第18節① 息子と呪い師と旅人

 麦の刈り入れが終わって大きく伸びをすると腰と肩、首に鈍い痛みを感じた。固まった筋肉を解したくて首と腕を回す。

 ああ、疲れた。もう若くないんだろうな。

 息子たちに目を向けると軽口をたたきながら穂をまとめていた。

 あいつらは疲れを知らないんじゃないか? 俺だって昔は一日中働いていても元気だったさ。いや、若者に張り合おうとしている事自体が若くない証拠か。まったく、心まで年を取りたくないね。

 刈った麦穂をまとめている時、代替わりしたばかりの若い村長が急ぎ足で来た。その顔は険しい。

 

「ギルはどこだ?」


 また難癖つけに来たのかよ。暇なのか?

 声が聞こえたのか、干された麦穂の裏から二人が顔を出した。

 並んでいると、よく似ている。


「父さん! 村長が来てるぞ!」


 何も知らない者が見たらたまげるだろうな。

 どうみても呼んだ俺が父親に見えるだろうし、立ち上がったのは若い方だ。


「私になにか?」

「水車がまた壊れた。お前のせいだろう!」


 いきなり食ってかかる村長だったが、父さんは、なんだそんな事か、といった風だった。それが余計に村長を逆上させる。

 そりゃあ、年寄りからしてみれば大抵の事は何でもないかもしれないが、見た目は村長より若い。年下に馬鹿にされている気分になっているのかもな。間を取り持った方が良さそうだ。


「とりあえず、その壊れた水車を見ましょうか。俺も行きますよ」

「お前は呼んでない!」

「そうはいきません。うちの家長は俺です。どうせ修理に人手が必要になるだろうし、行きますよ」


 村長はいらだちを隠そうともせずに「好きにしろ!」と怒鳴った。

 ああ、好きにさせてもらう。


「ロイ! 父さんと水車小屋に行く! あとは任せた!」


 干された穂の裏から手だけが振られた。

 一人で今日中に終わる作業ではないが仕方がない。村長を怒らせたままの方が面倒になるしな。まったく、やれやれだ。

 鼻息を荒くしている村長とは対照的に父さんはいつも通り穏やかだった。


「すまない。手早く片付けて仕事に戻ろう」

「気にするな。しかし、村長を怒らせないでもらいたいね。後が面倒だ」

「怒らせてるつもりはないんだけどな」

「だろうな。そう言うと思ったよ」


 大股で足を運ぶ村長を追った。

 ああは言ったものの村長の怒りは消せないだろう。その源は父さんの存在そのものだ。皆から信頼される村長になりたいのに、頼られているのは父さんだもんな。そりゃあ年寄り並の知識と経験があって若者並に働いていればそうなるだろうよ。


「なあ、今、いくつだった?」

「60…… そうだ、ブドウ酒を寝かせたのが57の時だから今は62だ。間違いない」

「くくっ。何で酒が基準なんだよ」


 そして聞いてもいないのに、ぶどう酒を手に入れた経緯やら、保存するの為の注意点やら、いつ封を切ろうか迷っているとか、村長の怒りなどどこ吹く風で話し始めた。

 村長、目の敵にしている男はお前の事など少しも気にしていないぞ。

 そう思うと少しだけ同情したくなった。


「見ろ! この有様を!」


 なるほど、歯車が真っ二つか。こいつは一番大きくて、負担も大きい部品だ。

 さっさと交換すればいいのに集まっている者が見ているだけとはどういう事だ?


「まだ交換して一週間だぞ! そして前回交換したのはお前だ! ギル! 何かやらかして隠しているだろう!」

「待ってください。それで父さんを疑ってるんですか? 疑うなら先週の交換でしょう」

「それをやったのは俺たちだ! 作業は完璧だった。前から問題があったに違いない!」


 言い掛かりをつけるにしても、もう少やり方があるだろう。何でみんな黙ってるんだ? ああ、よく見たら村長の取り巻きしかいないのか。これは面倒くさい。

 さて、どうしたものかと腕を組んでいると、父さんは木片を拾い始めた。あれは歯車を固定するくさびか?


「楔の数が足りない。片付けたのか?」


「それで全部だ。ガタつかないように、しっかりと打ち付けたさ!」

「裏側も?」

「裏側だと?」


 そういうことか。ガタつきがあると振動から歯車は痛みやすい。振動を防ぐための楔だが、裏面に打ち込んでいなかったのか。


「そんな事は知らない! 親父が言っていたのか?」

「いや、先々々代から。まだ私が若い頃かな。先々代と一緒に色々と教えてもらったよ。懐かしい」


 その姿で昔を語るなよ。そうか、自分の姿が見えていないから、どう見られているかわかってないのか。後で教えてやろう。

 一気に旗色が悪くなって顔を真っ赤にする村長だったが、父さんは歯車の交換を始めた。これが動かなければ麦を粉に変えられない。みんなで使う水車だ。指をくわえて見てるだけでいいはずがないと村長の取り巻きも手伝い始めた。

 これはまずい。

 手を動かしながら楔を打ち込む順番や強さを教える父さんの言葉に耳を傾ける彼らを見て、村長の怒りは今にも爆発しそうだった。


「なんの騒ぎだ?」

「親父!」


 誰が来たかと思えば、親馬鹿の先代村長か。父さんが先々代と子供の頃から仲が良かったように、俺もこいつとは信頼しあう仲だった。馬鹿息子に傾倒しだすまでは。

 村長はいかに自分が悪くないかを訴えたが、先代は大きなため息をついて息子である村長を帰した。


「いい機会だ。お前たちはギルから教わっておけ。間違いなく村で一番詳しいからな。ギル、ジェフ。修理が終わったら話がある。外で待っている」


 思いの外あっさり引き下がってくれたが、父さんの表情に微かな陰りが見て取れた。

 俺だってそうだ。嫌な予感がする。そしてこういう時の悪い勘はよく当たるものだ。


「ギル、村を出てくれないか?」


 先代の村長は修理を終えたばかりの俺たちに前置きなく言い放った。

 水路脇の柵にもたれ、直したばかりの水車が回る音を聞きながら、今夜は男同士で飲み明かそう、みたいな気軽さだった。

 餌を探すセキレイがチチンと鳴き、飛びたつ。のどか過ぎて聞き間違いかと思った。


「わかりました」

「待て待て! 父さん! 何を言われたのかわかってるのか? 何も悪い事はしていないのに出ていけと言われたんだぞ! 悪いのは馬鹿息子を甘やかしてきた――」

「わかっている。しかし、それ以上言うな。潮時だったんだ。いつまでも同じ姿の私がどう言われているか、ジェフも知っているはずだ」


 父さんの顔が本心だと物語っていた。しかし、それでは、あんまりだ!


「怒ってくれてありがとう。ジェフ。先代、明日の朝に立ちます」

「本当にすまない。馬鹿息子だとはわかっているが、このままでは誰もついてこなくなる。今なら変えられる。いや、立派な村長にしてみせる」


 はっ! それが出来るのならとっくに変わってるだろうよ!

 先代は、多くはないが受け取ってくれ、と小袋を無造作に突き出す。それは父さんの手の中でジャラっと金の音を鳴らした。

 金で黙らそうとするのか! 益々気に入らん!

 しかし父さんの手前、怒りを吐き出す事も許されず、先代がいなくなるまで、ただ、突っ立っているしかできなかった。


「上手く使えよ」と、金の入った袋を投げられたが、強く握りしめすぎて強張った指では受け止められなかった。

 足元で耳障りな音を立てる袋が忌々しい。


「本当にこれで良いのか?」

「潮時なのは間違いないだろう。これでも村の為に頑張っていたんだけどな」


 父さんは袋を拾い、今度は俺の手にしっかりと握らせた。


「それに、そろそろ呪いに向き合わないとな。私は呪いをかけた呪い師を追う。私はお前の母を呪いから救う。いつか――」


 父さんは言葉を詰まらせた。驚きで目を見開いていた。怒りとも悲しみともつかない顔だった。

 俺の背後で土を踏む音が鳴らした者。そこにいたのは赤い本を抱えた長い黒髪の若く美しい女。

 その姿を見た父さんは絞り出すように言った。ミナ、と。

 それは、死んだ母の名だった。

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