第5節① ゆうしゃと旅人

「ねえ、止めとこうよ。見つかったら大変だよ」

「何よ、だらしない。わたし見たのよ。怪しい人がお屋敷の中に入っていくのを。間違いないわ。絶対に悪い人よ!」


 そんなこと言ったって……

 誰も住んでいない古くてボロボロのお屋敷に入るのは嫌だ。門の格子は今にも朽ちてしまいそうだし、窓は割れ、扉は腐って倒れている。

 そもそもどうやって入るの? 門は閉じている上に、鎖で封じられている。

 うわ、鎖もさびで真っ赤だ。

 格子の間から見えるお屋敷は夕焼けに照らされて、とっても不気味な感じがした。まるで血を被ってるみたい。


 ふと、ここのうわさ話を思い出してしまった。

 二本の剣を持った殺人鬼が皆殺しにして、お屋敷中を血まみれにしたんだっけ。夕焼けのせいで余計に入りたくなくなった。


「もう夕方だから、明日にしない?」

「カール。使用人の子供がわたしに口答えしないで! いいから行くわよ!」


 クリスタは塀の穴の開いたところから中に入っていってしまった。どうしよう。置いて帰ったら父さんに怒られるだろうな。お屋敷も怖いけど、父さんのゲンコツも怖い。


「カール!」


 早く来なさい、と急かされて僕も塀の穴を通り抜けた。

 お屋敷より父さんの方が怖い。だって、お屋敷にゲンコツはされないから。

 倒れている扉を踏み越えて中に入ると、あちこちの隙間から射す光がエントランスを紅く、怪しく照らし、僕の足を踏み止まらせようとしていた。

 外もボロボロだけど、中も酷い状態だった。二階へ続く階段は崩れているし、飾ってあったらしいよろいは倒れて真っ黒い粉を吹いていた。


 あれはなんだろう? 踊り場に大きな絵が飾ってある。このお屋敷に住んでいた家族の絵かな? 上半分は色が変わって良くわからない。たぶん、立っている大人が四人と、椅子に腰かけた女の子。にっこり微笑んでいて可愛い子だ。クリスタに似ている気がする……

 あ! クリスタ! どこに行ったんだろう?


「こっちよ! ぐずぐずしないで!」


 クリスタはいくつかある扉の一つから顔をのぞかせていた。もうあんな所に。

 追いかけようと足を出すと床が少し沈んでギシッっと嫌な音を立てた。床板も腐ってるのか。子供で良かった。大人だったら下に落ちていたかも。


「クリスタ。床が腐ってる所があるから気を付けて」

「そんな事わかっているわよ。とろいんだからカールこそ気を付けなさい」


 いつもクリスタは前を歩いていて、待ってくれる。二つも年下なのに僕を弟みたいに扱う。違うか。きっと子分だ。これまでもそうだったし、これからもそうなんだろう。クリスタのお父さんは町の領主様で、僕はその使用人の息子。その内、お婿さんをもらって領主様の娘から領主様の奥さんになる。僕は使用人の息子から使用人になる。父さんもそれを望んでいる。やっぱりずっと子分のままだ。


 それで良いんだけど……

 すたすた先を歩くクリスタを追いながら思う。

 できれば、頼られるようになりたいな。一応、男だし。


「行けるところは全部見たけど、誰もいないね」

「何よ。わたしが作り話をしてるとでも言うの?」

「そうは言ってないよ。もう帰ったんじゃないかな? 僕たちも帰ろう。夜になるよ」


 自分で言っておいてなんだけど、ちょっとおかしい。お屋敷はぐるっと塀で囲まれていて、門は閉じられている。通れるところは僕たちが使った塀の穴だけ。ここを抜けられるのは子供だけだと思う。

 でも、これ以上遅くなると、今度こそ父さんのゲンコツをもらう事になる。コブを抑えながら眠るのは嫌だ。


「……そうね。今日は引き上げて、明日に――」

「子供がこんなところで何をしている?」


 びっくりした! 心臓が止まるかと思った。というか止まったと思う。1、2秒は間違いなく。

 恐る恐る振り返ると背の高い男の人が見下ろしていた。そのコートの内側から剣の柄が二つ。まさか殺人鬼――


「クリスタ逃げて!」


 僕の言葉で、固まっていたクリスタは一目散に走り出した。

 僕は、僕が守らないと。かかってこい! 僕が相手だ!

 拳を握り、殺人鬼をにらみつけたけど何もしてこない。それどころか首を傾げていた。


「どうして君は逃げない?」

「僕がクリスタを守るんだ!」

「……そうか。何もしないから落ち着くといい。私は屋敷に入り込んだ悪い子を追い払いたかっただけさ。驚かせて悪かった」

「悪いやつはお前の方だ、殺人鬼!」

「ひどいな。私はここの主の友達でね。ところで殺人鬼とは何の話かい?」


 もし殺人鬼なら、うわさ話をすれば動揺するはず。それなのに僕の話を聞いた彼は笑いだした。


「子供の想像力はたくましいな。もう帰るといい。友達を心配させてはいけない」

「でも……」

「話し足りないなら明日来ればいい。少しなら相手をしてあげよう」


 明日来ると伝えて、塀の穴を潜るとクリスタが待っていてくれた。泣きそうな顔で。てっきり怒っていると思っていたから意外だった。


「本当にノロマなんだから! 心配したじゃない!」

「ごめん。でもクリスタを逃がすために必死だったんだ」

「わたしが無事でもカールが危ない目にあったら意味ないわ!」

「だったら初めからお屋敷に入らなければ――」

「うるさいったらうるさい! カールはわたしの言う事を聞いていればいいの! ほら帰るわよ」


 僕がクリスタが差し出してくれた手を握ると引きずられるようにして歩きだした。手はつないでいたけれども、クリスタはやっぱり僕の前。

 家に帰ると待っていたのは父さんのゲンコツで僕はコブを擦りながら眠った。


 もう一度、お屋敷にいた人に会いたかった。どうやって入ったんだろう? 屋敷中を回った時はいなかったのに、突然現れたのはなんで? 気になって仕方がない。

 クリスタを誘おうとしたけど、昨日の帰りが遅かったせいで出てこれないみたいだった。


 だから一人で行くことにした。

 これでもずいぶんと悩んだんだ。昼間だし怖くない。そう思う事にした。たぶん大丈夫。怖かったら帰ればいい。

 来てみたら案外平気だった。怖かったのは夕焼けのせいだ。昨日、昼間に来ていればクリスタに馬鹿にされずにすんだのに。


「それで、一人で来たと?」

「うん」

「その勇気に免じて教えてあげよう。こっちだ」


 ついて行った先は食堂。昨日もここに来た。何もなかったと思うけど。

 暖炉の底に手を突っ込んだと思ったら鉄の板を持ち上げて地下に続くはしごを見せてくれた。


「秘密の抜け穴! なんで知ってるの?」

「言ったろう? ここの主の友達だと。隠し通路を教えてもらえるほど仲が良かったんだ、私たちは」


 少しだけ寂しそうに見えたから聞いてみたくなった。


「友達はお屋敷を放り出してどこに行ったの?」

「友達は先に行ってしまった。もう、ここには思い出しか残っていない」

「待っていてくれるといいね」

「……そうだな。カール、もしかして慰めてくれたのか?」

「どうして僕の名前を?」

「あれだけ大声で話していたら聞こえるさ。もう一人はクリスタ。私はギル。よろしく、小さい勇者カール」


 今度からクリスタに付き合わされてコソコソする時は小声で話そう。

 ところで『ゆうしゃ』ってなんだろう。

 教えてもらったけど、よくわからなかった。今は使われていない古い古い言葉。

 僕がクリスタを守ったから『ゆうしゃ』なんだって。でも守れていない。ギルが悪いやつだったら二人とも捕まっていたと思う。


「ケンカが強い方がいい。僕は小さくて弱いから」

「そんな事はないさ。身体を鍛えれば強くなれる。しかし、ここは鍛えるのが難しい。カールはすでに強くて真っ直ぐな心を持っているんだ。それは強いより凄い事さ。だからカールは勇者なんだ」


 ギルは僕の胸をトンと指で突っ突いてそう言ったけど、難しくてわからなかった。


「ここは古くて危ないからもう来ない方がいい。外まで送っていこう」

「もう一つだけいい? ギルはここで何をしていたの?」

「昔を懐かしみに、かな」


 やっぱりギルの話は難しいや。

 それから毎日お屋敷をのぞいてみたけど、それ以来ギルを見る事はなかった。その内に足が遠のいて、思い出さなくなるのに時間はかからなかった。

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