第17節② 脱走兵と旅人

 領主に抱かれていた赤子の結婚に立ち会う事になるとは思いもよらなかった。もっとも、彼が足を折っていなければ俺が父親役をすることもなかったが。

 花嫁衣装のアメリーは美しく育った。ついこの間までは子供だと思っていたのにな。あれから十五年か。俺も年を取るわけだ。


「ねえ、しつこいようだけど執事を辞めてからも家にいていいのよ?」

「申し訳ありません。妻との故郷で余生を過ごしたく思います」

「ごめんなさい。困らせるつもりはなかったの。じゃあ、しっかりエスコートしてね、お父さん」


 父親が袖を通すはずの礼服姿の俺の横にアメリーが立ち、腕に手が添えられた。

 聞いたかエメ? 俺を父と呼んだぞ。俺たちに子供はいなかったが、我が子を育て送り出すのはこんな気分かも知れない。寂しいような、うれしいような、不思議な気分だ。

 俺たちにはかなわなかったが、その分まで幸せになってほしい。

 扉が開かれ、みなが見守る中をゆっくりと歩みだした。

 


 翌朝、俺が袖を通したのは着慣れた執事服ではなく、これからの長旅に耐えられる衣服だった。いつものように髪を整えようとしたがこれからは必要ない。

 荷物を持ち、清掃に漏れがないのを確かめてから部屋を出た。食堂の前を通りエントランスに入ると踊り場の絵が目に止まった。アメリーとその両親。そしてギルと俺。絵の中の俺はどこから見ても立派な執事そのものだった。

 どうだ、エメ。俺も大したものだろう? 俺自身も驚きだ。まさか執事になるとは思ってもみなかった。それもこれも旦那様と奥様のおかげだな。敵国で行き場のない俺を雇ってくれた上に、素性を隠すためにレオと言う立派な名までくれた。

 休戦協定が締結された後、すぐに帰っても良かったが、受けた恩を考えると途中で放り投げられなくても仕方がないだろう? 実際、お嬢様の相手は悪くなかった。エメとの子育てを想像していたのは秘密な。

 そして昨日の結婚式だ。お父さん、って呼ばれた時は泣きそうになった。エメに見られてなくて良かったよ。大笑いされるところだった。

 まあ色々あったが、アメリーの巣立ちも見届けたし、今度こそ故郷へ帰ろうじゃないか。エメの故郷へ。

 誰も起きてこないうちに屋敷を後にした。

 まだ薄暗く、ひんやりとした空気の中、足を進めた。

 挨拶は昨夜に済ませてある。引き止められたのはうれしいが、これ以上旅立ちが遅れるとエメに怒られてしまう。

 町を出る時、見慣れた姿が見えた。あのつば広帽とコートは見間違えようがない。


「ギル。お嬢様に会わずに私の見送りですか?」

「会ってはいないが式には出たさ。気付かなかったか?」

「わかるはずがないでしょう。あんな大勢の参列者の中から見付けられるはずがない。私を見送るぐらいならお嬢様に会って上げてください」

「そう言われてもな、正直会いづらい。わかるだろ? それと、これは見送りではないさ。私もレオと一緒に行くからな」


 なんだと? 聞いたかエメ。また突拍子もない事を言い始めたぞ。ついて来て何の得がある?


「単なる興味本位さ。レオはずっとアメリーと一緒だったから話す機会はほとんどなかっただろう? だから二人で話したかったんだ。長旅の退屈しのぎだと思えばいい。それに旅慣れている私が同行すれば助けにになるさ」


 まあ、いいだろう。ギルには言いたい事もある。最後のお節介ってやつだ。


「仕方がありません。よろしくお願いします」

「では行こうか。やり残した事は?」

「いいえ」


 この町の暮らしは辛い思いから始まったが充実していたと思う。だろう? エメ。


 二人の旅は順調だったが、今まで目を背けていた現実を突きつけられる事もあった。

 国境に近づくにつれて戦争の爪跡が増えた。この村もその一つだった。建物や畑は全て燃やされて石材が残るのみだった。

 ここまで徹底的に焼き尽くしたのは敵ではない。守ってくれるはずの味方に燃やされたのだろう。敵に奪われるぐらいなら燃やしてしまえという訳だ。


「今日はここで夜を明かそう。向こうに野営に適した所がある」


 道すがら木片を拾っていた理由がわかった。ここに燃やせるものは何もない。

 火を起こしたギルは通りの向かいに目をやった。


「そこに店があった。焼きたてのパンは絶品でね。レオにも食べさせてやりたかったよ」

「この村を知っているのですか?」

「ああ。ここは酒場だった。ブドウ酒を使った煮込み肉が美味くてね。よく足を運んだよ」

「食べ物だけですか?」


 ギルが火を通した干し肉は固かったが、塩気が効いていて美味かった。


「もちろん他にもある。ここに出入りしていた粉屋と鍛冶師の仲が悪くてね。取っ組み合いしてるのを何度か見たな。騒がしいが良い村だった」

「彼らはどこへ?」

「わからない。しかし、みんな元気にしてるさ。そう思うようにしている」


 今では人の営みの形跡が僅かに残るだけだ。恐らく、村を燃やしたのは軍だ。たとえ必要だとしても自国の村を燃やすなんて愚か過ぎる。そんな事のためにエメは戦って死んだのか?


「いったい何の為の戦争だったのでしょう。私たちは甘んじるしかないのでしょうか?」

「わからない。ただ…… 傷ついた人は多い。抗い、救うにも一人の力では小さすぎる。どうしようもないね」


 火を見つめるギルからは諦めじみたものを感じた。とらえどころの無いギルだが、沢山の苦しみを見て、目を閉ざしたのだろう。長い時を生きてきた彼が音を上げたのであれば成す術がないのかもしれない。

 エメ。真っすぐに生きたお前ならどうした? 俺はどうするべきだった? いくら考えても答えは出ない。

 辺りは闇に包まれたが火の温もりは俺たちを守ってくれていた。


 国境を越えて数日が経ち、ギルに勧められるまま酒場に立ち寄った。


「それにしても執事になるとは思わなかった。それだけ献身的に働いて信頼を得たのだろうが、そこまで親身になれた理由はなんだ? 特にわがままだった頃のアメリーに対して辛抱強く接していたように見えた。恩返しだけではないだろう?」


 ギルは腸詰めにフォークを突き刺して食い付く。皮が爆ぜる小気味の良い音が響いた。

 親身か、そうかもしれん。俺にはそうしたい理由があったのは間違いない。


「大した理由ではありませんが……賭けをしますか。ギルが勝てば教えましょう」

「いいだろう。何を賭ける?」

「次の客が男か、女か、でどうです?」

「乗った。男に賭けよう。……この腸詰めは美味いな。レオのを一本くれないか?」

「駄目です」


 エールを片手に他愛もない話をしている内に扉が開かれた。女だった。父親であろう老人を迎えにきたらしい。


「残念。聞き出すのはまたの機会にするか。こっちにエールを二杯頼む!」


 入ってきたのが女で良かった。エメとの子育てを思い描いていたなんてとても言いたくはない。

 豚肉のキャベツ包みを丁寧に小分けして口に運んだ。そういえば昔は一口で頬張っていたな。

 執事服を脱いでも習慣は変わらないらしい。いや、俺は変わった。中身はともかく、すっかり小奇麗になった。変わったのは目の前で骨付き肉と格闘しているギルもだろう。姿ではなく、心の方が。

 なぜ、ギルがアメリーを避けるのか? それはアメリーがギルを恐れたからだ。年を取れない彼を責めた。そして、怖れているのはギルもだ。これ以上傷つくのが怖いに違いない。

 しかし、一度のすれ違いで全てを捨てるなんて愚かすぎる。


「お願いがあります。アメリー様に会ってくれませんか。謝罪を受け入れろとは言いません。その機会を与えてほしいのです」

「別に怒ってはいない」


 ナイフを持つ手に力が入りすぎたのか、肉片が皿から飛び出してギルは顔をしかめた。


「では、なぜ避けるのですか」

「きっと怖いんだろうな。アメリーはいい。しかしアメリーの子は? 孫は? また拒絶されたくはないんだ」


 ナイフを操る手を止めて、うなだれるギルは見ていられなかった。まったく情けない。


「今まで何年生きてきたのですか?」

「さあ。百五十には届いてない。……いや、過ぎたか?」

「中身は年寄りなのに言う事は子供じみてますね。拒絶されてもいいではありませんか。あなたには巻き返す機会がいくらでもある。違いますか?」

「好きでこうなったわけではない。可能なら今すぐにでも元に戻りたいさ。そもそも呪われなければこんな思いはしなかったんだ」


 頑固なのは年相応か。面倒くさい男だ。


「では、次の客で決めましょう。ギルが勝てばこれ以上言いません。そのかわり――」

「わかった。男に賭けよう。私だって――」


 ギルの話が終わる前に扉が開かれた。若い男だった。しかし先に駆け込んで来たのは幼さが抜けない少女。父の手を引き顔をほころばしていた。


「また負けた」


 ギルは天を仰いだが、その表情は満更でもなさそうだった。


「約束ですよ」

「ああ。約束しよう」


 唯一の心残りが消えた。後は、エメを故郷に帰してやるだけ。

 残り少なくなったエールを飲み干し、杯でテーブルを軽くたたいた。

 さて、行くとするか。

 席を立ち、荷物を背負った。


「ここまで大丈夫です。彼女の故郷はまで半日もあれば着けるでしょう。それに……一人になっても自暴自棄になったりしません」

「気づいていたのか」

「それなりに長い付き合いですから。エメを失って、アメリー様が巣立った私に何も残されていないのが気がかりだったんでしょう? 大丈夫です。絶望したくなる世界ですが、きっと私にも出来る事がある。エメを故郷に帰したあとに考えてみます。これから先、私が生きる意味を。ですからギルも諦めないでください。きっとあなたは世界に必要な人だ」

「世界か。考えた事もなかったが、悪くない。次に会う時まで考え続けよう。その時にレオの見つけた道を見せてくれ」


 レオか。名残惜しいが、その名に守られるのはここまででいいだろう。


「私の、いや、俺の名はドニだ。エメの夫、ドニ。この先は俺の道だからな。俺の名で生きていく。いいだろう?」

「ああ、それがいい。元気で、ドニ。また会おう」


 ギルの拳に軽く合わせる。席を立ち、扉を開けると光が差し込み、暖かな風が草木の香を運んできた。

 さあ、帰ろう。随分と遅くなってしまったが許してくれるよな、エメ。

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