第20節② 門番と旅人
「うそだろ? 今朝も来てたんだぞ! ……あんなに、元気だったのに」
ゲルダは事も無げに、死んだ、と言ってのけた。それは、朝食は黒パンと卵だった、という程の気軽さだった。
「詳しい話は知らない。アタシは知らせに来ただけさ。ほら、早く行きな」
「おい! 話は終ってないぞ!」
「そうかい。でも、アタシの話は終りだよ」
追い払われて爺さんの家に歩き始めたが、歩みは早くなり、走り出すまでに時間はかからなかった。
出会いは何だっけか? そうだ。門の近くで助けてやった。目の前で倒れられて焦ったのを覚えてる。なんて言ってたっけ? 胸の病がどうとか? 細かい事は覚えてない。わかるのは、もう面白い話を聞かせてくれない、って事だ。
えっと、確か、この辺り……あった。扉の前には何人かの年寄りが集まっていて、誰もが目と鼻を赤くしていた。
「よく来てくれたわね、デニス。さあ、夫に顔を見せてやってちょうだい」
何度か来ただけだったのに、爺さんの家族は暖かく迎えてくれた。
婆さんは長年連れ添った相方を亡くしたというのに柔らかい笑みを浮かべて、立ち尽くす俺の手を引いてくれた。彼の息子たちと、その家族が爺さんを囲んでいたが俺のために場所を開けてくれると、胸の上で手を組んで安らかに横たわっていた。
「一体、どうして?」
「今朝、いつものように家を出たあとに倒れて、そのまま行ってしまったわ。年寄りだし胸の病もあったから仕方がないわね」
正直、なんて声をかけていいかわからなかった。平静を装っているが悲しいに決まっている。話し相手になってた程度の俺でさえ悲しいのに。
見ていられなくて爺さんの手に触れた。命が失われた、冷たい、手だった。
もう、この手が杖を握る事はないんだな。ん? ないぞ? 会心の作だと言っていた黒塗りの杖がない。
「杖は? あんなに大切にしていたのに」
「そういえば無いわ。ねえ、あなたたち、知らない?」
婆さんは首を傾げ、尋ねると、息子の一人が口を開いた。
「忘れてた。親父を介抱しようとしてた子供がいたらしい。もしかしたらそいつかもな」
「どんなガキだ?」
「ああ、見つけたら礼を言おうと思って特徴を聞いておいて良かった。肉付きが悪くて、濃い茶色の髪で目が隠れている。それと同じ色のベストを着ていたそうだ」
まさかオスカーか。もう悪事には手を染めないって約束しただろ。いや、間違いないかもしれない。確かめないと。
「ちょっと行ってくる。爺さんに別れを言うのは後にするよ」
「デニス、無理をしたら駄目よ」
「大丈夫。任せて。すぐに戻ってくるからさ」
心配そうにする婆さんに軽く応えた。オスカーかもしれないと思うと内心は冷静でいられなかったけど上手く隠せたよな?
俺が何とかしないと。居ても立っても居られず、表に出た途端に走り出した。
オスカーが働く金物屋では、店主が一人で穴が開いた鍋を直しているだけだった。
「オスカー? 帰ったぞ。弟分が熱を出して倒れたって子供が駆け込んできたんだ。無事だといいんだがな」
オスカーが働く金物屋の店長は髭をしごきながら教えてくれた。
仕事していてくれれば、との期待は早々と砕かれた。
「それって、いつ頃だ?」
「んー。昼の鐘が鳴る前だな」
「そうか。ありがとう」
「俺からも聞きたい事が――お、おい! 待て、まだ――」
オスカーは店を出てどこに行った? 決まっている。あいつが面倒を見ているチビたちの所、あいつの根城だ。大丈夫。場所は知っている。大通りから離れた路地の奥にある廃屋。ボロボロだけど下水道に住むと思えば天国だ。
建付けが悪くなってる扉を押し開けると中は子供が数人いるだけだった。あまり奇麗にしているとは言えないが俺の部屋だって似たようなもんだ。
「オスカーはどこだ?」
思わず、強い声になったせいか近くにいた少女が身を強張らせた。しまった。怖がらせてどうする。努めて優しく聞こえるように声をかけなおした。
「大丈夫。俺は助けてやりたいだけだ。大変なんだろう?」
「本当に?」
「ああ、本当だ。不安なら助けてって言えばいい。頼ってもいいんだぞ」
少女は下を向いて黙ってしまった。こういう時は待てばいいんだっけ? フランツがそう言ってた気がする。
沈黙のあと少女は顔を上げた。
「オスカーは私の弟を修道院に連れて行ったの」
「ああ、熱を出して気を失ったと聞いた。しかし、あそこは薬までは出してくれないぞ。金はあるのか?」
「ない……でも、オスカーが何とかするって」
「そうか。そういえば杖を持ってなかったか? 黒塗りのやつ」
杖、と聞いただけでまた体を強ばらせ、顔を伏せてしまった。
「安心しろ。悪いようにはしないって。約束する。オスカーも、お前の弟もだ。お前らのようなガキは弟分みたいなものだからな」
「弟分?」
「そうさ。俺もお前らと同じようなもんだ。だったら面倒見てやらないとな。困っていたら助けてもやる。悪い事をしたら叱ってもやる。俺の尻叩きは痛いぞ」
おどけてみせたら少し笑ってくれた。良かった。チビたちの泣き顔は好きじゃないんだ。
「オスカーを捕まえない?」
「ああ。でも、尻は腫れるだろうな」
「ありがとう。オスカーの事、お願い」
「ああ、任せろ。もちろん、お前の弟もな」
頭をなでてやった後、俺はまた走った。行かなければならない所は修道院じゃない。商工所だ。オスカーは薬を欲しがっているが金はない。金はないが爺さんの杖を持っている。だったらどうする? 昔の俺なら杖を換金する。オスカーもそうするだろう。
「どこで売る? もちろん足がつかない所だ」
考えをまとめたくて声に出した。
足がつかない所、つまり口が堅い。買い取った物の情報は聞き出せない。そうでなければ盗品を売るやつはいない。杖が売られてしまえば取り戻すのは不可能だ。
「誰から情報を得る? あいつしかいない」
スリだったオスカーは盗品を買い取ってくれる場所を知らない。しかし、あいつの事なら知ってるはずだ。商工所の受付にいるあいつ。あいつが裏の情報を売って小銭稼ぎをしているってのは後ろ暗いやつなら誰でも知っている。
くそっ! 全く手間を掛けさせやがって。弟分の薬代が欲しかっただけか? 欲に目がくらんだか? それとも、盗みを忘れられなかったのか? 知るか! 理由なんてどうでもいい。一発ぶん殴ってやる!
収穫期だけあって商工所の中は人であふれそうだった。取引をする者が多いが、仕事を探す者はそれ以上だ。
求人の張り紙が貼られた壁の前は忙しなく行き来する人ばかりで、隙間を縫うように進んだが男を押し倒してしまった。
「悪い。大丈夫か? ああ、あんたか」
助け起こした男は、昼前に街に入ったおっさんだった。
「いえ、私も不注意でした。今朝はどうも」
「仕事と探し人は見つかりそうか?」
「仕事はどうとでもなりますが、恩師の方はさっぱりですね」
「恩師?」
「言ってませんでしたね。私は木工職人をしていたのですが師匠がこの街にいるらしいです」
わざわざ移り住むのはそんな理由だったのか。義理堅いってもんじゃない。そう言うと、おっさんは頭をかきながら苦笑いをした。
「いえ、仕事で大きな失敗をしまして居られなくなった、といったところですか。自暴自棄になりかかっていた時、恩師の事を思い出しまして会いに来たのです」
「大変だったんだな。その恩師ってのはどんな人だ? もしかしたら手伝ってやれるかもよ」
「それはありがたい。師事していたのは随分と前なので姿はわかりませんが、彼の作った物には必ずタカが彫られています。精工なのですぐわかりますよ」
「わかった。気にかけておくよ。仕事探しも頑張ってな」
しまった。急いでいたんだった。
おっさんと別れ、人混みを抜けた先、奥のカウンターにいる暇そうな職員に話しかけた。ちょび髭を生やした神経質な男。こいつが情報を持ってる。
「ちょっといいか? 人を探してるんだ」
「さあ、知りませんねえ」
そいつは面倒臭そうに目だけこちらに向け、衛兵の革鎧を見ても態度を改めようとしなかった。
なめた態度をとるのは構わないが俺はそんなに気が長くないぞ。昔もそうだったが、今もだ。
カウンター越しに首根っこをつかみ、息のかかる近さまで引き寄せ、優しく、ゆっくりした口調で問いかけた。
「なあ。オスカーというガキがいる。足が付かないように杖を売りたがっているんだ。知ってるだろ? どこを教えた?」
「な、何の事だかさっぱり」
「お前が言わないなら仕方がない。その杖は有力者の物でな。衛兵総出で探す事になる。もう一回しか言わないぞ。どこだ?」
職員が青ざめたのがわかった。まあ、うそだけどな。もう一押ししようか。そう思ったが折れたのが先だった。
「……トット商会……です」
「協力ありがとな。それと、もう一つ。オスカーが来たのはいつだ?」
俺は手を放して乱れた首元を丁寧に直してやる。ついでに肩の
「ついさっきだ。本当さ。今から追いかければ間に合う。なあ、もういいだろ?」
「ああ、助かったよ」
「私が話したって言わないでください」
「わかってる。俺は口が堅いんだ」
他の所を教えてくれないか期待したが、よりによってそこか。物取りをしてた頃に利用してた店だけに、あまり行きたくない。俺の過去を知ってるやつとは話しづらい。
あいつと交渉するだと? 俺に出来るのか? トットのにやけた面を思い浮かべると不安しかなかった。
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