第18節② 息子と呪い師と旅人

「母さんだと? 父さんが呪われた時に死んだと言ってなかったか?」

「あれはお前の母とは違う。私とミナを呪った呪い師だ」

「酷いわ。この体は間違いなく貴方の妻のものよ。今だって名前で呼んでくれたじゃない」

「中は妻ではない。お前は妻ではない! 妻の、ミナの、体を、返せ」


 父さんの顔が苦々しくゆがむ。

 クスクスと笑う呪い師は父さんの元まで緩やかに歩み寄り見上げた。見下ろしている父さんだったが、気圧されているのは父さんの方だった。


「なんで追いかけてくる気になったの? 気になったから聞きに来たわ」

「追いかける? 父さんが? お前を?」

「そうよ。はじめまして、ギルの息子さん。違うわね。『また会えてうれしいわ、愛しのジェフ。いらっしゃい。抱きしめてあげるわ』」


 呪い師は母親が持つ慈愛に満ちた笑顔を俺に向けた。

 体中の毛が逆立つ。血が湧きたつ!

 こいつは! 今! 俺の大切なものを踏みにじった!

 怒りに任せて踏み出そうとしする俺だったが、父さんの鋭い声でなんとか踏み留まれた。


「止めろ。心をむき出しにするな。こいつが喜ぶだけだ」

「無粋ね。せっかく面白い心が見れそうだったのに」

「面白いだと!」

「その通りよ。私は人の感情が知りたい。人が変わっていくところがみたい。ただ、それだけ」


 さっきまでの笑みは消え去り、感情のない顔が俺を凍り付かせた。

 その瞳は……瞳というより真っ黒な穴だ。見つめるだけで飲み込まれそうな嫌が感じがする、何も写すことのない、穴のように見えた。


「教えてちょうだい。逃げ続けてきた貴方はこれからどうしたいのかしら?」

「妻は死んだ。お前が妻の体を好き勝手に使うのは許せそうもない。妻の体を返してもらう」

「そう。それで? 貴方は?」

「妻一人で行かせはしない。私も一緒に行こう」


 父さんは呪い師の穴のような瞳を見据えた。決意が、悲しみが、信念が、俺に伝わってきた。


「限られた時間だから人は生きられる。足掻あがける。成長できる。永遠の時間があっても無駄にするだけだ。人には必要ないんだ。お前に呪われて四十年。私は何をしてきた? 何もしていない。時間があるとかこつけて目を背けていただけだ。幼かったジェフは立派な父になった。孫のロイは正しく成長した。もう、十分だ。十分生きた。私のすべき事は終わった。この世界は私たちが生きる世界じゃない」

「そう、死ぬために踏み出すのね。興味深いけど、面白くはないわね」


 呪い師は顎に手を当てて詰まらなさそうな顔を見せたが、手を叩き、顔を輝かせた。楽しくて仕方がないといった様子で、くるくると回る。

 今、わかった。こいつに感情はない。感情がある振りをしているだけだ。人の心を弄んで遊んでるだけだ。


「でも、それでもいいわ! 夫が愛する妻を追って世界を回る。この世界は優しくない。永い旅で辛い事もたくさんあるでしょうね。その度に貴方は心をすり減らしていくの。ふふっ! 貴方はどう変わるのかしら? 私を追い詰めた時、どんな顔で、なんて言うのかしら? ああ! 楽しみで仕方がないわ!」

「だったら今終わわせてやる!」


 もう、我慢出来ん! ふん捕まえてやる!

 飛び出したが虚ろな瞳に見据えられると石になったみたいに動けなくなった。瞬きはおろか、呼吸すらできない。

 

「あなた、少しうるさいわ。静かにしていなさい」


 呪い師は人差し指をすっと立てる。冷たい指でトンと額を突かれたところで俺の意識は途絶えた。


「大丈夫か?」


 父さんに揺り起こされた時には呪い師の姿はなかった。

 辺りはすっかり暗く、星空の下、村はいつものように静かだった。

 まだ体に力が入らないせいで立ち上がれない俺を父さんが引っ張り起こす。


「まだ辛そうだな。昔みたいに背負ってやろうか?」

「止めてくれ。恥ずかしい」

「遠慮するな」


 父さんが嫌がる俺を背負って笑う。

 俺の方が体が大きいのに、父さんの足取りは軽い。長年の畑仕事で鍛えられた足腰は俺一人を担ぐぐらいならびくともしなかった。


「ジェフ。私の代わりに怒ってくれたんだな。ありがとう」

「父さんの為に怒ったんじゃない。俺の為だ」

「なんだっていい。私はうれしかった。だから礼を言わせてくれ」

「わかった。わかったから早く帰ろう。こんな姿、人に見られたらなんて答えたらいいんだ」


 しっかりつかまっていろ、と父さんは走り出した。俺は振り落とされないよう、肩に回した腕に力を入れた。

 もう、これが最後かもしれない。もう頼る事はできない。俺が家族を支えていくんだ。しかし……もう少しだけ甘えてくれ。


 早朝、旅立つ父と二人で家を出た。話したい事はたくさんあったが、何を話せばいいのかわからなかった。よくよく考えてみると父の事は何も知らない。母親がいない俺の世話をして、畑仕事をして、大変だったに違いない。今まで気づかなかったのは、それを見せてくれなかったという事だ。

 愚痴一つぐらい言えばよかったんだ。家族ってそういうものだろう。強がりやがって。


「ジェフ、ここまででいい。後は頼む」


 ようやく顔を出した太陽が穏やかに微笑む父を照らした。旅に出るというのに、いつものチェニックに革ズボンで農作業着のままだったが、古いつば広帽を被っていた。


「どっから持ってきたんだ、そんな帽子」

「納屋にあったのを思い出したんだ。良いだろう?」

「農夫の若者が背伸びしているようにしか見えん。……そうだな、コートでも着れば少しはらしくなるんじゃないか?」

「良さそうだ。旅先で手に入れるよ。……ああ! そうだ、ブドウ酒!」


 あわてて取りに戻ろうとする父を止めた。


「言い忘れていたんだけどな。とっくに飲んじまったよ」

「本当に?」

「ああ。大して上手くなかったぞ」

「おかしいな、五年も寝かせたのに」


 首を傾げる父を追い払うように手を振った。


「ほら、さっさと行けよ。ちゃちゃっと呪いを解いて、ぱぱっと戻って来い」

「簡単に言うなよ。しかし、やれるだけやってくる」


 ちょっとそこまで行ってくるといった軽い様子で荷物を担いで笑う父を抱きしめた。

 気軽に見送ろうと思ったが無理だ。出来るはずがない!

 気持ちが伝わったのか力強く返してくれた。小柄な体。農作業で荒れた手。日に焼けてがさつく髪。俺はけして忘れない。


「行ってらっしゃい。俺はギルの子、ジェフ。忘れないでくれ」

「行ってくる。私の子、ジェフ。お前たちのいる家に必ず戻る」


 父は俺から離れ、去った。相手は性根の腐った呪い師だ。楽な旅にはならないだろう。

 けっして忘れないよう、心に刻み込もうと、小さくなっていく姿をいつまでも見ていた。

 日は登り、いつもと同じ一日が始まる。

 さて、昨日出来なかった仕事をしないとな。さっさと麦を乾かさないといけない。

 家に帰らずに、そのまま畑に向かうと、すでにロイが作業を始めていた。軽口を叩く相手もおらず、寡黙に手を動かしていた。

 昨日の遅れを取り戻したいとは思ったが、頼んでもいないのに動いてくれるとはな。


「早いな」

「親父が遅いんだよ」


 束ねられた麦穂をホダ掛けしていく。この後は脱穀して、また干して。忙しいったらありゃしない。

 ロイが手際よく麦穂を縛りながら顔を上げた。


じいさんは?」

「行った」

「寂しいけど仕方がないさ。あんな村長だけど目の敵にされてはな。せめて俺たちは飲んで送り出してやろう。そうだ、爺さんが寝かせていたブドウ酒があったろ? あれを――」

「駄目だ!」


 つい語気が荒くなってしまい、ロイの手が止まった。

 駄目だな。まだ気持ちが切り替えられないらしい。


「すまない。あれは飲まない。帰ってくると言っていたからな。残しておいてやろう」

「そうか、そうだな。それがいい。ははっ、爺さんの驚く顔なんて滅多に見られないぞ」


 くくっ、さっさと帰ってこい。度肝を抜かさせてやる。

 麦の刈り入れが終わったばかりだが、夏が過ぎたら作付けだ。冬を耐え、畑の世話をしている内にまた刈り入れ。俺達の村はそうやって緩やかに進む。

 俺はこの畑だらけの村が好きだ。胸を張って言える。

 良い所だろう? ここがあんたの村だ。

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