第17節① 脱走兵と旅人

 とりで中がお祭り騒ぎだった。無数にあるかがり火の中、飲めや歌えの大騒ぎ。前線が近いのに緊張感の欠片もないが無理もない。このところは連戦連勝だったし敵国の軍は下がる一方。今日も要塞を落としたとの知らせが入ってきたせいで皆が浮かれていた。

 それはそうとエメはどこだ? こうも人が多いと探すに探せん。


「よう、湿気た面してるな! ドニ隊長は要塞攻めに参加できなくて不貞腐れてるのか?」


 のしかかるように肩を組んでくる酔っ払いの息が臭い。


「うるさい。それよりエメを見なかったか?」

「知らねえ。ここにいなけりゃ宿舎だろう。ん? 悪い事は言わねえ、エメは止めとけ。痛い目にあうだけだって」

「わかった、わかった」


 考えてみればエメは騒ぐ質ではなかったか。

 まだ絡み足りなさそうな兵士を振り解き、女兵士用宿舎へと足を向ける。

 今じゃないと駄目な理由はないが、俺は、今、伝えたい。夕方に運ばれて来た負傷者の中に殺しても死ななさそうな男がいたのを見て強く思った。

 あの傷では長く持たないだろう。俺だって明日には死んでいるかもしれないなら、せめて想いぐらいは言っておきたい。たとえ良い返事でないとしても。

 宿舎の扉をたたくとすぐに開かれ、女兵士が顔を出す。

 男の来訪を怪しむのはわかるが気付かないふりをした。


「エメはいるか?」


 返答もなしに閉められたが、中からエメを呼ぶ声が聞こえた。

 良かった。取り次いですらしてくれないかと思った。

 次に扉を開いたのはエメだったが、さっきの女より不機嫌そうに見えた。その原因は後ろに控えている女兵士たちのにやけ面のせいだろう。


「何の用?」

「少し話せないか? 出来れば二人で。時間は取らせない。……たぶん」

「今、ここで話したらいい――」


 エメの言葉を遮るように、笛の音が響き渡った。

 この音色は…… こんな時間に軽騎兵の招集だと?


「悪い、話は後だ」

「ちょっと!」

 

 どうも嫌な感じがする。そして、その予感は当っていた。

 この砦の軽騎兵隊はドニ隊、エメ隊だけ。整列した俺たちを見下ろすお偉いさんが威圧的に口を開いた。


「要塞への物資を運ぶ隊が夜襲されている! ドニ隊、エメ隊は即応せよ。以上だ!」


 何? 軽騎兵に夜戦をさせるとか正気か? いくらなんでも無謀すぎる。


「要塞には前線で指揮を取っておられる王子殿下が居られる! 補給を滞らせて不自由な思いをさせるわけにはいかんのだ! さっさと騎乗しろ! この砦で一番速いお前たちなら間に合うはずだ!」


 ご機嫌取りで命を張らされる俺たちの身にもなってみろ。

 気乗りはしないが友軍の危機は捨て置けない。号令を掛けると全員が騎乗し、開かれる門を駆け抜けた。先頭は俺とエメ。助けを待つ補給隊に向けて二百騎が砦から飛び出す。

 これがエメと二人きりならどんなに良かった事か。出来る事なら兵を率いての夜駆けではなく、太陽の下、風を切って、草木の香りを胸いっぱいに吸いながら駆けたかった。

 しかしその願いは、願い止まりだったらしい。俺達を待っていたのは、暗闇の中、空を切り裂く矢の雨と、むせかえる血の匂いだった。


「ドニ! 待ち伏せされてるぞ! どこから撃たれているかすらわからん!」

「撤退だ! 散会しろ! 個々に砦に戻れ! いいか! 死ぬんじゃないぞ!」


 機動力を優先した軽装の俺達では分が悪すぎる。次々と撃たれ脱落していく兵たちだったが何もできない。俺自身も矢に当たらないように祈るしか出来なかった。なるべく体を小さくして、撃たれても落馬しないよう、手綱を強く握りしめるしかなかった。無心で馬を操っていたが、一番見たくないものが見えた。撃たれて落馬するエメの姿だった。

 危険を承知で飛び降り抱え起こす。良かった。意識はある。


「止めろ。構うな! ドニまで――」

「黙れ! 俺が助けたいんだ! 大人しくしろ!」


 力ずくで馬上に押し上げて、あぶみを蹴る。エメを落とさないように支えながら走らせた。身を預けられても、これでは少しもうれしくない。

 仲間たちは散り散り。闇雲に馬を走らせたせいでどこにいるのかさっぱりわからん。町にたどり着けたのは幸運だったのか? なんせ敵国だ。どうすればいい?

 いつの間にかエメの意識はなく、馬はこれ以上走れそうになかった。

 早く手当てをしないと。休めるところ…… あそこがいい。町外れにある屋敷。そこの小屋を使わせてもらおう。

 エメを抱き上げて物置小屋に忍び込む。幸い人を寝かせられる分の広さはあった。

 矢は腹に深く食い込んでいる。これを抜いたらまずい。今、出来る事は止血ぐらいか。


「……宿舎では何の話……だったの?」

「気が付いたか。黙っていろ。今、手当てする」

「……答えて」


 暗くてよく見えん。なんとか革よろいの結び目を切ったが、鎧を腹に縫い付けている矢をどうしたものか。


「想いを……伝えたかった。伝える前に死ぬのは嫌だったんだ」

「ふふっ。あたしが先に死にそうだけどね」

「大丈夫だ。死なせはしない。少し痛いぞ」


 矢を根本で折り、鎧を剥がして衣服を裂く。

 よし、出血は少ない。これなら大丈夫だ。

 包帯を強く巻いただけだが何もしないよりはいい。


「これで平気だ。少し眠れ。付いていてやるから」

「ありがと。……手、握ってくれない? 少し寒い」

「ああ」


 冷え切ったエメの手を両手で包んでやると、すぐに寝息を立て始めた。けして安らかとは言い難いが出来る事はやれたはず。

 暗い小屋の中で疲れがあったせいか、俺が眠りにつくまでに時間はかからなかった。


「ギル! 来てくれ! こっちだ!」


 外の騒がしさで目が覚めた。

 しまった。眠るつもりはなかったのに。小屋に馬をつないだのは失敗だった。会話の感じからすると二人。逃げるしかない。

 エメを揺すったが起きる気配はなかった。

 何だ? この汗と熱は? 処置がまずかったのか?

 包帯を外すと出血こそないものの驚くほど腫れ上がっていた。

 ギシリと扉が開き始める。

 それどころじゃないってのに! どうすればいい!

 ぐったりとするエメを抱え、剣を抜いた。とうに昇った日が目を焼く。光の中に立つ旅人然としたそいつは油断なく短剣を構えていた。

 緊張も慢心もなしかよ。戦い慣れているな。昨夜から何一つツキがないじゃないか。


「……すまない。少し休んでいただけなんだ。見逃してくれないか? 出来ればエメの……こいつの手当がしたい。頼む。酷い怪我なんだ」


 自分でも虫が良いと思う。到底聞きいれられない話だ。それなのにこいつは話を聞く素振りをみせた。短剣は下ろさず、俺から視線を外さなかったが、後ろに控える身なりの良い若い男に問いかけた。


「どうする? ここは君の屋敷だ。私は従おう」

「どうするって、あの怪我の治療が出来るのは妻だけだ。危害が加えられるかもしれないのに許せるはずがない。悪いがお引き取り願おう。ギル、頼めるか? 妻に見つかる前に――」

「こんな所で何をやってるのかしら?」


 一人増えた。身なりの良い男は見つかってしまったという表情で天を仰ぐ。

 つまり、今、現れた女が男の妻で、治療が出来るのか?


「頼む! お願いだ! エメを救ってくれ!」


 ギルと呼ばれた男に並び立つ彼女の表情は険しかった。


「剣を突きつけたままで頼み事? それとも脅しているのかしら?」

「お、おい! 刺激するな!」

「そんなに無防備に近づいては――」

「あなたたちは黙っていてちょうだい」


 困る男二人を相手にせず、彼女は胸を張って俺に問いかけた。それは、まるで子供に言い聞かせるみたいな口振りだった。


「どうなの? はっきり言いなさい」

「……お願いします。助けてほしい。大事な人なんだ」


 武器を手放すと、彼女はにっこりと微笑んだ。


「わかったわ。手を尽くします。あなた! ギル! 屋敷に運んでちょうだい」

「いや、しかし」

「私が戦場で負傷者の治療してたのはあなたが一番良く知ってるでしょう? あんな状態で放っておけないわ。ほら、早く動いて!」


 エメを治療してもらえるのは運が良かったとしかいいようがない。しかし、俺は、気が動転していただけじゃないか。今だって運ばれるエメについて歩くだけ。ここまで自分が無力だと思い知らされた時は今までなかった。



「君たちは兵士で、昨夜の戦場から逃げてきた。そして、この国の者ではないと見たが間違いないか?」

「その通り……です」


 治療の邪魔だから待っていろと通された部屋で、ギルと名乗った男と二人きりになった。


「捕えないのですか?」

「私は旅人だ。国のいざこざには関わりたくない。それに、それを決めるのは領主の仕事さ。いや、領主夫人かもな」


 ギルは、先のやり取りを思い出したのか笑みをこぼした。


「まるで私が妻の尻に敷かれているみたいじゃないか」


 身なりの良い男、領主が現れた。その腕に赤子を抱いて。


「ここに連れて来ていいのか?」

「仕方がないだろう。……ええと、ドニだったか? 私は彼の話を聞かなければならないし、妻は手が離せない。人見知りが激しくて使用人に任せられなければ私が抱いてくるしかない。それに、何かあってもギルがいれば大丈夫だろう?」

「恩をあだで返すなどありえません。俺はどうなっても良い。しかし、エメは見逃してくれませんか?」


 脱走兵が捕まれば縛り首にされる。昔から決まっていることだ。


「私としては見なかった事にしたいがね。妻が言い出しそうな事を考えると頭が痛いよ」

「誰が尻に敷かれていないって?」


 ギルと言う男は楽しんでいるように見えたし、領主は脱走兵の扱いより、妻の動向を気にしている。なんなんだ、この二人は?

 当の俺を差し置いて二人の話が逸れていくさなか、扉が開いて領主夫人が現れた。

 思わず立ち上がりかけたが、ギルに制されて腰を落ろした。


「意識が戻ったわ。あなたに会いたがっている。安心させてあげて。こっちよ。早く」


 早足に進む領主夫人に連れて行かれたが扉の前で足が止まった。そのまま振り向かれる事なく彼女は話し始める。


「ごめんなさい。もう、手の施しようがないの」

「そんな、たった一本の矢なのに?」

「その矢で内蔵が酷く傷ついているのよ。長くは持たないわ」


 振り返る領主夫人の目。俺はその目を知っている。多くの命を見送ってきた目、絶望を乗り越えてきた目だ。


「…………ありがとう。恩は必ず返します」


 その部屋は、暖かい日が差し込み、開け放たれた窓から優しい風が入ってきていた。そっとエメが横たわるベッドに座った。


「元気そうだな」

「そうね。もう大丈夫。早く帰りたいわ」

「ああ。帰ろう。俺たちの国に。良い旅になるさ。見てみろ。こんなにも良い天気じゃないか」


 生気が失われつつあるエメを見ていられず、外に目をやった。町の外は穏やかで戦時中とは思えなかった。

 

「そろそろ教えてくれてもいいでしょ。何の話だったの?」

「結婚を申し込もうとしたんだ」

「気が変わった?」

「まさか。エメさえ良ければ、今でもしたい。俺と結婚してくれないか?」


 エメの手が俺の手に重ねられた。


「あたしたちは兵士。結婚してどうするの?」

「兵士なんか辞めて穏やかに暮らすさ。エメの故郷がいい。湖のある小さな村だったか?」

「そう。冬は厳しいけど、他の季節は過ごしやすい村。きっと気に入ると思う。子供は多いほど良いわ。ドニとの子供なら騒がしい家族になりそうね」

「エメに似た気難しい子供かもな」


 エメの手から熱が失われていくのがわかった。


「子供たちの成長を見守りながら、ドニと一緒に年を取るのも悪くないか。仕方がないから結婚してあげる」

「ああ」

「ヤギや羊の世話は大変よ。大丈夫?」

「ああ」

「立派なお父さんになってね」

「ああ」

「たくさん話して疲れたかも。少し寝るわ」

「ああ」

「ドニ。あなたの隣で戦えて良かった」


 エメは目を閉じた。苦しさを見せない、とても穏やかな顔だった。


「俺もだ」

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