第4節② 鍛冶師と旅人

 朝か、懐かしさが僅かに残っていたが意識がはっきりすると消え失せた。

 簡単に食事を済まして、ギルと工房へ向かう。

 仕事は炉を起こすところからだ。当然ギルにも手伝わせた。

 半日以上かけて昨日と同じ工程まで進め、祈るような気持ちで焼き入れする。

 どうだ? 剣身は良い出来栄え。しかし握手側にゆがみがあった。僅かに、ほんの僅かにだ。


「駄目だ。明日、やり直す」

「クレイグ、何を目指しているんだ?」

「約束したんだ。最高の剣を作ると。それは、いつまでも戦い続ける事が出来る剣。使い手を不安にさせない剣。そして、使い手に勇気を与える剣だ。……あいつは……図太そうに見えてはいるが、もろい一面がある。支えになってやりたい」


 手伝わせているからには疑問に答えてやる義務がある。しかし、儂が出した答えが、儂に疑問を残した。あいつとは誰だ?



 家ではハンナさんに心配をかけてしまった。


「クレイグ、大丈夫? ずいぶんと疲れているようだけど」

「問題ありません。まだまだ働けます」

「そうではなくて、少し休んだらどう? そうだわ、明日は三人で――」

「今は休む余裕がありません。大丈夫、儂は元気です。心配してくれてありがとうございます、ハンナさん」


 心配かけまいと微笑んでみせたが、ますます悲しそうな顔をさせてしまった。申し訳ないが儂にはやるべき事がある。


「クレイグ、汗を流しに行こう。背中を流してやろう」


 ギルがいてくれて良かった。儂ではどうしていいかわからない。


「クレイグ、ハンナの事だけど」


 ギルは儂の背を洗いながら話し始めた。


「わかっている。あの人は儂のような老いぼれを好いていてくれる。ありがたい話だ」

「それなら――」

「しかし儂にはリリーがいる。今はいない、妻を裏切る事はできん」

「……そうか、そうだな。クレイグ、明日こそ、納得出来る剣を作ろう」

「当たり前だ」


 食事時はギルが盛り上げようと、愉快な旅の話をしてくれた。儂もハンナも大いに笑わせてもらったが、やはりすぐに眠くなったので席を立つ。寝室に向かう途中で二人の声が聞こえた。


「あなたはギルの家族? それにしても私の知るギルに似すぎているわ。最後に会ったのは40年も前なのに、あなたは記憶の中のギルそのものだわ。教えてちょうだい。あなたは誰?」

「そうだな……面白い事を思いついた。勝負をしよう。予想が正しければハンナの勝ち。クレイグの剣が出来上がった時に答え合わせをしよう。どうだい?」

「乗ったわ」と、笑い声が聞こえた。


 何の話をしているのかはわからんが、まあいい。儂は眠い。



――――どんどん良くなるな。これで何本目だ?

 またこの夢か。若造の儂がギルの問いに答えた


『九本目だよ』

『一つ前の剣で気が付いたけど、柄頭の紋様は何だ? 片面はクレイグを示す金床、もう片面は? ……わからないな』

『ユリの花だよ、リリーの花だ』

『ユリ? これが?』

『うるさいな! 練習中なんだよ』


 そうだ。細工は苦手だったんだ。の扱いには苦労させられたものだ。


『わかった、わかった。それで? 裏表に分かれていて良いのかい? リリーは良い子じゃないか。こんな私にも愛想良くしてくれる。クレイグにはもったいない』

『……今夜、話があるって呼び出したんだ』

『本当に?』


 若造の儂がうなずいた途端、ギルが大声をあげた。おい! みんな! 集まってくれ! 今夜、大きな作戦がある! 協力して――――



 まだ夜明け前だった。また夢を見ていたのか。酷く喉が渇いている。水を……

 立ち上がったが膝に痛みはない。膝だけではない。若返ったかのように身体が軽い。今なら最高の仕事が出来る気がした。いや、今しかない。

 手早く身支度を済ませ工房に向かう。


 やる事はいつもと同じ。炉に火を入れるところからだ。ふいごを踏む足が軽い。良い熱加減だ。鉄インゴットを炉に入れようとした時、乱暴に扉が開かれた。ギルとハンナさんが息を切らせて駆け寄ってきた。儂は良い仕事のために努力しているだけだと言うのに。


「こんな時間に家を出て何をしてるの!」

「すみません。しかし体が軽い。力に満ちている。今しかないんです。わかってもらえませんか?」

「ハンナ、辛いのはわかるが、許してやろう。これはクレイグが、クレイグであるために必要なことだ。彼の事は私に任せてくれないか?」

「好きにすればいいわ!」


 ハンナさんは工房を出て行った。荒々しく閉められた扉が大きな音を立てる。いたたまれない気持ちに押しつぶされそうになった。


「始めようか」


 見かねたのかギルに肩を叩かれた。その通り、今は剣を優先すべきだ。

 作業に取りかかる。今の儂は感覚が鋭い。正確なギルの槌を完全に制御できている。昼前には見事な剣身となった。満足いく出来栄え。だと言うのにギルは自信を持てずにいる。今度は儂が肩を叩く番だ。


「問題ない。お前と儂の腕を信じろ」


 炉で熱を加えてる。熱は高すぎても、低すぎても駄目だ。満遍なく、芯まで一定に。

 次は鉱油で一気に冷やす。水ではなく、鉱油がいい。黒い油へ目掛け、一気に剣身を突き入れる!

 炎が立ち上がった。この炎は魂が宿らんとする証。産まれたばかりの赤子が上げる産声だ。その産声が儂の心を大きく揺さぶり、頭の中の霧を晴らしていく。

 引き抜き、油に塗れた剣身を見定める。これこそが追い求めていた物だ。


「これが完璧な器に魂が宿った剣だ。最高の仕上げをしてやる。任せておけ」

「これは凄いな。しかし先に飯にしないか? 腹が減った。ほら、ハンナが来てくれたし」

「まだ何も食べていないんでしょう? 食事を持ってきたわ。食べないと良い仕事が出来ないわよ」


 戸口には籠を持ったがいた。流石は儂の妻、よくわかっている。それはいいが……


「ギル、あれはリリーだぞ。ボケてしまったか? ん? 大丈夫か? 儂の名はわかるか?」


 ギルの言い間違いを茶化しただけだったのに、二人とも口を開けたまま固まっていた。どうした?


「クレイグ、私がわかるの?」

「何を言っている。お前は素晴らしいさや職人で、儂の妻のリリーだ。昼間から寝ぼけているのか?」

「ああ! ああ、神様!!」


 突然、リリーは口を両手で押さえて肩を震わせ始めた。その両目から大粒の涙をボロボロと流しながら。なんだ? 儂のせいか? ギルに助けを求めようとすると、こいつまで涙ぐんでいるではないか。今度は儂が固まる番だった。何を思ったのかギルは儂を強く抱きしめた。細かい震えが伝わってくる。


「止めろ! 放せ! 苦しい!」

「良かった! 本当に良かった!」


 ええい、一体何だというのだ。振り解くのに苦労したぞ。


「二人ともどうしたのだ?」

「いいえ、何でもないの。あるのは幸せな日常だもの。ねえ、ギル?

「ああ。何でもないんだ。さあ食事にしよう。その後は剣の仕上げだ。だろう? クレイグ」

「まあいい。リリー、鞘を作ってくれないか? 儂の剣は、お前の鞘に収めて完成する。ギル、お前に相応しい鞘を作ってもらえ」


 リリーは涙を拭いて微笑んだ。ギルも鼻をすすりながら笑っていた。そんな二人の様子が気がかりだったが、後で問いただしてやろう。幸せだと言うなら悪い話じゃあるまい。

 穏やかに食事を済ませ、リリーに剣を渡す。前に作った対となる短剣も一緒に。ギルは双剣を使う。二振りなければ意味がない。


 儂は剣を研ぐ。つばを、握りを、束頭を作る。リリーは型に合わせて皮を切る、穴を開ける、縫い合わせる。

 静かに作業は進んだ。残すは柄頭のみ。長かった作業もこれで終わりだ。削りかすを油で拭き取るり、握りに固定して、完成した。

 リリーが剣と短剣を鞘に収めてギルの腰ベルトに結び付けた。

 良く似合っていた。当然だ。この二振りはギルのために作ったのだから。


「出来上がったわね」

「ああ。しかし、それはまだ産まれたばかりだ。人を救う聖剣になるか、悪名高き魔剣になるか、それともガラクタになるか、お前がどう扱うかで、決まる。それだけは肝に銘じておけ」

「クレイグとリリーの名を汚さないようにしないとな」


 見ろ。ギルとリリーの満足気な顔を。自分ではわからないが、きっと儂も同じ顔をしているはずだ。儂らは最高の仕事をした。

 ギルはリリーに向き直る。


「リリー。クレイグの仕事は終わった。今こそ、答え合わせをしよう。君の答えを聞かせてくれるか?」

「もういいわ。私の勝ちは決まっているもの。負けるのは嫌いでしょう? 次、会った時は、『どうしてそうなったか』で勝負しましょう。答えを考えておくわ」


 なんの話をしている? 儂を差し置いて親密そうではないか。そんな儂にリリーは笑いながら手を重ねてくれた。


「クレイグ、ヤキモチ妬かないの。私の居場所はあなたの隣だけよ」

「邪魔者は消えた方が良さそうだ」


 リリーの向こう側に、苦笑しているギルが見えた。


「一緒に作業できて良かった。今度来た時は作業なしで頼む。ヘトヘトだ」


 その後ギルは街を出た。儂らは見えなくなるまで見送った。


「リリー。儂はお前に非道い仕打ちを続けていたのではないか? よくわからんが、謝らなければならない。そう、思う」

「謝らなくていいわ。クレイグはずっと私の隣にいてくれたもの」

「それと、もう一つ、伝えられる内に話しておきたい。儂はリリーと生涯を共に出来て幸せだ。ありがとう」


 ギルに渡した剣。柄頭の片面には金床とユリの花、もう一面にはつば広帽を、願いを込めて彫った。

 あの二振りが、儂らとギルを結び付けてくれるように。

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