第19節① 猟師と旅人

 カツーン。

 金属がぶつかる耳障りな音が響いた。ビリーの背負う剣と盾が当たった音だった。。

 ビリーの騒がしさはこの場所にとって異質過ぎる。周囲の獣を驚かせていないか見回したが、気配はまるで感じなかった。感じなさ過ぎた。それほどまでに森は静かだった。

 ビリーの存在が強すぎて獣が恐れている? まさか。敵意を振りまいてるわけでもなし、ありえない。しかし森が死んでいるような静けさだった。木々からはこんなにも命を感じるというのに。

 

「なあ、ソニア。何もいないじゃないか。本当にキジを狩れるのか?」

「そのはずだけどね。なんでだろう? 森が静か過ぎる」


 いつもなら一人で森に入るが、私の狩りが見たいと言うので付いて来ても良いよと言った。


「静か過ぎる? いつもと何が違うんだ? なんでわかる?」

「なんとなく?」


 言っている意味がわからんとビリーが首を傾げるけど何となくは何となく。わからない? 命の息づかいみたいな……上手く説明できないな。

 身振り手振りを交えて伝えようとしたが彼は笑うばかりだった。


「まあいいか。ソニアが凄い猟師だってのはわかった。ほらキジを探そう。じいちゃんに美味いキジ肉を食わせてやるんだからさ」

「ふふっ。そうね。もう少し奥まで入るわ。熊の縄張りだから普段はそんな奥まで行かないんだけどね。もし出会ったら頼りにしてるわ。戦士さん」

「おい! 戦士は止めろよ。ただの木こりなんだからさ。もう昔の事を蒸し返さないでくれ」


 やれやれと手を振るけど、私は知っている。お爺さんのサムから剣と盾を教えてもらっているって。みんなを守る為に戦い方を教えてくれと、頼み込む姿を見ていたから。あのビリーはとても真剣で大人に見えた。

 彼は成長した。真面目に働く、たくましい青年になった。

 私はどうだろう? 子供の頃から森に入るのが好きだった。森や獣、狩りの技を教えてくれる物静かな父が好きだった。よく笑ってよく怒る母と一緒に革をなめすのが好きだった。元気一杯なビリーと遊ぶのが好きだった。あの頃の私は子供だった。


 周囲に気を配りながら木漏れ日が差し込む森を進む。すぐ後ろからビリーの息づかいを背中で感じた。


 いつから私は変わったんだろう?

 ビリーが戦い方を教わりだしてから? 違う。少し寂しいとは思ったけど。

 母が死んでから? 父も私も塞ぎ込んだかもしれない。

 父が死んでから? それからかもしれない。私は時間の大半を森で過ごすようになった。森では一人きりだったけど寂しくはない。森の一部になれた気がするから。

 私は変わった。大人ではない何かに。


 森の奥では獣の息づかいを感じるようになった。でも多くはない。やっぱり何かがおかしいとは思ったけど、そのまま足を進めて標的を見つけた。

 あの地味な色はメスね。風下は私。気付かれていない。いける。

 餌を求めているキジは土をほじくり返していた。獣が一番警戒を怠る瞬間が、今、目の前にあった。

 ビリーに動かないようにと、合図をして弓に矢をつがえた。弦がキリキリと小さな悲鳴を上げた。細く、長い息を吐いて、止める。

 私は矢。弓を構えているのも私。矢に意思は必要ない。真っすぐ飛ぶには邪魔なだけ。そっと指の力を緩めるとキジは短く悲鳴を上げて動かなくなった。


「終わったわ。早く帰りましょう。なんだか嫌な感じがするもの。……どうしたの?」


 お望みのキジが狩れたというのに、彼は口を開けたまま固まっていた。


「ソニアが狩りをするところを初めて見たけど……怖いな」

「怖い?」

「ごめん。凄いって言いたかったんだ。弓矢そのものになったみたいな感じって言えばいいのか?」

「そう? でも戦士だって同じようなものでしょ?『剣を振るんじゃない。体の一部と思え』ってサムも言っていたよね」


 サムの真似をしたら、やっと緊張が解けたように見えた。ビリーは苦笑いをしながらキジから矢を抜き、足を縛って腰にぶら下げた。


「聞いてたのかよ」

「狭い村だしね。さっきも言ったけど急ぐわよ。早くここから離れないと――」


 一番会いたくない獣がそこにいた。


「なんでこんな所にいるんだよ」


 ビリーが小声で悪態をついた。気持ちは良くわかる。私だってそう言いたい。だってそれは谷底を根城にする大イノシシだったから。普通のイノシシと比べると倍もある巨体を揺すりながら向かってきていた。

 あれは、ふらついている? 何にせよ、普通の歩き方じゃない。

 歩みは遅く、気が立っているようにも見えない。ビリーが判断を求めているが、どうすべきだろう? 戦って勝てる相手じゃない。逃げるべきだと思う。前は見逃してもらえた。でも今回は?

 迷っている内に距離が狭まり、大イノシシは足を止めた。私を見つめる瞳から大イノシシの意思が伝わってきた気がした。


<……我を……殺せ>


 何? 何が聞こえたの?

 声が聞こえたわけじゃない。それはわかる。感じた?


<我と戦え。そして殺せ>


 今度ははっきりと伝わってきた。このの主は、大イノシシだ。

 殺せって、なんで? それに戦うなんて無理。ただの猟師に戦いを求められても困る。

 少しの間、見つめあっていた私たちだったが、大イノシシは足を引きずるようにして森の奥へと消えて行った。

 その姿が見えなくなった頃、体中が緊張で強張っているのがわかった。


「ビリー。今の聞こえた?」

「今の? 何の話だよ」

「大イノシシが自分と戦えですって」

「は?」


 そうよね。信じられないわよね。帰路の途中、想像を交えながら話したけど結論には至らなった。こんなのは聞いた事がない。考えてもわかるはずもない。

 ビリーは足を止めて大きく首を振った。その表情からすると諦めたわね。


「うーん。わからん!」


 ふふっ。だよね。私もよ。


「でも、知恵を貸してくれそうな人は知ってる」

「誰? サム?」

「もっと年寄りさ。来てるんだよ。家に旅人がさ。今頃は爺ちゃんと一緒にキジ肉を待ってるんじゃないか?」


 サムを訪ねてくる旅人なんて彼しかいない。不思議な旅人のギル。村の誰よりも年寄りなのは間違いないわ。何か知っているといいんだけど。

 村が見下ろせる丘まで来るとビリーが走り始めた。私もつられて走る。彼の隣にいるだけで昔の私に戻れる。無邪気だったあの頃に。ずっと隣にいられたらいいのに。


 ビリーの家では、サムとギルがすでに出来上がっていた。挨拶もそこそこに大イノシシの話しをすると、ギルは興味深そうに身を乗り出した。

 顔が真っ赤だけど大丈夫? こんなので話が聞けるの?


「問題ない。ギルは素面でも酔っていても大して変わらん。ん? という事はいつも問題しかないという事か? ハッハッハ!」

「うるさいぞ、サム。そうだな、こんな話がある」


 話すと言いつつもエールを飲み干し、コップで机をたたいた。サムの父、ノアとビリーの二人の妹が何が聞けるのか身を乗り出す。


「山や森にはぬしと呼ばれる獣がいるのは知ってるだろう?」

「老人たちが口にするやつか?」


 サムが尋ねるとギルは大きくうなずいた後、笑っていた。


「サムも老人だろうに。まあ、その主であっている。主がいるおかげで山や森に秩序が保たれている。そう考えられていた。最近は耳にしなくなったけどね」

「そういえばそうだな。何故だ?」

「教会が認めていないからかな。唯一神以外の神はいないって教えからすると神のような存在は認めたくないんだろう」

「はー。そんなもんか。わしにはよくわからん」


 サムは干した豆を口に放り込んでゴリゴリとかみ砕いた。

 苦にもせずに固い豆を食べるなんて高齢とは思えないわ。あれ苦手なのよね。それは良いとして、大イノシシが主だというのは察するけど、あの声はなんだというのだろう。


「それで、私はどうすればいいんですか?」

「問題はそれさ。普通の枠から外れているとは言え、主だって衰える。衰えれば代替わりもする。そうやって秩序が保たれる。しかし、衰えても死ねない主がいたらどうなるのか? 答えは、その場所も一緒に衰退する、だ。悲しいけどね」


 ギルがコップを指で弾くと倒れ、僅かに残っていたエールが零れた。


「そういう時はどうしてたんですか? 見守るしかないんですか?」

「いや、人が手を貸していたのさ。主が選んだ者が戦って殺す。簡単な話さ。そして、主が選んだのはソニア。君だ」

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