットの元へと向かった。

 やつは隣にいる怪しい女と何やら話し込んでいるが、わかってるぞ。俺に気付いて、待っていやがる。


「久しぶりだな、トット」


 いくら強がっても、見下ろしても、平然としていた。


「よーう、デニス。足を洗ったんじゃあないのか?」

「洗ったさ。今日は仕事だ。濃い茶色の髪のガキ、それと黒塗りの杖、知らないか?」

「デニス、デニス、デーニース。俺が取引の内容をベラベラ話すと思ったか? ん?」


 おびえてすがり付く女を押しのかしたトットは、ゆっくりと立ち上がり、片眉を上げ、嫌らしい笑みを浮かべながら肩を組んできた。


「なーあ、また裏側に来る気はないか? 衛兵の立場を利用すればやりたい放題じゃあないか。何でも思い通りになるぞー。お前は首を縦に振るだけでいい。そうすれば何でも教えてやる。俺はお前を気に入ってるからなあ」


 耳元でささやく、うっとうしい話し方は相変わらずかよ。

 振り解いて見下ろしてやりたかったが、頭一つでかいトットにそれはかなわない。それでも、俺は、俺の信念は曲げたくなかった。


「断る」

「いいのか? それでは情報は出せんなーあ」


 くそっ。どうしたらいい? やっぱり駆け引きは向いてないんだよ。いくらにらみを効かせても、トットは余裕の表情を見せている。

 そんな時、道を開いたのはギルだった。


「デニス! 捕まえたぞ!」


 商会の入り口では人だかりが出来ていて、その中央には、うつ伏せで後ろ手を捻じられたオスカーと、押さえ込んでいるギル。その傍らには爺さんの杖が転がっていた。

 よし! 勝った! 思わず拳を握りしめた。俺は何もしてないけど。


「ははっ! 悪いな。あんたには用がなくなった」

「ちっ。つまんねえ。占い通りかよ。上手くいかねえなあ」

「占いだと?」

「知ってるだろう? 俺が占い好きだーって事ぐらい。今日は思い通りにならないーってな。だろ?」


 トットの隣にいた黒ずくめの女。誰かと思ったら占い師か。さっきまで怖じ気づいた態度はどこ吹く風で胸を張っていた。


「でしょ? 私の占いは当たるのよ」


 占い好きなんて初耳だが、今はこいつよりオスカーだ。


「まあいいや。またな。悪さするなよ。ギル! 絶対に離すな!」

「頼むよ! 薬が必要なんだ! 見逃してくれ!」


 ギルを振り解こうと暴れるているオスカーだったが、目の前にしゃがむと俺に気付いたようで大人しくなった。

 逃げ場のない子猫のような顔しやがって。そこまで追い詰められていたのか。


「デ、デニス……」

「なんで杖を盗んだ?」

「それは……薬を……」


 昔から悪さをしたガキのしつけ方は決まってる。俺もゲルダによくやられたしな。振り上げた拳はこうするんだ。


「歯を食いしばれ!」


 頭を押さえて涙ぐんでいるオスカーを無理矢理立たせて、こっちを向かせた。


「困ったら頼れよ! 力にならせろよ! 寂しいだろ!」

「……ごめん」

「わかったらいい。これは返してもらうからな。薬代は貸してやるから安心しろ」


 荷物袋から金を、と思ったら詰め所に置いてきたんだった。俺も文無しかよ。


「ギル、悪い。立て替えてくれないか」

「良いけど、しまらないな。格好悪いぞ」


 そう言ってギルは笑いながら金の入った小袋を放って寄越した。

 うるさいぞ。放っておいてくれ。


「オスカー、ほら金だ。弟分は修道院だろ?」

「うん」

「院長に渡せ。足りなければ立て替えてもらえ。デニスがケツを持つと言えば大丈夫だ。わかったな。わかったら行け!」


 オスカーの背を張ると勢いよく走り出したが、すぐに止まってこっちを向いた。さっきとは打って変わった良い顔だった。


「デニス、恩は忘れないからな!」


 言うだけ言って走り去ると、静まり返った商談場からの視線は俺に集まっていた。

 くそ。恥ずかしい。残されて注目されるこっちの身にもなれ。

 どうしたものかと考えていると、パン! と手が叩かれた音が響いた。


「いつまでほうけている? ほら、仕事しろ、仕事をよーう」


 トットのたった一言で全てが元通りになった。礼を言った方が良いのか? しかし、そんな気分は真剣なヤツの顔を見たら吹き飛んだ。


「俺の店で騒ぎを起こしたのは不問にしてやる。いいか、これは貸しだ。理解、できてるな?」

「ああ、わかってるさ」


 俺の言葉を聞いて元のにやけ面に戻ったが、この借りは高くつきそうだ。


「ふう。そういえば、ギル。なんでここにいる? 呪い師は良いのか?」

「ここにいると聞いたから来たんだ。しかし人違いだったらしい。私の探している呪い師ではなくて普通の占い師とはね」


 それはついてないな。あんなに疲れるまでして街に戻ってきたのに。気落ちを隠そうともしないギルを慰めてやろうとしたら、寒気を感じた。

 何だ? 何が起こった? その疑問はすぐに解けた。こいつだ。俺のすぐ後ろにいる、占い師だ。さっきまでとは別人のような占い師のたたずまいに、俺は、恐怖を感じていた。


「そうかしら? あなたの目はいつから節穴になったのかしらね?」

「……今度はその体か? 妻の、ミナの体はどうした」


 怖いのはギルもだった。冷静を保とうとしてはいるが、感情が漏れ出ている。それが怒りなのか悲しみなのか、それとも両方なのか。とにかく、初めて、ギルが怖いと思った。


「ふふっ。怖いわね。ちゃんと大切に扱ってるから安心していいわよ。今はこの体を借りてるだけ。証拠に本を持ってないでしょう?」

「何をしに来た」

「助言を授けに。私の言葉を覚えている? 私はあなたと一緒に世界が見たいと言ったの。忘れちゃったの? 悲しいわ」


 おどけて笑う占い師の言葉を聞いたギルの顔がゆがむ。拳は強く握られ、革手袋がギシッと悲鳴を上げた。


「それはミナの想いだ。お前のではない」

「似たようなものよ。あまり長い間借りてるのも悪いから手早く伝えとくわ。海を渡りなさい。私は西の大陸にいる。待っているわ。いつまでも。あなたが来るまで」


 占い師は両手を広げて目を閉じた。ただそれだけなのに、張り詰めていた空気が戻った。気がした。


「あれ? 私、どうかしてた?」


 再び目を開けた占い師からは怖さがなくなり、ギルの緊張も解けた。残ったのは俺の背中に流れる冷や汗だけだった。


「いや、何もないさ。行こう、デニス。ここは用済みだろ?」

「あ、ああ、そうだな。助かったよ。ところで、今のは何だったんだ?」

「私で遊んでいるんだろう。海を越えろとか勘弁してほしいね」

「でも、行くんだろう?」


 ギルは曖昧に笑って答えなかったが、きっと答えは決まってるんだろう。だったら俺は見送るしかできない。それに、まだやる事が残ってる。

 爺さんの杖。これのおかげで一日走り回る事になった。それも、もう終わりだ。

 ん? これは。握りの所に彫られている紋様が目に入った。それは精工なタカだった。


「ギル、フランツの所に行っててくれ。もう一つ用が増えた。後で行くからさ」

「ああ、あまり遅くなるなよ」

「わかった」


 よし、ちゃっちゃとやろう。確認は、商会所に行っておっさんに杖を見せるだけで良かった。おっさんの表情を見ただけで探し人がわかった。

 大丈夫。そんな目をしなくても、ちゃんと連れて行くからさ。


 爺さんの家に着くなり、おっさんは冷たい手を握りしめて涙を流し始めた。


「師匠、遅くなりました。あんなに良くしてもらったのに、感謝を伝える事すら出来なかった。私は、どうやって恩を返せばいいのですか?」

「良いのよ、恩なんてないわ。好きに生きていいのよ。だって、夫も好き勝手に生きたんだから。そうよね? デニス」

「そう、かもしれない」


 爺さんはいつも楽しそうだった。好きに生きていなければそんな顔なんてできない、と思う。


「それでは私の気が済みません」

「だったら息子たちの仕事を手伝ってあげてくれない? ねえ、あなたたち、人手が足りないって言ってたわよね」


 息子の一人が大きくうなずいた。


「親父の弟子なんだろ? だったら是非ともお願いしたい」

「しかし――」

「良いのよ。助けてもらうのは私たちだもの。夫も喜ぶわ」


 婆さんと息子たちに囲まれて、何度もありがとうと繰り返す姿を見て、今度こそやるべき事が終わった気がした。

 爺さんの杖は取り戻した。おっさんは師匠の家族と会えた。ギルも旅の目的が見えた。オスカーは……弟分に薬を与えられたのか?

 まあ、今日はいいや。明日にでも様子を見に行こう。

 邪魔をしないよう、そっと扉を開くと婆さんに声をかけられた。


「ありがとうね。大変だったでしょう?」

「いや、全然。杖を取り戻すだけだったし」

「それだけじゃないわ。あの人、夫の弟子だったのよ。離れ離れになっていたけど、また会えた。全部、デニスのお陰よ」


 礼を言われるような働きはしてない。おっさんの件は偶然だ。


「たまたまだよ」

「それでも、よ。今度は私の話し相手になってね」

「ああ。またな、婆さん」


 爺さんの家を一人で出ると、この日、最後の鐘が鳴った。本当に、長い一日だった。

 爺さん、おっさん、オスカー、ギル、フランツにゲルダ。同僚も、婆さんも、その息子たちもみんなだ。つながっていて、俺もその中にいるとわかった。今日出会った人みんな。認めたくないがトットもか。

 それは、けして悪い気分じゃなかった。


 まあ、もう走り回りたくはないけどな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る